五郎丸が逝って はや1週間。
今頃になってじわじわと
寂しさが募ってきています。
五郎丸のいない生活が
こんなにも味気ないものとは・・・。
空を見ても、花を見ても
すべてが五郎丸の仕草を
思い出させてしまう。
いい歳をしたオバハンが
誰も居ない場所で号泣してる姿なんざ
見られたもんじゃないです。
みっともないとは思うんだけど
涙が溢れて来るんだわさ。
胸の中ががらんどう。
やり切れなくて
な~~んもしたくない。
こうしてあげればよかった、
ああしてあげればよかった、と
後悔の念ばかりが堂々巡り・・・。
時間薬っていつになったら
効いてくるんだろう。
おまけ。
動物を眺めているときだけは
不思議と心が和む・・・。
ヤギさん、ありがとね。
私も猫を見送って、
数年経っても、不意に涙が出ちゃう時が
いまだあります。
なぜか、コンビニなどで巣を作る燕の雛を
見たりする時も、逝ったあの子を思い出します。
命の始まりを目にすると、おのずと、
終わりもあるんだって事を、
しみじみ感じるからでしょうかね?
産まれて来て、おめでとう。
最期の時を、ありがとう。
時間を経て、そんな気持ちになりました。
今は、いろんな思いが湧いてきて、
お苦しいでしょうが、
どうぞ無理をせず、過ごして下さいね。
1週間経ったのね
何かにつけて思い出すのは当たり前
思い出してあげるのが供養だとか
人のお寺の和尚さんは言ってましたよ
動物も同じですよネ
半年前に我が家は「人」が無くなりましたが涙も出なくて
でも、ニャん子がなくなった話しで
もう、涙が…。
このブログでもみても涙がね~
今いるこじろうと合わせて観てると
思いますよ
大事に育てなくては
色々思い出してやってね
旅立った直後は
夫ともまともに会話もできないほど取り乱し、
哀しみで息もできないほどでした。
時間が経つにつれ、また違った寂しさに
襲われています。
炎天下の道を歩いてるとき、
朝ポコッと目覚めたとき、
拭き掃除をしているとき、など
五郎丸はいつも不意打ちをくらわすので
涙腺の決壊を止める準備が間に合いません。
ま、泣きたいときは気のすむまで
誰もいないところで泣けばいいさ、と
今は開き直りつつありますが・・・。
おかっぱさん、ありがとう・・・。
居なくなってまだ1週間しか経ってないのに、
病院に通ったのが遥か昔のことのようにも
感じられたり・・・。
記憶と現実が入り混じって混沌としてるような、
不思議な感覚です。
五郎丸がいなくなって、
文鳥の桃太郎がより甘えん坊になったような気がします。
生あるものはいつかはこの世から去っていく・・・。
一緒にいる時間を大事にしようと思います。
一生懸命送ったときの緊張が解けると、悲しみが嵐のように襲うのです。
ピチャピチャ水飲む音、ギイ、とドア開ける音、カッカッカッと砂掻く音、トントン、と板の間を歩く音、ふっくらの身体。
2年前、18年聞いた沢山の猫の音がなくなった時、ああ私もいっしょにゆくのかもー、とふらふらの状態で思ったものでした。
存在の大きさに、去って初めて驚く猫たちですが、彼らが我が家を選んでやってきてくれて、言い得ない楽しい時間を過ごせた、と、納得し思い出せる日がはやく来ますように(五郎丸、桃太郎、お母さんを守ってね)。
私の場合は行くへ不明なので(家出した?)
探し回りました。
ある時出勤途中のバスでよく似た子が見えたので、バスを下車して「太郎―」と追いかけました。でも信号が変わり向こうにわたって見失いました。
仕事に送れるので次のバスで出勤、帰りにまた下車して探しました。
そのような行為はいつまで続いたかなー。
今でさえ同じ毛並みの子がいると「太郎じゃない」と話しかけてしまいます。
49日の時記念の大きなカレンダーを作り部屋に貼りました。
一緒に住んでない娘が帰郷して「そんなことをしてはいけない」と叱られました。
今もそのカレンダー持っています。
ごめんなさい、つまらない私の話をしてしましました。
いつまでも思ってあげてください。
18年間も一緒に暮らした猫がいなくなったら
それこそ身をもがれるような辛さ、痛みに
襲われるでしょうね。
人とも、小さな家族とも、いつかはやって来る別れ。
分かってはいてもいざその時がくれば、
その都度、もがいて足掻いて・・・。
別れになれるということはこれからもないんだろうなあ。
太郎ちゃん・・・行方不明というのも
いつまでも安否が気遣われ、
何とも切ないものですね。
インコが夫の肩に止まったまま、
一緒にベランダに出てしまい、
行方不明になったことがありました。
捜索のチラシを作り、貼り歩き、
目撃情報があれば早朝でもすっ飛んで行き、
探し回りましたが、結局見つからず・・・。
何年も前のことなのに、
今でもふとした折にその子のことが
思い出されます。
我が家の犬にも後悔の念ばかりです。
骨壺は家に置いてあるので、時々抱き上げて撫でてます。
実家の猫も弱ってきてからいつの間にか帰って来なくなり、探しても見つかりませんでした。
猫って弱った姿を見せたくないのでしょうか。
ご主人のブログを読んで涙が出ました。
あんなに甘えん坊だった五郎丸が
最後の数日は隅っこや暗い場所に
籠るようになりました。
己が弱っていることを自覚し、
身を守る本能なのでしょうか。
ノラちゃんは姿を隠したら探しようがない・・・。
クロやコロ丸もいつかは・・・先のことは
考えないようにします。