大橋香奈+大橋裕太郎著『フィンランドで見つけた「学びのデザイン」-豊かな人生をかたちにする19の実践』(フィルムアート社)-しばらく前からツイッターのタイムラインを賑わしていたこの本、気になっていました。フィンランドの教育事情、それも正規の学校教育ではなく、図書館、ミュージアム、メディア、NGO等、多様な学びの場における実践を綴った本書は、共感のまなざしで溢れています。
ところで、この本の著者名を目にしたとき、「はて、どこかで聞いたことがあるような」と思ったのですが、それもそのはず、1年以上前にこんなエントリーをしておりました。当時、Japan Design Netのメルマガを購読していて、本書のもととなったWeb上の連載の存在を知ったのでした。
PISAでトップクラスの成績を収めていること、1990年代の金融危機を脱却した後、IT先進国として国際競争力ランキングで上位を占めるに至ったことなど、フィンランドは興味の尽きない国です。本書は豊かな生活・豊かな社会とは何かを「学び」という視座から捉えた作品ですが、ここではあえて経済の視点から読み込んでみます。
1.市場メカニズム
本書に登場する教育関連機関(図書館、ミュージアム、NGO等)は、そのほとんどがパブリックな存在であり、いずれも有効に機能しているように思われます。教育への市場メカニズムの活用、あるいは「市場対規制」風の二元論的対立図式は、フィンランドの教育に関する限り、ほとんど問題になっていないように見受けられます。そんな中、フィンランドの教科書事情に関する記述は、同国の教育と市場メカニズムの関係が垣間見える興味深い内容になっています。
まずは基礎的なデータから見てみると、
(1) フィンランドのマスメディア市場のうち、出版メディアのシェアは最大の65%を占める(2009年度)。出版メディアのうち、唯一書籍市場は直近5年間で微増ながら成長を続けている。ちなみに日本の出版メディアは1996年をピークとし、15年間連続で売上減少となっている。
(2) 書籍のカテゴリー別売上を見ると、ノンフィクションが1位で、教科書がそれに次ぐ。書籍全体の売上のうち、教科書は1/3を占める。
これだけでも彼我の違いに驚かされます。教科書ビジネスはフィンランド経済の中でも相応のウェイトを占めている模様です。
また、フィンランドでは複数の企業が自由競争により教科書を提供し、学校が自由に使いたい教科書を選定するというスタイルをとっています。国による検定はありません。
2.教育財政
7月19日に行われたUstreamでのトークライブにて(Togetterのまとめはこちら)、裕太郎氏が「フィンランドの教育がうまくいってるのは高コスト(巨額の財政資金を注ぎ込んでいる)だからだという誤解があるが、実はフィンランドの教育は低コストだ。なぜ低コストでできるかというと、テストがないから」といった意味の発言をされていました(おそらく全国統一の学力テストがない、という意味)。
フィンランドの教育の財政的な持続可能性への言及として注目されますが、テストがないことが低コストの主因というのも意外です。これで世界トップクラスの教育水準を達成している訳ですから驚きです。
これに関して、フィンランドの教育はテストではなく、教師の質を重視していることに特徴があるという指摘がなされています。教師のプロフェッショナリズムへの信認が厚いため、テストに依存せずに教育効果を期待できるということです。ハーヴァードのTony Wagnerによると、教師は最も尊敬される職業であり、全員が修士の学位を保有しており、志望者の10人に1人しか教師になれない、とのことです(この記事もTwitterを通して知りました)。ここでは、かなり厳しい競争原理が働いていると思われます。
3.都市設計
アルヴァ・アアルトを生んだ国らしく、本書にも教育に都市設計のプログラムを取り入れる例がいくつか紹介されています。
(1) 空き地や、人が訪れなくなった公園を子どもたちの視点で帰るという都市設計プロジェクトが進行中である。 子どもたちのアイディアをもとに、自治体職員、建築家、造園家が協働して実現させていくというプロジェクト。
(2) 子どものための建築教育を推進する団体であるArkkiは、4歳から18歳までの子どもたちに向けた長期継続プログラムを行っている。 このプログラムでは、以下のようなステージで建築を学習していく。
4歳から6歳 :さまざまな材料を使った造形作業と遊びによって建築を学ぶ
7歳から13歳 :エコロジー、持続可能性、都市計画のプロセスなどを学ぶ
14歳から18歳:建築の多様な側面について学び、自ら建築設計を行うとともに、建築史・現代建築についても学習する。
翻って、従来の日本の経済成長モデルは「一住宅一家族」を前提としたデベロッパー主導型であった、という指摘がなされています(たとえば、平成23年7月16日に行われたシンポジウム「3.11後の社会デザイン」での議論。Togetterのまとめはこちら)。来たるべき人口減少社会において、このモデルが持続可能かどうかは真摯に問われるべきでしょう。そのような状況の中で、市民自らが都市設計に参画していく意味は今後ますます重くなっていくでしょうし、市民をファシリテートしていく人材の育成も教育の重要な機能となるでしょう。
4.成人教育の経済的効果
フィンランドは世界で最も成人教育の盛んな国のひとつ、とされます。その特徴は、
(1) 無料または安価で教育が受けられる。
(2) 資格取得や職業訓練を主目的としたAdult Educationと、教養や趣味のためのLiberal Adult Educationに大別される。特に後者にも力を入れているのがフィンランド流。
1990年代の経済危機と高失業を克服した背景にはこうした成人教育の充実がある、とも示唆されています(この点に関しての実証分析があるのかどうか、ちょっと調べてみたい気もします)。
現下の日本では空洞化が懸念されており、新たな高付加価値サービス産業の創出が喫緊の課題だとも言われています。フィンランドの経験が日本に移植可能なのかどうか。 また、Liberal Adult Educationの外部効果はどの程度なのか(実証は困難だと思われますが)。ひとびとのwell-beingにどの程度貢献しているのか。
さまざまな問いが浮かんできたパートでした。
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