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『限界デザイン』の縮小都市論

2012-05-26 | Weblog

三宅理一著『限界デザイン 人類の生存に向けた星の王子様からの贈り物』(TOTO出版;2011)は、タイトルが示すとおり、限界状況において人がどのように住まうのかを活写した著作である。そこで紹介された事例はいずれも興味深いものだが、ここでは直接に「縮小都市」について触れている部分を取り上げてみたい。

まず著者は国土交通省国土審議会国土政策部会が発表した「国土の長期展望」(2011)から「2050年には人口が9,000万人台」、「高齢化率は40%弱にな」り、更には「2050年までに居住地域の2割が無居住化」するという長期予測を引用する。「特に北海道では今の半分、中国・四国では4分の1の地域から人がいなくなる」。

しかも、こうした動きは田舎と都会双方で進行しており、「空き家化」と「無人化」は全国的に観察される現象となっている。西側諸国の重工業地帯の都市、あるいは今日ではロシア・東欧でも目立つようになってきた「シュリンキング・シティ=縮小都市」は、日本でも喫緊の課題である。

著者によれば、「旧社会主義圏の縮小都市は日本とよく似ている」という。計画経済のもとで工業化を推し進めたロシア・東欧の都市が、政治経済体制を超えて日本の都市と相似しているのはアイロニカルでもある。

「...旧社会主義圏の建築が、統制経済の恩恵を被って当初から面倒な要求を抱える居住者とのやり取りを捨象し、国の掲げる上位計画に従ってひたすら機能主義的な設計を進めてきた」ことは、「1960年代から70年代にかけて古い歴史的な市街を取り壊し、郊外にスプロールしていった」点において、日本と変わらない。(同書p.219)

「...高度成長を支えた「護送船団」と称せられる官庁の強力な指導力や階級区分のない居住形式、狭隘な住宅に甘んじる国民性、さらに昨今の少子高齢化の度合いなどは、西欧とは大きく異なり、旧社会主義国のそれに近い」。(同書p.221)

著者は「いくつかの中心業務地区があって、その周りに住区が広がり、それらを適度な交通ネットワークで繋ぐという20世紀の都市モデル」がすでに時代遅れになり、「大前提になる人間の数と行動様式が大きく変わりつつある」として、「広々とした土地に数を小さくした人々がゆったりと住む」「散住、あるいは展住モデル」の可能性を示唆する。「現に北欧ではそのような住まい方が一般的で、それゆえに距離に影響を受けないインターネットなどのコミュニケーション・ツールがきわめて有効に働いている」。(同書p.223)

この後、著者は「余剰になった建築資産を移動させる=リロケーション」(即ち住宅を解体し移築することで、資源を有効活用する)へと論を展開する。これまた興味深い提言であるが、ここは北欧的な散住モデルに意識を集中させておこう。

経済学的な視点から見れば、コンパクト・シティのように中心地区へ都市機能を集中させる方が効率的という見方もできる(かつコミュニティの機能を維持し、高齢者等にも優しいまちづくりが可能である)。しかし、ここであえて著者が言うのは「散住・展住」である(面的に広く散住して、中心都市はコンパクトにつくることは両立可能であるが)。このコンセプトが現実味を帯びるほど、日本の「空き家化」「無人化」は急速に進行している、ということだろうか。

アジア経済研究所のケオラ・スックニランは北欧諸国の(初期の)工業化をアジア諸国のそれと比較し、後者が「集積力を活かした労働集約的な産業の育成」による工業化だとすれば、前者は低い人口密度、広い国土、森林や山岳部が多いため交通アクセスが悪い、といった条件を前提とした分散力による経済発展モデルととらえている。北欧諸国の工業化の特徴は(1)国内資源とその加工が基幹産業となり、(2)国内事情に合ったエネルギーの開発(北欧の場合はとりわけ水力発電)が工業化を成功させた、という点にあるという。通常イメージされる工業化モデルはアジア諸国のそれであるが、北欧諸国は代替的な発展モデルを提供しているとも言える。

勿論、今から北欧のような工業化戦略に切り替えろと言いたい訳ではないが、21世紀の国土計画と産業配置、居住形態は従来とはドラスティックに異なるものにならざるをえないのかもしれない。


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