NHKの朝ドラで、作曲家の古関裕而さんの話を放送している。
先週は、早稲田大学の応援歌「紺碧の空」の作曲で苦労するというストーリーで、久しぶりに紺碧の空を聞いた。自分は、早大学院→早稲田大学の出身で、当時は、高校も野球の早慶戦は学生席が学校内で買えたし、土日で1勝1敗となった月曜日の3回戦は学校が短縮授業となった事もあり、神宮球場にもたびたび足を運んだ。
野球はプロが盛んであったが、それでも自分が学生だった当時は学生スポーツが非常に盛んであった。特に野球の早慶戦は毎試合ほぼ満員で、応援席では体力を使い、疲れるが、非常に楽しかった思いがある。球場ではチャンスのたびに応援歌を歌うし、野球場以外でも応援歌を度々歌った。校歌と応援歌は今でも良く覚えている。
早慶戦というと、勿論野球以外でも観客が入り、ラグビー、サッカーも国立競技場で試合があった。自分はサッカー部だったので、早慶戦の前座として付属高校同士の試合に出場した。国立競技場のピッチでプレーしたのだが、慣れない(唯一の)芝生のグラウンドで思うようなプレーが出来なかった。
先週は、早稲田大学の応援歌「紺碧の空」の作曲で苦労するというストーリーで、久しぶりに紺碧の空を聞いた。自分は、早大学院→早稲田大学の出身で、当時は、高校も野球の早慶戦は学生席が学校内で買えたし、土日で1勝1敗となった月曜日の3回戦は学校が短縮授業となった事もあり、神宮球場にもたびたび足を運んだ。
野球はプロが盛んであったが、それでも自分が学生だった当時は学生スポーツが非常に盛んであった。特に野球の早慶戦は毎試合ほぼ満員で、応援席では体力を使い、疲れるが、非常に楽しかった思いがある。球場ではチャンスのたびに応援歌を歌うし、野球場以外でも応援歌を度々歌った。校歌と応援歌は今でも良く覚えている。
早慶戦というと、勿論野球以外でも観客が入り、ラグビー、サッカーも国立競技場で試合があった。自分はサッカー部だったので、早慶戦の前座として付属高校同士の試合に出場した。国立競技場のピッチでプレーしたのだが、慣れない(唯一の)芝生のグラウンドで思うようなプレーが出来なかった。
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