相台万朗Sodaiブログ

和歌山からきて今は千葉県人に、東京銀座でウエスタンバンジョーの店を36年間やらせていただき、もっかしたずみしてます。

なんだか波乱バンジョー進行中!   (連載―410)

2022年07月17日 | 経験・体験
幼いころ(7歳)、勉強が大好きでみんなが放課後校庭でドッチボールで遊んでいるのに、私は教室で算数の問題を解いていた。

早く解いて校庭に出たいのに出れない事情がある。生まれた頃は天才と、もてはやされていたのに地獄に落ちそうだ。

思えば、簡単そうだが敵はきびしい。同じ天才仲間の回答を写したら、間違っていた。相手も地獄の入り口でさ迷っている。

時間切れでも閻魔様が目の前で監視していた。
もう勘弁してヨお。と泣きをいれたら閻魔様は優しく宿題をたっぷりくれた。
4,5年前に、その時の天才仲間とパッタリ、スーパーで出くわした。

私は、別名:介護老人だ。彼は、奥様とご同伴らしく立派な高齢者だ。

二人は山奥から出てきて、こんな大都会で会うとは奇跡だ。
よくわかったね?田舎のニンニクの臭いでもしてたのだろう。

1+1=  さすが天才バカもん。
お互い田舎には錦を飾れなかったが
私は、孫も含めて11人の家族だ。中途半端に器用で楽器もこなした。
水商売とやらに性格的にあっていた。

銀座で姉と40年お店をやってきた。姉はお店の経営に神経を使っていたが歌手でもあった。

私も40年前、「ビズリーチ」で銀座に来た。
レンガ一つ一つ積み上げることからお会計とローン返済と税務申告と人とのお付き合いと何でも屋だった。

わからんことは、今のようにPCで検索システムもなく、マニュアルでしった。なんでもこなしたが苦手などいってられない。

あるとき、著作権料で裁判所からの呼び出しがあり行ったが何年分さかのぼって著作権料を払わなければならない。
仕方ない音で営業しているのだから。
裁判所も怖い人ばかりと思っていたら、その場で、ご親切に法律を教えていただき目出度く双方の納得いく解決をした。

何事も、よろしくお願いする心で人と接すれば拾う神もある。と教えられた。
それからも、拾う神のお世話になることがあった。

40年後、姉と私は時期は違うが脳疾患で銀座から去った。姉は延命処置もなく死んじまった。好きな歌も唄えたし、いい人生だったろう。

私は、手作りの神棚に延命処置をしないように書面に書いて残してある。
苦手もあったが、おばあちゃんの言われるお天とう様を信じ、人に指さされることはしなかった。

出会い、出会いと出会いを大切に、よく言われたが人に助けられ生きてこられた。

幸運もあったが紙ひとえなこともあったなあ。
15歳の時、バイクの運転免許を取った。山育ちで危険な崖っぷちを木をリヤカーに積んでバイクで牽引していた。
夢でも見たのか、下を見ると道がなく谷底に落ちることもなく、浮いて走っていた。

57歳の時、体調が悪く、どこかの
スーパーの駐車場で15分ほど休んだ。
さあ!妻もちょうど同乗してくれていた。私がハンドルを握って2分ほど走ったところで倒れた。
どこかのおばさんが布団をかけていただいたところまで覚えている。
 
後は、生かすも殺すも妻次第、病院に運ばれ、たまたま手術できるお医者さまがいたから緊急手術をしていただいたようだ。

後日、病院の廊下で気さくに声を掛けていただいた先生が亡くなっていた。

病院も一か所に長く居られなく、言われる前に、退院して復帰だ。
初日から、店で倒れ救急車に載せられ華やかなデビュー。

59歳の時、運転はすべて妻に任した。私は隣で家に着くまで寝ていた。
事もあろうに、深夜高速道路で、
もらい事故で、地球が爆発したのか、いつおさまるのか他人事のように映像がよぎった。
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幸い、妻も私もシートベルトをしていたので車外に放り出されなく、警察官もよく生きていましたねと一声だった。
後ろのトレーラーが急ブレーキで止まってくれたので助かった。まさに
紙ひとえだったのだろう。

 生きていれば、苦しいことだってあるし、こんなこともある。もちろん楽しいこともあった。

 私の名前は波乱万次郎と呼ばれた。漁師のマンジロウは海で遭難し
てアメリカに行ったがハワイで帰る気であれば日本に帰って来れたがアメリカに行く選択をした。

彼が遭難したときに、遭難を選択したら、アメリカを知ることはなかった。
海は広いな大きいな行ってみたいなよその国。
今は、誰でも海の向こうの国に、ひと飛で行けるが、私は行けなかったから白い画用紙に舟を浮かべてよその国を想像した。

真っ白い画用紙の上に、ヨットを浮かべた絵が、今も鮮明によみがえる。

夢って、与えられるものでもなく、夢は自分が生み出すことを見つけた。

なんだか、上から目線で嫌な気がすると思いません。

「私の孤独」という歌があった。聴いて、東京に来て40年はこの歌に救われた気がする。 
私の中に、私と私の孤独がいるから、私はいつも一人じゃない。という
  
 母が自殺した時も、孤独にもさい悩まれたが、母は子育てにも生き方にも器用ではなかった。一人の女性として見たら、寂しかったのだろう。
 
 孤独な人と孤独と思っている人、今一度、自分のまわりの人を見てごらん。もしかしたら、器用じゃない人がいるかもしれない。
自分よりももっと孤独かも知れない。

私も老後に備えて夢をつくることを考えているが思うようにいかない。

慌てることはない、人には暗闇は必ずくる。波乱バンジョー進行中!
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