幼い頃、田舎の川底に潜れば、流れは岩にぶつかり渦を巻く。渦が巻いていると川面に上がろうと、あたふた、もがく。こんな時は、渦に逆らわずいったん川底に潜って、渦から逃れれば、浮くように川面に出られる。「運命の別れ」川は、静かな流れで厄介だ。
ミシシッピー川とは、山奥育ちの私とは出会う機会がなかったのが、カントリー・ミュージックとの出会いで太平洋を渡った。幼い頃、画用紙に描いたヨットに乗って、よその国に渡った。
テネシー州ナッシュビルに着いた。まさか、広い遠い海を渡ってアメリカに来ようとは、思わなかった。
「シェナンドー」とアメリカの民謡がある。約、200年前の1848年、カリフォルニア州で起きたゴールドラッシュの時に、ある男が一攫千金を狙って川で懸命に金を探すのに夢中でシェナンドーという名の娘をミズリー川で亡くした。
その一節の歌の詩があった。「おお、シェナンドアよ、あなたに会いたい、アウェイ、流れゆく川よ。
おお、シェナンドアよ、あなたに会いたい。」
ミズリー川は、セントルイスで、ミシシッピー川に交わっている。
ミシシッピー川はせせらぎが合流して谷となり、時には、かたちを変え滝にも変ぼうし、低地を探しながら、仲間と合流して成長する。
アメリカ大陸の川と私の田舎の川とは、性格が違うようで、地図上では、毛細血管のようだが、個々の川が大きい。大陸の湖は、海のようにひろい、しかも5湖もある。北部に5大湖がある。日本の農地に見られる溜池のようだ。
飛行機の窓越しから見るミシシッピー川は蛇のようにクネクネ曲がっていた。
ながーい貨物船が行きかっていた。
ニューオーリンズでは大型豪華客船も通っていた。ニューオーリンズで聞いたことがあったが川の水深は60メートルだそうだ。
ミシシッピー川は、インディアン語で「偉大な川」という意味だそうだ。
ちなみに、ミズリー川は「泥の川」という。
泥には土の栄養分が含んでいるのだろう。内陸は肥沃な土壌、また人々は、川の水を利用した灌漑農業を発展させた。
アメリカの地名も先住民の名称が多いようだ。日本の北海道もアイヌの名称が多く使われ残っている。
ミシシッピー川は、アメリカを東西に分け、北から南に、アメリカ大陸の中心を流れ、メキシコ湾にそそいでいる。
ラジオを聞いていたら、カントリーミュージックの90歳になられる、ウイリーネルソンが歌われていた。昔、ヒットしたOn The Rord Again(また旅で)をブルーグラス調のアップテンポで再レコーディングをした。この曲自体速いがフラットマンドリンが入っていて旅先でまた、違った喜びを歌っていた。
カントリーは、本場、テネシー州ナッシュビルが有名だ。バットマンビルも町にはそびえ建っていた。
カントリーミュージックは、白人の南部の歌だ。南北戦争でテネシーは北部と南部の境だ。日本では江利チエミさんが歌われたテネシーワルツがおなじみだ。
ここにも、テネシー川が、ミシシッピーにそそいでいる。
テネシー州の上には、ケンタッキー州があり、日本でも有名な作曲家であり、多くの名曲を残している、フォスターの生家があり「ケンタッキーの我が家」にも訪ねた。
ケンタッキーと言えば、競馬のダービー馬で有名だ。あたり一面、緑にかこまれ、ブルーグラスだ。ブルーグラスは馬の肥料の名前と聞くが、ブルーグラスの音楽を生んだ。
ケンタッキーバーボンの工場もあり、昔の禁酒法の名残だろうか、酒を飲んでいい群と禁止されている群がある。 突然、日本からのお客様が怒りだした。
あるレストランでステーキを召し上がる前にビールで乾杯という時に、禁酒地区で場がシラケた。
道を挟んで、向かい側の町は、酒が飲めた。しかも、閉店時間は、まだ明るい。日本では考えられない体験をした。
馬の博物館に入ったが、馬がこんなに、可愛いと、人間に従順だとは思わなかった。
ここにも、オハイオ川が、ミシシッピーに、そそいでいる。
別の日に、ミズーリ州のブランソンの町に、アンディウイリアムスの「ムーンシアター」に入った。彼が78歳の頃だと思うが、日本ファンで入り口が日本庭園でシアターの内部は着物でデイスプレイされていた。彼の楽屋にも招待され「ムーン・リバー」も一緒に歌ってくれた。
ミズーリ、イリノイもセントルイスでミシシッピーに合流していた。
ミシシッピーRiverを下り、メンフィスの町がある。
「コットンフィールド」と歌にもあるようにここは、綿の大農場地帯でアフリカの黒人が奴隷としてはたらかせられた。ブルースが生んだ街だ。
B,Bキングは1950年代から晩年まで活躍したブルース界の巨人。
エルビス・プレスリーはメンフィスのサンスタジオで最初に録音し、初期のプレスリーのロカビリー・スタイルは、黒人音楽のブルースと白人のカントリーミュージックを融合した音楽と言われ、カントリーの世界からもブルースの世界からも深刻な人種差別の問題を抱えいた。
1977年にテネシー州メンフィスの自宅、グレイスランドで没した。(42歳だ。)自宅、グレイスランドには花が絶えない。
プレスリー「キング・オブ・ロックンロール」と称される。
メンフィスから下ればルイジアナ州、ニューオーリンズにつく。
スペイン風の歴史ある街並み路面電車が行きかい。ルイ・アームストロングのトランペットが聞こえるフレンチクウォーターを横切って、バーボンストリートでは、毎夜、ミュージシャンたちのパフォーマンスが聞ける。懐かしいジャズを聞きたい方はプリザベイションホールに入って聞けばいい。裸電球で馬小屋風で私は黒人にキャラメルをいただいて聞いた。
近所では、ダニガ二、カキも上手かった。
さて、ミシシッピーを下って来て、メキシコ湾にたどり着いたが、メキシコ湾油田も宇宙のヒューストン基地も、ちょっと足をのばせば「アラモの砦」もある。
まだまだ、ミシシッピーの北部のミネアポリスは未知の世界だ。
川は、七変化。アメリカ文化に大きな影響を与えているし作家、マーク・トウェインの「トム・ソーヤの冒険」
は、まさに、ミシシッピーやミズーリ―を舞台に描かれている。
私の田舎の川とはスケールは違うが川を潜水艦で旅すれば、また、別の素顔が見せてくれるかも。
南部のアメリカから、ニューヨークに着いたが、急に逆流性胃炎になり、大都会では、人が飛んでいた。
やっぱり田舎がいいや!
ミシシッピー川とは、山奥育ちの私とは出会う機会がなかったのが、カントリー・ミュージックとの出会いで太平洋を渡った。幼い頃、画用紙に描いたヨットに乗って、よその国に渡った。
テネシー州ナッシュビルに着いた。まさか、広い遠い海を渡ってアメリカに来ようとは、思わなかった。
「シェナンドー」とアメリカの民謡がある。約、200年前の1848年、カリフォルニア州で起きたゴールドラッシュの時に、ある男が一攫千金を狙って川で懸命に金を探すのに夢中でシェナンドーという名の娘をミズリー川で亡くした。
その一節の歌の詩があった。「おお、シェナンドアよ、あなたに会いたい、アウェイ、流れゆく川よ。
おお、シェナンドアよ、あなたに会いたい。」
ミズリー川は、セントルイスで、ミシシッピー川に交わっている。
ミシシッピー川はせせらぎが合流して谷となり、時には、かたちを変え滝にも変ぼうし、低地を探しながら、仲間と合流して成長する。
アメリカ大陸の川と私の田舎の川とは、性格が違うようで、地図上では、毛細血管のようだが、個々の川が大きい。大陸の湖は、海のようにひろい、しかも5湖もある。北部に5大湖がある。日本の農地に見られる溜池のようだ。
飛行機の窓越しから見るミシシッピー川は蛇のようにクネクネ曲がっていた。
ながーい貨物船が行きかっていた。
ニューオーリンズでは大型豪華客船も通っていた。ニューオーリンズで聞いたことがあったが川の水深は60メートルだそうだ。
ミシシッピー川は、インディアン語で「偉大な川」という意味だそうだ。
ちなみに、ミズリー川は「泥の川」という。
泥には土の栄養分が含んでいるのだろう。内陸は肥沃な土壌、また人々は、川の水を利用した灌漑農業を発展させた。
アメリカの地名も先住民の名称が多いようだ。日本の北海道もアイヌの名称が多く使われ残っている。
ミシシッピー川は、アメリカを東西に分け、北から南に、アメリカ大陸の中心を流れ、メキシコ湾にそそいでいる。
ラジオを聞いていたら、カントリーミュージックの90歳になられる、ウイリーネルソンが歌われていた。昔、ヒットしたOn The Rord Again(また旅で)をブルーグラス調のアップテンポで再レコーディングをした。この曲自体速いがフラットマンドリンが入っていて旅先でまた、違った喜びを歌っていた。
カントリーは、本場、テネシー州ナッシュビルが有名だ。バットマンビルも町にはそびえ建っていた。
カントリーミュージックは、白人の南部の歌だ。南北戦争でテネシーは北部と南部の境だ。日本では江利チエミさんが歌われたテネシーワルツがおなじみだ。
ここにも、テネシー川が、ミシシッピーにそそいでいる。
テネシー州の上には、ケンタッキー州があり、日本でも有名な作曲家であり、多くの名曲を残している、フォスターの生家があり「ケンタッキーの我が家」にも訪ねた。
ケンタッキーと言えば、競馬のダービー馬で有名だ。あたり一面、緑にかこまれ、ブルーグラスだ。ブルーグラスは馬の肥料の名前と聞くが、ブルーグラスの音楽を生んだ。
ケンタッキーバーボンの工場もあり、昔の禁酒法の名残だろうか、酒を飲んでいい群と禁止されている群がある。 突然、日本からのお客様が怒りだした。
あるレストランでステーキを召し上がる前にビールで乾杯という時に、禁酒地区で場がシラケた。
道を挟んで、向かい側の町は、酒が飲めた。しかも、閉店時間は、まだ明るい。日本では考えられない体験をした。
馬の博物館に入ったが、馬がこんなに、可愛いと、人間に従順だとは思わなかった。
ここにも、オハイオ川が、ミシシッピーに、そそいでいる。
別の日に、ミズーリ州のブランソンの町に、アンディウイリアムスの「ムーンシアター」に入った。彼が78歳の頃だと思うが、日本ファンで入り口が日本庭園でシアターの内部は着物でデイスプレイされていた。彼の楽屋にも招待され「ムーン・リバー」も一緒に歌ってくれた。
ミズーリ、イリノイもセントルイスでミシシッピーに合流していた。
ミシシッピーRiverを下り、メンフィスの町がある。
「コットンフィールド」と歌にもあるようにここは、綿の大農場地帯でアフリカの黒人が奴隷としてはたらかせられた。ブルースが生んだ街だ。
B,Bキングは1950年代から晩年まで活躍したブルース界の巨人。
エルビス・プレスリーはメンフィスのサンスタジオで最初に録音し、初期のプレスリーのロカビリー・スタイルは、黒人音楽のブルースと白人のカントリーミュージックを融合した音楽と言われ、カントリーの世界からもブルースの世界からも深刻な人種差別の問題を抱えいた。
1977年にテネシー州メンフィスの自宅、グレイスランドで没した。(42歳だ。)自宅、グレイスランドには花が絶えない。
プレスリー「キング・オブ・ロックンロール」と称される。
メンフィスから下ればルイジアナ州、ニューオーリンズにつく。
スペイン風の歴史ある街並み路面電車が行きかい。ルイ・アームストロングのトランペットが聞こえるフレンチクウォーターを横切って、バーボンストリートでは、毎夜、ミュージシャンたちのパフォーマンスが聞ける。懐かしいジャズを聞きたい方はプリザベイションホールに入って聞けばいい。裸電球で馬小屋風で私は黒人にキャラメルをいただいて聞いた。
近所では、ダニガ二、カキも上手かった。
さて、ミシシッピーを下って来て、メキシコ湾にたどり着いたが、メキシコ湾油田も宇宙のヒューストン基地も、ちょっと足をのばせば「アラモの砦」もある。
まだまだ、ミシシッピーの北部のミネアポリスは未知の世界だ。
川は、七変化。アメリカ文化に大きな影響を与えているし作家、マーク・トウェインの「トム・ソーヤの冒険」
は、まさに、ミシシッピーやミズーリ―を舞台に描かれている。
私の田舎の川とはスケールは違うが川を潜水艦で旅すれば、また、別の素顔が見せてくれるかも。
南部のアメリカから、ニューヨークに着いたが、急に逆流性胃炎になり、大都会では、人が飛んでいた。
やっぱり田舎がいいや!
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