目黒川でサンマが釣れた?
私のうまれた西暦を選択すると随分さかのぼらないとでてこない。「もう生きた化石だね」と感じた。
古いと言われても仕方ない。1951年、私の生まれた当時の平均寿命は60、8歳だ。今年でいつの間にか70歳になった。そうすると、もうとっくに死んでいる歳だ。
50年程前に西の国の山奥から出てきて、東京で出世して田舎に錦を、と思って都会に来た。新宿は毎日お祭りで人が多かった。何を勘違いしたのか人の流れについていくとお祭りではなかった。
三味線と太鼓に仏前の鐘を器用にならした動く広告塔、チンドンと時代劇の恰好で町を練り歩くチンドン屋サン。聞きほれて後をついて行き迷子になった子供のころ。
ディズニーランドに行き、洗濯板をかかえて軽快なリズムでトロンボーンやラッパで楽しい演奏をきいた。ディズニーランドでタヌキのように働いてみたかった。
いい車に乗って、高価な時計をして別荘を持ち、豪邸に住んで俺は出世して金持だど~ト思わない。から出世しなかったのだろう。
田舎には錦を飾れなかったが人が気軽に、なついてきた。
美味しくナーいラーメン屋さんも知っている。
5番街のマリーも知っている。銀座のあるクラブで1本60万もするナポレオンのブランデーを若い会社員にご馳走になった時代も知っている。
目黒川のそばで老夫婦がやっていたとんかつ屋さん、キャベツにからしとソースを少々、からませ食べたトンカツとキャベツが懐かしい。キャベツはおかわり自由だった。
「目黒のサンマ」は有名だが目黒に海もないのにおかしい。あの目黒川でサンマが釣れるのか、まじまじと川面(こわも)を見に行った。そしたら、サンマがこっそり話してくれた。
昔むかし、ある殿さまが目黒に狩りに来たらしい、家来(けらい)が殿さまの弁当を忘れた。サンマの焼く煙が殿さまに気づかれ、これはなんじゃと聞かれたが、家来がこれは下々(しもじも)の食べ物で決してお殿様が口にするものではありません。と断ったが、次回に来た時、例の物をしょもうしたいと言われるもので家来は急ぎ江戸の魚河岸からサンマをとりよせた。
殿様はさすが目黒のサンマは美味じゃ。てなことで目黒のサンマが有名になったとさ。
サンマは一匹100円の庶民の魚。サンマの漁獲量が少なくなり目黒のサンマ祭りも一時、危うくなり気仙沼からの援助でつないだ。
最近はスーパーで見ると300円400円は当たり前高級魚になってしまった。しかもダイエットだ。
中目黒に長年住んでいたので目黒川の氾濫をよく目撃している。中目黒駅近くのマンションの1階まで水があふれてきた。
川底を深く掘って整備し、今は海外の方々もいらしているとか目黒のサンマも有名だが桜祭りも綺麗だ。夜はライトアップされ目黒川のほとりを散策するもおつだね。
よけいな話だが窓を開ければ中目黒駅のホームがほんの近くに見えた。会社に遅れる心配はご無用だったがインベーダーゲームで金を使い果たした。
中目黒も随分変わった。目黒川にでもサンマを釣りに行くかな。
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