つくづく日本は、温暖で海に囲まれ島国に生まれてよかった。海にも川も魚が獲れるし、山には山菜も木の実も採れる。水は豊富で新鮮だし、お風呂も毎日入れる。国民は、大和民族で、アイル、琉球とがいらっしゃるが、ほぼ単一民族だ。
地球上は、凍り付く寒さの場もあれば、熱い砂漠の場もある。食料も豊富に収穫できる土地もあれば、輸入に頼らないと生きてゆけないところもある。その住む条件で人の性格も違うようだ。
戦争の時は、勝っているとフェイクを流し、勝っているのに空襲警報が毎晩のようにある。逆らえば非国民とヤジられる。
地球の大きさも百年前から変わっていないのに、地球が小さくなったのかもしれない。
海は広いな大きいな、行ってみたいなよその国。画用紙に舟を浮かべて夢見た地球は大きかった。
相変わらず人間同士が争いをしている。
こんな狭いところに塀も高く、外の世界もみえない。食べ物も入れてくれるが塀の中は、悪臭が漂って住めるところではない。それはどこかと尋ねたら誰もが、がさついているガサだ。
たとえ話で申し訳ないが、種子島に200万人の人が押し込まれ、そんな環境で仲直りしようって所詮無理。
バイキングとは「食べ放題」と思っていた。
スウェーデンのリューリクが率いたルーシ族(ルーシはロシアの語源となった)は海を渡りスラム人が住む、サンクトペテルブルクに上陸した。スラブ民族はおとなしくて辛抱強い農民を想像した。北欧と言えば、スウェーデン、ノルウェー、フィンランドのバンキングは舟で移動して生活をしていた。
近くには、ドニエプル川もボルガ川もあり、水の臭いもしたのか、ノヴゴロイドに移動して建国した。
近くを流れていたドニエプル川に舟を浮かべ、その川を下れば、キエフ(今は、ウクライナの首都、キーウ)に着いた。
更に行けば黒海の広い海に着く、さらに、東ローマのビザンツ帝国(東方正教会)、オスマン帝国(イスラム教)のギリシアの地中海にでる。
ドニエプル川の水利を利用して経済を発展させ、キエフ・ルーシー公国を建国し、キリスト教を国教(東方正教会)として、ロシアの原点をつくった。
ウクライナもロシアもこの時代のキエフ・ルーシーの血をひくものだと互いに主張している。
ボルガの舟歌、コサックの子守歌、
いい歌が聞こえる。コサック(逃亡農民や没落貴族からなる軍事協同体、モンゴル騎馬民族を想像する)はウクライナを浮かぶがロシアは面倒な国に手を染めたなと、感じた。
草原でアジアと繋がる遊牧騎馬民族モンゴル帝国の西方遠征によって、1240年にあっとキエフ公国が滅ぼされ、モンゴル人のキプチャク=ハン国が南ロシアに建国され、それ以来、1480年に独立を回復するまでの約240年、ロシアはモンゴルの支配をうけていた。「タタールのくびき」と呼んでいて、タタールはヨーロッパから見た、モンゴル人のことをいう。くびきは牛を御する時にその首に付ける道具。つまりロシアがモンゴルに押さえつけられていた。ことの例え。
日本も、鎌倉時代に2回、モンゴルが襲来したが、もし占領されていたら、「くびき」どころか徹底的に虐待されていただろう。
ロシアはタタール人に従うことを見せかけて貢物を贈った。タタール人の人口も多くなく、ほどほどの支配を考えたのだろう。
モンゴルの力も弱まり、1480年、モスクワ大公国の皇帝が、キプチャク=ハン国から自立、つまり貢納義務を拒否し、その軍を撃退したことによって「タタールのくびき」は終わりを告げる。240年もロシアがモンゴル帝国に間接統治されたことはロシア国民に大きなくびきを残したことになっている。
世界は、どちらかに傾いた情報もあるだろう。ほんとうか、うそ(フェイク)の情報で人は踊らされ信じ込まされる。
すべて、うそであればバレバレと分かるが、本当とウソをちりばめれば分からなくなるという。
さて、遠い昔、チェネロブイリ原発もウクライナにあった。原子爆弾をつくるために作ったが、原発事故をおこし周辺国に多大な影響を及ぼした。
ウクライナとロシアの同じ国だったのに、別れたい、別れたくない別れさせないと戦っているような気がする。
スラブ民族は、北欧の奴隷だったと聞いたもので振り出しに戻った。
ある民族は、ヨーロッパ、アジア、
アメリカ、と世界中に散らばっている。
日本も影響されているかもしれない。
地球上は、凍り付く寒さの場もあれば、熱い砂漠の場もある。食料も豊富に収穫できる土地もあれば、輸入に頼らないと生きてゆけないところもある。その住む条件で人の性格も違うようだ。
戦争の時は、勝っているとフェイクを流し、勝っているのに空襲警報が毎晩のようにある。逆らえば非国民とヤジられる。
地球の大きさも百年前から変わっていないのに、地球が小さくなったのかもしれない。
海は広いな大きいな、行ってみたいなよその国。画用紙に舟を浮かべて夢見た地球は大きかった。
相変わらず人間同士が争いをしている。
こんな狭いところに塀も高く、外の世界もみえない。食べ物も入れてくれるが塀の中は、悪臭が漂って住めるところではない。それはどこかと尋ねたら誰もが、がさついているガサだ。
たとえ話で申し訳ないが、種子島に200万人の人が押し込まれ、そんな環境で仲直りしようって所詮無理。
バイキングとは「食べ放題」と思っていた。
スウェーデンのリューリクが率いたルーシ族(ルーシはロシアの語源となった)は海を渡りスラム人が住む、サンクトペテルブルクに上陸した。スラブ民族はおとなしくて辛抱強い農民を想像した。北欧と言えば、スウェーデン、ノルウェー、フィンランドのバンキングは舟で移動して生活をしていた。
近くには、ドニエプル川もボルガ川もあり、水の臭いもしたのか、ノヴゴロイドに移動して建国した。
近くを流れていたドニエプル川に舟を浮かべ、その川を下れば、キエフ(今は、ウクライナの首都、キーウ)に着いた。
更に行けば黒海の広い海に着く、さらに、東ローマのビザンツ帝国(東方正教会)、オスマン帝国(イスラム教)のギリシアの地中海にでる。
ドニエプル川の水利を利用して経済を発展させ、キエフ・ルーシー公国を建国し、キリスト教を国教(東方正教会)として、ロシアの原点をつくった。
ウクライナもロシアもこの時代のキエフ・ルーシーの血をひくものだと互いに主張している。
ボルガの舟歌、コサックの子守歌、
いい歌が聞こえる。コサック(逃亡農民や没落貴族からなる軍事協同体、モンゴル騎馬民族を想像する)はウクライナを浮かぶがロシアは面倒な国に手を染めたなと、感じた。
草原でアジアと繋がる遊牧騎馬民族モンゴル帝国の西方遠征によって、1240年にあっとキエフ公国が滅ぼされ、モンゴル人のキプチャク=ハン国が南ロシアに建国され、それ以来、1480年に独立を回復するまでの約240年、ロシアはモンゴルの支配をうけていた。「タタールのくびき」と呼んでいて、タタールはヨーロッパから見た、モンゴル人のことをいう。くびきは牛を御する時にその首に付ける道具。つまりロシアがモンゴルに押さえつけられていた。ことの例え。
日本も、鎌倉時代に2回、モンゴルが襲来したが、もし占領されていたら、「くびき」どころか徹底的に虐待されていただろう。
ロシアはタタール人に従うことを見せかけて貢物を贈った。タタール人の人口も多くなく、ほどほどの支配を考えたのだろう。
モンゴルの力も弱まり、1480年、モスクワ大公国の皇帝が、キプチャク=ハン国から自立、つまり貢納義務を拒否し、その軍を撃退したことによって「タタールのくびき」は終わりを告げる。240年もロシアがモンゴル帝国に間接統治されたことはロシア国民に大きなくびきを残したことになっている。
世界は、どちらかに傾いた情報もあるだろう。ほんとうか、うそ(フェイク)の情報で人は踊らされ信じ込まされる。
すべて、うそであればバレバレと分かるが、本当とウソをちりばめれば分からなくなるという。
さて、遠い昔、チェネロブイリ原発もウクライナにあった。原子爆弾をつくるために作ったが、原発事故をおこし周辺国に多大な影響を及ぼした。
ウクライナとロシアの同じ国だったのに、別れたい、別れたくない別れさせないと戦っているような気がする。
スラブ民族は、北欧の奴隷だったと聞いたもので振り出しに戻った。
ある民族は、ヨーロッパ、アジア、
アメリカ、と世界中に散らばっている。
日本も影響されているかもしれない。
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