感性のままに。

平凡な主婦の独り言です。

となりの芝生

2009-07-29 21:25:48 | 日記
TBS系列で水曜の夜放送の「となりの芝生」と言うドラマをご覧になったことがありますか?

橋田寿賀子脚本のドラマです。

「渡る世間は鬼ばかり」は殆ど見たことがなかったんですが、たまたまこのドラマがついていて、ある意味「面白くて」見てしまっています。

ストーリーは「嫁姑問題」が主なものです。

主人公のお嫁さんに瀬戸朝香、お姑さんに泉ピン子。

主人公は東京の会社に勤める次男と結婚し、専業主婦として子供二人夫と共に暮らしていましたが、郊外に一軒家を購入します。

新築の家に引越したばかりの時に、大阪の長男夫婦と同居していた姑が突然やって来て、ついには居座ってしまうのです。

そこから主人公の苦労が始まるわけで、それは姑だけでなく、自分の夫とも上手くいかなくなって。

家のローンを払うのに一杯一杯なのに、そこに姑が来たので、家計的には火の車となり、主人公は内職をしようとします。
ところが、それを夫は「俺の稼ぎでやり繰りできないから、俺へのあてつけのつもりか!」と激怒するんです。
姑も「少ない中でやり繰りするのが妻の仕事でしょ。夫に恥をかかせる気?」なんて主人公を非難します。

挙句の果てには、姑が「私なんていない方がいいんでしょ?明日の朝一番の新幹線で大阪に帰ります。」なんてヨヨと夫の前で泣き崩れるものだから、夫は「母さんが可哀想じゃないか!」となって、主人公を平手打ちしちゃうのよね~。

私なら、ここでアウト!
絶対出て行きます!

自分の妻より母親の味方ばかりして、平手打ちまでするなんて、考えられなーい!

それに、姑も嫁に嫌味ばっかり言って、食事でも一々うるさいし。

たまりかねて、主人公が実家の母親に泣きつきに行くとまた母親にも冷たくされるわけで。
「あなたは我がままなのよ。そのくらい普通よ。我慢が足りないの!もうあなたの愚痴は聞かないから家へ帰りなさい。」だって。
全く四面楚歌状態。

確か、「渡る~」も家庭内のゴタゴタが物語りになっているんじゃなかったっけ?

世間の嫁姑はこんなのが普通なの?
姑ってこんなに意地悪なの~?
夫って、こんなにイヤなヤツが多いの?
そんなに母親の味方ばかりするの?

それとも、こんな話を書ける橋田寿賀子がスッゴク○○なの?

普通はこんなドラマはあまり興味ないんだけど、何でこの主人公が我慢しているのか不思議でたまらなくって、な~んか見てしまうのよね。

夫が暴力を奮うたび、姑が嫌味を言うたび、「早く出て行け~!」と思ってしまうのです。

主人公は、これから外に働きに出るようなのですが、これからどうなって行くのでしょう?
絶対に上手く行くわけがありませんね~。


そして、これを見るたび、「私ってなんていい夫と優しい姑に巡りあったのかしら」と幸せを感じるのでした。


我が子を信じる・・・その理由。

2009-07-28 19:09:27 | 日記
先日の「我が子を信じる」の記事に沢山の方からコメントを頂き、ありがとうございました。

お一人お一人にお返事を差し上げるべきですが、返信コメントもダブった内容になってしまうので、ここでお返事とまでは行かないかもしれませんが、少し思うことを書くことにしました。

私がなぜ、我が子を信じることができるか・・・。

それは、私自身が万引きなんかできるような人間じゃないからです。

そんな私が育てた子供が、万引きなんかするとは考えられないこと。

それは万引きだけではないことですが。

私は子供が中学生まで、ずっと外で働きませんでした。

外で働くことになれば、小さな子供を誰かに預けなければいけないからです。

絶対にこの手で子育てをしたかったから。

その結果、一人でストレスをため、育児ノイローゼのようになったりはしましたが。

それでも、誰かに預けて外に出たいとは思いませんでした。

後で後悔したくなかったのです。
子供のことは、誰かのせいにしたくなかったのです。

私は弱い人間だから、何かあった時に、すぐに誰かのせいにしてしまうと思いました。

私が産んだ子供の責任は私自身がとるべきだと。

こんな母親が育てたんですから、完璧な人間になるとは思っていません。
でも、自分がちゃんとした道徳観を持ち、間違った行動をしなければ、子供もそうなると思います。

口で教えることも勿論ありますが、毎日の親の生活や言動の中で、自然と育って行くのではないでしょうか?

「子は親の鏡」とはよく言ったものです。

だから、勿論道徳観だけでなく、私の嫌な面も受け継いでいます。

引っ込みじあんなところ、要領の悪いところ、面倒臭がりなところ、人目を気にして言いたいことを言えないところ、気の弱いところ・・・・損ばかりしています。

それでも、きっと私の考える人の道に外れたことはしないと思っています。

それは、私がそんなことができないからです!
それは、自分自身のことだから、ハッキリと言えることなんです。

だから、我が子もそうに決まってる!

・・・・・そんなことはないでしょうか?

それと、もう一つ。

子供は顔、特に目を見ればわかります。
表情に表れるものなんです。

特に男の子は素直で、どんな子供なのか、目を見ると何となくわかってしまうのです。

実は、夫の嘘や言動も見抜けます。

知らん顔してますけどね~。

と言うことで、これからも子供に恥じないような言動を心掛けたいと思います。


それから、教師に対する御意見も多々ありましたが、あの先生はまだ可愛い方で、もっと酷い先生の話はまた後ほどと言うことで。

我が子を信じる

2009-07-26 20:39:05 | 日記
次男が小学5年生の夏だった。

休日だったので、次男は友達とプールに行くと言って出かけて行ったのだが、少しして、我が家の電話が鳴った。

次男の学校の教務主任の先生からだった。

「あのぉ、お宅のR君がコンビニで万引きをしたと連絡がありまして。」

初め、私は一体何を言われているのか理解できなかった。

「は?」

「K町のコンビニから電話がありまして、S小学校の5年の○○○○(次男の名前)と言う子が万引きしたので、来てくれと言われましてね。」

「は、はい。ま、万引き?うちの子がですか?」

「そうなんです。今日はR君はどこに行きましたか?」

「今日は友達とY山プールに行くと言って出かけたんですけど。」

「そうですか。プールには行ってないようですね。」

「え?でも、そんなはずないです。うちの子じゃないです。万引きなんかしません!」

「う~ん。」

私は完全に頭が真っ白になって、先生の言葉の細かい所は聞こえていなかった。

ただ、頭の中は『万引き』と言う響きだけがグルグル回っていた。

でも、どうしても信じられない。

そこで、気を落ち着かせて聞いてみた。

「あの、もう一度お聞きしますが、どこのコンビニですか?」

「K町ですよ。」

「・・・?おかしいですよ。だって、うちの子が行ったのはY町のプールで、K町とは正反対ですよ。それに、友達のお母さんの車に乗せてもらうと言ってましたので、K町になんか行くはずないです。私、そこのお家に電話して確かにプールに行ったかどうか、確かめてみます!」

「そうおっしゃるなら・・・。」

私は急いでそのお友達の家に電話して聞いてみた。

確かに、ちゃんとプールに送ってくれたと言われ、私の「絶対おかしい」と言う気持ちは確信に変わった。

しかし、確かにうちの子の名前を名乗っている以上、すぐにでもそのコンビニに行って確かめたかった。

・・・もし、万が一、それがうちの次男だとしても、絶対に自分から万引きなんかする子ではない!
きっと、仲間の誰かが万引きしてしまい、お店の人に捕まったのが側にいた次男だったのだと思った。
そう考えると、どんなに次男が心細く傷ついているだろうと、早く行って抱きしめてあげたくて居ても経ってもいられなかった。
下を向いて泣いている次男の姿が頭に浮かんだ。

学校に電話し、「私、これから行って来ます!」と言うと、
先生は「いや、少し待ってください。やっぱりおかしいので、私がまず行って確かめて来ますから、待っていてください。」と。

それから落ち着かない気持ちで先生からの連絡を待ったが、程なく電話が鳴った。

「やっぱり、R君ではありませんでした。A小学校の4年生の子でした。」

「あぁ、やっぱり・・・。」

それから詳しいことを聞きに学校に出かけたが、そこには担任の先生もいて、二人で「申し訳ありませんでした。」と平謝り。

担任の先生は電話で呼び出され、コンビニに確認に行ってくれたようだ。

「ほんとに申し訳ありませんでした。お宅に電話する前にちゃんと確認するべきだったのに。私はそんなことおかしいと言ったんですよ。そんなお子さんじゃないですから。」

詳しく聞くと、次男の名前を語った子は、スポ少のミニバスで一緒のチームで、保身のためにうちの次男の名前をとっさに言ったと言うことだ。

そして、家庭環境もいいものではなく、万引きも初めてではないと。

なるほど。。。
でも、何でよりによってうちの次男の名前?

まあ、そんなことはどうでもいいこと。
ほんとに次男でなくてよかった。
そして、やっぱり、次男はそんな子ではないと改めて思った。

しかし、今でも思い出すたび、その時の胸が苦しくなるような頭の中が真っ白になるような感じが甦る。
心臓が口から出そうな感じを味わった。

その日、何も知らない次男が夕方日焼けした顔でプールから帰ったのを、何とも言えない幸せな気持ちで見ていたっけ。

その後、その万引き事件は次男には内緒にしていた。
名前を語ったのが、同じチームの子供だと知ったら、次男がどんなふうにその子を見るか。
そして自分の名前が語られたことを知ったら、いい気持ちのわけがない。
そんなことは知らない方がいい。

次の日、A小学校からS小学校に今回のことでお詫びの電話があったそうだ。

うちにはないの?それで終わり?

その子の保護者からは?

多分、同じスポ少の練習でも会うのだろうが、何のお詫びもない。
私はその子の名前も聞かなかったので、どの保護者なのかもわからないが、多分そちらは知っているはず。

私がその立場だったら、すぐにでも誤りに行くだろうけど。
違う?

それとも、そちらの立場になったら、とても謝りに行けない気持ちなのかもしれないね。

その後、次男も6年生になり、私がPTA役員として先生方と飲み会があったときのこと。

例の教務主任の先生が私に言った。

「あの万引き事件の時、りっひーさんのこと凄いと感心したんですよ。だって、すぐに『うちの子じゃないです』って言ったじゃないですか。我が子を信じきっていて、大した母さんだなあと思って。」

そして、その場にいた次男の同級生T君のお母さんにこうも言ったのだ。

「だって、T君だったらお母さんも『うちの子だったらやりかねない』と思うでしょ?」

そのお母さんは笑って「確かにね~。うちだったら『またかい』って?ハハハ・・・。」と冗談でかわしたけど。

それって、飲み会の席だとしても酷くない?
私が褒められたことなんか吹っ飛んで、あまりに失礼な先生の言葉に内心憤慨していた。

よく、あのお母さんは笑って済ませたなと思うんだけど。

そうよね、この先生の配慮のなさで、私は凄く嫌な思いをしたわけで。

そして、最後に私に言った言葉。

「ほんとにあの時は申し訳なかったと思いますよ。でも、いいじゃないですか!今年はR君も陸上で大活躍したことだし~。」

なんだと~!
関係ないだろっ!

こんな先生が教務主任ですか?

思い出しても腹が立つ!







オバサン同士の情報交換会

2009-07-25 21:10:57 | 日記
昨晩は、次男の部活仲間&友達のお母さん達2人と情報交換会をして来ました。

と言っても、つまりはオバサン3人の飲み会であります!

中学生の頃は定期的に部活の保護者会の飲み会に参加していたんですが、高校生になるとすっかり疎遠になってしまったので、このお母さん達とゆっくりお話するのも何年かぶりです。

何たって、高校生の男の子は殆ど家ではムッツリしていて、学校での様子はな~んにもわからないと言うのが普通で・・・・。

だから、母親としては、何とか我が子や学校のことを知りたいと思っているのです。

まず、乾杯の生ビールを一口飲んだ後は喋る、喋る~。

女3人寄れば何とやら~。

勿論お互いの息子達の日頃の様子やら、部活&勉強&受験のことから、家庭の事情や食事のこと&ちょっとした知恵袋的なこと、果ては嫁姑問題まで。

「へえ~、そうなんだ~!」
「なるほどね~。」
「で、それから?」

お喋りに夢中で、ビールもジョッキ2杯しか飲まないのに、6時半から閉店の11時半まで居座りました。

とうとう最後の一組になって、店員さんに「お客様、申し訳ございませんが閉店のお時間になりまして・・・。」と言われるまで気づかなかったのですよ。

そんなに居座って一人2700円也。

お店の人は「全くオバサンは・・・。」と思っていたことでしょう。

あまり喋りすぎて、今日は喉の調子がよくないです。

それと、お店を出たら酷い土砂降りになっていて、自転車で来ていた私達はずぶ濡れになって家路に着いたのでした。
あんなに濡れたのも久しぶり。

でも、お互いの情報交換のためには、こう言う会は母親にとって必要なのです。




日食騒動。

2009-07-22 19:57:39 | 日記
今日は日本中「皆既日食」の話題で一杯でしたね。

私も46年ぶりだと言うことで、「日食メガネ」を用意して期待してました。

ここら辺は7割程度の部分日食、まだ梅雨明けしていないのでお天気が気がかりでした。

恐れていたとおり、朝からど~んより曇り空。

目標の11時には何とか晴れてくれるのではないかと、仕事中も気が気ではありません。
お陰で、仕事はミスだらけ。

11時を過ぎても一向に雲が切れず、仕事に支障をきたすようではいけないので、もう諦めていたころです。

「もしかして、今なら見られるかもしれませんよ。」
と言う一人の社員の言葉に慌てて日食メガネを掴み、窓際へ。

「おお~!見えたーーー!」

もう7割ではなく、6割?5割?くらいにはなっていましたが、確かに太陽が欠けています。

今にも雲に隠れそうだったので、急いでそこに集まって来た社員に日食メガネを次々に渡して見せてあげました。

私しかメガネを用意していなかったんだも~ん。

たったこれだけで、日食メガネを買うなんて、私くらいなのかしら?

案の定、あっと言う間に雲が太陽を隠してしまい、私にとっての世紀の天体ショーは終わってしまったのでした。。。。

・・・・と思ったら、その数分後の12時少し前に再び陽がさして来たのです。

しかも先程よりもよく晴れています。

先程、雲がかかって見そびれた人に優先してメガネを貸してあげて、私は午前中に仕上げなければいけない仕事を急いでやっていました。

その間も「りっひーさん、早く早く!」と言ってくれるんですが、この仕事をお昼前に終わらせなければ

ようやく仕事を終わらせると、もう12時を過ぎていました。

仕方ないのでお昼ご飯のために帰宅する途中に、ゆっくり日食を見ましたが、すでに1割程までになっており・・・・。

それでも、しっかり欠けている太陽を感慨深く見続けたのでした。

日食メガネを買った甲斐があったというものです。

曇りのまま全く見ることができなかったら、それこそ、26年後まで大事に取っておかなきゃいけなかったですね~。

その26年後の皆既日食は、なんとここら辺が中心になると言うことですから、スッゴク楽しみです。

26年後かぁ・・・・。

これは頑張って元気でいなければいけません!

夜中のように真っ暗になって、それからあのダイヤモンドリングを見てみたいです。

いい冥途の土産になるでしょうね~。