映画と音楽そして旅

主に懐かしい映画や音楽について…
時には新しい映画も…

(南山城古塔めぐり)「浄瑠璃寺・三重塔」

2006-10-09 05:21:04 | 旅 おでかけ
  こんもりとした緑に包まれた木立の中に、国宝の三重塔はひっそりと佇んでいました.この塔は1178年治承2年(1178年)に、京都の一条大宮から移築されたものといわれますが、正確なことはよく判りません。
 この塔は少し低いのと周りの樹木が高いので、なかなか全景を写真に収めるところがありません。撮影にいい場所を探して周囲をうろついていたら、突然大雨が降ってきました。
 慌てて塔の下へ雨宿りに駆け込むと、すでに先客あり…それが美人の女性の方で、文字通りの「駆け込み寺ですね」と顔を見合わせて大笑い…夕立もなかなか止まないので、四方山話しでもしながら雨が上がるのを待ちました。
 女性の方は「仕事で徳島から大阪へ来たので、このお寺を目指して来ました」とのこと…それはまた何故…と聞くと「徳島は阿波浄瑠璃の本場ですから、このお寺の名前に惹かれました。それと堀先生も作品に書いていおられましたし…期待に違わず静かないい感じのお寺で、お参り出来て本当によかったです」と云っていられました。
 
 私も前に読んだ堀辰雄の小説の中で、このお寺のお守りをしている少女と、彼の奥さんとの対話を綴っていたのを思い出しました。
 少女は「この辺はしょうもないとこでっせ。筍やワラビなどばっかり食べて、お魚などは食べたことない…」とか云ってたように思います。
 この鄙びたお寺が遠来の参詣者を惹き付けるのは、この美しいお寺の名前とともにどことなく、文学的な香りが漂っているからでしょうか。
 




(南山城古塔めぐり)「雨の浄瑠璃寺・宝池」

2006-10-09 05:19:56 | 旅 おでかけ
 雨もなかなか止まないし外へも出られないし、四国の女性と家内が話しを始めたので、私は家内の「日傘」をさしてその辺を散策ことにしました。
 三重塔から本堂に戻る道筋に大きな池があります。この池の近辺はは浄土式庭園と云われ国の史跡、特別名勝に指定されています。
 これは宇治の平等院にも見られるように平安貴族の間に、広がった末法思想により現実世界に極楽浄土を表現したものだそうです。
 浄瑠璃寺では池の西岸に阿弥陀如来を祀る本堂と、池の東岸に薬師如来を祀る三重塔が残り、平安王朝寺院の雰囲気を伝える貴重なものです。
 薬師如来は東方浄瑠璃世界に住み、現世の苦しみを除く仏であり、 阿弥陀如来は、西方極楽浄土の教主であることから、このような形でに祀られているそうです。
 
 そぼ降る雨の浄瑠璃寺の庵や樹木や宝池に、落ち着いた風情が感じられていい雰囲気でした。
 その内雨も止んだ様子で四国の女性や家内が、三重塔の下から出て来たので帰途につくことにしました。




(映画音楽)「セレソ・ローサ」(映画「海底の黄金)

2006-10-08 00:04:42 | 映画音楽
 この映画は探しても無駄か…多分出て来ないだろうな…と思いながら探しましたが、見事に「徒労」と云うか「空振り」に終わりました。
 あの妖艶なグラマー・スターのジェーン・ラッセルが、水中シーンで大活躍…と云う、まぁ毒にも薬にもならない娯楽映画の一つでした。
 映画自体は図書館のキネマ旬報でも探せば、出てくるはずですので映画の方は別にどちらでも良くって、今日はこの映画に挿入された主題曲で若かりし頃に爆発的に流行した、マンボの中でも不滅の名曲ともいえる、「セレサ・ローサ」ついて触れて見たいと思います。

 映画「海底の黄金」を知らなくてもマンボ「セレソ・ローサ」を知らない人は少なかった…と云ってもそれは半世紀も前の話です。
 この曲はマンボの王様ペレス・プラードの最大のヒット曲として、同じ曲をアレンジした「チェリー・ピンク・マンボ」と共に今でもしばしば耳にします。
 キューバで生まれた新しいリズムのマンボは、瞬く間に拡散して昭和二十年代末期の我が国は、マンボに明け暮れた…と云っても過言ではありません。
 当時のラジオ人気番組の「S盤アワー」のオープニング・テーマに使われた「エル・マンボ」に始まり、「マンボNo5」そして「セレソ・ローサ」でマンボの流行はピークに達しますが、この傾向は歌謡曲の世界にも浸透して、美空ひばりの「お祭りマンボ」が大ヒットしました。

 1955年9月の某誌の人気投票の中間発表でSPレコードの部門の、第1位はペレス・プラード楽団の「マンボNo5」、第2位が「セレソ・ローサ」と人気は抜群でした。
 いつやら私がブログで探しまくっていたシルヴァーナ・マンガーノの「アンナ」が第3位になり、第4位はペギー・リーの「ジャニー・ギター」が入っています。
 第5位はグレン・ミラー楽団の「ムーンライト・セレナーデ」が頑張っていましたが、キューバン・リズムに押されてヒットパレードの中身も大きく変り、従来のジャズ・ポピュラーが大きく後退を始めます。、
 6位が昨日の記事で触れたローズマリー・クルーニーの「マンボ・イタリアーノ」で先日久しぶりにCDを聴きました。
 いずれにしてもマンボが我が国の音楽界に、いかに大きい影響を与えていたか…と云うことを如実に表現していると思います。
 この数十年前のヒット曲が今でも愛されているのは、それなりの理由があるようです。
 






(南山城古塔めぐり)「浄瑠璃寺本堂」

2006-10-07 23:38:16 | 旅 おでかけ
 このお寺は前に奈良からの帰途に立ち寄ったのですが、時間が遅くてすでに山門が閉っていて文字通りの「門前払い」になりました。
 山門をくぐって本堂に向かいますがこのお寺は、天平時代に聖武天皇が僧行基に命じて建立させたと伝えられます。一時は荒れていたようで平安時代の永承二年(1047)に再興されたそうです。
 浄瑠璃寺は創建当初の本尊が現在の「三重塔」に安置されている「薬師如来像」で
でしたので、薬師如来の浄土・東方浄瑠璃世界に因んで付けられた寺名です。
 本尊がその後に薬師如来から現在の阿弥陀如来に変わりましたので寺名も当然変るものですが、浄瑠璃寺という言葉の響きがあまりにも良いので、寺名はそのままにされているのでは…とも云われます。




(CD雑記帳)「久しぶりです…ローズマリー・クルーニー」

2006-10-07 00:02:45 | 音楽
 ローズマリー・クルーニーはどちらか云えば目立たない存在でしたが、それでも彼女が歌う「虹を越えて」は私にとって、帰り来ぬ青春の想い出いっぱいの歌でした。
 そのワケは以前にブログで書いたことがありますので、また別ページを読んで戴くとして…長い間彼女のCDを聴いていないので、今夜は久しぶりに聴いて見ました。

 私の手持ちのCDは彼女の曲は3曲だけ…勿論、私の若い頃の歌で一応は私のPCにも記憶させてあります。
 「家へおいでよ」「ハーフ・アズ・マッチ」「マンボ・イタリアーノ」の3曲ですが、この中で「Come On A My House」は江利チエミの歌で、日本でも大ヒットしましたので、よく知られている楽しい歌でした。
 「Half As Much」はおとなしいバラード風でしたので、彼女の歌ではこの歌が私の一番のお好みだったようです。
 「Manbo Italiano」は最初の部分…[A girl went back to Napoli…」のところは凄くいい感じなんだけど…次の「Ey Mambo!Mambo Italiano Ey Mambo!」と少し元気が良すぎて私には少し馴染めないようです。でも、この歌は「家へおいでよ」と同じくらいヒットしたので、耳にすると懐かしい感じがします。
 
 彼女の歌では私にとってのラスト・ソングは…確か「ブレーブ・マン」と云うのがあったはずなんですが、それが不思議なことに全然見付からないのです。
 「勇ましい人」「勇者」とでも言うのでしょうか、メロディも覚えているのに不思議なことです。日本語盤は覚えがないので多分出ていないのかも…いずれにしても私の頭の中では生きているのに現実では夢幻と消えたメイ曲(?)でした。
 西部を舞台とした歌でしたが映画はあったのかな…少し記憶がありません。
 ドリス・ディの「シークレット・ラヴ」みたいな、しっとりとしたラブソングだったと思いますが、影も形も形跡すら見付かりませんでした。五十数年と云う歳月はこのメイ曲を春の淡雪のように消し去って仕舞ったのですね。残念っ!
 もし、半世紀前の忘れ物!この曲が見付かったらお知らせ下さい!

 彼女についてはこんな風に謎の部分も多くて探索して見ました。
 「Deep in my hart]…不思議なことに、タイトルだけは今でも覚えている映画で、「我が心に君深く」と云う映画がありました。その映画にも彼女は出ていて主題曲の「朝日のごとくさわやかに」と云う歌を歌っていて、その曲は調べて見ると今でもCDが発売されていました。この曲も一度聴いてみたいです。
 
 あれれ…と云う記事もありました。それは1954年の映画で「ホワイト・クリスマス」に彼女が出ていてビング・クロスビーとデュエットした…と書いた記事があったのです。
 この映画はパラマウント社が20世紀FOX社の「シネマスコープ」に対抗して新開発した「ヴィスタヴィジョン」と云う大型スクリーンによる、新方式だったと思うのですがこの作品はリアルで見ているのです。
 が、出た人で覚えているのは、ビング・クロスビー、ダニー・ケィ、ヴェラ・エレン!それにうーんともう思い出せません。
 果たして彼女がこの映画に出てたのか、どうか…思い出せない…どなたかご存知の方ご教示下さい。

 もう一つ…私が知らなかった記事がありました。
 先の書いた「我が心に君深く」で共演したホセ・ファラーと、54年に結婚していたそうでした。67年に離婚するまで大勢の子供に恵まれたそうです。
 ホセ・ファラーと云えば私が初期にブログで書いた、あのムーラン・ルージュをこよなく愛したと云う画家ロートレックを描いたイギリス映画「赤い風車」に出ていたスターでした。
 一時引退を決意した途端に気の緩みか凄く……になって仕舞い、あとでB・クロスビーの説得で再びカム・バックするまで、苦労もあったようですが見事に復帰して晩年まで頑張っていられたようです。
 彼女は我が輝ける50年代の頃のスターでしたが、2002年に他界されたことは残念なことだと思います。



(南山城古塔めぐり)「浄瑠璃寺…さるすべり」

2006-10-07 00:01:39 | 旅 おでかけ
 このお寺は奈良市内から近かったせいか、有名な作家もしばしば訪れていて前にも書きましたが、堀辰雄は奈良に遊んだ時に奈良坂を越えて、歩いてこのお寺まで辿りついたようで結構歩き疲れたように思います。
 彼の作品で印象に残っているのは「浄瑠璃寺の春」で、「大和路」の中の小品ですが山門のあたりに咲いていた、「アセビ」の花に触れていたのが印象的でした。
 目立たない感じの門をもう少しで通り越すところだった…と云う意味のことを書いていましたが、今でも標識とかバス停や駐車場など目印がなければ取り越しているかも判りません。

 私たちががお参りしたのは八月末でしたが、「サルスベリ」の花が満開でした。この木は 「百日紅」とも書きますが、白と赤があるそうで私が見たのは赤色でした。「さるすべり」について調べてみました。
禊萩(みそはぎ)科。
・学名 Lagerstroemia indica
開花時期は7月ー10月 中国原産。
・「約100日間、ピンクの花を咲かせる。」のが名前の由来。約3ヶ月間、秋まで咲き続けるとかですが、 実際には、一度咲いた枝先から再度芽が出てきて 花をつけるため、咲き続けているように見えるそうです。
花はしわしわの形。白い花もあります。
・「猿滑」とも書きますが幹がスベスベで「猿も登れない」ところからこの名がついたそうです。秋になると早めに落葉するようです。

 私が少しかかわっているお寺にも「さるすべり」の木があります。お盆の念仏や行事などでお参りすると、赤く咲いた花がお参りする人を迎えてくれます。
 気象条件によっては咲くのが遅れたりして、まだ咲いていない事もあったりで、その年の陽気の具合を占う目安にもされているように思います。


(映画音楽)「ロック・アラウンド・ザ・クロック」(映画「暴力教室」②

2006-10-06 00:02:37 | 映画音楽
 この「ロック・アラウンド・クロック」のリズムは、ロックの日本上陸初期ぐらいの音楽と思いますが、我が国の若い年代に受け入れられて、瞬く間に全国に広まりました。
 ロック嫌いの私ですらあのメロディとリズムは覚えていたので、高校生だった娘が感心?したぐらいですから…

 資料でこの時代のことを確認しますと…  
  [Rock around the Clock] Bill Haley & His Comets
 >「ロック・アラウンド・ザ・クロック」… ビル・ヘイリーと彼のコメッツの歌と演奏は 1955年に8週連続の全米ナンバー1に輝き、続いてイギリスでもナンバー1を獲得したときに、ロックの正史が始まった…<と云われます。
 そしてこの曲はロックの原点として今尚受け継がれているようです。〔写真)
 
 まさに「ロック元年」のこの頃…かねてから「マンボ」や「チャチャチャ」「カリプソ」など中米あたりを発祥の地とする、新しいリズムの流行で私はいささかイヤケがさしていました。
 アメリカ本土ですらロック音楽の流行で今まで親しんで来た、ポピュラー・ミュージックがだんだん後退して行くのに応じて、私も音楽やシネマの世界から遠ざかって行くようになったように思います。

 原題「ブラックボード・ジャングル」(Blackboard Jungle 〕こんなタイトル自体がかなりショッキングでしたが、当時は教育の場と云えば文字通り「聖域」でした。
 娘が小学校の頃は「智育」「「体育」「徳育」」といった教育の根幹が「成績」「記録」などに偏り、道徳面…「徳育」が軽視されているのでは…と云う反省から「小さな親切」とか、「朝夕のあいさつ運動」など実行されていました。
 道で出合った子供達から「只今!」などと挨拶されると、最初は戸惑っていた大人たちも「お帰り…」と自然に云えるようになったりして、雰囲気は和やかなものになって行ったように思います。
 横断歩道で車を停めると無事に横断を終えた子供達が、そろって最敬礼…法令で決まった当然のことでも、感謝の気持を態度でで示されると雰囲気も楽しいし気分もさわやかになりますね。
 最近でも通学路の小学生の児童達は今でも同じように、実行してくれていますが良いことは受け継いでいつまでも、こんな素直な子供達であってほしいな…と思ったりします。
 「教育再生」などと云う言葉がしばしば聞かれますが、私の身近な先生方の話しを聞いても教育現場では熱心に、取り組んでいられる熱意が伝わってきます。
 先生方も子供達も私の知ってる限りは、なにも問題はないのに…今の社会はどうなってんの?どう考えても不思議な時代です。
 「校内暴力」「学級崩壊」「いじめ」なんて昔はなかった言葉が、早く「死語」になるように…こんな時代が待たれます。
 

(南山城古塔めぐり)「恭仁大橋・木津川」

2006-10-06 00:01:49 | 旅 おでかけ
 海住山寺の参詣を終えて国道163号線を右折すれば、30分程で我が家に帰れるのですが、まだ時間はあるし今日はあと二個寺お参りの予定です。
 加茂の街並みを抜けて恭仁(くに)大橋を渡りました。
 川の流れは木津川ですが伊賀盆地を源流とする木津川は、昔から「いずみがわ」とも呼ばれ百人一首にも詠まれています。
 みかの原 わきて流るる いづみ川 いつみきとてか 恋しかるらむ
                              中納言兼輔
 この歌の解釈は現在風に云うと、まだ会った事のない女性に「貴方が恋しいです…いつかどこかでお会いしたのような気がしますが…」などと云いながら、愛の告白をする歌だそうですが、天平美人はどんな風に感じたのでしょうか。

 このあたり一帯は瓶原(みかのはら)と呼ばれ、通ってきた道筋に「恭仁京跡」(くにのみやこ)があります。
 聖武天皇はこの地に離宮を造営して、しばしば通われたようです。
 以前にも記しましたが飛鳥ー平城京-恭仁京ー紫香楽宮と、大和から近江にかけてほぼ直線に離宮などが造営された遺跡が残っています。
 


 

(南山城古塔めぐり)「浄瑠璃寺へ…」

2006-10-06 00:01:04 | 旅 おでかけ
 関西本線の加茂駅は私の幼少期から少年期にかけて、大阪へ行く起点でしたのでおなじみの場所です。今は京阪奈学園都市にも近くて宅地開発が進んで、高層マンションなども建ってすっかり都会化して往年の鄙びた面影はありません。
 それでも街中を外れて山道へ入るとひっそりとした、涼しい空気が流れて来てほっとします。山道を登って行くとようやく浄瑠璃寺の標識が見えて来ました。
 

(映画音楽)「ロック・アラウンド・ザ・クロック」(映画「暴力教室」) ①

2006-10-05 00:04:05 | 映画音楽
 先月末頃にハリウッドの老優が」ひっそりと亡くなりました。
 その人の名は…グレン・フォード…彼の映画はとは馴染みが薄かったので出た映画についてはよく知りませんでした。
 記事によれば『女優リタ・ヘイワースと共演した「ギルダ」(1946年)で有名になり、39―91年の間に「暴力教室」(55年)、「パリは燃えているか」(66年)、「スーパーマン」(78年)、「JFK」(91年)など80本以上の映画に出演、ロマンスからコメディーまで幅広い役どころを見せた。』
と云う老優の死でした。
 記事の中の映画で一作だけ私は観てませんが、私の記憶の片隅に残っている映画と音楽がありました。それは90歳で去る8月30日に他界した、グレン・フォードが出演していた「暴力教室」と云う映画です。
 この頃は我が国でもまだ学園紛争なども見られず、それほど大きな問題もなく平和な時代でした。敗戦後十年ほど…少し落ち着いて来たばかり…の時代でした。
 それだけに暴力に揺れるアメリカの教育の場の実態に、我が国ではかなり衝撃的な映画だったのでは…と思われます。

あらすじは
 ニューヨークのの高校に赴任した教師ダディエ(グレン・フオード)は、陰惨な暴力に荒れる凶暴なクラスを担当することになります。生徒たちの反抗は彼のみならず彼の妻にさえ暴力を加えようとします。
 理想と反した実態に彼も遂に「目には目を…」つまり「暴力には暴力」で対抗するようになりますが…

 荒れる学校がまだ大きな社会問題ではなかった時代、公開当時は何分「校内暴力」や「学級崩壊」などと云う言葉すら、なかった時代ですからとても衝撃的な映画だったようです。
  
  1955年 アメリカ 101分 日本公開:1955年8月 原題 Blackboard Jungle
監督 リチャード・ブルックス
キャスト グレン・フォード、アン・フランシス、ルイス・カルハーン、
ヴィク・モロー、シドニー・ポワチエ
Music Composed by Charles Wolcott
音楽:チャールズ・ウォルコット
   主題歌 「 Rock Around The Clock」Bill Haley and His Comets
     「ロック・アラウンド・ザ・クロック}(歌 ビル・ヘイリー)
 
このキャスト見て思い出しました。
 アン・フランシス…ブロンドの可愛いい女の子だったかな?出てた映画は思い出せませんが… 
 シドニー・ボアチエ…初期の作品のようです。暴力学生の役かな? 
 ヴィク・モロー…ひょっとしてテレビで「コンバット」に出てませんでしたか?   遠い記憶のことですからアテにはなりませんが…。
内容もさることながらこの映画を更に盛り上げたのは、あの主題曲ではないかと思います。             (続く)