ペーパードリーム

夢見る頃はとうに過ぎ去り、幸せの記憶だけが掌に残る。
見果てぬ夢を追ってどこまで彷徨えるだろう。

詩人のおしごと

2015-11-04 18:10:53 | 暮らしあれこれ
151101.sun.

 

世田谷文学館「大岡信」展。
気持ちいいお天気だったので、チャリを飛ばして行ってきました

連続講座「大岡信の詩と真実」、
第五回は詩人の吉増剛造さん。
久しぶりのGOZO節が楽しみで、前列二番目に陣取った。
配られたテキストは毎度おなじみ、GOZO体(笑)
細かい!!!
最近めっきり視力が落ちた身としては辛いわ~~(笑)



ごーぞーさん自身、朗読するときなんか、
老眼鏡かけて、拡大鏡で見てる。
「これはねえ、訓練なんですよ」と。
そうすることで、また新たな発見があるらしい。

でも、相変わらず若々しくて、ニコニコして、素敵。
講演の最中でも、自分が書いたテキストに
「うんうん、そうだよね」
「そうだよ、まさにこれが大岡なんです」
などと一人でツッコミ入れて、ひとりで納得して、それがまた自然で。(笑)

ごーぞーさんの立ち位置としては、
詩人大岡信の次世代を担う詩人。
常に目の前を走る大岡をどう見てきたか。どう乗り越えようとしてきたか。
ごーぞーさんの書いた、
友人であり理解者でもあった井上輝夫(2015.08.28逝去)の追悼文から
大岡や飯島耕一とのかかわりがうかがい知れる。
ここだから言うけど、谷川よりも・・・とか、
連歌、連句はきらい。詩は一人で苦しんで書くもの、
・・・なんて本音を聞くのは楽しい。

しょっぱなから、
「大岡にとって富士山は何か、と尋ねられた時に
『富士山は水である』と答えたというでしょう。
もう、これにやられたね。
水なんだ、彼にとったら富士山は水なんだよ」と。
私も、実は、展示の最初にあったそのパネルの文言に
がツンとやられていた。

物書きならずとも、誰しも心の中の原風景は
やはり生まれ育った故郷の景色だと。
当たり前すぎるといえばそうだが、
そこから逃れられないと感じ、それで自らの身体を浸す。
それがふるさと。

三島市にある「大岡信ことば館」の展示は大胆で秀逸だが、
世田文でも一部同じような演出をしている。
ことばが立ち上がり、揺らぎ、覆いかぶさってきて、溶けてゆく。
そんなイメージ。

ともかく、大岡氏の多彩な活動と交友関係がうかがい知れる展示。
氏のバイタリティに脱帽である。