23日に、気仙沼へ行ってきました。
気仙沼復興協会には、100名を超えるボランティアが集まってきました。
その大半が高校生。
春休みになり、参加したそうです。
茨城の私立高校の野球部の部員や、神奈川県からボランティアのツアーバスに乗って参加したという、女子高校生や女性グループも。
それと、数日前から泊まり込みでボランティアをしているという、京都の大学生グループとかって。
なんか、偉いな。キミたち。(^ω^)
おぢさんも負けていられないw。
今回は、市内の小泉海岸の清掃活動でした。
冒頭の画像の建物が、海に突き出るように建っています。
変な場所に建てたんだなぁ~などと思っていたら、復興協会の人が説明してくれました。
「あれは南三陸シーサイドパレスという、レジャー施設の廃墟です。昭和50年代で廃業して、そのあと放置されていたんです。」
「で、今は海の上に立っていますが、震災以前、この辺りは平地で、建物の後ろの海側に松林があったんですよ。」
え?
だってここ、フツーに砂浜じゃん。
「ここは気仙沼でも最大級の高さの津波に襲われて、松林はおろか、建物や駐車場のアスファルトまで根こそぎ持っていかれました。」
震災直後の気仙沼を見ていましたが、海に飲み込まれて消えてしまった場所は初めて見ました。
なんつー破壊力でしょう。
堤防も、沖の部分が100メートルほど無くなっているし…
しかもこの小泉地区っていえば…
震災直後に、救援物資の輸送で通過した場所ですよ。
↓当時は、消防団や自衛隊による行方不明者の捜索が行われていました。
道路沿いには毛布にくるまれたご遺体があり、自衛隊の回収を待っている状態でした。
国道45号線も、橋が津波で流されて、自衛隊の応急道路でかろうじて通行できるようになっていました。
そんな場所で今回、清掃活動に参加することになるなんてね。
ちなみにこちらのサイトで、シーサイドパレスの震災前の画像が見れます。
ほんと、うっそうとした緑豊かな場所が、海になっちゃってるのが分かりますよ。
で、今回のボランティアは参加者が多いので、6班に別れて活動しました。
自分も班長役を仰せつかり、イガクリ頭の高校生やうら若き乙女(*^_^*)
と一緒になって、浜の清掃を行いました。
乙女さんたちに話を聞いたら、なんと0泊3日の弾丸ボランティアツアーなんだとか。(@_@;)
前の晩に横浜を出て、移動中のバスの中で仮眠して朝現場に到着。で、作業したらそのままバスに乗って、翌朝には横浜に到着とかって…
スゲーな。
つーか、偉いよ。マジで。
おぢさん、恥ずかしくて、前の晩に一関で焼肉食ったなんて言えなかったしw。(;一_一)
2年前から気になっていた、一関インターそばの焼肉屋。
震災直後は断水で休業していたけど、今回ようやく食べれた。
しかも本場の盛岡冷麺も!(ノ∀`)アチャー
…
来るたびに、ボランティアの皆さんの心意気に感動してしまう。
復興協会のスタッフさんが、終わりのあいさつで言っていましたが、「ボランティアさんに、いつも元気をもらっている」って。
でもね、僕らボランティアも、皆から元気と感動を貰ってる。
今回も参加してよかった。そんなボラ活動でした。
…
昼休みに海岸を歩いていたら、砂浜に埋もれたチューリップ柄のスカーフを見つけました。
これもきっと誰かの思い出の品なんだろうな~。
津波さえなければ、ねっ。
質量より、はるかに重みのあるものを拾い上げるって、津波の清掃活動はヘビーだなっ!
おしまい。
先週末はちょっとさむかったのでは??
お疲れ様です。
落ちてるものを見ると、
こんな風になってしまった事を、
どうおもってるのかな?って思っちゃいますね。
スカーフも、まだ状況がわかってないかもしれないです。
ビックサイトのスケジュールを勘違いして、東北チームの皆さんとは逆方向へ行っていました。。(*^_^*)
この日の最高気温は6度で、強い北西の風で体調を崩す人がいたくらい寒かったです。(;一_一)
川の清掃班は、もっといろんな生活用品を拾っていましたね~。
0泊3日で遊びに行ってる地元民の自分が恥ずかしいッス
日曜日ひと目会えれば・・・って思ってましたが残念
まぁ 100%また会えるでしょうから・・・
偉いだなんて… バイクが壊れて乗れないから、週末にすることがないもので~(;´Д`)
盛岡冷麺、美味しかったっす。(^^♪
0泊3日で行動できるパワーがうらやましいっす。(^ω^)
日曜日はスミマセンでした。4月にはバイクも直っているので、東北にはバンバン行きますよ~
一緒になごなごしてくださいね~。(^^♪