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救命処置普及や災害救援活動、バス釣り、バイクツーリングや日々の徒然などの日記で~す。(@満州ぎょうざ)

気仙沼市へ追悼の旅(その1)

2012年03月13日 15時37分59秒 | 救命普及・災害活動記
   (少々長文になりますが、お時間のある方はお付き合いください。)

先週末の3月11日は、みなさん思い思いの場所で、東日本大震災の節目となる1年をむかえられたことと思います。

私もかねてより、1周年の追悼は、気仙沼市で行われる追悼式に出席することにしていました。

それまで気仙沼市には、震災以前に行ったことはなく、特に知り合いが住んでいたわけでもありませんでした。

しかし去年の発災後、たまたまウチの商店街の関係者から預かった救援物資が、宮城県気仙沼市の唐桑中学校あてだったことが切っ掛けで、緊急輸送車両の進路を気仙沼に向けたことにあります。

輸送の道中、茨城県でも潮来マリーナから救援物資を受け取り、食料品や簡易トイレ、ブルーシートを満載にして東北を目指しました。

宮城県に入り、東松島高校で3分の1の物資を降ろして気仙沼へ向かいました。

東松島からは石巻~南三陸町と、津波の被害で壊滅的な被害の酷かった場所を通りました。

気仙沼市の職員から言われて知ったのですが、海沿いのルートは、その日まで通行ができなかったそうでした。

ラジオでは、自衛隊により国道45号線が応急復旧により開通したとの情報が流れていました。

東松島からはカーナビが決めたとおりルートを進むと、そこにはあったはずの街並みが、まるで大空襲に遭ったかのような街並みに変わっておりました。

回収を待つためなのか、道路上のいたるところにブルーシートや、あるいは毛布や布団にくるまれたご遺体が置かれておりました。

世界に誇れるほど安全なはずの我が国において、まさかこのような光景を見るとは、その場にいても目を疑う思いでした。

そして自衛隊による開墾された、延々と続く応急道路を走り切り、気仙沼市役所へ到着。



救援物資を無事に引き渡して、さらには商店街関係者から預かった支援物資も、唐桑中学へ引き渡しました。

前出の市職員に「どちらのルートで気仙沼へ?」って聞かれたので、国道45号線で来た旨を伝えると、「あの光景を見たんですね。この被害現状を多くの人に知ってもらいたいので、このルートで来ていただいたことを感謝します」と、目に涙を浮かべながら言われました。

ここで知り合った市の職員の中に、なんとウチの地元立川で青春時代を過ごした方が居たりして、思わぬところで縁が有ったりしました。

その後6日間、気仙沼市役所の行政支援のボランティアとして、災害ボランティアセンターが立ち上がるまでの期間、活動させていただきました。
その時の記事「東日本大震災への支援活動報告」



また、昨年は10月にこれまた潮来マリーナのご縁で、支援物資の復興漁船を輸送するボランティアで気仙沼へ日帰り強行軍を敢行したりしました。
その時の記事「東北日帰り往復!」

それまで縁のなかった気仙沼ですが、自分にとって生涯忘れえぬ街となりました。




そして今年の3月11日。そんな忘れられない街、気仙沼へ行ってきました。

今回も一人で行くことにしていたのですが、妻に気仙沼行きのことを話したら、自分も行きたいとのことで、夫婦で追悼の旅となりました。

妻は3.11以降、忙しくしている私に代わり、震災関連の新聞をスクラップして私に見せてくれたり、自分でも被災した企業へのファンド支援などをしたりして、被災地とは彼女なりにつながりがあるようでした。

そして今回はボランティアではないので、前日の3月10日より気仙沼市の温泉ホテル「気仙沼ホテル観洋」に宿泊しました。
このホテルは、震災後は避難所として解放し、多くの被災住民を受け入れていました。

そんな粋な計らいをするホテルに、ぜひともお金を払って宿泊したいと、選ばせていただきました。

そして出発前夜、天気予報を見るとなにやら雪マークが…

やばい、自家用車のエクスプローラーだと、タイヤの滑り止めがないや!

ってことで、翌朝早くから会社の倉庫を物色。

サイズ表記が違いましたが、なんとかぴったりはまる非金属チェーンを発見。
朝から装着の練習ですw。



チェーンの練習後は、愛犬をペットホテルへ預けたり、妻に急な仕事が入ったりして、なんだかんだと出発は昼遅く過ぎた時間でした。


そのおかげか、朝の東北道の雪が解けて、私たちが通る頃はチェーン規制は解除になっていました。

自宅を出発してから8時間ほどで気仙沼へ到着。ホテル観洋にチェックインして、ラストオーダー寸前の館内和食レストランで一杯。


しかし去年の今頃、このホテルのすぐ前を何度も通りましたが、1年後にここでお酒が飲めるなんて夢にも思いませんでした。

ちなみにホテルのすぐ前は、津波で壊滅した気仙沼港です。


苦手なはずのサンマもテーブルに並びます。



このほか刺盛やマグロ頬肉焼き、ふかひれラーメンなどを食べました。

結構飲んで食って、2人で7000円ほどと、良心的な価格でした。

その日は到着も遅かったので、外出もせずに部屋で震災特番を見ながら寝落ちしてしまいました。



その2に続く
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