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サタマガ伝説・ギャハハ倶楽部・ノックノック

2021-01-12 20:24:43 | ノックノック(雑記の宿)

 昨日は『成人の日』ということもあって祝日で、日曜日ぐらいからスーパーとかでは成人の日にちなんだお寿司が売られていたこともあって、我が家もにぎり寿司を買って3回まわして『成人の日』をお祝いしました。

 改めて今年は各地で成人式のイベントが中止されたニュースを聞いてて、『成人の日』って新成人だけの日ではないんじゃないかと思いました。『成人の日』は社会全体でお祝いするものなのかなーと。くり返しますが改めて感じました。おめでとうございます。

 

 先週から今週にかけて宮藤官九郎さんが昔放送されてたローカル番組の『マル金ギャハハ倶楽部』のお話しをされてまして、あの時のことが思い出されました。

『マル金ギャハハ倶楽部』は1987年の4月3日から1989年の12月22日まで放送されていたローカルテレビ番組で、当時、名を上げていた高田文夫先生をメインに招いてゴールデン(19時台)の時間帯にローカル番組をぶつけてくるという野望番組が始まりました。1か月ぐらい前から高田文夫先生を画面に出してCMでバンバン宣伝し、ゴールデンの時間帯で視聴率を奪おうと意気込んでいた空気はCMでずいぶんと伝わりました。

 その頃、僕はというと高校を出て就職し、残業が2時間ぐらいあって17時から19時まで仕事を終えて帰った時には番組は終了していて、ほとんど観ていた記憶はないのです。あの時代は地方の進学率は半々もしくはそれ以下で、3人に2人ぐらいは高校を卒業して会社に通っていた時代でした。

 で、僕たちがよく観ていた人気ローカル番組は、『サタデーマガジンα』という土曜の午後1時からやく90分の番組を好んで観ていた世代でした。『サタデーマガジンα』は1983年5月7日から1987年2月28日まで放送されまして、『マル金ギャハハ倶楽部』はそのあと番組として構成された番組でした。

 『サタデーマガジンα』の功績というのはもの凄いものがありまして、洋楽ヒットチャートのMVをまず取り入れて、売り出し中のミュージシャンを招いて紹介するのが特徴でした。

 時代的にいえば、田中角栄効果といいますか、地方の隔たりもだいぶとれて高速道路も開通し、東北新幹線も開通し、地方からの消費がどんどんと増えて行き、地方でも脱サラで商売を始めたり、東京で修行して帰って店舗を開いても、そこには人が来る時代でした。地方都市名古屋でオリンピックの夏季大会を開こうかというムードがあったほど、地方が豊かになった時代でした。大まかにいいますと、そういう流れがあり『サタデーマガジンα』といった番組も始まりました。

 番組を観ていて面白かったのは、新人ミュージシャンがこの番組に出てから一躍トップアーティストになっていったことです。番組が開始されてまもなくに吉川晃司さんがゲストで来られて、モニカを披露し、その翌週か翌々週にはザ・ベストテンやトップテンに初登場し、大旋風となったことが今でも鮮明に覚えてます。中村あゆみさんもデビュー曲を披露して(ミッドナイトキッス)やがて80年代を代表するシンガーになりました。

 観ている側としては、ゲストが訪れそれから全国でヒットしていく過程を見るのがなによりの楽しみでした。それだけ地方の消費活動が良かったんです。

 『サダデーマガジンα』ある意味視聴者の期待に応えてくれる番組でした。若者(学生)に人気で(あのころはヤングと言ってましたね)土曜日は半日授業で部活もあったりもしましたが、部員も『サタマガ』を観るのが一番で、13時から2時半まで帰宅してから番組を観て、それから15時から部活動だったかな。学校の近くに住む友達と一緒に見たりとか『サタマガ』は毎週観ていた記憶があります。

 中高生には時間帯がすごく良かったんです。そして90分といった尺。学校を終えて帰宅時間があっても見逃すことがなかったんです。あと、親にチャンネル権を奪われないですんだ。あの頃はまだ、親にはチャンネル権があった時代でした。家庭用ビデオがある世帯も3人に1人くらいの割合だったかなー。ビデオの所有権は親のほうにあったので、リアルタイムで観るしか僕らはなかった時代でした。

 だた、欲しいものは欲しいと言える時代でもありました。人によって格差もありましたが、大まかにいえば豊かな時代でした。

 並行するように『夕やけニャンニャン』が1985年4月1日から始まって『セーラー服を脱がさないで』を『サタデーマガジン』で披露してから『夕やけニャンニャン』でデビュー曲が発表されたときは、なんか不思議な感じがしました。「おい!おい!仙台でもう歌うのかよ!」と思って見てました。その後はご存知の方もいるでしょうが、女子校生(おニャン子)ブームが沸き起こりました。

 その流れから、お笑いタレントも輩出しようと『マル金ギャハハ倶楽部』は開始されましたが、サタマガ世代はほとんど記憶にないと思います。90分を30分に短縮した分、2年続いたかは知りませんが、大物放送作家を招いて、すぐ打ち切りとはならなかったのかな。失礼だとは承知で視聴率が良かったという噂は耳には届きませんでした。CMだけはよく覚えてるんです。けど、僕は会社が忙しくて見れませんでしたが、宮藤官九郎さんが面白くするためにパンツまで脱いだという『マル金ギャハハ倶楽部』の野望は語り草に、のちにバブルは崩壊しました。

SALLY サタマガ 1984  悲しきYOUNG LOVE

1984年の番組の内容のものがありました。僕が高校2年の時で、宮藤官九郎さんは中2の時です。できればそのまま残していただきたいです。

 

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