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忘年ノックノッ苦

2019-12-19 18:36:28 | ノックノック(雑記の宿)

 今年も忘年会も開くことなく、一年の終わりを迎えることになることに。

 個人的なお誘いはないものの、メディアなどのイベント、催し物のは開催されているということでは、忘年会やパーティーに参加できないということには矛盾します。

 まあ、誘われれば誘われたなりに経済的な負担もかかるし、経済面のことを考えればそれでもいいのかなーと、わりきったりもしています。

 が、ここ数年、知人友人親族、何のお誘いも私にはありません。今年も寂しい一年でした。「僻んでいる」と言われれば、そう、僻んでいるんです。主催になって招待すれば来てはくれますが、なかなか招待はされません。 

 ただ、今年は父のお墓にはいくつか供物があげられていたので、その辺はあたたかくしてもらったかな、とは思っています。

 今年一年、私としては自治体の不誠実さに怒り、自殺未遂も起こしました。それで自己完結している自分にも情けない。それで『いだてん』の視聴率が9%ぐらいに上がったところで何もうれしくない。

 『いだてん』のお話しをさせてもらいますが、番組、夜、8時の時間帯にリアルタイムで観れなかったのは2回、見逃した放送はNHKのオンデマンドの見逃し放送を見て、全話視聴いたしました。

 面白かったです。誉め言葉として素直に言えることでした。全体の感想はまず、それにつきますが、ドラマと向き合っていて、個人的に落ち込んだというか、ネガティブになったという面を申しますと、”専門家の祭典”それは私には犇々と伝わり、ある面から言えば、何かの専門家ではない立場の人間からすると、それが急にネガティブに跳ね返ってきてしまうことも感じました。

 私は世間体で考えれば、リタイヤ組。何かの専門家といった評価は受けていません。だから、電車内でスリにあったり、オレオレ詐欺の被害者が専門とみられているのでしょうか。その程度の扱いで、忘年会の誘いもなければ、パーティーの誘いもないのです。

 よしもとの芸人も、反社会勢力からお誘いがあるぐらいですから、いいご身分ですよ。国会議員は議員辞めなくてもいいのですから、私なんて人生やめろと督促が家にきちゃって、あぶなく川に飛び込んで死ぬとこでした。

 怖いのは葬式の誘いです。葬式の誘いぐらい辛くて虚しいものはないです。だから、ずっと虚しさと不安の中で一年が過ぎています。

 今年の大河は時代劇じゃないから、お年寄りが見なくなった。わかる気がします。リタイヤ組、何かの専門家ではないですもん。だったら、時代劇を観ていたほうが何かを忘れさせてくれる。その辺が低視聴率の一因だったのはないででしょうか。年金が1万円多く支給されました。1万円多く支給したからと言って、なんでもしていい?それはちょっと違うんじゃないですか?総理。1万円は妻が苦労して働いてくれた分として大事に使わさせていただきます。

 ここ数日、ひもと思われてちょっといらっとした瞬間もありました。サンドイッチマン?気仙沼で津波で死ねばよかったじゃないかてめー!そう僻むこともちょこちょこあります。

 あとは私があまりにも嫌われていました。ベガルタ仙台の市民後援会に入っていたころに、急にそれを感じてきたというか「なんか疫病神に思われてる」と思うようになりました。渡辺監督とフレンドリーにしてるところでは、なんか私は馴染めませんでした。

 私が見てるから俺は見ない、嫌だ。昔からそういう空気は肌で感じていました。相対的に実際、出てほしくない芸人が”いだてん”に出ていて、酷く憔悴した時期もありました。エキストラで参加しようとも思っていましたが、私のプライドが許せなくなって、ほんと傷ついて、エキストラさえ断念いたしました。チャンスはありつつも、これ以上、無能な姿を現場で晒したくないと思いました。

 褒めらえる部分、評価される部分は、宮藤官九郎さんに集まられればいいと思いますし、私は嫌われた人間として現在も寂しく生きてゆくしかないのかなーと思いました。ただ単に悔しいの一言が、私には残心するのかもしれません。

 残心。『いだてん』は面白かった。私からのせめてもの礼儀です。

 無能な姿。私は27歳で結婚しました。当時の世相からすれば遅いほうだと思いました。ここ数日、妻と振り返ってあの当時の話しをしました。

「一時期、30歳まで結婚を諦めた時期もあった」と言いました。けれど、

「ほんとに諦めてたら、30を過ぎた自分、40を過ぎた自分は、結婚してなければ、ほんとにダメな奴で残ってた」と話しました。

 私の結婚を鼻で笑うひともいるかもしれませんが、「いくつか改心して、結婚しようと自分に向き合っていた自分があったから、そこで少なくとも救われた」と、話しました。

 引きこもりが原因で、今年は悲惨な事件がおきました。

 まず、聴いていただきたいのは、12月17日放送の『大竹まことゴールデンラジオ』での投稿者さんのメールです。

http://radiko.jp/#!/ts/QRR/20191217132313

↑ 12月17日、ラジコライムフリーのURLです。

http://www.joqr.co.jp/podcast/index.php

↑文化放送のボットキャストでも『大竹まことゴールデンラジオ・オープニング』でも視聴できると思います。21分過ぎから聴いたのですが、そこで投稿者さんのメールが紹介されました。

 私はメールの内容を聴いて、「ナイフを枕元に置いて暮らしてた」ことに「それは罪だ」と意見しました。「死んでくれてありがとう」は、それはないんじゃないかと思いました。昨今、排外主義が叫ばれている時代に感じています。それに共感して定型文のように口にするようになり、それで身を守っているようにと、私は憤りを感じました。

 私の父もいい父でしたが、弱い部分があって口論になると物を持ち出し、私に反撃したことが若い頃にありました。私は腕を掴んだりしたり身体を抑え込んだりして、父の衝動を止めていましたが、父からするとそれが暴力であると感じたりもし、それを見ていた母も同様に私を見ていて、家庭内は荒れていたことがありました。

 私が両親と口論になるときは、愛情の欠如。なんというかいいかげんに私が扱われたときに両親とよくぶつかっていました。

 小さい頃から、そのように感じていました。お金が欲しいとき、母は「お前にはお金を渡すな」と占い師か親戚に言われたとか口癖のように言われたり。昼寝をしてたら、顔にバットが落ちてきて、すごい痛い目にあいました。両親は本棚の上にバットを置いていたのです。その下で昼寝をしてたらバットが落ちてきて、顔にあたり!その理不尽さが許せなくて、隣の家の伯母ちゃんちにまで行って、酷いことをされたと訴えた記憶があります。

 隣近所からしてみれば、酷い笑いものです。就職しても、お昼ごはんの弁当は作らず、「あとで持って行くから」と言われ、持ってきたのはカップラーメンで、職場でも恥ずかしい思いをして長続きしませんでした。

 やがて引きこもった時期もあり、気が変になったこともありました。「俺は伊達政宗だ!」と親の前で言ったり、「お前大丈夫か?」と、思われるような言動をしたこともあります。両親はそれを心配して、私に内緒で多方面に相談をしてたようで、よく、いつもいつも、両親の知人や親戚におばちゃん、はたまた占い師さんなどが、私のいるときに面談にきてました。私はそれが非常に不愉快でした。拒絶ばかりではなく、母の勧めで漢方を飲んでいた時期もあり、両親の心配にも私は協力してました。ただ、愛情の欠如がわかってもらえませんでした。

 この先のことは、私の母や姉の心境と私の心境が言葉で一致するか?が、わからないので、今は公に申し上げられません。いつか心の入札の封筒の中身が一致することを願っています。

12月17日の『大竹まことゴールデンラジオ』の放送のあとに、12月18日のTBSラジオ『ジェース・スーは生活は踊る』の『相談は踊る』の放送を聴いていて、わかってもらえそうな番組内容がありました。

 

 

http://radiko.jp/#!/ts/TBS/20191218110000

↑12月18日、ラジコタイムフリーですが。12時台の『相談は踊る」のコーナーと、を複合的に照らし合わせて聴いてみると気がすこし鎮まるかなと、私は感じました。

演目の予定でしたが、予定を変更して今回の投稿といたしました。

 

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