3連休中日の今日は曇りときどき雨のち晴れ。昨日降っていた雨は未明に上がった。今朝は上空に雲が広がっているものの、雲の薄いところが明るくなっている。今朝の気温は22℃で、弱い北よりの風が吹いている。外に出ると風がほんのりと涼しく感じられるものの、空気がムシッと感じられた。
今日は根府川にあるモダンギャラリー「江之浦測候所」に行くことにしている。昨日の内にミラーレスカメラ「OLYMPUS OM-D E-M1 MarkⅢ」と交換レンズ「OMシステム M.ZUIKO DIGITAL ED 12-100mm F4.0 IS PRO」「OLYMPUS M.ZUIKO DIGITAL ED 7-14mm F2.8 PRO」を詰め込んだデイパックを担いで、家を出た。自宅の前の路面はしっとりと濡れていて、所々に水たまりが出来ている。
駅までの道を歩いていると、にわかに雨が降り始めた。傘を差すのが面倒だったので、傘を差さずに駅前のコンビニに急ぎ足で歩いて行く。おかげでぐっしょりと濡れたままコンビニの店内に入った。
モダンギャラリー「江之浦測候所」は日時指定の予約・入れ替え制となっており、見学日の2日前までにインターネットでの予約が必要となっている。インターネットで予約して発行されたチケットの引換票をコンビニのセブン-イレブンに持参し、チケットを発行してもらう。ちなみにモダンギャラリー「江之浦測候所」のある根府川駅周辺にはセブン-イレブンは無く、地元のセブン-イレブンで発行してもらう必要があった。
日野駅から中央線の電車に乗り、八王子で横浜線に乗り換えて町田に向かう。雨は降り出してから30分ほどで止んだのだが、雨が止むと雲の合間から青空が広がってきた。日も射して来て、空が眩しくなってきた。
町田駅からは小田急線で小田原駅に向かうのだが、町田駅に着くと、15分後に小田原行きの特急ロマンスカーが来ることが分かった。そこで券売機でロマンスカーの指定席を購入し、町田から特急ロマンスカーに乗る。ロマンスカーの車窓から外を眺めていると、上空に広がっていた青空が急に曇ってきたかと思うと、再び雨が降ってくる。朝の内は雨が降ったり止んだりの不安定な空模様となった。町田から小田原までは40分ほどで到着した。
小田原駅でJR東海道線に乗り換えて2駅隣の根府川駅に向かう。根府川駅のホームからは海が見えた。
ちなみに根府川駅は「関東の駅百選(第3回)」に選定されている。駅舎はホームから階段を上がって跨線橋を渡ったところにある。白い壁に水色の柱と赤い屋根木造の木造の駅舎の背後には青い空と青い海が広がっている。駅の外に出ると真夏の強い日射しが降り注いできた。駅舎の周囲の木々からはセミの鳴き声が降り注いでくる。今年初めてセミの鳴く音を聞いた。いつもどおりの夏がここにはあった。
根府川駅からはモダンギャラリー「江之浦測候所」の無料送迎バスが出ていて、これに乗って行く。根府川駅からモダンギャラリー「江之浦測候所」までは5分ほどで到着した。
モダンギャラリー「江之浦測候所」はデザイナー兼アーティストの杉本博司の作品を展示するギャラリーである。施設はギャラリー棟、庭園、門、茶室、作品で構成されている。
駐車場からは「江之浦測候所参道」と書かれた山道を歩いて入口まで行く。参道の入口には「甘橘山」と書かれた看板が立てられている。この「甘橘山」とはこの参道を切り開いて整備した榊の森とのこと。
参道を上がっていくと、「赤沢蜂巣観音」と書かれた小さな祠が設けられている。祠には円空仏が祀ってあるとのこと。
入口の右脇には明月門と称した門が設けられている。
この門は鎌倉の明月院の正門として建てられた門だが、関東大震災の時に半壊し、その後、さまざまな経緯を経て再建されたものとのこと。
この門の左手には川原寺礎石が安置されている。
受付門を入り、受付の手続きを済ませて敷地の中に入った。待合棟の前には長さ100mのギャラリーがある。夏至光遙拝100メートルギャラリーと名前が付いたこの建物は夏至の朝、太陽光がその中を突き抜けていくとのこと。
受付を済ませた後に、あらためて明月門を入る。
門を入ったすぐ左手には苔むした瓦が水の中に沈んでいて、その周囲を赤い金魚が2匹泳いでいた。
明月門をくぐって右手に廻っていくと、東大寺七重塔礎石や石舞台、三角塚と名付けられた作品が配された石庭が設けられている。この石庭は、先ほどの夏至光遙拝100メートルギャラリーと名前が付いたこの建物と伽羅道と書かれた道を挟んで反対側に配置されている。自分的にはなんだか落ち着く空間だった。
パンフレットのよれば、園内にはおよそ60の作品や建物が散りばめられている。それらは夏至や冬至、春分・秋分の日の出の太陽光も取り入れているものもあり、なかなか壮大なギャラリーとなっている。しかも、事前予約・入替制となっているので、見学者は少ないこともあって、ゆっくりと園内を楽しむことが出来る。
園内には春日社や稲荷社が設けられている。春日社は今年、奈良春日大社より御霊を勧請したとのこと。鮮やかな赤い社はまるで海に浮かんでいるようである。
園内の木立の中からはセミの大合唱が聞こえる。さまざまな化石が展示された化石窟と名付けられた小屋の入口にはセミの抜け殻が柱にしっかりとしがみついていた。
竹藪を抜けると、小さな二体の仏像と被爆宝塔塔身が置かれている。この被爆宝塔塔身は広島原爆投下時に爆心地近くにあった石造宝塔の塔身部分とのこと。
階段を上がって、夏至光遙拝100メートルギャラリーの北側に出た。円形石舞台が設けられたその広場から建物の下をくぐるように中空の角形鋼管が東の方に抜けている。この角形鋼管は、冬至光遙拝隧道という長方形の鉄の隧道となっている。
長い隧道の先には小さな長方形の光が見える長い暗闇の先に見える明かりは今の時代を思わせる。
トンネルの中程には光井戸が設けられている。暗闇の中に少し息をつけるような感じがした。
トンネルの先には海が見えるが、その手前に止め石が設けられている。止め石の先への立ち入りは禁じられている。暗い中から見える止め石のシルエットは、何か象徴的なもののように思える。
隧道の上は生命の樹と書かれた道標が掲げられて、若葉の芽生えた樹に絡みつく動物と鳥が描かれたレリーフが頭上のに設けられたトンネルの先に、赤い鉄の一本道となっている。
その上に置かれた止め石は夏の日射しを浴びて、唯一無二の世界を表しているようである。
園内をじっくり見たこともあって、一巡するのに2時間以上を要した。日中は水平線の彼方に入道雲が見えているものの、上空には青空が広がっていて、強い真夏の日射しが照りつけている。昼間の最高気温は31℃で、真夏日となった。海が近いことも手伝って湿度が高く、強い南よりの風が吹いている。
全身から汗が噴き出し、滝のように額から流れ落ちた。海から潮風が吹いていることもあって、全身がべとつくように感じられる。持ち歩いていたスポーツドリンクのペットボトルは既に空になっていて、汗を拭いていたタオルは絞れば水が滴るほどに濡れている。
ただ、木々を通り抜けていく風が心地よくて、涼しく感じられた。しばらくしてから、江之浦測候所を後にして、帰りのバスに乗った。
( 小田原散策 に続く )
12月初日の今日は雨のち晴れ。今朝は上空に厚い雲が広がっていて、本降りの雨が降っている。今朝の気温は16℃で、強い南よりの風が吹いている。空気が湿っぽく、涼しい朝となった。
今日は特に予定は無かったが、年休を1日取った。いつもと同じ時間に起床すると、髭を剃って顔を洗う。その後、玄関のドアポストに投函されている朝刊を取り出すと、コーヒーを淹れて簡単に朝食を食べた。パソコンを起動してメールの確認をしたり、朝刊を読んだりして朝の時間を過ごす。
雨は7時過ぎに止んだ。雨が止むと、次第に外が薄明るくなってきた。ベランダの外に出てみると、冷たい北よりの風が吹いていて、湿っぽい風がシャーベットのように冷たく感じられる。団地の前庭の木々の葉が一段と落ちて、地面に湿った落ち葉が積もっている。
8時過ぎに写真を撮りにカメラを持って出かけることにした。行き先は塩山である。なぜ塩山にしたかというのは正直理由が無い。ただ、今年は信玄公生誕500年ということもあり、また恵林寺に行ってみたくなったのが1つ。それから恵林寺や塩山周辺では特産の「あんぽ柿」作りが始まっていて、農家の軒先に柿のすだれが見られるようになってきたという情報を得たというのが理由である。
持っていくカメラはミラーレス一眼カメラ「OLYMPUS OM-D E-M1 MarkⅢ」である。このカメラと交換レンズ「M.ZUIKO DIGITAL ED 12-40mm F2.8 PRO」「M.ZUIKO DIGITAL ED 40-150mm F2.8 PRO」「M.ZUIKO DIGITAL ED 7-14mm F2.8 PRO」の大三元レンズ3本セットと単焦点レンズ「M.ZUIKO DIGITAL 25mm F1.8」を持っていくことにした。
家を出ると、日野駅から下り電車に乗って高尾駅に向かう。電車は八王子まで混み合っていたが、八王子を過ぎると車内は空いてきた。高尾駅で真向かいに停まっている高尾始発小淵沢行きの普通電車に乗り換える。9時過ぎになって上空の雲が切れて青空が見えてきた。高尾から塩山までは1時間ほどかかった。
塩山駅で下車する。
駅北口に出ると、目の前に重要文化財旧高野家住宅・歴史公園「甘草屋敷」がある。敷地の中にある母屋では柿のすだれが掛けられていたが、上空には雲がかかっていて、柿もくすんで見える。午後にまたお邪魔することにして、まずは塩山駅から恵林寺を目指して歩いて行くことにした。
途中に大本山向嶽寺という寺がある。
この寺は臨済宗向嶽寺派の大本山の寺院で、山号は塩山と称する寺院である。寺院の有する文化財は国宝「絹本著色達磨図」を筆頭に24件を数えるが、修行道場のため、国指定の庭園や諸堂の拝観などは行っていない。
山門から重文建造物「向嶽寺中門」に至る参道は封鎖されているので側道から境内に入った。
正面には本堂があり、その右手に修行道場の門があり、更にその右手に庫裏がある。
まずは本堂で参拝をする。ちなみに、本尊は釈迦如来である。
庫裏に廻って御朱印を頂けるか、聞いてみた。すると御朱印は書き置きのものとのこと。御朱印帳に直接頂きたかったので、今回は遠慮させて頂くことにした。
向嶽寺を後にして、恵林寺に向かう。上空には雲ひとつ無い青空が広がっていて、強い日射しが容赦なく降り注いだ。昼間の最高気温は18℃で強い北よりの風が吹いている。湿度が極端なまでに低く、風が冷たかったが、気温が高い上に太陽が照りつけて、あっという間に汗だくになってしまった。
途中で上着を脱ぎ、タオルで汗を拭いながら恵林寺に向かう。ちなみに塩山駅の西にあるガード下から恵林寺に至る県道には「信玄のみち」という愛称が付けられている。この道は恵林寺まで緩やかに上り勾配の道になっていて、歩いていると汗だくになってしまった。
恵林寺に到着した時には、向嶽寺を出て40分ほど経っていた。
恵林寺の西側に広がる畑の一角に「山本勘助不動尊」と書かれた小さい建物がある。
建物には「三日市場小屋敷憩いの家」と書かれた看板が掲げられている。このお堂は三日市場と小屋敷の地域の二十数戸の家が守っているとのことである。堂内には総高40センチメートルの勘助を模した不動明王像と矜羯羅・制多迦の二童子が安置されているとのことだが、建物の中を覗いても拝観することはできなかった。
この「山本勘助不動尊」の手前に「岩波農園」という農園がある。この農園ではあんぽ柿を作っていた。見学と写真撮影ができるということで、さっそく農園にお邪魔をする。
建物には柿のすだれがかけられていて、その手前の棚には柿が並べて干されている。
建物の前にも柿がぎっしりと干されていた。
今日は天気が良く、南の方角には富士山が見えていた。
「岩波農園」を後にして、恵林寺の境内に入った。三門をくぐり、正面に進む。ちなみに恵林寺の正面にある開山堂に安置されている夢窓国師像は調査点検のため、当面の間、閉めているとのことである。
恵林寺の北東にある真言宗の寺院「龍光院」に参拝した。この寺は平安時代の永治元年(1141年)興教大師によって開山された日野資朝の開基寺であると伝えられているとのこと。
境内に入る。まずは納経所のインターホンを押し、参拝したい旨と御朱印が欲しい旨を伝えた。納経所で朱印帳を開いて渡し、朱印を押印して頂いている間、ご本尊(大日大聖不動明王)と福禄寿尊天を参拝する。参拝を終えて後、御朱印を頂いた。ちなみにご本尊は開山の興教大師作とのこと。
御朱印を頂くと、再び塩山駅に向かった。「信玄のみち」を南に下り、ガードをくぐって左に進むと、菅田天神社がある。
この神社は素戔嗚尊と五男三女神、相殿に菅原道真を祭祀する神社で、新羅三郎義光以来甲斐源氏の鎮守とされている。柱の位置が甲斐府中の鬼門に当たるので、武田家は重宝楯無鎧をこの宮に預けていたとのこと。
鳥居をくぐって境内に入る。境内に入ると、まずは奥に進み、本殿で参拝する。
左手には社務所があり、右手には神楽殿がある。
社務所には宮司さんが常駐しておらず、御朱印を頂くことはできなかった。
社務所の左手には甲斐武田氏の始祖である新羅三郎を祀る新羅宮がある。
参拝を済ませると、塩山駅方面に向かった。塩山駅北口の前にある重要文化財旧高野家住宅・歴史公園「甘草屋敷」に入る。
この建物は江戸時代に薬用植物である甘草の栽培をして、幕府に納めていた家で、19世紀初頭の建築と考えられているとのこと。敷地には主屋のほか、長屋や土蔵など12の建物が点在していて、主屋の前には甘草園や薬草広場が広がっていた。
甘草屋敷の主屋に入り、柿のすだれを楽しむ。
主屋は2階にも上がれる。障子を開けると、そこにも柿のすだれがかけられている。
目の前に塩山駅が見えるのはちょっと興ざめではあるが、2階からは富士山も見えた。
屋敷内を一巡した後、甘草屋敷を後にした。塩山駅南口に出て、遅いお昼を食べるつもりでいたが、既にほとんどの店はお昼の営業を終えている。仕方ないので駅前の土産物屋で買い物をした後、電車に乗って帰宅の途についた。
日が暮れると、空が次第に暗くなってきた。中央線は甲斐大和駅を過ぎるとトンネルに入り、その後は山間を通って高尾駅に抜ける。窓の外は真っ暗で、何も見えなかった。
高尾駅で東京行きの電車に乗り換えて日野駅に向かう。日野駅に着いて、改札を出ると、上空には暗く澄んだ空が広がっていて、星が瞬いていた。乾いた西よりの強い風が吹いている。日中の気温が嘘だったかのように、風が冷たかった。
令和元年大晦日の今日は晴れ。今朝は東の空の所々に雲が浮かんでいるものの、青空が広がって、朝日が眩しい。今朝の気温は3℃で湿度が高く、弱い北よりの風が吹いていて、空気がヒンヤリと感じられた。
年末年始の休みに入って4日目の今日は退屈しのぎに妻と海を見に江の島に出かけることにした。カメラバッグにミラーレス一眼カメラとレンズを3本その他携行品を詰め込むと、朝早く、といってもいつもの仕事に行く時間よりも遅い時間だが、自宅を出た。日野駅から中央線で八王子駅に出ると、横浜線に乗り換えて町田駅に出る。町田で小田急線に乗り換えて、片瀬江ノ島駅に向かった。
大晦日の江の島は混んでいた。今日は江島神社を避けて、ヨットハーバーの方に向かって歩いていく。1964年に東京オリンピックのヨット競技場として誕生したヨットハーバーには、以前は気軽に立ち入ることが出来たように思うのだが、来年開催される東京2020オリンピック大会のセーリング会場として工事が進められていた。
ヨットハーバーの周囲をぐるりと廻り、再び、江の島弁天橋を渡って片瀬海岸に戻ってきた。境川にかかる片瀬橋を渡って新江ノ島水族館に到着した時には既に昼近くになっていた。
日中は快晴で、上空には雲ひとつ無い青空が広がった。昼間の最高気温は20℃近くまで上昇し、季節外れの暖かさとなった。ただ、強い南風が吹き荒れていて、風が冷たく感じられる。潮風に細かい砂も混じって吹き付けてきて、口の中がジャリジャリとするようである。
新江ノ島水族館に入る。平成16年にオープンしたこの水族館に入るのは、これが初めてである。
水族館は混んでいた。水族館に入ってまず目を引くのは相模湾大水槽である。相模湾の環境を再現したこの水槽ではマイワシの群泳が見られる他、ウツボやマアジ、エイなどが悠然と泳いでいる。
様々なクラゲが泳ぐ「クラゲファンタジーホール」でクラゲ見た後、館内のカフェで食事を済ませ、その後もコツメカワウソの生息環境を再現した「木漏れ日のオアシス」、悠然と草を食むカピバラがいる「陽だまりの草原」、間近にウミガメを観察できる「ウミガメの浜辺」などを経て、イルカショースタジアムで「イルカ・アシカショー」を見た。観客席は満席で立ち見も出る中で、イルカとアシカのショーを楽しんだ。
ショーの後はイルカショースタジアムに繋がる2階の通路で、フンボルトペンギンの「ペンギンのおさんぽ」を見る。ベンチの前をフンボルトペンギンが颯爽と何度も往復する姿はとてもかわいい。
「ペンギンのおさんぽ」を見た後は、再び「木漏れ日のオアシス」でコツメカワウソの愛らしい姿を写真に収めようと四苦八苦する。5匹いるカワウソはどれも落ち着きがなく、しかも動きは俊敏でなかなかその姿をカメラで捉えるのは難しかった。水族館は午後5時が閉館で、最後の閉館まで館内で楽しんでしまった。
その後は海岸に出て、海を眺める。日が沈むと、富士山のシルエットがくっきりと見えて、その手前の海が黄金色に輝いた。
夕食は新江ノ島水族館の近くにあるイタリアンレストランで食べた。デザートまで平らげて店を出た時には、既に空は暗くなっている。片瀬江ノ島駅に戻ると、小田急線とJR線を乗り継いで帰宅した。
夜、自宅で風呂に入っていると、いつもなら聞こえてくる除夜の鐘が聞こえてこない。さては、近隣の寺院も苦情を受けて除夜の鐘を衝くのを止めてしまったのだろうか。年の暮れとは思えず、なんとも風情が無い。世知辛い世の中になってしまったものである。
今日は雨のち晴れ。今朝、目が覚めて窓の外を見ると、外は暗くて本降りの雨が降っていた。朝の気温は16℃で強い北よりの風が吹いていて、湿った空気がヒンヤリと冷たく感じられる。だんだん空が明るくなってくると、次第に雨足も弱まってきた。
雨は午前9時頃には止んだ。その後、西の空に浮かんでいた雲の切れ間から青空が顔を出すと、急速に青空が広がってきて、日が燦々と降り注いできた。昼間の最高気温は23℃まで上昇したが、北よりの風が吹いていて、比較的涼しく感じられる陽気となった。ただ、雨上がりで湿度が高く、外を歩いていると、汗だくとなってしまった。
今日は午前中は施設見学で、お昼に解散となった。このまま東京に帰っても定時を回るので、今日は直帰することになっている。それなら、帰りの新幹線を少し遅い時間に乗ることにして、市内を少し見て回ることにした。
まずは、視察した施設の近くにある岡山神社に向かった。岡山神社は860年に創建され、元は現在の岡山城本丸の地にあったが、天正元年(1573年)に戦国大名宇喜多直家の岡山城整備に伴ってこの地に移されたとのことで、酒折宮とも称したとのことである。昭和20年の岡山大空襲で岡山神社の主な建物は焼けてしまい、戦後、本殿を造営したとのことである。
鳥居をくぐって、階段を上がると、随神門という門がある。三間一戸の八脚門の切妻造、本瓦葺のこの門は江戸時代に備前岡山藩の第3代藩主池田継政によって造立された建築物で、岡山大空襲でも焼け残った数少ない岡山浄化の近世建造物とのこと。
随神門をくぐり、境内に進んだ。右手にある手水舎で手と口を清めると、拝殿に進む。拝殿で参拝を済ませると、向かって左手にある社務所で持参した朱印帳に御朱印を頂いた。
拝殿の奥の本殿を囲むように清光稲荷 日吉神社、稲荷神社、天満宮、荒神社、十七末社といった摂社・末社が配されている。それらを参拝すると、岡山神社を後にした。
( 今日のランチ(ドミグラスソースカツ丼@味司 野村) に続く )
お昼を食べた後は、一旦、岡山駅に戻り、駅構内の土産物店で帰りの駅弁を予約したり、イオンモール岡山に行って、土産物の取り置きをしたりした後、あらためて、岡山電気軌道岡山駅前駅から東山線に乗って県庁通り駅に向かった。岡山駅前駅から県庁通り駅までは7分ほどで到着した。
県庁通り駅で下車すると、県庁通りを歩いて県庁に向かう。岡山県庁は東京都美術館を設計した建築家前川國男の初期の作品で、前川國男氏が手がけた初の庁舎建築である。建物内もじっくりと見てみたかったが、何せ、今日は荷物が多いこともあって、それは断念した。建物の周囲を少し廻って見た後、岡山県庁を後にする。
岡山県庁の正面にある県立図書館を取り囲むようにして設けられた道を歩いて行くと、右手に岡山城のある烏城公園に着く。せっかくなので、岡山城にも登ってみることにした。内堀にかかる内下馬橋を渡り、公園に入る。
公園の周囲を歩くようにしていくと、やがて天守閣が見えてきた。
まずは廊下門をくぐる。この廊下門は昭和41年に鉄筋コンクリートで再建された建物で、江戸時代は本段(城主住居)と中の段表書院(藩庁)を結ぶ城主の通路として使われていたため、こう呼ばれたとのことである。
廊下門をくぐって階段を登ると、目の前には表書院跡が広がっている。この中央部には築城時の石垣が展示されている。宇喜多秀家の頃の石垣とのことである。
表書院跡の北西隅には戦火を免れた唯一の建物の国指定重要文化財「岡山城月見櫓」がある。一部地下付の本瓦葺き二階建てで、城外から眺めると二層の望楼型、城内から眺めると三層の層塔型を呈している。
表書院跡から不明門(あかずのもん)をくぐって天守閣に登る。この不明門は表書院(藩庁)の南端から本段(城主住居)へ上がる石段の入口に設けられた渡櫓門で、天守閣のある本段全体の入口を固めた大形の城門である。普段はこの門は閉ざされていたことから「不明門」と呼ばれたとのこと。この門も昭和41年に鉄筋コンクリートで再建された。
不明門をくぐって階段を登ると、目の前に天守閣が見えてきた。この建物も昭和41年に鉄筋コンクリートで再建された。地下1階地上6階建ての建物で、地下1階が入口となっている。かつて宇喜多秀家が築いた天守閣は外壁の下見板に黒漆が塗られていて、太陽光に当たるとあたかもカラスの濡れ羽色によく似ていたため、「烏城(うじょう)」の別名があるとのことである。
入口脇で入場料を払うと、エレベーターで4階に上った。最上階の6階までは階段で上るようになっており、6階の窓からは眼下に岡山後楽園の他、岡山市街地を望むことができる。先ほど外観を眺めた岡山県庁の建物もよく見えた。
1階から5階まではゆかりの品々を展示している他、1階には売店や喫茶室も設けられていた。
岡山城を後にすると、岡山電気軌道城下駅から東山線に乗って岡山駅前駅に戻った。取り置きをしておいた土産物や駅弁を買い込み、更に飲物などを追加で購入すると、新幹線乗り場の改札を抜けてコンコースに入った。帰りの電車までは少し時間があったので、コンコース内にある喫茶店でお茶をして少し休んだ後、帰りの新幹線に乗り込んだ。
外は既に日が沈んで暗くなっている。さっそく、夕食代わりに先ほど購入した駅弁を食べることにした。
( 駅弁(ままかりの押し寿司) に続く )
新幹線の車内で駅弁を食べた後、缶チューハイを飲みながらぼうっとしていると、瞼が重くなって、京都を過ぎたあたりで眠ってしまった。
車内アナウンスで目を覚ますと、新幹線は新横浜駅に到着するところだった。新横浜駅からは横浜線と中央線を乗り継いで自宅に帰る。
日野駅に着くと、路面はしっとりと濡れていたが、雨は止んでいた。駅から足を引きずるようにして自宅に到着する。家に着くとホッとした気分になった。
今日は晴れときどき曇り。今朝は上空のところどころに雲が浮かんでいるものの、青空が広がって朝日が射し込んでいる。朝の気温は22℃で湿度は高く、弱い南よりの風が吹いている。宿泊している旅館の窓からは眼下に水田が広がっていて、その向こうに山々の稜線がくっきりと見える。既に日射しが強くて、今日は暑くなることを予感させるような陽気である。
今日も5時過ぎに目を覚ますと、旅館の大浴場で朝風呂に浸かる。熱い風呂に浸かり、汗をたっぷりとかくと、スッキリした気分になれる。その後、旅館のダイニングで朝食を食べた。
朝食後は売店で宅配便の箱をもらって、汚れ物や土産品などを荷詰めすると、自宅に送付する手配を行った。身軽になったところで、旅館をチェックアウト。最寄りのえちぜん鉄道あわら湯のまち駅に送迎バスで送ってもらった。
北陸旅行3日目の今日は永平寺に行くことにしている。永平寺まではえちぜん鉄道あわら湯のまち駅前から出ている永平寺行きの路線バスに乗って永平寺まで行く。1時間20分ほどのバス旅である。
永平寺には10時30分頃に着いた。
小中学校の夏休み前の平日ということもあって、境内はそれほど観光客は多くないが、それでもまばらに観光客が永平寺の境内を歩いている。総門を入ると、ゆるやかな石畳の坂を登る。
左手には宝物館「瑠璃聖宝閣」があり、その奥に通用門がある。
永平寺は曹洞宗の寺院で、総持寺と並ぶ大本山である。1244年に道元禅師によって、座禅修行の道場として開かれた。境内には大小70余りの建物があるが、その内、主要な建物である法堂(はっとう)、仏殿、僧堂、庫院、山門、東司(とうす)、浴室を指して七堂伽藍と呼ぶ。
石段を上がって通用門をくぐり、拝観料を払って境内に入った。正面の吉祥閣という建物で靴を脱ぐと、右手に進んで御朱印を頂く。御朱印には「承陽殿」とある。これは曹洞宗開祖である道元禅師をお祀りしている祖廟である。
その後、境内を順路に従って拝観することにした。なお、境内は修行僧にカメラを向けることは禁止されているが、その他は自由に撮影できるとのことである。とはいえ、御仏にカメラを向けるのは憚られるので、建物内を撮りながら拝観する。
最初に広間で境内の順路を確認すると、ピカピカに磨き上げられた廊下を歩いて傘松閣に進んだ。
傘松閣は平成6年に改築された建物で、2階には156畳敷の「絵天井の間」がある。
この部屋は昭和5年に建立された旧傘松閣にあった、通称「絵天井の大広間」を移築復元したもので、天井には、昭和5年当時の著名な画家144名による230枚の美しい色彩画が天井に飾られている。
傘松閣を過ぎて階段を上がると、山門に進む。1749年に改築された山門は永平寺最古の建築物で、永平寺の表玄関に当たる。山門の両側には仏法の守護神である四天王が祀られていて、上には道元禅師による「吉祥山永平寺」命名由来の額が掲げられている。
この山門から階段を上がったところに中雀門がある。
この中雀門から山門を見下ろすと、山門の全景を眺めることができる。
ちなみに七堂伽藍を含め、境内の建物の外に出ることはできないので、それぞれの建物は別の建物から眺めることになる。
中雀門の上には仏殿がある。仏殿は明治35年の改築で総欅造り宋朝様式の建築物である。七堂伽藍の中心をなし、須彌壇上には本尊釈迦牟尼佛、阿彌陀佛、彌勒佛の三尊佛が祀られており、昼と晩の勤行等がなされるとのこと。
仏殿に上がり、あらためて中雀門を眺める。
向かって右手には僧堂、左手には庫院がある。僧堂も明治35年に改築された建物で、雲堂とも称される。中央には文殊菩薩(聖僧)が祀られており、修行僧が教えに従い座禅し、食事をし、さらには睡眠をとる等、最も大切な道場である。ちなみに建物の中は伺い知ることはできない。
庫院は昭和5年に改築された。地下1階地上4階の木造建築物で、主に仏膳と修行僧及び来賓の食事を調える建物である。正面には護法韋駄尊天等を安置している。上階には来賓の接待室及び150畳敷の大広間がある。
仏殿で参拝した後、更にこの上の法堂(はっとう)に上る。法堂(はっとう)は1843年に改築された間口18間(約32.7m)、奥行14間(約25.5m)、約420畳敷の建物で、七堂伽藍中最大の建築物である。正面中央奥には聖観世音菩薩が祀られていて、朝課や各種の法要儀式が行われている。
法堂(はっとう)の左手奥には承陽殿がある。この建物は明治14年の改築で御開山道元禅師(承陽大師)、本山第2世懐弉禅師の御尊像と御霊骨が奉安され、さらに本山3世から5世、並びに瑩山禅師の御尊像をお祀りしている。殿内には本山歴代禅師、及び宗門寺院住職のお位牌が祠られている他、正面左には本山開基波多野義重公の像を安置している。
この承陽殿の隣に狐雲閣という建物がある。この建物は昭和54年に改修された建物で、本山2世懐弉禅師にちなんで命名されている。懐弉禅師は道元禅師生前だけで無く、滅後も側に在って、孝順の誠を尽くされた。その余徳を戴いて、御誠廟に奉仕する修行僧の詰め所である。
法堂(はっとう)と承陽殿の間には白山水と名付けられた小さな建物がある。白山水は白山連峰に連なる湧き水で、御開山道元禅師の真前にお供えする霊水である。白山妙理権現は白山の守護神で、道元禅師との関わりは深く、法孫である曹洞宗の僧侶の守護神として朝夕祈りを捧げているとのこと。
法堂(はっとう)の左手には大光明蔵という建物がある。
この下には瑞雲閣と呼ばれる建物がある。この瑞雲閣は庫院の一部分で、貴賓の接待所となっている。
瑞雲閣から下に降りていく。山門の左手には七堂伽藍の1つ浴室があり、その奥には松平公廟所がある。
山門を通って階段を降りると、左手に祠堂殿がある。このお堂は昭和5年に新築された建物で、一般の方々の納骨や供養などの法要を行うとのこと。祠堂殿の脇には報恩塔という2層の塔が設けられている。
吉祥閣まで来ると、吉祥閣の右手にある宝物館「瑠璃聖宝閣」に入った。この宝物館では国宝の道元禅師が宋での修業を終えて帰国後に禅の奥儀を記した書「普勧坐禅儀(ふかんぜんぎ)」をはじめ、重要文化財や書・絵画・書籍等が展示されており、かなり見応えがあった。
宝物館「瑠璃聖宝閣」を出ると、吉祥閣を後にする。吉祥閣を出て左手には唐門がある。唐門は1839年建立の建物で、「勅使門」とも呼ばれ、扉の中央には金色の菊の御紋が施されている。皇室からの使者を迎えたり、貫首が赴任したりする時以外は開かない門とのことである。
唐門の脇を廻って、奥の寂光苑に行く。寂光苑の手前には玲瓏の滝がある。
寂光苑は平成12年に整備された広場で、広場の周囲には鐘楼やさまざまな像が設けられている。奥は、永平寺歴代住職や開基波多野義重公の墓地となっているとのことである。
永平寺を廻るのに3時間弱もかかってしまった。おかげでいろいろと堪能できた気がする。日中は雲が多いものの、晴れて強い日射しも降り注いだ。昼間の最高気温は30℃まで上昇し、真夏日となった。気温は高かったが、境内の周囲を囲む木々の間を吹いてくる北寄りの風が涼しく感じられる上、屋内ということもあって、それほど汗をかかずに済んだ。
永平寺の境内を出ると、門前町を通り、バス停の近くの店で永平寺から福井駅まで行く特急路線バス「永平寺ライナー」のチケットを購入する。このバスに乗ると、永平寺から福井駅まで30分ほどで行くことができる。チケットを買うと、お昼を食べることにした。
( 今日のランチ(ソースカツ丼とおろしそば@井の上) に続く )
お昼を食べ終えると、既にバスの発車時刻だった。急いで会計を済ませて店を出ると、バスに飛び乗る。このバスを逃すと1時間待つことになる。なんとか、間に合って良かった。
福井駅に到着すると、特急「サンダーバード」に乗って金沢駅に向かう。
福井駅から金沢駅までは50分ほどで到着した。
帰りの新幹線までは1時間半ほど時間があったが、観光するには時間が短すぎることもあり、帰りの新幹線の中で夕食として食べる駅弁を買うと、駅前のスタバで休憩を兼ねてお茶をした。その後、新幹線に乗り込んだ。
( 駅弁(金沢三昧) に続く )
駅弁を食べた後、しばらく窓の外を眺めていたが、長野を過ぎた辺りで日が沈み、窓外の景色は暗くなってしまった。大宮に着いたのは19時59分である。ここから京浜東北線、武蔵野線、中央線を乗り継いで帰宅する。
家に着くと、ようやく安心できる。なんだかホッとした気分である。