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北陸旅行3日目(永平寺)

2019年07月10日 | おでかけ


今日は晴れときどき曇り。今朝は上空のところどころに雲が浮かんでいるものの、青空が広がって朝日が射し込んでいる。朝の気温は22℃で湿度は高く、弱い南よりの風が吹いている。宿泊している旅館の窓からは眼下に水田が広がっていて、その向こうに山々の稜線がくっきりと見える。既に日射しが強くて、今日は暑くなることを予感させるような陽気である。
今日も5時過ぎに目を覚ますと、旅館の大浴場で朝風呂に浸かる。熱い風呂に浸かり、汗をたっぷりとかくと、スッキリした気分になれる。その後、旅館のダイニングで朝食を食べた。

朝食後は売店で宅配便の箱をもらって、汚れ物や土産品などを荷詰めすると、自宅に送付する手配を行った。身軽になったところで、旅館をチェックアウト。最寄りのえちぜん鉄道あわら湯のまち駅に送迎バスで送ってもらった。


北陸旅行3日目の今日は永平寺に行くことにしている。永平寺まではえちぜん鉄道あわら湯のまち駅前から出ている永平寺行きの路線バスに乗って永平寺まで行く。1時間20分ほどのバス旅である。
永平寺には10時30分頃に着いた。


小中学校の夏休み前の平日ということもあって、境内はそれほど観光客は多くないが、それでもまばらに観光客が永平寺の境内を歩いている。総門を入ると、ゆるやかな石畳の坂を登る。


左手には宝物館「瑠璃聖宝閣」があり、その奥に通用門がある。


永平寺曹洞宗の寺院で、総持寺と並ぶ大本山である。1244年に道元禅師によって、座禅修行の道場として開かれた。境内には大小70余りの建物があるが、その内、主要な建物である法堂(はっとう)、仏殿、僧堂、庫院、山門、東司(とうす)、浴室を指して七堂伽藍と呼ぶ。
石段を上がって通用門をくぐり、拝観料を払って境内に入った。正面の吉祥閣という建物で靴を脱ぐと、右手に進んで御朱印を頂く。御朱印には「承陽殿」とある。これは曹洞宗開祖である道元禅師をお祀りしている祖廟である。
その後、境内を順路に従って拝観することにした。なお、境内は修行僧にカメラを向けることは禁止されているが、その他は自由に撮影できるとのことである。とはいえ、御仏にカメラを向けるのは憚られるので、建物内を撮りながら拝観する。

最初に広間で境内の順路を確認すると、ピカピカに磨き上げられた廊下を歩いて傘松閣に進んだ。
傘松閣は平成6年に改築された建物で、2階には156畳敷の「絵天井の間」がある。


この部屋は昭和5年に建立された旧傘松閣にあった、通称「絵天井の大広間」を移築復元したもので、天井には、昭和5年当時の著名な画家144名による230枚の美しい色彩画が天井に飾られている。


傘松閣を過ぎて階段を上がると、山門に進む。1749年に改築された山門は永平寺最古の建築物で、永平寺の表玄関に当たる。山門の両側には仏法の守護神である四天王が祀られていて、上には道元禅師による「吉祥山永平寺」命名由来の額が掲げられている。


この山門から階段を上がったところに中雀門がある。


この中雀門から山門を見下ろすと、山門の全景を眺めることができる。


ちなみに七堂伽藍を含め、境内の建物の外に出ることはできないので、それぞれの建物は別の建物から眺めることになる。
中雀門の上には仏殿がある。仏殿は明治35年の改築で総欅造り宋朝様式の建築物である。七堂伽藍の中心をなし、須彌壇上には本尊釈迦牟尼佛、阿彌陀佛、彌勒佛の三尊佛が祀られており、昼と晩の勤行等がなされるとのこと。


仏殿に上がり、あらためて中雀門を眺める。


向かって右手には僧堂、左手には庫院がある。僧堂も明治35年に改築された建物で、雲堂とも称される。中央には文殊菩薩(聖僧)が祀られており、修行僧が教えに従い座禅し、食事をし、さらには睡眠をとる等、最も大切な道場である。ちなみに建物の中は伺い知ることはできない。


庫院は昭和5年に改築された。地下1階地上4階の木造建築物で、主に仏膳と修行僧及び来賓の食事を調える建物である。正面には護法韋駄尊天等を安置している。上階には来賓の接待室及び150畳敷の大広間がある。


仏殿で参拝した後、更にこの上の法堂(はっとう)に上る。法堂(はっとう)は1843年に改築された間口18間(約32.7m)、奥行14間(約25.5m)、約420畳敷の建物で、七堂伽藍中最大の建築物である。正面中央奥には聖観世音菩薩が祀られていて、朝課や各種の法要儀式が行われている。


法堂(はっとう)の左手奥には承陽殿がある。この建物は明治14年の改築で御開山道元禅師(承陽大師)、本山第2世懐弉禅師の御尊像と御霊骨が奉安され、さらに本山3世から5世、並びに瑩山禅師の御尊像をお祀りしている。殿内には本山歴代禅師、及び宗門寺院住職のお位牌が祠られている他、正面左には本山開基波多野義重公の像を安置している。


この承陽殿の隣に狐雲閣という建物がある。この建物は昭和54年に改修された建物で、本山2世懐弉禅師にちなんで命名されている。懐弉禅師は道元禅師生前だけで無く、滅後も側に在って、孝順の誠を尽くされた。その余徳を戴いて、御誠廟に奉仕する修行僧の詰め所である。
法堂(はっとう)と承陽殿の間には白山水と名付けられた小さな建物がある。白山水は白山連峰に連なる湧き水で、御開山道元禅師の真前にお供えする霊水である。白山妙理権現は白山の守護神で、道元禅師との関わりは深く、法孫である曹洞宗の僧侶の守護神として朝夕祈りを捧げているとのこと。


法堂(はっとう)の左手には大光明蔵という建物がある。


この下には瑞雲閣と呼ばれる建物がある。この瑞雲閣は庫院の一部分で、貴賓の接待所となっている。


瑞雲閣から下に降りていく。山門の左手には七堂伽藍の1つ浴室があり、その奥には松平公廟所がある。


山門を通って階段を降りると、左手に祠堂殿がある。このお堂は昭和5年に新築された建物で、一般の方々の納骨や供養などの法要を行うとのこと。祠堂殿の脇には報恩塔という2層の塔が設けられている。


吉祥閣まで来ると、吉祥閣の右手にある宝物館「瑠璃聖宝閣」に入った。この宝物館では国宝の道元禅師が宋での修業を終えて帰国後に禅の奥儀を記した書「普勧坐禅儀(ふかんぜんぎ)」をはじめ、重要文化財や書・絵画・書籍等が展示されており、かなり見応えがあった。


宝物館「瑠璃聖宝閣」を出ると、吉祥閣を後にする。吉祥閣を出て左手には唐門がある。唐門は1839年建立の建物で、「勅使門」とも呼ばれ、扉の中央には金色の菊の御紋が施されている。皇室からの使者を迎えたり、貫首が赴任したりする時以外は開かない門とのことである。


唐門の脇を廻って、奥の寂光苑に行く。寂光苑の手前には玲瓏の滝がある。


寂光苑は平成12年に整備された広場で、広場の周囲には鐘楼やさまざまな像が設けられている。奥は、永平寺歴代住職や開基波多野義重公の墓地となっているとのことである。


永平寺を廻るのに3時間弱もかかってしまった。おかげでいろいろと堪能できた気がする。日中は雲が多いものの、晴れて強い日射しも降り注いだ。昼間の最高気温は30℃まで上昇し、真夏日となった。気温は高かったが、境内の周囲を囲む木々の間を吹いてくる北寄りの風が涼しく感じられる上、屋内ということもあって、それほど汗をかかずに済んだ。
永平寺の境内を出ると、門前町を通り、バス停の近くの店で永平寺から福井駅まで行く特急路線バス「永平寺ライナー」のチケットを購入する。このバスに乗ると、永平寺から福井駅まで30分ほどで行くことができる。チケットを買うと、お昼を食べることにした。

( 今日のランチ(ソースカツ丼とおろしそば@井の上) に続く )

お昼を食べ終えると、既にバスの発車時刻だった。急いで会計を済ませて店を出ると、バスに飛び乗る。このバスを逃すと1時間待つことになる。なんとか、間に合って良かった。
福井駅に到着すると、特急「サンダーバード」に乗って金沢駅に向かう。


福井駅から金沢駅までは50分ほどで到着した。
帰りの新幹線までは1時間半ほど時間があったが、観光するには時間が短すぎることもあり、帰りの新幹線の中で夕食として食べる駅弁を買うと、駅前のスタバで休憩を兼ねてお茶をした。その後、新幹線に乗り込んだ。



( 駅弁(金沢三昧) に続く )

駅弁を食べた後、しばらく窓の外を眺めていたが、長野を過ぎた辺りで日が沈み、窓外の景色は暗くなってしまった。大宮に着いたのは19時59分である。ここから京浜東北線、武蔵野線、中央線を乗り継いで帰宅する。
家に着くと、ようやく安心できる。なんだかホッとした気分である。


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