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塩山散策

2021年12月01日 | おでかけ


12月初日の今日は雨のち晴れ。今朝は上空に厚い雲が広がっていて、本降りの雨が降っている。今朝の気温は16℃で、強い南よりの風が吹いている。空気が湿っぽく、涼しい朝となった。
今日は特に予定は無かったが、年休を1日取った。いつもと同じ時間に起床すると、髭を剃って顔を洗う。その後、玄関のドアポストに投函されている朝刊を取り出すと、コーヒーを淹れて簡単に朝食を食べた。パソコンを起動してメールの確認をしたり、朝刊を読んだりして朝の時間を過ごす。

雨は7時過ぎに止んだ。雨が止むと、次第に外が薄明るくなってきた。ベランダの外に出てみると、冷たい北よりの風が吹いていて、湿っぽい風がシャーベットのように冷たく感じられる。団地の前庭の木々の葉が一段と落ちて、地面に湿った落ち葉が積もっている。
8時過ぎに写真を撮りにカメラを持って出かけることにした。行き先は塩山である。なぜ塩山にしたかというのは正直理由が無い。ただ、今年は信玄公生誕500年ということもあり、また恵林寺に行ってみたくなったのが1つ。それから恵林寺や塩山周辺では特産の「あんぽ柿」作りが始まっていて、農家の軒先に柿のすだれが見られるようになってきたという情報を得たというのが理由である。

持っていくカメラはミラーレス一眼カメラ「OLYMPUS OM-D E-M1 MarkⅢ」である。このカメラ交換レンズ「M.ZUIKO DIGITAL ED 12-40mm F2.8 PRO」「M.ZUIKO DIGITAL ED 40-150mm F2.8 PRO」「M.ZUIKO DIGITAL ED 7-14mm F2.8 PRO」の大三元レンズ3本セットと単焦点レンズ「M.ZUIKO DIGITAL 25mm F1.8」を持っていくことにした。
家を出ると、日野駅から下り電車に乗って高尾駅に向かう。電車は八王子まで混み合っていたが、八王子を過ぎると車内は空いてきた。高尾駅で真向かいに停まっている高尾始発小淵沢行きの普通電車に乗り換える。9時過ぎになって上空の雲が切れて青空が見えてきた。高尾から塩山までは1時間ほどかかった。

塩山駅で下車する。


駅北口に出ると、目の前に重要文化財旧高野家住宅・歴史公園「甘草屋敷」がある。敷地の中にある母屋では柿のすだれが掛けられていたが、上空には雲がかかっていて、柿もくすんで見える。午後にまたお邪魔することにして、まずは塩山駅から恵林寺を目指して歩いて行くことにした。

途中に大本山向嶽寺という寺がある。


この寺は臨済宗向嶽寺派の大本山の寺院で、山号は塩山と称する寺院である。寺院の有する文化財は国宝「絹本著色達磨図」を筆頭に24件を数えるが、修行道場のため、国指定の庭園や諸堂の拝観などは行っていない。
山門から重文建造物「向嶽寺中門」に至る参道は封鎖されているので側道から境内に入った。


正面には本堂があり、その右手に修行道場の門があり、更にその右手に庫裏がある。


まずは本堂で参拝をする。ちなみに、本尊は釈迦如来である。


庫裏に廻って御朱印を頂けるか、聞いてみた。すると御朱印は書き置きのものとのこと。御朱印帳に直接頂きたかったので、今回は遠慮させて頂くことにした。
向嶽寺を後にして、恵林寺に向かう。上空には雲ひとつ無い青空が広がっていて、強い日射しが容赦なく降り注いだ。昼間の最高気温は18℃で強い北よりの風が吹いている。湿度が極端なまでに低く、風が冷たかったが、気温が高い上に太陽が照りつけて、あっという間に汗だくになってしまった。

途中で上着を脱ぎ、タオルで汗を拭いながら恵林寺に向かう。ちなみに塩山駅の西にあるガード下から恵林寺に至る県道には「信玄のみち」という愛称が付けられている。この道は恵林寺まで緩やかに上り勾配の道になっていて、歩いていると汗だくになってしまった。
恵林寺に到着した時には、向嶽寺を出て40分ほど経っていた。

恵林寺の西側に広がる畑の一角に「山本勘助不動尊」と書かれた小さい建物がある。


建物には「三日市場小屋敷憩いの家」と書かれた看板が掲げられている。このお堂は三日市場と小屋敷の地域の二十数戸の家が守っているとのことである。堂内には総高40センチメートルの勘助を模した不動明王像と矜羯羅・制多迦の二童子が安置されているとのことだが、建物の中を覗いても拝観することはできなかった。


この「山本勘助不動尊」の手前に「岩波農園」という農園がある。この農園ではあんぽ柿を作っていた。見学と写真撮影ができるということで、さっそく農園にお邪魔をする。


建物には柿のすだれがかけられていて、その手前の棚には柿が並べて干されている。


建物の前にも柿がぎっしりと干されていた。


今日は天気が良く、南の方角には富士山が見えていた。


「岩波農園」を後にして、恵林寺の境内に入った。三門をくぐり、正面に進む。ちなみに恵林寺の正面にある開山堂に安置されている夢窓国師像は調査点検のため、当面の間、閉めているとのことである。


恵林寺の北東にある真言宗の寺院「龍光院」に参拝した。この寺は平安時代の永治元年(1141年)興教大師によって開山された日野資朝の開基寺であると伝えられているとのこと。


境内に入る。まずは納経所のインターホンを押し、参拝したい旨と御朱印が欲しい旨を伝えた。納経所で朱印帳を開いて渡し、朱印を押印して頂いている間、ご本尊(大日大聖不動明王)と福禄寿尊天を参拝する。参拝を終えて後、御朱印を頂いた。ちなみにご本尊は開山の興教大師作とのこと。


御朱印を頂くと、再び塩山駅に向かった。「信玄のみち」を南に下り、ガードをくぐって左に進むと、菅田天神社がある。


この神社は素戔嗚尊と五男三女神、相殿に菅原道真を祭祀する神社で、新羅三郎義光以来甲斐源氏の鎮守とされている。柱の位置が甲斐府中の鬼門に当たるので、武田家は重宝楯無鎧をこの宮に預けていたとのこと。


鳥居をくぐって境内に入る。境内に入ると、まずは奥に進み、本殿で参拝する。


左手には社務所があり、右手には神楽殿がある。


社務所には宮司さんが常駐しておらず、御朱印を頂くことはできなかった。
社務所の左手には甲斐武田氏の始祖である新羅三郎を祀る新羅宮がある。


参拝を済ませると、塩山駅方面に向かった。塩山駅北口の前にある重要文化財旧高野家住宅・歴史公園「甘草屋敷」に入る。


この建物は江戸時代に薬用植物である甘草の栽培をして、幕府に納めていた家で、19世紀初頭の建築と考えられているとのこと。敷地には主屋のほか、長屋や土蔵など12の建物が点在していて、主屋の前には甘草園や薬草広場が広がっていた。


甘草屋敷の主屋に入り、柿のすだれを楽しむ。


主屋は2階にも上がれる。障子を開けると、そこにも柿のすだれがかけられている。


目の前に塩山駅が見えるのはちょっと興ざめではあるが、2階からは富士山も見えた。


屋敷内を一巡した後、甘草屋敷を後にした。塩山駅南口に出て、遅いお昼を食べるつもりでいたが、既にほとんどの店はお昼の営業を終えている。仕方ないので駅前の土産物屋で買い物をした後、電車に乗って帰宅の途についた。
日が暮れると、空が次第に暗くなってきた。中央線は甲斐大和駅を過ぎるとトンネルに入り、その後は山間を通って高尾駅に抜ける。窓の外は真っ暗で、何も見えなかった。

高尾駅で東京行きの電車に乗り換えて日野駅に向かう。日野駅に着いて、改札を出ると、上空には暗く澄んだ空が広がっていて、星が瞬いていた。乾いた西よりの強い風が吹いている。日中の気温が嘘だったかのように、風が冷たかった。


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