人生ってもしかして
時間のことなんじゃないかと
最近よく思う
自分の時間の大部分を仕事に使ったら
それは人生を仕事に使ったということだし
下劣なゴシップに時間を使っても
美しいものを守るために時間を使っても
嫌いな人のことを考えるために時間を使っても
好きな人のことを考えるために時間を使っても
それらは同じように
人生を使っていて
人生を割いていて
人生を捧げていて
要は自分で
自分の人生を何に使うか選べるってことだ。
何にもとらわれない心が欲しくて
見るべきでない情報をシャットアウトする
見たものに
読んだものに
捉われて思考を占拠されてしまうなら
それは
受け入れるべき時ではないということ
執着を
さらりとかわすことができないなら
自ら体をそこから離すべきということ
考える内容は
選ぶことができる
それでなお
考えていることが
自分の現実を形作るのだから
自分が生きる現実を選ぶのは自分だ