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夕張市の財政破綻問題がかねてから取り沙汰されているが、今回市職員の85%以上が早期退職を検討しているというアンケート調査が発表された。責任の一端を担っている市職員が汗を流すべき、逃げるなど論外という意見が識者などからは出ている。道義的責任という意味ではその通りだが、彼らにも一方で自分の人生があり、職業選択や転居の自由があるのも事実。
市職員の話はともかく、一般の住民は実際に既に多くが流出している。その多くが多少なりとも余裕のある人々やうまく商売をしている人々で、年金暮らしの人や引っ越す余裕のない経済状態の人はあまり含まれない。もちろん故郷としての夕張市に愛着を持ち、再建に尽力し見守りたいという人もいる。でもそれ以上に若い人や一定水準以上の経済状態の人を中心に多くの人々が出て行き、国や債権者がそれでも手を差し伸べないとすれば、町はどうなるのだろう。
いま「フラガール」という映画が上映されていて、皮肉にも福島の炭鉱町の衰退と観光事業(現:スパリゾートハワイアン)への転換が描かれている。その中であるフラガール志望の女の子の頑固な父親が職を追われ、いわき(福島)での再就職を早々に諦め、同じ炭鉱町である夕張に転居していく。その父親は故郷を捨てて職を夕張に求めたが、今でこそ炭鉱の職への固執そのものが浅はかな選択とは言えるかもしれないが、転居そのものを誰も非難はできないはずである。そんなことを言えば、生まれ故郷を捨てて都市部に出る人全員の生き方が問われる。テレビのインタビューで高校生が「自分のやりたいことが夕張ではできないから、今すぐにでも出て行きたい」と語っていたが、そんな若者は他の地方都市にもゴマンといる。
日本の国としての財政状態も現実的には破綻寸前と言われている。だからといって、日本を脱出しようとする人は多くない。それでもそういう懸念は持たれているが、地方自治体ほどの直近に迫る深刻さはない。それは愛国心云々の前に、現実に多くの日本人は日本以外では生活できないし、そもそも外国の多くの国より日本は豊かで民主的だからである。島国なので言葉の問題も大きい。これが隣国に行っても生活水準や言葉の差があまりない大陸だと、もっと国にも危機感があっただろう。
町は破綻・消滅しても、人は逃げてでも生きていかなければならない。誰が人の生きられる器をつくるか。戦後は確かにみんな貧しかったから、国民も含めてみんなで国をつくったのかもしれないが、今の夕張の若年層にそれを求めるのは少し酷である。直接的に責任を負う為政者や債権者はコストカットだけではなく創造をしないと、町は本当に死んでしまう。少なくとも学校や高齢者施設など、コミュニティを縮小しては帰属意識の持ちようがない。そもそも人の行動を制約する役割も持つ「家族関係」が以前と比べると格段希薄になっているのだから。現代の町や故郷とはそれくらい曖昧な存在なのではないかと思う。