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ensemble マーケティングの視点

日常生活と趣味を綴る個人的散文です。タイトルに反し、仕事に関する話は書きません。

価格の絶対評価と相対評価

2004-11-20 23:11:30 | 日記・エッセイ・コラム
hone久しぶりにロードショー映画を観に行った。新宿の映画館の前にプレイガイドがあり、何気なく入ると、封切後の映画も前売り価格で売っているという。つまり学割より安い価格になるわけだ。昔は映画の価格ルールは絶対的だったが、今はレディースデーあり、映画の日あり、そうかと思えばプレミアムシートありと、1,800円という標準的な当日券価格は、マイノリティですらある。

これは他の商品にもいえる。メーカー小売希望価格は、まさに“希望”でしかない。家電量販店に行くと、他店より高ければその価格まで下げると貼り紙が出ている。東京は物価が高いというが、細かいものは競争が激しい東京の方がはるかに安い。うちの周辺だけでドラッグストアは数えられないくらいあるが、実家のある地方都市に行くと平気で低下でヘアムースを売っていたりする。

価格には絶対評価と相対評価がある。絶対評価をされる商品やサービスは良い。乱暴な定義をすれば、価格について絶対評価を受けるモノが「ブランド」だと思う。他と比べず、消費者が手をのばすもの。少しぐらい(ひょっとしたら大幅に)高くても、選ばれるもの。

最初の映画の話に戻れば、こと映画に関しては、秀作だろうが駄作だろうが、ロードショーであれば価格はほぼ同じだ。そうなればブランドを決めるのは、報道と観客の力による。作品を紹介するジャーナリズムと観客の選び取る力、その背景には出演者や製作者の実績や受けている評価もある。でも本当は、作品や映画館の質によってもっと鑑賞料金が違ってもいいのに…とも思う。良いと思えるものに、多少高くても正当な対価を払えることも、賢い消費者のアビリティの一つ。消費者は、働いている限り一方では生産者でもあるのだから。

*文面とは関係ありませんが、写真は今回観に行った映画です。
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日常の小さなリスク

2004-10-29 23:08:46 | 日記・エッセイ・コラム
新しい街に引っ越した後には、まずいくつかの行きつけを探す。別に飲み屋ではない。行きつけのビデオレンタルショップ、本屋、コンビニ、スーパー、病院、歯医者、ドラッグストアetc. そしてクリーニング店。

うちの近くに2軒のクリーニング屋があった。2軒はわりと近い場所にあった。1店舗は日曜日に営業しているが、1店舗は定休日だった。1店舗は店の外からこわそうな店員が見えるが、もう1店舗は中が伺えない。1店舗は間口が狭く、奥行きもない…等々、2店にはそれぞれの特徴があった。私は家により近いが、日曜日は営業していない、店員がこわそうな店を選んで、以来一度ももう一方の店には預けたことがなかった。土曜日にクリーニングを出しそびれても、日曜日にもう一方の店に持っていくことはしなかった。

ある日、思いもかけないことが起きた。一方の店が預かった洗濯物を返さずに夜逃げをしたのだ。その後しばらく店のドアは閉ざされ、日に日にガラス扉には「服を返してください」という悲痛な顧客からの張り紙が何枚も貼られた。罵詈雑言に近い殴り書きもあった。クリーニング屋の取引先だった洗濯工場からのお詫びとも言い訳ともつかないものも。数ヵ月後にようやく少しずつ商品の返却が始まったようだが、大変な迷惑だっただろうと思う。中には高級ブランド品を預けていた人も、大量に預けていた人もいるだろう。こんな風に小さなことかもしれないが、普通に生活していてもある日突然思いもかけないリスクに遭遇することがある。

幸いに私は被害に遭わなかった。私が一度も足を運ばなかった店の方の出来事だったからだ。普通に営業しているときもなんとなく外観にも中の様子にも清潔感がなく、中の店員の顔も見えにくかったからだ。多少店員がこわそうでも、そのせいなのかパートのオバサンが次から次へと変わっても、不潔感の漂う暗い店よりは良いと思ったからだ。ましてやクリーニング屋。服をきれいにする店なのだから。このように観察すれば、あるいは直感でも良い店と危ない店はなんとなく臭う。日常的な小さなリスク回避には、この曖昧な勘に頼るのも一つの方法かもしれない。



東京中央の『食』事情

2004-10-13 02:07:39 | 日記・エッセイ・コラム
town事務所のある八丁堀近辺にファミレスやコンビニが急増している。大抵は閉鎖された銀行や証券会社の支店の代わりだ。中小企業を中心にオフィスがひしめいているこのあたりのこと、平日はさすがにどこも込み合っている。土日はどうなのだろう?ある日たまたま休日の打合せでデニーズに立ち寄った。込んでいる。休日出勤のサラリーマンで…ではない。休日の家族や夫婦連れがほとんどだ。実は中央区に新たな住民が増えている。とりわけ新大橋通り沿いの築地あたりから小伝馬町あたりまで、水天宮周辺などは、比較的リーズナブルな新築マンションがここ数年で急激に増加している。元々は江東区がマンションラッシュの核だったわけだが、学校などの公共施設が追いつかず問題になったことから、より都心部に移ってきているということも要因の一つだと思う。

ところが彼らの胃袋を満たすだけの日常食の供給、特に中小規模以上のチェーン系スーパーマーケットが圧倒的に足らない。ほとんどないといっても過言ではない。パパママストアでは限界があるし、そもそも営業時間が都市生活者にとっては短すぎる。だから結局、ファミレスやコンビニが受け皿になる。さらには生協の宅配もこのあたりは人気があるという。

それでも近頃、日本橋を中心に大型店がオープン、さらにはリニューアルしている。オープンしたCOREDO(コレド)日本橋の地下には、フードマーケット『Precce(プレッセ)』が出店、22時まで営業している。さらには日本橋タカシマヤが3月にリニューアルオープン、三越が先ごろ新館オープンとともにリニューアルした。もちろんこれらは食が主役ではないが、現実的に近隣の主婦が自転車でデパートにやってくるということが増えてきており、駐輪場の増設など各店対応をしている。しかしそれでもこのあたりの住民にとっては十分とはいえないだろう。そもそも日本橋に集中しすぎているし、営業時間や価格の問題などデパ地下の限界もある。確かに利便性とひきかえに、街の顔が何だかごった煮になってしまうのもどうかとは思うが、もはやここまでくれば仕方ないのではないだろうか。


空弁、着陸する

2004-10-11 00:40:45 | 日記・エッセイ・コラム
soraben

デパ地下ブームから『ホテいち』へ、駅弁から『空弁』へ。家庭で調理する料理でもなく、外食でもない「中食」と呼ばれる分野は手を代え品を代え、食欲を刺激する。『ホテいち』は、「ホテル」の1階のこと。デパ地下より少しゴージャスな香りがする惣菜をホテルの1Fのデリで買って、うちで食べるというライフスタイルの提案。でも現実には、パテスリーでチョコレートやケーキを買って帰るまではなんとなくわかるが、惣菜をわざわざホテルの1Fに買いに行くかというとちょっと疑問で、掛け声で終わったような気がする。元々ニューオータニ帝国ホテルなどの伝統的な高級ホテルは、デパートに惣菜テナントを出店しているし、ホテルブランドの加工食品は街のスーパーマーケットにも売っている。

駅弁も元々は旅先で列車で食べるのだからおいしいのであって、大して美味じゃないよ・・・なんて言われていたわけだが、デパートの「駅弁大会」の催しが好評で、認識が変わってきた。そして今度は空弁。空港で売っている弁当や寿司などの名産品が注目されている。

飛行機で弁当を広げるというのは、以前はあまりスタイルとして想定されていなかった。日本国内便はだいたい2時間以内の飛行時間だし、長時間だと何かしら軽食が出たりした。けれども最近では日帰り出張が一般化。九州各地-東京や北海道-東京など、夕食もとらずにその日のうちに帰路につくスタイルが普通になった。また、国内線で食事が出る便というのも少なくなったことで(なくなったのかな?)、空港で売られる弁当に工夫が凝らされるなったんじゃないかな。その中でも特に話題になったのが羽田空港で買える「みち子がお届けする若狭の浜焼き鯖寿司」。他にも青森空港の「ほたて舞茸ごはん」なども美味しくて安い(不思議とだいたいが駅弁より割安な感じがする)。

ところが最近焼き鯖寿司が近所の持ち帰りの寿司屋やスーパーに登場している。やっぱりちょっと面白いレシピはすぐ真似される。まあ、鯖を焼いただけだからしょうがないのだが。食べてみたら?だった。だって、焼いていてさめている鯖ってちょっと違和感があって、でも温かくすると酢飯がまずそう。なんとも悩ましいレシピだった。でも街の焼き鯖寿司は「みち子がお届けしている」わけではないので、似て非なるものではあるけど。


昔ながらの文房具屋さん

2004-10-10 02:10:27 | 日記・エッセイ・コラム
oaいわゆる街の小さな文房具屋さんは、街の本屋さん以上に苦境に立たされているかもしれない。自宅の近くの商店街にも文房具屋がある。この文房具屋と二軒隣の金物屋を分け入るように、100円ショップがある。さらにもう一方の隣がセブン-イレブン、向かいがローソンだ。100円ショップにもコンビニにもない文房具屋の品揃えを探す方が難しい。しかも文房具屋が営業している時間中、コンビニはもちろん100円ショップも開いている。そのうえ、最近100円ショップは2階も増殖し、勢いづいている。

私は自宅でも仕事をする。特に消耗するのは、機種によって適応が異なるファックスやプリンターのカートリッジ、重いコピー用紙などだ。だから自宅でもアスクルを利用している。それでも急にうっかり何かがなくなって、すぐに買いに行きたいときがある。それはOA関係の消耗品であることが多い。あるいはCD-Rであったり、PCの付属品であったり。しかしそれには昔ながらの文房具屋は対応してくれない。仕方なく、1駅電車に乗り、隣駅の大型量販店に向かうことになる。

もしかしたら問屋や商慣習のしがらみがあって、私は無理な注文をしているのかもしれない。けれども、もしそうであれば商慣習を改めるべきだと思う。そうしないと小さな店舗は存在価値を失ってしまう。

本屋がないデパ地下がない、などと、ここのところ書いているので、もしかしたらとんでもない田舎に住んでいると思われているかもしれないが、たまたま最寄り駅が都心の狭間で商業が空洞になっているだけで、東京の中心に近い場所だ。当然周辺にはオフィスも多く、病院や商店、学校などもあり、文房具の需要の見込める。例えばこの際、100円ショップで間に合うカテゴリーの販売を諦めてでも、周辺の住民や勤労者にアンケートでもとって、本当に必要なものを品揃えすることはできないのだろうか。

ちなみにその店愛想もあまり良くない。商売そのものを諦めているのかな?