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ensemble マーケティングの視点

日常生活と趣味を綴る個人的散文です。タイトルに反し、仕事に関する話は書きません。

立って飲む人たち

2008-11-16 01:27:01 | まち歩き

日経新聞に載っていたが、不況感で消費が冷え込み、その中でも生活者がもっとも我慢するのが「外食」らしい。ランチを弁当に、ファミレスには行かず家族で内食、とパターンはいろいろ考えられるが、何だかんだ言って、やっぱり節約ターゲットは既婚男性の飲み代だと思う。居酒屋チェーンが前年比割れとか、如実に数字に出ているものもあるらしいが、実感としてはどうだろうか。

事務所の向かいにイタリアンバール風スタンディングバー、何軒か隣に赤提灯の立ち飲みがある。どっちもわりといつも人があふれている。赤提灯は知らないが、バールの方はとりたてて安いわけではない。居酒屋チェーンよりは明らかに高い。チェーン店ならずももっと安くて椅子のある店はいくらでもある。にもかかわらず、この2店にかかわらず、立って飲む、食べる店は人気がある。最近は寿司屋もあるくらいだ。店側は早い回転率と高い坪効率がメリットなのはわかる。酔っ払って寝込まれることもないだろう。

飲む側の論理としては、店と利害が一致して、長居をしたくない、酔いつぶれることなくスマートに飲みたいというのがあると思う。最近よく言われることだが、いわゆる心から望まない関係性(たとえば気の合わない上司と部下など)での飲みニケーションが減り、職場の人間関係がドライになった。それでも同僚と仕事帰りに少し話をしたいときもあるだろうし、一人で食事や酒を飲みたくない時もあるだろう。そういう時にスタンディングが、ダラダラ・ベタベタにならずに便利というのがあるのではないか。

同じ日経に掲載された中で消費の引き締めの中でも買いたいものに、薄型テレビなどが入ったようだ。地デジを見すえ、といってももう少し先の話。外から家の中の生活に向いているということではないか。飲まずに帰る、あるいは飲んでもすぐに帰るのだから、その代替に家でテレビや映画を観たり、ゲームをしていると言ってしまえば短絡的すぎるけれど、好景気でも不況でも人に与えられた24時間は変わらない。急激に失業率があがれば別だが、今程度のブレなら代替消費は何らかの形で発生する。むしろ「仕事+飲む」以外の日常的な余暇は増えているかもしれない。余暇がたとえば家族と共に過ごす時間が代わっているなら、代替消費としては弱くても、それはそれで豊かなこと。古きバブルの時代、恩恵は大してなくとも既に社会で生きていたけれど、自分の若さに懐かしさはあっても、時代背景を考えると戻りたくないと思う。政治はともかく、生活者全般は今の方が少しは理性的で成熟しているような気がする。


都市とクルマの相性

2008-11-14 23:45:47 | まち歩き

クルマメーカーは今都市部の内需には大きな期待していないと思うが、日本の都市生活者のほとんどの人にとって、クルマを持つのはかなり不経済だ。特に都市部にマンション等を購入あるいは賃貸をしている人にとって、さらに高額(過疎地の家賃並み)の駐車場代、保険料、カーローンを毎月支払い、通勤にも使わないのでは、そこそこ可処分所得がある恵まれた人でもハタと考えてしまうだろう。まだ収入の少ない若い人はなおさらだ。私も免許は持っているが、一度も所有した経験はない。たとえば東京都の勤労者の平均年収は、おそらくもっとも高いはずだが、所有率は1世帯当たり0.5台程度でもっとも低い。他に所有率が低いのは、本州の愛知(←さすがお膝元)以外の大都市圏にある都府県だ。

都市部でクルマ購入のニーズと経済的条件を備えているのは、家族を持ち(やっぱり複数での移動では便利)、できれば駐車場付きの一戸建てを持つか、親が所有するか譲り受け、むろん一定の安定した収入のある人。できれば仕事や趣味などでどうしても使いたい理由がある、さらにクルマ好きならターゲットとしては申し分ない。

しかし地方の交通の便の悪い地域でクルマを買ってもらうことはそれほど難しくない。それでも最近は燃費の悪い大型車は売れず、軽や小型車が主流だという。三菱自動車の代理店がスズキ製を売り始めたというニュースがつい先ごろ出ていたくらいだ。

狭い島国でもクルマ産業が他をけん引するビジネスなのは、モノづくり技術によって外国で勝負できるからだ。外国旅行をしたらまず目に入る日本製は自動車やバイクなどのモーター系。でもクルマを主産業の一つに数えている国は日本だけではない。今日本のカーメーカーより悲惨な状況のアメリカはもとより、ドイツ、イギリス、韓国、フランス、イタリアも決して自国内で小さなパイではないと思う。いわば先進国の代表格である国の多くが、モータリゼーションに依存している部分が多いということになる。インドなど新興国も追い上げているので、海外でも今後は一層厳しい競争が予想される。

建設もそうだが、巨大産業が弱ることで、周辺事業が共倒れするリスクが問題をより大きくする。クルマに関して言えば、部品メーカーはもとより保険・金融業、駐車場事業、ガソリンスタンド等を入れれば、さらに巨大なビジネススケールになる。しかし皮肉なことに、例えば今内需で課題になっている若年層の利用を促進するなら、これらの固定費の重さそのものが阻害要因になっている。

ならば、やや暴論だが、地方経済や若者など、今のビジネス社会でどちらかといえば弱者になってしまっている人たちに、安定的な仕事と住居がなければ、国内における自家用車所有の底上げは厳しいということにもつながる。そして今、むしろ保険など若者ほど高くなっている固定費にコストダウンのアイデアがないか、固定費や燃料費が安いコンパクトカー、軽自動車のデザインセンスをさらに高められないか。工夫の余地はまだありそう。それともう一つ、私のようなペーパードライバーには、教習所のペーパードライバー講習の敷居が高すぎる。そもそも都市部では近所に施設がない。そういう掘り起こしの余地も少しはありそうだ。


人生最後の旅行

2008-11-03 21:42:44 | まち歩き

出張で国内の飛行機や新幹線、温泉地に向かう特急(残念ながら私は途中で降りるのだが)に乗ることが多い。平日なのだが、出張族以外は私の親世代(60代~70代)が結構大勢乗っている。医療保障や年金問題で政治にいじめられ、一方で振り込め詐欺の標的にされていると、マスコミ的イメージがあるが、むしろ年金が不安なのはこれからもらう世代なのかもしれない。私事で恐縮だが、うちの親もコトあるごとに旅行の話をしている。ギリギリの年金生活者に最近突入したはずだが、そうなると普段はずっと家にいるわけで旅行以外の楽しみはなくなるらしい。でも生活に余裕はないのは確かだし、健康にも自信を失いかけているから、常にこれが「人生最後の旅行」だと言っている。しかし数ヶ月前もそんなことを言って、人生初の北海道に出かけたが、もう次どこに行きたいかという話をしている。悪意なき狼少年、ではなく狼老人だが、ある程度の歳をとると、そんなにこの先長くあちこちに行けるわけもなく、人生最後もあながち本心ではないとは言えない。少なくとも海外はそうだろう。また、本心でなくても、ある日突然現実に行けなくなる日が来る。確率的に若い人より早くその日は来る。

旅行会社や関連業界の人は、まさに今この世代をターゲットと考えているようだ。しかし供給側は意外に複雑なシニアの心理に応えているだろうか。一般的なシニア層が買うツアーがどんなものかよく知らないが、以前に一度だけ1泊の国内旅行ツアーに付き合ったことがある。小刻みにさまざまな名所や物産品店を巡るばかりで、ほとんど何も記憶に残っていない。もちろん安いツアーで贅沢なものを求めることはできないが、もう少し工夫があってもいいと思う。

旅馴れた若い世代や裕福な人たちより、安価なツアー参加者は1回の旅行であちこち行きたいのだろう、名所と言われているところは全部見たいのだろうと考えているのかもしれない。また、価格設定上、土産物屋を含めていろいろなところを引き回して、コスト調整しなければならない事情もあるのかもしれない。でも今のリタイア組は若い人より時間的に余裕があり、旅行頻度が高い。体力と財力(←ギリギリでも)が続く限り、人生最後の旅行と思いながらも、それを何回も繰り返す。むしろじっくり無理のない時間配分で、思い出に残る企画内容の旅を提供し、行き先の数(旅館の料理も同様)は腹八分目くらいにしておいたほうが、また同じ方面に行きたいと思うのではないだろうか。

旅行会社だけでなく、観光集客を見込む地方もまだ工夫の余地があると思う。例えばファミリー層向けにグリーンツーリズムが流行っているが、今さらシニアは農業体験そのものはしたくないだろうが、田舎の素朴な料理の作り方や旬のとれたての食材を食べることには興味があるのではないだろうか。シニアと一口に言っても、育ってきた背景は変化している。リタイア層に戦後世代が増えてくる今後に備え、もはや一括りにはできない。


その産地にこだわる?

2008-10-13 00:05:52 | まち歩き

今さらながらの話題で、しかもささやかな話なのだが、塩スィーツは今でも人気らしい。地方に行くと、どこの名産品スィーツも「塩」を売りにしている。北海道の塩キャラメルは規定路線として、沖縄では雪塩ちんすうこう。ただ、沖縄も塩の産地として塩専門店があるくらいなので、今の塩ブームは歓迎なのだろう。南北の塩ブーム追随は納得できるとして、ちょっと違和感があったのは、名古屋の塩ういろう。しかも表書きに沖縄産の塩であることが強調されている。商品名のショルダーに書かれている産地表示は沖縄だけだ。何も地元の名産品にご丁寧に沖縄のPRをしなくてもいいのに。名古屋は太っ腹だ。

塩分と言ってしまえば、どんな商品にも入っていてもおかしくないものだが、「塩」を強調するとブランド価値がぐっと上がる。砂糖にも和三盆、波照間産黒糖などのブランドはあるけれど、最近のメタボ防止の風潮や、甘味を控える傾向にある菓子製造のトレンドが逆風になり、盛り上がりにやや欠ける。反面、塩は日本産ブランドだけでなく、シチリア産、ゲランド産など、外国の製品もよく使用されている。背景に2000年代前半の塩の販売製造、輸入の完全自由化があると言われている。

以前にもこのブログで塩スィーツの話も、調味料の話も書いたことがあるが、まさに塩にしろ、砂糖にしろ、これまで単なる調味料であり、原料のほんの一部でしかなかったものがクローズアップされ、こだわりどころが細かくピンポイントになってきている。

一方でさまざまな形で食品の問題がクローズアップされている。こだわりどころと、こだわらないで、問題が大きくなっていること。ちょっとアンバランスな気もする。


SATCは古典ドラマになった?

2008-10-10 23:58:49 | まち歩き

SATCと言えば、『SEX AND THE CITY』。いわずと知れた米国の人気テレビドラマで、映画化されたものを数ヶ月前から日本でも公開している。米国や韓国のテレビドラマは人気が出れば、シリーズ化され、何年も続く。このドラマもおそろしく続いたケースの一つだが、私はいまいちはまれず、最初の1エピソード(1シーズンではない)を観てやめてしまったが、映画化の機会に行ってみた。主に4人の女性の群像劇で、この流れは後に『デスパレートな妻たち』に継承され、日本でも今度TBSのドラマで真似るようだ。

ミステリー色のある後発版と違い、本家は恋愛と仕事を含めたライフスタイルが基本テーマ。昔の日本のトレンディドラマをゴージャスにした感じだ。日本のトレンディドラマが時代後れ感があるのと同様、SATCも正直厳しい。

でも子どもの頃に昭和30年代を過ごした人がその時代の映像や文化を楽しむのと同じで、なんとなく浮き足立った時代を過ごした人のノスタルジーを呼び戻す効果はあるかもしれない。単に登場人物が歳をとったというだけでなく、世の中も歳をとっている。いまやSATCも古典ドラマとして通用するということか…。

一方でSATCはプロダクトプレイスメントが効いている。今の米国でどれだけ次から次へと出てくる高価なファッションに関心を示し、購買に結び付けている人がいるのかどうか知らないが、テロ攻撃で人が死にまくったり(24)、刑務所から抜け出す算段ばかりしていたり(プリズン・ブレイク)するドラマより、提供されている商品群の広報効果は格段ある。

こういうことに力を注ぐことも含めて、最近は米国経済同様にハリウッドも元気がないと思う。以前はあまりテレビドラマを映画化することはしなかった。スタッフも俳優も完全に分離していたのが、日本同様に境界線がなくなりつつある。

まあ、それはそれとしてSATCは今夜からWOWOWで一挙に放送される。せっかく錦織選手の活躍で加入したので、観てみようかと思わないでもないけど、このご時勢下、一昔前のノスタルジーに浸るより、さっさと寝て明日の早朝テニスに出かけた方が健康的な気もする…。自ら体を動かすことに、時代の空気感はあまり関係ないので。