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ensemble マーケティングの視点

日常生活と趣味を綴る個人的散文です。タイトルに反し、仕事に関する話は書きません。

コロッケ屋の都合

2004-10-27 02:55:49 | 社会・経済
shop近くの商店街にいわゆる揚げ物がメインの総菜屋がある。外観は他とは違うこだわりを表現した感じで、メニューバリエーションも味も悪くない。自分でパック詰めして好きなだけとってレジに持っていくサービス形態で1個からでも買える。


この店、だいたい20時半から21時ぐらいに品切れ次第閉まるのだが、最後の30分ぐらいは売りつくすために30~50%引きになる。別に値引きを目当てにしているわけではないが、外出先からの帰りがそれぐらいの時間になることが多いので、時々寄って安い惣菜を2、3個買って帰っていた。ところがある日同じ時間帯に中をのぞくと、売れ残った商品がパックいっぱいに既に詰められていて、400円か500円ぐらいで(これでも格安)売られていた。もちろん買わずに帰ってきた。数日後に見ても同じだったので、それ以降行かなくなった。

確かに最後まで1個ずつ売っていたのではいつ売り切れるかわからない。それが店の都合だろう。でも私が住んでいる区の単身世帯比率は55.9%でこれは東京都心区のなかで2番目に多く、1世帯あたりの平均家族数は約1.7人だ。現代は家族で住んでいても揃って食事をすることは少ない。惣菜店はこうしたライフスタイルの人の受け皿として高いプレゼンスを保っているはず。パックにいっぱいに詰められた揚げ物は1人や2人では食べきれない。

今やどこのスーパーでも野菜のばら売りは常識。肉のパックも小さく、さらに小分けにも頼めばしてくれる。価格の高低より食べきれずに捨てるもったいなさの方がやりきれないから、多少高くても少量パックを買う。今の若い人は物を粗末にすることが平気だと信じているとしたら、それは間違っている。食べ物を腐らせて捨てることが不快なのは、共通の心情だと思う。大手スーパーにできて、街の小さなショップにできないことは確かにたくさんある。それは仕方がない。けれども本来きめ細かい対応が得意なはずの街のショップが大雑把な商売をしていたら、自己の存在価値を捨てることに等しい。

もしかしたらその店の店主も、単品で売ってくれと言えば対応してくれるのかもしれない。でも大手スーパーの店員には平気で言えることも、小さな店の店主には言いにくいこともある。それもまた近所づきあいが希薄な都市生活者の顧客心理である。



買物は楽しいですか?

2004-10-26 07:49:22 | 社会・経済
city3消しゴムを失くした。仕方がなく、帰りに寄ったコンビニでついでに購入したが、消しゴムを失くしたことが妙に悔しく、買う行為は面倒だった。高いものではないし、わざわざ買いに行ったわけではない。失くした消しゴムは既に何年も使い、汚れていた。

一緒に買った飲料や酒類には面倒も抵抗を感じない買物という行為が、対象が消しゴムになると途端に「もったいない心理」が沸き起こる。生活者はマーケットでは『消費者』と呼ばれる。言い換えれば「買物をする人」だ。炊事や洗濯の家事をしない人も買物はする。
消費者の範囲は幅広い。

「買物をする人」たちの中にもクラスターはあるが、「一人の買物をする人」の中でも購入をする対象によって心理が分別される。激しいデフレの時期には、あらゆるものの価格が下落した。衣食住関連はもちろん、旅行やレジャー施設、英会話学校などの教育関連、趣味に関する商品など、本来付加価値的な商品までもが価格競争に巻き込まれた。そのなかでも頑固に価格を守り続けた商品やサービスも多くあった。そういったものほど、今も市場に残り、好調を続けている。

「安売りをする」という言葉は、“人”を主語にするとかなりネガティブな表現だが、ある時期多くの商品が安売りをした。ひどい企業は元値を表層的に引き上げ、POP(店頭広告)上でいかにも値下げをしているかのように消費者を欺いていたケースもあった。それでも他に競争力がなく、必然性がない商品は売れなかった。企業は貴重な利益をなくし、それでも体力がある大企業に駆逐され、小さな昔ながらの小売店が姿を消している。消費者は価格や企業を信用しなくなった。

消しゴムを10個100円で売っても、普通の社会人はまとめ買いはしない。デザインや素材に魅力のない洋服も、安っぽい生活雑貨も、行っても疲れるだけの旅行も同様で、瞬間風速的に売れても長続きしない。好景気でモノを持ちすぎた日本人が急激なデフレを経たことで、買物をつまらないものにした。買物を楽しく信頼できるものにしないと、景気が戻ったとしても買物はしたくない。