前回の「錦木」 つづき
平安時代後期、「錦木」は 歌枕として読まれていた。
室町時代になって、能の創始者である 観阿弥の子、
世阿弥によって 謡曲「錦木」として 世に広まった。
初代 錦木塚右衛門(後の二所ノ関軍右衛門)は
南部出身の力士であることを 誇りに思い
全国的に知られている
「錦木塚」を しこ名に 使った とか。
「石川啄木」は 母方の祖先を 鹿角市毛馬内に持つ。
錦木塚 の話を 金田一京助から聞き、塚を 訪れる。
そして 「鹿角の国を懐う歌」を つくった。
xxxxxxxxxx
狭 布 …を … 「せばのの」 と 覚えていた が
狭 布 の 細 布 …が… けふのせばのの ? だった。
忘れることが おおくなった。
xxxxx 我が図書室で さがした xxxxxxx
菅江真澄日記 口語訳稿
あきたのかりね、おののふるさと、そとが浜風、
けふのせばのの、
氏家本 かすむいこまがた、
氏家本 はしわのわか葉 村 上 徳 一
村上先生に「菅江真澄」 教えてもらったこと 思い出した。