イリアーデの言霊

  ★心に浮かぶ想いのピースのひとかけら★

偽りの恋の果てに苦界に堕ちて…

2008年05月21日 23時50分19秒 | 小説
 アレクは崇め奉られるのは上辺だけの虜囚でしかない《藍家の巫女》の宿命から我が子だけでも救いたい、幸福に生きて欲しいと願った先々代の巫女である母によって日倉家の息子ジェイルとすり替えられ《日倉朋之》として日本で生きてきましたが、或る日、《アレクシス・藍》として飼育されていたジェイルが実はすり替えられていたことを彼の怪我が元で発覚し、アレクの実の両親である先々代の巫女とその後継たるアレクを儲けるためだけの種馬の夫は処刑され、アレクは拉致監禁されてしまいました。アレクの実母の願いも虚しく13年目にアレクは《藍家の巫女》として贅沢な部屋と衣装と食事etcの物理的には裕福で傍目には至福の境地に見えるかもしれないけれど、所詮は牢獄でしかなく幽閉され虜囚にされ、以降、12年の時を猗家の繁栄のための託宣を告げる巫女という名の道具として利用されていました。

 贅沢に囲まれても拉致監禁を歓ぶ人間はいません。アレク自身もジェイルも幽閉されてからの12年間、アレクは何もしなかった、逃げるという形でも闘おうとはしなかったと蔑んでいますが、アレクは幾度となく脱獄を図っているではありませんか!自分を卑下するようなことをアレクに言わせないでよ!!12年間も籠の鳥だったのも娼婦に堕ちたのもアレクに咎は一つとしてない。脱獄して日本に還ろうとしたけれど失敗しては連れ戻され監視は厳しくなるばかりで日倉の両親を殺すぞと脅迫され、唯一の心の支えであるアレクの養父母は既に惨殺されていたことを隠蔽されて自由を諦めざるを得なくなり《藍家の巫女》として託宣を告げる日々を強要されていたのに。何故、非難されなければいけないの?

 そんな或る日。新しい世話役兼監視役として近づいたジェイルの腹黒い思惑も知らずに一族とは違って思い遣りのある優しい男で、そして、自分と同じように愛してくれるとアレクは騙されてしまった。一緒に逃げようと駆け落ちした先の安宿でも結ばれて漸くアレクは幸福にと思ったら、ジェイルは《本物の日倉朋之》であると明かして醜い本性を現しお前は藍家と猗家を滅ぼすための道具だ。騙されるお前が愚かなのさ!その淫乱な体を群がる男どもにくれてやれば立派に娼婦として食っていけるぞ!!むしゃぶりつく男どもを名器で弄べば稀代の毒婦にさえなれるだろうよと憎悪と侮蔑を叩きつけて猗家の次期当主でありアレクを愛玩動物として嘗め尽くそうとしていたエドモント・猗に居場所を密告し、そいつに引き渡してしまった。ジェイルが教えてやらなければエドモントはアレクが何処にいるのかさえ、わかる筈もないですよね。

 ジェイルはただ既定路線だったエドモントの愛玩奴隷に囲われるだけだと軽く考えていたようですが、当のエドモントは他人のお古なんぞいるか!と殴る蹴るの暴行を加え、アレクはエドモントの手下どもに輪姦されてしまった。しかし、エドモントの手下どもは、ただ、フェラチオを強要し秘孔の抽挿を繰り返すだけの欲望を叩きつけて貪るのではなく、乳首を捏ねたり男根を嬲り睾丸を揉みしだいたり擦り合わせたりして、アレク自身にも性の快楽を湧き上がらせ、そんな自分を嫌悪するのも含めて感じたアレクの“名器”を味わったのです。阿呆のエドモントの手下にしては頭の回転が良いような…欲望を満たすのにどうすれば良いか、本能が働いた結果に過ぎないのかはよくわからないけれど。

聖娼から女神へ

2008年05月21日 23時49分14秒 | 小説

 B-PRINCE文庫・いとう由貴&絵/杉原チャコ(イラストレーター失格の下手くそ)月に濡れる蜜約の主人公カップルの片割れ、日倉朋之としての13年間がいまいちハッキリしない主人公、アレッサンドラちゃんと呼びたい《深窓の姫君》アレクシス・藍<藍英芳>は後の生涯の伴侶となる「ジェイル・真<真践蠡>の罠に嵌められ愛玩動物にしようとしていたエドモント・猗に場末の売春宿に売られて男娼になりますが、体を壊しても医者に診て貰えずにのたれ死んでいたかもしれない」という設定が弱いように感じられます。どうにも場末の売春宿にしては自由に外出できたりして待遇が良いような監視役の売春宿のボスに雇われた用心棒とか、そういう奴らがいそうなのに影も形もありませんし、体調が悪くても客を取らされたと書いてあっても本当にそうか?と突っ込みたいくらいに実体がないようなので。売られてきた直後に洗脳セックスというか、性奴に仕立てあげるために“売春宿の用心棒たちが味見をし、複数の調教係が男娼の技巧や媚態を仕込む調教を兼ねた凌辱をした”とかがあれば、もう少し説得力があったように思います。

 但し、アレクはロスト・バージンと輪姦と数知れない男の欲望に奉仕する性奴となっても、巫女としての力を失ってはいませんでした。その証拠にエドモントが逆恨みから爆弾でジェイルを殺そうとしたのをメモ一枚を見ただけで漠然とした予感を心を研ぎ澄まして永生銀行の通用口という心に「通用口」という言葉が浮かびジェイルを狙った爆弾からジェイルと実行犯にされかけた売春宿で自分を買った客を救い、爆殺が失敗して今度は自らの手でジェイルを殺そうと拳銃を手に現われたエドモントの凶弾から愛するジェイルの盾となって守ったのですから。古代シュメールの聖娼のように「処女ではないことは性の営み(性の道具としての売春であっても)をすることは、巫女の力の有無とは無関係」ではないのでしょうか?私にはアレクが聖娼に見えます。誰のものでもないのが聖娼ですが、アレクは嘘偽りのない愛の契りを交わしたことにより、ジェイルのためだけにしか力が発動しない彼の女神になったのだと

 赤児のすり替え事件(片方の母親による)により2人の日倉朋之である主人公カップルのアレク&ジェイルの2人ですが、ジェイルは老けていますね。10代の乙女のような老けていない方の25歳は1人は腰よりも長くしなやかな黒絹の髪と奥底に深い藍色が沈んでいる蒼みがかった夜の泉のような黒い瞳と処女雪のような白い肌のアレク、オールバックの短い黒髪と深く暗い森の瞳と浅黒い体躯の老けたジェイル。赤児の時にすり替えられたのですから同じ誕生日で同い年でしょうが、5~7歳くらい年齢差をつけた方が良かったのでは?ジェイルは少し老けすぎですよ。幾ら、同い年でも身長や体格、その他もろもろに個人差があるとはいえ。ところで、本来ならば、復讐の対象になり得ぬ筈のアレクの心を奪い、その身を犯して純潔を穢して捨てたのは坊主憎けりゃ袈裟まで憎しだけでないのは明白です。

 13年目にお互いがすり替えられていた事実が発覚するまで、日本でアレクはごく普通の家庭で育ちましたが、ジェイルは「あの」藍家の牢獄で巫女としての力のないことに白い目を向けられながらも傲慢で人を人とも思わぬ巫女そのものだったがゆえに、あと数年もすればエディスも感情もなく他人を塵芥のように見下し何の感慨も抱かぬ人形に成り果てていた筈だったので人間らしいと言うよりも感情そのものがなく、初めて芽生えた感情は自分自身も知らなかった素性が露見して自分を殺そうとした藍家と猗家に対する憎悪だった。先々代の巫女であったアレクの実母を含めた一部を除いて、藍家で生を受けて飼育された者が辿って当然の人形ゆえにジェイルは愛を知らなかったのでしょう。

 ジェイルはアレクの身も心も弄び踏み躙った挙げ句に安宿でアレクを捨てました。しかし、アレクの後継として育成されていた8歳のエディス・藍をアメリカの在る夫婦の養女とすることで《藍家の巫女》の1人を排除したのは、殺してしまったら猗家や藍家と同じになってしまうからだと言いましたが、巫女という名の道具を骨の髄までしゃぶり尽くして悪用する奴らと同じようにアレクをロスト・バージン(処女喪失)により巫女の力を喪失させ、復讐の道具に利用したことでジェイルは自分が復讐する敵と同じ穴の狢でした。