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イリアーデの言霊

  ★心に浮かぶ想いのピースのひとかけら★

王家の紋章

2007年11月21日 02時14分29秒 | 小説
 陽(ひ)の神は、はるかな砂漠の彼方より昇り、母なるナイルを照らしてのち、はるかなる砂漠の彼方に消える。揺るぎなき大地の果ては満天の星に連なり、世界はここにある。ある時は静かに水をたたえ、ある時は奔流となってすべてを呑みつくす大ナイル。それは、幾千年の時を越えて流れ、営々と受け継がれる人々の歴史を見てきた。三千年の昔、この地が世界の頂(いただき)にあった時、多くの民を従え、富を欲しいままにし、王の中の王とたたえられてた若きファラオがあった。上下エジプトを司る若きファラオは一人の乙女に心惹かれた。それはナイルの女神ハピの娘、黄金の髪と真珠の肌を持つナイルの娘。ナイルの娘は両刃(もろは)の剣。砂漠に恵みをもたらすと共に、ファラオに災いをもたらす。三千年の時の流れを越え、エル・コルンのふもとにて再びファラオとまみえんことを誰か知らん。若きファラオとナイルの娘の恋の物語は、国中の富という富を集めたよりもさらに華麗で、静寂の砂漠をおおう星々の物語よりもさらに数奇なり。それは悠久の時の流れが創り出したナイルの詩(うた)。

 CD化された『王家の紋章』に封入された古代エジプトの若き王(ファラオ)とその正妃となった王妃キャロルの恋の物語はその文面にあるように、各国の王族に狙われ魔女によって挙式をしてキャロルを我が物にしたと思い込んで有頂天だけれど所詮は魔法によって操られた誓いなど無効だとイズミル王子が受け入れられなければ彼は滅ぶだけなのに…そういう腐れ外道が右往左往している物語でもあります。

黒龍王(11) 冴紗の天然ボケは作者の投影?

2007年11月21日 02時13分15秒 | 小説

 未だにワープロを使っていた稀有な存在とは言える吉田珠姫(敬称略)が、いよいよパソコンに替えようと決意したいま現在はXPが販売終了となりVISTAになっています。ワープロからパソコンにデータのお引っ越しに手間取り、11月25日(日)に発売される筈だった『神官は王を恋い慕う』作者のサイト《吉田商店》によると12月25日(火)に延期になりました。

 その『神官は王を恋い慕う』《吉田商店》の「今後の予定」“婚礼の日取りも決まり、幸せな日々のはずなのに、冴紗は少々悩んでいた。羅剛王がことあるごとに冴紗の純朴を笑うので、もっと色事を学ばなければいけないのではと‥‥。冴紗はあいかわらずおバカな子です。(笑)そして羅剛もあいかわらず超暑苦しい男です。どうかあたかい目で見ててやってくださいまし。”とのことですが、作者は相変わらず羅剛を暑苦しいと言っています!羅剛の何処が暑苦しいのか私には理解できません。

 難解&難読な見たこともない漢字を多用して私たち読者に負担をかけている吉田珠姫は“一般的に普通に使われている漢字ばかり”だと、返事のメールに寝言を書いて寄越しました。編集部の吉田担当も難しすぎて頭を抱えているのは電話で確認ました!作者だけが普通に使われていると思い込んでいて、そうした作者の世間との認識のズレ冴紗のボケっぷりに投影されているのかもしれません。


黒龍王(9) 真に羅剛のためだけに生きるなら…

2007年11月14日 03時06分58秒 | 小説

 わたくしは、たった今、虹霓教を捨てます。そして、この大神殿を出てゆきます!望んでくださる方々がおられるならば誠心誠意努めようと一度は決意致しました《虹霓教聖虹使》の御役目ですが今日を限りに返上致します!!わたくしは10年前に羅剛様の父君であらせられる先王陛下をお守りしようとして亡くなった父のように現国王陛下を…羅剛様をお守りする騎士となりたいなどと分不相応な夢を見ておりました。…なれど、軍に入隊を許され初陣を迎えたその日に突如として羅剛様が神殿行きをお命じになられたのは、わたくしをお厭いになり厄介払いしたのだとお恨み申し上げてしまったのはわたくしの愚かさ以外のなにものでもございません。あの時、神殿に行けと仰ったのは、ひとえにわたくしを守らんがため。当時、わたくしは存じませなんだが、邪な輩の毒牙からわたくしを守ろうと必死の羅剛様は思い悩んだ末に、まさか父君のように想うておられる永均様に欺かれようとは思いも寄らず、勧められるままにわたくしを大神殿にお預けになっただけ…左様でございましょう?最長老様、並びに長老様方。違いまするか?羅剛様には御世継ぎを産める正真正銘の女性を正妃に娶っていただこうと望む重臣方は羅剛様が想うてくださっても同性ゆえにわたくしが邪魔、そして、わたくしを《聖虹使》に据えようとお考えの皆様方はわたくしをお離しになられぬ羅剛様が邪魔、お互いに欲するモノと邪魔なモノとが合致し結託したも同然ゆえ、身に覚えがおありでございましょう。どちら様もわたくしが大神殿にあがり正式に《聖虹使》となるのは数年先でも謁見を行い民の心にわたくしを《聖虹使》として植えつけ既成事実を作って定着するに足る時間が経てば、こちらのものとお考えになられた。いかな羅剛様とて諦めて重臣方の勧める婚姻を受け入れるだろうと羅剛様の想いの深さを強さを侮り、どのような経緯で玉座に御即位されたとはいえ、責務の一つである侈才邏に最も有益な婚姻を受け入れざるをえまいと嘲笑っておられた!だからこそ、何の躊躇もなく羅剛様の御心(みこころ)を土足で踏み躙ることが出来たのでございましょう?なれど、他者の痛みを己が痛みとして感ずることこそが“虹の教え”というのは偽りでございましたか?それとも真実であると仰るならば…なにゆえ、わたくしを返して欲しいと仰った羅剛様を無視なさいました!なにゆえ、わたくしを返してくれれば地べたに這いつくばろう、王位を捨ててもかまわぬとまで懇願なされた羅剛様の血を吐くような叫びを無視することがお出来になられたのです!!重臣方に…皆様方に欺かれ、嘆き苦しむ羅剛様の痛みを思い遣れませなんだのか?それとも、たかが虹の髪と瞳というだけで天帝《虹霓神》がお遣わしになられた《虹の御子》だと騒ぎ立てる皆様方にいつまで経ってもわたくしをお離しにならなかった羅剛様に対する意趣返しでございますか?元々、わたくしは神官にはなりたくはございませんでした。羅剛様のいらっしゃらない場所は何処であろうともわたくしにとっては寒々とした牢獄に等しく、王宮から遠く離れた侈才邏の端にある大神殿になど来たくもございませんでした…ずっと、羅剛様の御傍(おそば)にありたかった!いつも還りたいと願い続けて参りました!!弓の腕は国一番とお褒め頂けたのを有頂天になり、驕っておりました!我が身ひとつ守れぬ不甲斐ない己を知らずに!!あの御方は…羅剛様は、ただただ、わたくしを慈しんで下されましたものを、なにゆえ、心得違いの恨み言を抱いて4年の時を無駄に過ごしてしまったのか悔やまれてなりませぬ。わたくしを恋い焦がれていると嘘偽りなき想いを羅剛様は仰って下さった、誰よりも深いお情けを賜わりましたのに、それでも、わたくしは逃げてしまいました。国王である前にわたくしを想うて下さる一人の人間としての羅剛様の御心を傷つけ絶望の淵に追いやるだけだと気づけぬままに、いいえ、わたくしは自分が傷つくことを怖れて逃げるばかりで羅剛様のことを考えようとも致しませんでした。愚かでございました!今こそ、王宮に…羅剛様の許に還らせて頂きまする。どうして羅剛様の御心を土足で踏み躙った方々の間に立ち混じったままでおれましょうや!王命でわたくしを神官にという預ける名目を利用して皆様方が羅剛様とわたくしを引き裂いたことは忘れますゆえ、皆様方もわたくしのことは忘れてくださいませ!詣でる方々を見捨てるようで心苦しゅうございますが、《侈才邏王妃》も《聖虹使》も責任は重く片手間にどちらも務めるのは至難の業、いえ、不可能でございましょう!!わたくしは誰よりも何よりも羅剛様が大切なのでございます。これからは羅剛様のことだけを想い、羅剛様のためだけに生きて参ります!2度と羅剛様の御傍を離れたりは致しませぬ。


黒龍王(8) どうして羅剛が中井和哉?冴紗が千葉進歩?

2007年11月11日 02時01分34秒 | 小説

 ドラマCD『神官は王に愛される』キャストは主人公カップルを演じる声優の名前を聞いただけでは不気味ですね。表向きの主人公・冴紗千葉進歩(ちば・すすむ)さんというのが!さっさと真の主人公・羅剛陥落してしまえばいいのに悪足掻きする冴紗“我が身は男でございます”という台詞が嘘っぽく聞こえるほどに女性的でたおやかな美形ははまり役だそうですが、そういうコメントを読んだだけではピンとこないですし、そのコメントを書いた人も意見が分かれるだろうな~とのことですから。それにしても、誘惑に負けてAmazonで注文しておきながら到着するのが怖い!!そーこーしているうちに届いてしまった。覚悟して聞いてみたら、女そのものの冴紗を千葉さんがというのはやはりガラガラ声の中井さんとの絡みは不気味でミスマッチだと思います。

 ドラマCDの中身はというと、かなり原作の内容を間引きしてあり、羅剛の叔父・周慈とその息子で羅剛にとっては父方と母方の2重の従弟であり冴紗を娶り直系の血を絶やす羅剛の代わりに侈才邏王家の血を次世代へと繋ぐ重要な役割を託された伊諒、更には重臣どもが誰でも良いから押し付けようと企んだ婚礼の相手である崢嶮の王女・美優良は名前だけで登場しないまま恋人・諭朋と共に崢嶮に送り返されました。

 羅剛原作を読むとドラマCD『銀の鎮魂歌(何故、雑誌掲載時&角川ルビー文庫版のタイトル『銀のレクイエム』ではないのか?)魂の半身キラ・カムスを死に追いやってしまい自らの心も死んでしまったジオ皇帝ルシアン・ゾルバ・レ・ソレル役の森川智之さんの声で聞こえます、何故か。独り善がりの小賢しい忠誠心ゆえの“国の行く末を憂えて”と称して重臣どもに謀殺されたキラですが、それでも、自分は《虹霓教聖虹使》になるべき身なのだと思い込み、なりたくないと言いながら羅剛と侈才邏のために《聖虹使》の猿芝居をすると寝言をほざく冴紗よりは遙かに『銀のレクイエム』の方がマシだわ~と思う。

 馬鹿殿ルシアンを演じた森川さんの声で羅剛の言葉が聞こえるのは、多分、どちらも狂おしく恋い焦がれ己も恋する半身をも灼き尽くさずにはおれない恋の炎を燃やし暴走する恋の猪だからだと思います。但し、『銀のレクイエム』とは異なるのは、冴紗の方が自分は羅剛に疎まれたのだと誤解し、恨み言までぶつけてしまい大神殿の最長老と長老どもに宗教的洗脳を施された木偶です。

 せっかく、羅剛を熱演した中井和哉さんには申し訳ないのですが。中井さんというと『ONE PIECE』ロロノア・ゾロが固定していて、とても狂おしい恋心というのが中井さんだとピンとこないです。BLCD(ボーイズラブのドラマCD)にはよく出演しているらしいのですが、私はそういう情報に疎くて。


黒龍王(7) 諸刃の刃でしかない冴紗は己を知らず

2007年11月09日 11時46分04秒 | 小説

 『神官は王を狂わせる』は…今回のお話は戦争を馬鹿にしているとしか思えない戦争の終わり方でした。まず、虹髪虹瞳というだけで“ありがたや”と平伏するのが理解できません。羅剛は純粋に冴紗自身を愛しているので、アホかこやつらはと呆れるのには同感です。

 大神殿の最長老を首魁とする神官ども虹髪虹瞳の冴紗がは天帝《虹霓神》が遣わした《虹の御子》だから王宮に引き取られても、すぐに大神殿に渡すのが当然だと思っていて、いつまで経っても渡そうとしない羅剛に不満を抱き、永均に騙された羅剛冴紗を守るために一時預けたのをいいことに返してくれと言っても無視して4年が過ぎました。冴紗羅剛がずっと自分を取り戻そうと必死だったのも知らず、近衛騎士となる夢を潰して神官にしたことを恨んでいたのですから呆れます。大神殿に冴紗を追い払って羅剛から引き離すべく吹き込んだけれど嘘ではなく軍に入隊したままにしておいたら、時を置かずして男という男が一人残らず獣欲を滾らせたケダモノと化して輪姦されていた窮地を羅剛に救われたのに冴紗の恩知らずが。

 最長老と5名の長老どもに宗教的洗脳を施され自分は《虹霓教聖虹使》としてあらねばならぬのだと思い込んでしまった冴紗は神官になりたくなかった、もっとやりたくない《聖虹使》の責務を押しつけられて虹霓教を忌み嫌う自分の本心を忘れ、《聖虹使》の果たさなければならない理由はないのに、否応無しに責務を無理強いされているのに続けるのですから、何を考えているのでしょうね。《聖虹使》を続けることで羅剛と侈才邏のためになると思い込んでいますが、逆に苦しめるだけだとわからないようです。

 そして、《聖虹使》は他の人々にとっても害毒でしかありません。信仰という名目に隠した依存と甘えを吐き出し縋るだけの民が口先だけの優しい言葉で一時癒されたとしても、その代わりに人々は自分でどうにかしようと努力することを忘れ、自分の足で立ち自分で歩くことを忘れます。その中には獣欲を滾らせ口説き落として凌辱しようと企む碣祉王のごとき輩も混じっています。一旦は冴紗の言葉に従ってもいつまで保つか?仮面をつけていても冴紗を我が物にしようと略奪を企んで羅剛を罠に嵌めて殺そうとした男です!冴紗の顔を見てしまったら、なおのこと抑えが効かなくなるのは確実です。

 そして、努力すれば解決する些細なことまで冴紗に背負わせ縋る愚民に自分の力で生きることを忘れさせ、獣欲を掻き立てさせている元凶は他ならぬ冴紗なのですから、我が身を守り道を踏み外させず自分で歩くことを忘れた民を他国から来る人々を本当に思うなら、優しい言葉をくれると期待して縋りつく《聖虹使》という甘えの対象であることを辞めるべきです!冴紗は男を狂わす魔性ゆえに誘惑のフェロモンを迸らせているので獣欲の対象でなくなることは不可能ですが。しかし、虹霓教からは冴紗は足を洗うべきだと思いました。最長老を含めた神官どもが《聖虹使》は、神の御子は天に還られた…つまり、死んだということにして羅剛に返す気になる日は来るのかしら?


黒龍王(6) 楔を貫き精を注げ!重臣どもに見せつけろ!!

2007年11月09日 09時16分53秒 | 小説

 冴紗は自分のことしか考えておらず、羅剛の苦悩に思い至らない。苦悩も冴紗に対する優しさもない神官どもに騙され、奴らに哀しみと苦悩を味わわせていると思い込んでいる冴紗はやはり木偶でしかない。侈才邏の掟を利用して衆人環視の中で《婚姻の儀》を行った羅剛の恋する冴紗を晒し者にしてまでも《銀の月》として見せつけた恋の暴走の前に遂に永均や宰相を筆頭とする重臣どもは羅剛冴紗を引き裂く愚挙を断念しました。

 何故ならば、「Ⅸ 婚姻」衆人環視の中で冴紗を凌辱するという強硬手段を行い恋する冴紗を晒し者にしてまでもかまわぬ狂おしい恋心ゆえに“侈才邏王家の国王は正妃一人に精を与える!それ以外は、妾妃を幾人娶ろうとも精を注ぐことは許されない!!”という侈才邏の真の掟を利用して重臣どもから下働きに至るまで王宮中の人間を呼び集め、冴紗を凌辱するという形で精を注ぎ《婚姻の儀》を執り行い、平たく言えば公開プレイを見せつけた羅剛をと非難しましたが、私はよくぞやったと拍手しました。王たる者はどーとかこーとか永均や重臣どもばかりか好き勝手なことを言って冴紗までもが人間としての羅剛の心を無視したことばかりです。羅剛も勝手にアレコレ言う連中の…誰よりも肝心の冴紗に反論など出来ぬことをしてやって立派だぞ、と私がその場にいたら褒めてあげたのに。

 「Ⅸ 婚姻」“王!我が命をかけても、お諌め申し上げまするぞ!このお方が、虹のお方であろうがなかろうが、あなたさまのなさったことは、人としての道義に悖りまする!”と非難した永均には呆れました。正論ぶった屁理屈を振り翳して2人を引き裂いた自分たちこそが本当の意味で“人道に悖る行為をしでかしたのは…王である前に一人の人間である羅剛様の心を踏み躙ったのは我々だ”と漸く己の罪を悟った永均「Ⅹ 祈り」竜騎士団と共に羅剛の求婚に随行し冴紗に受けるように勧めました。それなのに、“王の手をとってしまったら、神殿や民を裏切ることになる。自分は幸せになれても、人々を切り捨てねばならぬ。それであったら、なんのためにいままで、せつない恋心を抑えてきたのか。”と自分たちを引き裂いた片方の元凶である大神殿を捨て、侈才邏の民を含めた詣でる人々を切り捨てることなど何とも思わないくせに、この期に及んで羅剛の手を拒み逡巡する振りをするのは何故か?羅剛のためだけに生きているのならばその他大勢などどうでも良いだろうに。「Ⅷ 美優良王女」で“……まわりが、…まわりの方々が、それを許さぬ。王と自分との恋は、人々を裏切るものなのだ。”と自分が小心者で卑劣なのを羅剛にまで押し付けるな!その他大勢が許さなかったら皆殺しにしてしまえ!この腐れ女が!!お前など羅剛には勿体無い。それなのに、羅剛よりも高位にあるなどという設定は間違っている。

 最長老に《侈才邏王妃》と《虹霓教聖虹使》の二役をせよと命じられて漸く羅剛との婚姻を承諾するなんて、羅剛を恋するから求婚を受け入れたことにはならない!最長老と5名の長老どもに宗教的洗脳を施され虹霓教の木偶でしかない冴紗の愚はこの先も羅剛と侈才邏のためだと思い込み《聖虹使》の猿芝居を続けることで羅剛を苦しめ続ける。

 冴紗には自分が神官として入ったというのは表向きの名目であることや、この4年間、再三にわたる羅剛の返還要求を隠蔽し冴紗羅剛を恨むがままにさせていた大神殿の首魁である最長老は、羅剛冴紗の幸福など踏み躙って冴紗現人神に仕立て上げ操ることしか考えていない!「Ⅱ 大神殿での冴紗」“他者の痛みをみずから痛みとして感ずることこそ、虹霓教の教えでございますよ”とほざいたが、羅剛を慕う冴紗の心の痛みを無視して《聖虹使》を強制して、冴紗を返してくれと懇願する羅剛の声を無視し彼の心を踏み躙り続けた腐れ外道が言っても説得力はありません!その魂胆は、王妃となった冴紗を介して国を虹霓教の思い通りにする道具と化し国も民も支配しようと企んでいるのです。


銀のレクイエム(4) 滅びゆく血塗れのレア・ファールカ

2007年11月09日 09時11分52秒 | 小説
――それほどまでに恋うるのですか?逝ってもなおこの世に心を残し、幻に姿を変えてまで深く……

 雑誌掲載時の扉絵の裏に書かれているキラの悲劇の元凶であるアッシュ公国の公王(或いは大公)ズール公の妃となったジオ皇女イリスの言葉は読み返すたびに心を抉られるようです。『銀のレクイエム』1993年に大幅に加筆修正して角川ルビー文庫で初の文庫化された時に幾らキラが皇帝ルシアンとその皇妹であるアッシュ公妃イリスとは乳兄弟の幼馴染でもタメグチで“ルシアン”“イリス”と呼び捨てなんて無礼千万ですし、皇帝ルシアンの側近サマラ主君と挙式後はマイラは皇后なのに彼女を“マイラ”と呼び捨てにしていたのは改めて当然です。しかし、変更すべきだったのに抜け落ちている点は、“ソレル王家をソレル皇家に変更”しなかったことですね。帝王とは皇帝の別称ですが雑誌掲載時のモノならば“王位を継いだ”とあり国王という感じなので、まだ王家でも良いのですが、文庫版“ジオ皇帝を継いだ”と加えているので“ソレル皇家”とすべきだったのです!どうしても“~家”としたかったのなら。

 それにしても、は幾つもあります!それは『小説JUNE』掲載時キラの母の名はマミカであり一度は嫁いだけれど夫の死後にルシアン&イリスの母シアヌークに請われてキラを連れて後宮に戻ったということだったのに文庫版では名をアーシアに変えてキラを何処の馬の骨とも知れぬ輩と陰口を叩かれ後ろ指さされる境遇に堕とすためにアーシアを誰にも嫁がずにキラを産んだという設定に変更したことと、雑誌では“宮廷医師エンゲルト”だったのに文庫版では“薬師(くすし)ジェナス”に変更したのが不可解です。

 そして、角川ルビー文庫では雑誌掲載と同じく『銀のレクイエム』なのに、KAREN文庫Mシリーズでは“「レクイエム」を「鎮魂歌」と書いて「レクイエム」”と読むに改題したことです。何故でしょうね?タイトルについては雑誌掲載時には目次では『銀のレクイエム』で、表紙&扉絵を見ると『銀の鎮魂歌』と書いて“レクイエム”と読むのではないかと思われるのですが、推測ですが“レクイエムと書いて鎮魂歌という意味だ”と言いたかったらしいです。

 流石は“[ジュネ]-今、危険な文字にめざめて”表紙に書かれているだけあって、雑誌掲載時の折には初夜のキラは12歳です。17歳のルシアンとは1歳プラスした5歳の差であり、その馬鹿殿が誤解から裏切られた とキラを拷問の末に追放したのは彼が14歳、そして2年後に死期を悟ったキラがジオに戻ってくるのは文庫版と同じですが。すこ~しヤバいかな~と思ったのかもしれませんが、あまり変わらないような気がします…ルシアン現代の日本でキラが12歳でも13歳でも手を出したら犯罪ですから。

 それでも、17年目の16歳で生涯を閉じるのと19年目の18歳というのでは、変わらないようでいて差は大きいかしら?

銀のレクイエム(3) 人選を疑う絵の酷さ

2007年11月09日 09時11分31秒 | 小説
 あまりにも絵が酷すぎるのにガッカリです。キラルシアン不細工で幻滅しました!表紙のキラは辛うじて及第点なのに!!ハッキリ言って小島文美さんの絵は酷すぎます。『小説JUNE 6月号(1984年)』の時に波津彬子さんが描いたモノが一番素敵で、2番目は角川ルビー文庫でのモノ(同じ波津さんが描いたのに下回る)です。今回のKAREN文庫Mシリーズ山藍紫姫子先生の『アレキサンドライト』角川文庫復活した折に表紙の絵を担当した小島文美さんです。しかし、表紙のキラは辛うじて及第点ですが、挿絵ではルシアンと共に不細工になっているのが残念です。 小島さんが、こんなに不細工なキャラを描くとは思わなくて幻滅しました。

 説のイメージをアップさせるか否かを左右する重要な要素である絵をこんな酷いモノにするなんて信じられません。角川文庫で復活した山藍紫姫子先生の『アレキサンドライト』は挿し絵が皆無で唯一の絵である表紙を描いた小島文美さんなので、大丈夫だろうと思ってしまったのが間違いでした。

 表紙のキラの左側にある翼は傷ついているらしく血があり、11弦の竪琴を爪弾くキラの指は血に塗れ、その竪琴の絃は切れていて悲恋ゆえにただでさえ暗いのに、より心が沈んでしまう絵ですが大丈夫だと安心してしまいました。ところが、中を見たらガッカリしました。『アレキサンドライト』のように表紙だけだったら良かったのに!重要な要素なのだから、きちんと考えてイラストレーターを決めて欲しいですね!!五百香ノエルの作品も文章と絵がそぐわず酷いものです。

銀のレクイエム(2) セレムの離宮に眠る永遠の恋

2007年11月09日 09時11分15秒 | 小説

この世では結ばれない愛がある★KAREN文庫Mシリーズ★「ぼくとルシアンさまの絆はあのとき断ち切られてしまいました…」
 
愛が憎しみに、光が闇に。青年王ルシアンの寵愛を一身に受けていた小姓キラが、王の妹と関係をしたという誤解から、まっさかさまに転落しゆく運命を描いた哀感のメルヘン。

 ジオの新しい夜明けを告げる皇帝の婚姻の鐘が鳴り響くと書かれていますが、実際にはキラ・カムスの最初で最後の恋を引き裂き彼の命を19年目の春に断ち切った罪が終焉を齎すジオの黄昏を告げる葬儀の鐘です

 15歳ジオ帝国(或いは皇国)の帝位に就いた皇帝ルシアン・ゾルバ・レ・ソレル暴走するだけの猪であり思慮分別に欠けていて逸材とはお世辞にも言えないですね。ソレル皇家が世継ぎを得られずキラがそばに侍っている限りルシアンは女の肌に触れようとさえしない事実を危惧した重臣たちにキラを癌だと思わせた元凶は次代に皇家の血を繋ぐ責務を果たそうとしなかったルシアン自身であることは確かです。それ故に、キラ死に追いやってしまったのです。ところで、キラルシアンの想いはキラが追放された2年前の16歳の時までは《恋》であって《愛》ではありません。皮肉にも2人の想いが《愛》に成長したのは次の夏を望めぬ余命幾ばくも無い身となった心の臓を病むキラがジオに戻り、紆余曲折の末に2年前の事件が激情ゆえの誤解だとルシアンが知った時です。

 5年前17歳の誕生祝いにと13歳のキラ“おまえの操を貰おうか。”と寝所に召して契りを交わして以来、ルシアンは人目も憚らずキラをの肌を求め縁談を蹴散らしていた。自分は世継ぎをなす種馬ではないと、これ見よがしにキラの部屋に入り浸る日々が繰り返されるばかり!重臣たちが妾妃腹でも良いから世継ぎを…或いは正妃を娶る気にさせようと異性であり子を産める女を伽(とぎ)にと差し出しても突っ返され、“このままでは代々直系の男子をもって帝位を継ぐソレル皇家の血が絶える”と恐怖したのは無理もありません!僅かなりともクズの重臣どもにも同情の余地がありそうです。如何に節度を持ってルシアンに尽くすとはいえ、やはり誰にも嫁ぐことなくキラに父が誰かを告げずに死んだ母アーシアが元凶ゆえの何処の馬の骨とも知れぬ輩と後ろ指さされルシアン以外に寄る辺無き我が身ゆえに恋に溺れていることに違いはないキラですが、ルシアンが聞く耳持たないだろうけれどお世継ぎをと心を切り裂かれるような痛みを堪えてでもキラは告げるべきでした。しかし、まだ10代のルシアンに口煩く“お世継を”と吠え立てる重臣たちはどうかしている。もっと先でも良いのに、年寄りはせっかちだ。

 ジオの皇帝はすげ替えが出来るけれど、皇帝である前にルシアンという一人の人間は唯一無二です。皇帝である前に一人の男なのに、サマラルシアンさまはひとりの青年(おとこ)である前に、ジオの帝王でもあられるのだ。そのどちらが重きをなすのかと問われれば、我らは、ためらいもなく“帝王”としてのルシアンさまだと答えるだろう。ジオの帝王の座は唯一無二だが、愛情の対象などいくらでもすげ替えがきく……そう思ったからだ。我らジオの臣下にとって、おまえは、まさに目の上のコブだったのだ、キラ……。しかしな、我らはそのことのみに汲々(きゅうきゅう)とするあまり、無理やりねじ曲げたものは、いつか、どこかで亀裂が生ずるものだと、気付きもしなかったのだ。いや、憎しみも心の傷も、時が立てば癒えるものだと、そう、たかをくくっていたのかもしれぬ。”自分を裏切ったと思い込んで目を覆うばかりの拷問を繰り返し背を切り裂いて2度と人目に晒せぬ傷を刻んだルシアンの誤解を事実だと思い込ませたままにしたことが間違いだと罪を犯した2年後になって罪の重さを悟ったのかと思えば自分たちが罪を償うべき相手である被害者のキラにジオから出て行ってくれと金を渡そうとするなんて腐っています、この男は。深夜、皇妹イリスと一緒にいただけで不義密通をしでかし、キラが自分を裏切った と思い込んだルシアンが一番悪いのですが。

 キラルシアンの魂の半身であり、ルシアンキラを失って生きていける人間ではありません。生涯ただ一度の恋さえ自ら壊してしまうほどに激しくも脆く弱い男だからキラの死を葬り去り、キラは生きていると思い込んでしまうラストには、そうでなくては死んだキラが単なる被害者にされてしまうから良かったと思います。健常体の女というだけで誰に憚ることなく皇后となり世継の男子を成すことが出来るのだと優越感に溺れルシアンの永遠となったキラをこえられるとふんぞり返るルシアンの正妃マイラが我が世の春を謳歌するのは束の間であり、それが自惚れゆえの錯覚でしかないと悟るのはすぐです!世継ぎが生まれたらルシアンはセレムの離宮に籠り“キラ”と2人だけで愛に生きていくでしょうから…そして、ジオは滅ぶのです。

 画像は、不細工な絵のKAREN文庫Mシリーズの『銀の鎮魂歌(レクイエム)』です。ドラマCD脚本も収録されていますが、絵に問題あり 同じ波津彬子さんの描いた絵なのに、角川ルビー文庫のモノより『小説JUNE』掲載時の方が儚げで美しいキラが描かれていて、雲泥の差なのは謎です。


銀のレクイエム(1) ナイアスの花が舞う春に散った銀の伶人

2007年11月09日 09時10分12秒 | 小説
抜けるような蒼い五の月(ル・ナン)の空の下二年ぶりの故郷(ジオ)に帰って来たキラ。懐かしい故郷、そこには愛しい男がいる。男の名は、若き帝王ルシアン。二年前、愛しあうふたりをある出来事が引き裂いた。〈愛〉と〈憎悪〉が錯綜する、めくるめく愛の鎮魂歌。

 暴走することしか知らない恋の猪である若き帝王ルシアン・ゾルバ・レ・ソレルの身勝手すぎる言動の犠牲になったキラを誰一人として守ろうとせず、放逐した宮廷の者ども。自分は種馬ではないと言い放ち、これ見よがしにキラの部屋に入り浸り、子を産める異性の伽を差し出してもつき返し、縁談さえ蹴散らしたルシアンの思慮の無さキラを悪者呼ばわりし死に追いやってしまった。ルシアンが真相を知った時には既に遅くキラは次の夏を望めぬほどに心の臓を煩い、夢に見たナイアスの花びらの中に儚く散ったのです。

 吉原理恵子悲劇しか描けない(?)のだろうか、と恨みたくなるくらい私は冤罪に便乗した重臣たちに謀殺された『銀のレクイエム』の主人公キラ・カムスが愛しい。更には何故、KAREN文庫Mシリーズで復活したけれど“レクイエム”から“鎮魂歌と書いてレクイエムと読む”改題したのでしょうか?表紙は辛うじて華麗なと言えなくもないキラが描かれているけれど、挿絵のキラ&馬鹿殿ルシアンは不細工で、『小説JUNE』に掲載された『銀のレクイエム』で描いた時のような波津彬子さんの絵に戻して欲しくて泣きたくなります。

 画像は、絶版となりAmazonとかでしか入手不可能な、初めて文庫として出版された角川ルビー文庫『銀のレクイエム』です。『JUNE』掲載時の絵よりは同じ波津彬子さんが描いたのに何故か下回るけれど、表紙のキラも美しく儚げで挿絵も今回のKAREN文庫Mシリーズなど足元にも及ばぬ素晴らしさです。