幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

「遊行の門」五木寛之著 ”遊び心で生きる/人々に手渡す”

2018-08-19 03:06:20 | 本の紹介
・人生を四つに分ける
 学生期/家住期/林住期/遊行期
・遊行期とは、人生の最後のしめくくりである死への道行きであるとともに、幼い子供の心に還っていくなつかしい季節でもある。ただ気の向くままに旅することではない。己の信じる道を深め、それを人々に手渡すための孤独な修行である。

・人生の苦に耐えて生き続ける意味
・この世は楽園でない
・「自分にはなにもない」と感じる時
・人は生きているだけで価値がある
・ウツの時代を「遊ぶ」
ウツの時代にこそ、人は遊ぶ。

・聖徳太子の言葉「世間虚仮(せけんこけ)」
 この世の中の現実は、ひどいものだ。嘘や偽りにみちていて真実などどこにもない。

・浮きつ沈みつ流れていいこう
・すすんで時代の色に染まる
・「遊行期」は死と遊ぶとき
 遊び心で生きることなのかもしれない。

・盛んなものは、必ず衰える
・大事なことはすぐ決せよ
・すべては必ず変わる
・いまの現実に生きる
・固い心はポッキリ折れる
・「萎えた心」「ウツウツたる気分」を抱えて生きる、そこに一億総ウツ時代に生きるヒントがありそうだ。

・明るさと暗さは、人生のパートナーなのであって、両方あることで成立すると考えたい。人は鬱を感じる瞬間があって、生きているといえるのだ。まず、鬱を親の敵みたいに敵視しないことである。鬱を得体の知れない怪物のように恐れないことである。人は鬱とともに生きるのだ、と覚悟することである。

・鬱を敵視し、それを悪と考えることをまずやめなければならない。鬱は現代人の正しい心のありようなのだ。それをまったく感じないような人こそ病人だろう。

・「衆生病むが故に吾病む」というのは、慈悲の「慈」の心である。衆生病み、世間も病む今、私たちの心が病まないわけがあろうか。日々、鬱を感じつつ生きることこそ、現代人における人間らしい生き方なのだ。

・死を想え
 「メメント・モリ」(死を想え)

・白隠「人間、死ぬ時は死ぬがよい」
・キェルケゴール「死に至る病とは、絶望のことだ」
・年をとることのおもしろさ
・日々「死」を体感しながら
・老いてこその発見

感想
遊行期。やりたいことに遊び心を持つ。
誰かから言われたからやるのではなく、自分がやりたいと思ったこと。

これまで得たことを社会に返すことなのでしょう。

スーパーボランティアと言われている尾畠春夫さん。
まさに65歳からは遊行期を過ごされているのでしょう。
周りの多くの支援をいただいたので、これからは社会にお返ししたいとの思いで行動されています。