新田次郎
『つぶやき岩の秘密』
新潮社
2012
"The bold adventurer succeeds the best."
---Ovid
---Ovid
冒険、謎、暗号・・・。
皇太子も愛読するという「物語の神様」の手になる唯一の少年小説(参考)。
1972年に上梓されたこの物語は、日本の高度経済成長期の最終年にあたる1973年の夏に「NHK少年ドラマシリーズ」で映像化もされた(参考、DVD)。
『つぶやき岩の秘密』は、もともと著者が自身の孫のために書いた作品である。
それが、本書解説で作家の中島京子氏が評する「戦後児童文学史の中に確かな地位を与えられるべき名作」にまでなった(223頁)。
同様の成立過程で誕生した有名な児童文学は他にも多くある。
ルイス・キャロルは大学の学寮長の娘アリス・リデルのために『不思議の国のアリス』を書き、A・A・ミルンは息子クリストファー・ロビンのために『クマのプーさん』を書き、スティーブンソンは継子ロイド・オズボーンのために『宝島』を書いた。
動と静の緊張感、子どもと大人の過渡期、信頼と疑念・・・。
ちょうど「つぶやき岩」に打ち付ける波のごとき、さまざまな「ゆらぎ」こそが、この物語の魅力である。
さて、「岩」と美術について。
〈岩の絵画〉といわれてまず思いつくのが、レオナルド・ダ・ヴィンチ《岩窟の聖母》。
上に貼ったのはルーヴル美術館に所蔵されているもの。
画家は同主題の絵画を(おそらく後に)もう一枚描いており、そちらはロンドンのナショナル・ギャラリーに収められている。
彼が聖母マリアを岩屋のなかに置いて描いた理由はよくわからない。
少なくとも、古くから西洋には聖母子像があまたあれど、同様の場面設定で描かれた絵画を私は他に知らない。
おそらく、空間的閉鎖性が聖母の純潔を象徴的に暗示しているのだろうが、決定的なことは言えない。
画家は無宗教だったともいわれており、それがまた解釈をややこしくさせている気もする。
あるいはティツィアーノの《シーシュポス》。
このギリシア神話の逸話をもとにして、カミュはのちに『シーシュポスの神話』のなかで「不条理」の哲学を表明した。
またモローの《プロメテウス》。
ゼウスの怒りを買ったこの神は、コーカサスの岩山に磔にされた。
こうしてみてみると(といってもサンプルはわずかであるが)、キリスト教の文脈においてはともかく、ギリシア神話においては、「岩」というのは、あまりいいイメージと結びつけられることは少なかったのだろうか。
一方、時代が下って英国ロマン派の時代では、岩屋や洞穴が、神秘的な霊感の源泉といった積極的な価値をもつものとして捉えられていることが少なくないようにも思う。
岩とその不思議な象徴性―。
「さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで」考えてみよう。
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