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西洋美術関連ブログ 思索の断片
―Thoughts, Chiefly Vague

ディエゴ・ベラスケス 「ヴィラ・メディチの庭園」

2014-07-26 23:41:35 | 番組(美の巨人たち)

2014年7月26日放送 美の巨人たち(テレビ東京)
ディエゴ・ベラスケス 「ヴィラ・メディチの庭園」

かつてのメディチ家の別荘ヴィラ・メディチ
1803年、ナポレオンは古代ローマの彫刻を数多く蔵するこの美の殿堂に在ローマ・フランス・アカデミーを移した。
館長には一時バルテュスが委任されていたこともある。

スペイン三大画家のひとりに数えられるベラスケスは、宮廷画家としての任期中に2度イタリアを訪問している。
そのうちの最初の旅行時に訪れたのが、このヴィラ・メディチである。

そして描いたひとつの小品《ヴィラ・メディチの庭園》。
この時代には珍しい風景画である。
世界ではじめて屋外で描かれた油絵の風景画ともいわれる。
ベラスケスにとっても、このヴィラ・メディチで描いた作品以外には風景画をのこしていない。

さて、《ラス・メニーナス》にしても《織女たち》にしても、解釈が一筋縄ではいかないのがベラスケスの絵画。
今回の作品も、小品といえど侮れない。

画面中央に横たわるようにして配されているのは、古代ローマの彫刻《眠れるアリアドネ》といわれている。
(なお、現在のヴィラ・メディチには別のヴィーナス像が展示されているとのこと。)


この彫刻が、のちの画家の作品《鏡のヴィーナス》を生んだともいわれる。
西洋絵画史には裸婦像の系譜とでもいうべき伝統があり、したがってこの彫刻が唯一の霊感源であったと断定することは難しい。
しかし、少なからず画家に影響を与えていることは確かだろう。


《ヴィラ・メディチの庭園》で目を引くのは、そのすばやい筆のタッチである。
軽やかに揺れる木々の枝葉。
輪郭線のおぼろな三人の人物。

あたかも印象派の画風を先取りしているかのようである。


ルノワール《木かげ》


モネ《サン・ラザール駅》

ベラスケスは、ヴィラ・メディチでもう一枚の風景画を描いている。


そしてこの絵について、Wikipediaではこう解説されている。

Landscape painting was rare in Spanish painting of this time, with most commissions being religious works or portraits, and so Velázquez was somewhat cut off from the mainstream of French and Italian landscape art as practised by Claude Lorrain or Poussin for example), making his use of an oil sketch rather than an easel-painted work unusual. Such a revolution put him 200 years ahead of the Impressionist painters in choosing landscape as a topic, then showing interest in light, nature and their interconnectedness, and finally in his pictorial technique (abandoning detail to stain rather than paint, with little touches of the brush better appreciated stood further back from the painting than too close to it). Velázquez thus showed that he was not only a good painter for his mastery of technique but also his innovation, ahead of its time and nationally and internationally revolutionising other painters' way of painting.

注目すべきは、〈光〉についての言及。
ベラスケスの生きたバロック期の絵画とモネやルノワールらに代表される印象派の絵画とのひとつの共通点は、光である。

カラヴァッジョにはじまるバロック絵画を評する美術用語に"chiaroscuro"というのがあるが、バロック期の画家は、〈闇〉とのコントラストのなかで生まれる強烈な〈光〉に魅了された。


ラ・トゥール《大工のヨセフ》

一方、印象派の画家たち、とくにモネが関心をもったのが、時とともに表情を変えて移りゆく一瞬の〈光〉であった。


モネ《チャリング・クロス橋》

バロックの画家も印象派の画家も、時代は違えど、〈光〉に魅せられたことに変わりはない。

そして先ほどのベラスケスによる「二つ目」のヴィラ・メディチの風景画。
この絵画のタイトルは、Wikipediaでは単純に"View of the Garden of the Villa Medici"となっていたが、番組では《ヴィラ・メディチの庭園(夕暮れ)》として紹介されていた。
まだ画家自身が作品にタイトルをつける慣習のないころなのではっきりとしたことはいえないが、もしかしたらベラスケスは、おぼろな輪郭線に関してのみならず、時とともに移り変わる〈光〉の諸相にも注目していたという点で、まさしく印象派を先取りしていたといえるかもしれない。

番組では《ヴィラ・メディチの庭園》と他のベラスケス絵画との興味深い類似点を指摘していた。
《ラス・メニーナス》にしても《織女たち》にしても、前景が明るく、中景がやや暗く、そして遠景がハイライトになっている。



それが《ヴィラ・メディチの庭園》においても同様だという。


そして黄色の円で囲った人物は、《ラス・メニーナス》に照らし合わせてみると、画家自身に他ならないように思えてくる。

マネはボードレールに宛てた書簡のなかでベラスケスを"the greatest painter there ever was"と評した。(参考

《ヴィラ・メディチの庭園》。
至上の画家の偉大なる小品。

ヒエロニムス・ボス 「干草車」

2014-07-12 23:46:26 | 番組(美の巨人たち)


2014年7月12日放送 美の巨人たち(テレビ東京)
ヒエロニムス・ボス 「干草車」

Methought I sate beside a public way

 Thick strewn with summer dust, and a great stream
Of people there was hurrying to and fro
 Numerous as gnats upon the evening gleam,

All hastening onward, yet none seemed to know
 Whither he went, or whence he came, or why
He made one of the multitude, yet so

 Was borne amid the crowd as through the sky
One of the million leaves of summer's bier.

---Shelley, 'The Triumph of Life' 43-51

ヤン・ファン・エイクやブリューゲルもそうだが、とかく北方の画家は描写が細かい。
顕微鏡のなかを覗いているかのようなミクロな光景がよく目につく。

それでいて、一歩引いた大局的でマクロな視点も同時に備えている。
ミクロとマクロの調和こそ、ボスを含むこうした初期フランドルの画家の特質といって過言ではないように思われる。

今回の作品《干草車》もそうだ。
ぱっとひいて眺めてみれば、三連画の左から、楽園、現世、地獄。
中央のパネルの上部には最後の審判のポーズをとったキリストの姿が描かれている。

そして細部をじっくりみていくと、ちょうどアルチンボルドの特異な絵画のように、最初はみえなかった異形の者たちがくまなく全体を構成していることに気づき、その奇怪さに恐怖を覚える。

またこうした異形の者たちは、ただ奇怪であるばかりではなく、ひとつひとつにきわめて寓意的(アレゴリカル)な意味も付与されている。
この事実が、鑑賞者の作品解釈に奥行きを与えている。

ボスは、この絵画を制作するにあたり、テンペラと油絵の具の二つを用いて描いたという。
初期ルネサンスの画家たちが好んで用いたテンペラ絵の具は、非常につやがあり、明るい色調を出すのに適している。
一方でフランドル派が創始したといわれる油絵の具は、より落ち着いた、深みのある色をもたらす。

こうした絵の具の使用法自体が、ミクロとマクロの調和した世界観を象徴しているかのようでもある。

この三連画を閉じると、そこには別の光景が描かれている。


Wikipediaではタイトルが'Pedlar'(行商人)となっているが、番組では《人生の道》と紹介されていた。

これとよく似た絵を、ボスはもう一枚のこしている。


こちらのタイトルは'The Wayfarer'(旅人)。
もっとも、当時は画家自身が作品にタイトルをつける習慣がなかったので、これはあくまで後世の人間がつけたものと思われるが。

ともかく、自らの来し方を振り返る旅人(あるいは画家自身)の目に映るものは、喜ばしいものばかりではない。
原罪意識を拭いきれない旅人が背負っているものは、たんなる行商の荷物ではなく、ワーズワースがいうところの「神秘の重荷」(the burthen of the mystery)なのかもしれない。

はかなき富を象徴したものともいわれる「干し草」。
それに群がる群衆。

冒頭に引用したシェリーの詩は未完の断章である。
その最終部では、「それでは、生とは何なのか」("Then, what is Life?" 544)という問いに対する十全な答えが出される前に断片的な結末を迎えている。

ボスの描いた旅人は、果たしてその答えをみつけたのだろうか。

エドヴァルド・ムンク 「太陽」

2014-06-21 23:45:24 | 番組(美の巨人たち)

2014年6月21日放送 美の巨人たち(テレビ東京)
エドヴァルド・ムンク 「太陽」

"How sweet the morning air is! See how that one little cloud floats like a pink feather from some gigantic flamingo. Now the red rim of the sun pushes itself over the London cloud-bank. It shines on a good many folk, but on none, I dare bet, who are on a stranger errand than you and I. How small we feel with our petty ambitions and strivings in the presence of the great elemental forces of Nature!"
---Sherlock Holmes (Conan Doyle, The Sign of the Four, Ch.7)

What a devotional appreciation of Nature queerly made by the famous "high-functioning sociopath" (though this phrase, now well-known through the latest BBC adaptation, never appears in the original works by Conan Doyle)!
It's almost like Wordsworth, the great "worshipper of nature".

How can the man who showed no interest in nature at all suddenly express such a feeling?
(He said in the previous novel, A Study in Scarlet, that "[w]hat the deuce is the solar system to me? You say that we go round the sun. If we went round the moon it would not make a pennyworth of difference to me or to my work".)


Benedict Cumberbatch as "new" Sherlock Holmes

I won't go deeply into this matter about the sudden "poetic" attitude of the famous detective who always prefers straightway, in other words, simple and clear logic to poetic decoration (He once snapped Watson, saying "[c]ut out the poetry" in 'The Adventure of the Retired Colourman').

Yet just like this case of Holmes, there was an artist who suddenly painted the sun with surprisingly bright and vivid colours, although most of his other (earlier) works were filled with notes of anxiety, depression, and melancholy.
It is none other than Munch, the painter famous for 'The Scream'.

As I have said, most works painted by Munch are filled with melancholic atmosphere.


'The Scream'


'Madonna'


'Puberty'


'Melancholy'

Then, the question is what caused the painter to suddenly use such a vivid colour which never filled his canvas before.
The work in question is the one at the top of this page ('The Sun').

Munch spent about 7 years to complete this painting, now hung in the Hall of Oslo University, the space where the awards ceremony of the Nobel Peace Prize took place from 1947 to 1989.

According to the explanation made in the today's programme, on one occasion, a dispute arose between Munch and his lover.
The woman then was madly to kill herself with a gun, which Munch tried to stop.

It was when the tragedy befell.
The gun went off accidentally and one of his fingers was shot.

After this incident, the painter suffered from a nervous breakdown, medically saying, neurasthenia.

The treatment period of the sickness is, essentially saying, the process to find a way to overcome his woe and fear.
Therefore, it may be, in a sense, the natural consequence that the painter sought for something full of hope and that what symbolically embodies the notion was nothing but the sun.

'The Sun' of Munch.
The light of "morn" painted by the artist of the "night".

劇的空間!ローマ・ヴァチカン ~天才たちが鎬を削った美の饗宴~ 後編

2014-05-24 23:36:43 | 番組(美の巨人たち)

2014年5月24日放送 美の巨人たち(テレビ東京)
スペシャル後編60分 放送700回記念
劇的空間!ローマ・ヴァチカン ~天才たちが鎬を削った美の饗宴~

先週に引き続いてのイタリア最盛期の美術めぐり。
前回の焦点は主にラファエロだったが、今回はミケランジェロとベルニーニ
盛期ルネサンスからマニエリスム、そしてバロックへと移行してゆく各時期を代表する芸術家たちの特集だ。

まずはミケランジェロ。
ヴァチカンでミケランジェロといったらもちろんシスティーナ礼拝堂だ。


システィーナ礼拝堂内部

「システィーナ礼拝堂を見ずしては、およそ一人の人間が何をなし得るかということをはっきりと覚ることは出来ない」とゲーテが讃えたことは有名だが、この天井画制作の裏にはある「陰謀」があった。

当時ヴァチカンの芸術建築を一手に仕切っていたのは建築家のブラマンテ
ときの教皇ユリウス二世の命でサン・ピエトロ大聖堂を作ることになった彼であったが、その脳裏には当時急速に力を伸ばしていたミケランジェロの影が色濃くあった。

教皇がこの年下の彫刻家に心移りするのを恐れたブラマンテは、「彫刻家」のミケランジェロに天井画制作を命じるよう教皇に進言した。
ミケランジェロの天井画制作は必ずや失敗に終わると予測したブラマンテであったが、若い芽を摘むどころか、この作品が美術史上まれにみる大偉業として後世讃えられることになるのだから分からないものだ。


システィーナ礼拝堂天井画

また、天井画制作途中の出来をみたブラマンテはミケランジェロの技量に目をみはり、またもや、教皇が心移りしないよう今度はラファエロを呼んで絵画制作をさせたのだが、これがかの《アテネの学堂》を含む「署名の間」の作品群を生むことになる。
なんとも皮肉なことだ。

ちなみに、ミケランジェロがシスティーナ礼拝堂の祭壇画《最後の審判》を描いたのは、天井画が完成した30年後のことであった。
老齢の芸術家が生み出したこの大作には、のちのバロック的ダイナミズムを先取りしているかのような躍動感がみられる。


《最後の審判》

さて、サン・ピエトロ大聖堂に話を移すと、この建築を任されていたブラマンテは志半ばで亡くなってしまい、彼のあとヴァチカンの建築事業を受け持ったラファエロも早世してしまう。
その後、しばらく大聖堂建築の計画は中断することとなった。

ついに建築計画が再興し、その責任を任されたのが、なんと当時71歳のミケランジェロであった。
因縁の「仇敵」ブラマンテが最初に着手した建築計画をこの老芸術家が受け持つことになるとは、歴史の皮肉を感じずにはいられない。

これが芸術家としての最後の事業となったミケランジェロは、いまやヴァチカンのシンボルともいえる「クーポラ」(丸天井)の完成をみずにこの世を去った。


サン・ピエトロ大聖堂

これ以降、イタリア美術はいわゆる「バロック」の時代に入ってゆくわけだが、この時代の寵児にして、現在ものこるローマ建築の大半を受け持った天才芸術家こそ、ベルニーニであった。

番組内では彼の偉業の数々の紹介とともに、ライバルと謳われた建築家ボッロミーニの作品も扱われていた。

ボッロミーニに関しては今回初めてその名を聞いたので、今後また機会のあるときに調べてみたい。

「芸術の都」から「劇場都市」へ。
ルネサンスからバロックにかけて西洋の美術をリードしてきたイタリアではあったが、18世紀に入ると、その覇権はフランスに移る。

しかしなお、巨匠たちの作り上げた花園は色あせることなく、イタリアの地に芳香を放ちつづけている。

劇的空間!ローマ・ヴァチカン ~天才たちが鎬を削った美の饗宴~ 前編

2014-05-17 23:25:16 | 番組(美の巨人たち)

2014年5月17日放送 美の巨人たち(テレビ東京)
スペシャル前編30分 放送700回記念
劇的空間!ローマ・ヴァチカン ~天才たちが鎬を削った美の饗宴~

ヴァチカン宮殿にある「ラファエロの間」の一区画「署名の間」。
ローマ教皇ユリウス二世が書庫として使用したこの部屋には、ラファエロの手掛けた作品が四点のこされている。


聖体の論議


枢要徳


パルナッソス山

そして、


アテネの学堂

今回の放送で焦点が当てられたのは、この《アテネの学堂》に描かれているひとりの女性について。

絵をよくみてみよう。


画面の右に描かれた、こちらを向いている男性は、画家の自画像であるといわれる。


そして、そのまま目を左にずらしてゆくと、同じようにこちらを向いたひとりの女性が描かれていることに気づく。


この女性、いったい誰なのか。

その謎を解く手がかりとなるかもしれない一枚の絵が、こちらである。


ラ・フォルマリーナ

生涯独身だったラファエロ。
実は一度枢機卿の姪と婚約したのだが、彼女が夭折したため結婚には至らなかった。

彼女の死後、叔父の枢機卿はラファエロに他の女性との結婚を禁じた。
この枢機卿、ラファエロやその工房の画家たちのパトロンでもあったため、彼らにとっては非常に影響力の大きい存在であったのだ。

しかし「聖母子」の画家ラファエロにつねに霊感を与えてきたのが幾多の色恋沙汰であったことはほぼ明白な事実であって、それゆえ画家が枢機卿の言いつけを忠実にまもっていたかどうかは怪しい。

実際、この絵《ラ・フォルマリーナ》に描かれた女性は、ラファエロと結婚していたという説もあるほどだ。
画家の前でこれだけくつろいだ姿勢をとっているからには、相当に親しい関係であったことは間違いないだろう。

ちなみに「ラ・フォルマリーナ」とは「粉屋」、すなわち「パン屋」の意。
つまりはパン屋の娘だ。

結婚の一番の根拠となりうるのは、この女性の左手の薬指に、もともとルビーの指輪が描かれていたこと。
当時、婚約指輪にはエメラルド、結婚指輪にはルビーが一般的だったという。

しかしこんな(スキャンダラスな)絵が枢機卿の目に留まったら大変だということで、ラファエロの死後、彼の工房の画家たちは指輪を消したのだと、ある美術史家は言う。

決定的な根拠とまではいえないが、十分に考えられる説であろう。

そして、表立っては結ばれることのない二人の関係性が、《アテネの学堂》における二人の距離に反映されているとも考えられるのだ。
(もっとも、この説は《アテネの学堂》に描かれた女性が《ラ・フォルマリーナ》のモデルと同一人物であるという前提に立ったものではあるが。)

番組内での解説によると、《ラ・フォルマリーナ》のモデルの女性はラファエロの死後修道院に入り、そのときの記録には「未亡人」とあったということである。

ちなみに、《ラ・フォルマリーナ》と同一のモデルが描かれているとされる作品がこちら。


ラ・ヴェラータ》 [ヴェールを纏った女性の意]

モデルの女性の断定については専門家諸氏に任せるとして、《モナ・リザ》の影響がこの絵に色濃くみられることだけは確実にいえるだろう。

最後に、ラファエロの墓碑銘を引用しておこう。

ラファエロここに眠る。彼が生きていたとき、母なる自然は彼に征服されることを恐れ、彼が死んだとき、母なる自然は自分も死ぬのではないかと恐れた
(ゴンブリッチ 『美術の物語』 245頁より)