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西洋美術関連ブログ 思索の断片
―Thoughts, Chiefly Vague

ホレス・ジョーンズ 「タワーブリッジ」

2014-11-22 23:45:57 | 番組(美の巨人たち)

2014年11月22日放送 美の巨人たち(テレビ東京)
ホレス・ジョーンズ 「タワーブリッジ」

19世紀イギリス、ゴシック・リヴァイヴァル期の代表的な建築のひとつ《タワーブリッジ》。

石造りの外観は、一見すると中世風。
しかし、鉄筋が張り巡らされたその内部は、きわめて近代的である。

中世と近代の融合。
こうした折衷主義的な性格こそが、リヴァイヴァル期の建築の特徴であった。

テムズ川に掛かるこの巨大な跳ね橋は、建築家ホレス・ジョーンズの設計によって作られた。
着工されたのは1886年、完成したのは1894年のことであった。

当初の計画では、主たる建築材料として、赤レンガが使われる予定であったという。
もし、そのまま進められていたならば、このような外観になっていたかもしれない。

しかし、周りの景観、とくにロンドン塔との釣り合いを考慮した結果、荘重な石造りの建築が採択された。

そして、いまや、タワーブリッジは、ロンドンの象徴ともなった。
残念なのは、橋の設計にあたったホレス・ジョーンズが、この橋の完成をみずして世を去ったことである。

ちなみに・・・。

タワーブリッジの建築期間(1886-94)は、ちょうど、シャーロック・ホームズが活躍した時期にあたる。

コナン・ドイルの原作には、「タワーブリッジ」という固有名詞はみられない。
しかし、ホームズが目にしていなかったはずはない。

こうしたことを踏まえて物語が練り上げられたのが、2009年に公開された映画「シャーロック・ホームズ」であった。
物語のクライマックスにおいて、ホームズと犯人は、この橋の上で直接対決する。

当時はまだ建設中であったタワーブリッジが、画面の遠景に映っている。


From Sherlock Holmes (2009 film)

最後に、跳ね橋関連で、ゴッホの絵を一枚。

'Le Pont de Langlois a Arles'


ポール・シニャック 「髪を結う女」

2014-11-08 23:59:48 | 番組(美の巨人たち)

2014年11月8日放送 美の巨人たち(テレビ東京)
ポール・シニャック 「髪を結う女」

Two households, both alike in dignity,
(In fair Verona, where we lay our scene)
From ancient grudge break to new mutiny,
Where civil blood makes civil hands unclean.
From forth the fatal loins of these two foes
A pair of star-cross'd lovers take their life;
Whose misadventur'd piteous overthrows
Do with their death bury their parents' strife.
The fearful passage of their death-mark'd love,
And the continuance of their parents' rage,
Which, but their children's end, nought could remove,
Is now the two hours' traffic of our stage;
The which if you with patient ears attend,
What here shall miss, our toil shall strive to mend.
---Shakespeare, Romeo and Juliet (Prologue)

シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』において、「2」という数字は重要な意味をもつ。

敵対する二つの家にそれぞれ生まれたロミオとジュリエット。

二人の甘い恋が頂点に達する("O Romeo, Romeo! wherefore art thou Romeo?")のは第二幕第二場[注:第一場の版もあり]。
この幕の終盤に、彼らは教会で結ばれる("incorporate two in one" II-iii)。

物語は、二者が結ばれて、いがみ合う二家が融和する方向で進むかにみえた。
しかし、ここまでは喜劇的な性格の強かった筋立ては、以降、悲劇的なものへと一転する。

『ロミオとジュリエット』がたんなる「悲劇」ではなく、「喜劇」と「悲劇」の二つの要素をあわせもった「悲喜劇(Tragicomedy)」といわれるのは、これがゆえんである。

ロミオとジュリエットはたしかに教会で結ばれたが、二人の結びつきを強固なものにしたのは、決して彼らの「愛」ではなかった。
ほどなく彼らに訪れた「死」こそが、二人の交わりを永遠のものとしたのだ。

二人の向かう先にあった結合("two in one")は、決して甘いものではなく、残酷なものであった。
彼らの死を受けて、モンタギュー家とキャピュレット家の諍いも融和された("two in one")というのは、何とも皮肉なことである。

さて、今回の一作。
シニャックの《髪を結う女》。

新印象派といえばスーラ(《グランド・ジャット島の日曜日の午後》)が真っ先に浮かぶかもしれないが、シニャックも忘れてはならない。

新印象派の画家たちは、印象派の画家が用いた筆触分割という技法をさらに推し進めた。
そして生まれたのが、当時の科学の知見にも裏打ちされた「点描技法」であった。

付け加えていえば、この点描技法こそが、結果的に20世紀のアートを生んだ。

点描技法とは畢竟、点の集合体である。
特定の文脈に支配されない抽象主義の幾何学的な画面構成の原点は、ここにある。

点描技法を駆使したシニャックの今回の作品では、鏡の前にいる一人の女性が描かれている。

虚像と実像。

このシンメトリカルな関係に導かれるように、画面上には「2」に関わる要素が散りばめられている。

女性の衣服の黄色い肩紐。
彼女の線対称な後ろ姿。

画面右の二枚のうちわ。
そして、鏡の左側に映る二枚のうちわ。

画家は、明らかに「2」という数字を意識していた。
この数字が示唆するものとは、二人の結びつきに他ならない。

じっさい、このモデルは、画家の恋人であった。

彼女を映す額縁を やさしく包むは 暖色のオレンジ―

画家は、カンヴァス上で二人の恋を永遠のものとした。

"She cannot fade, though thou hast not thy bliss, / For ever wilt thou love, and she be fair!"
(John Keats, 'Ode on a Grecian Urn')


エドガー・ドガ 「カフェ・コンセール レ・ザンバサドゥールにて」

2014-10-04 23:48:33 | 番組(美の巨人たち)

2014年10月4日放送 美の巨人たち(テレビ東京)
エドガー・ドガ 「カフェ・コンセール レ・ザンバサドゥールにて」

And then all of a sudden he broke out in a great flame of anger, stamping with his foot, brandishing the cane, and carrying on (as the maid described it) like a madman. The old gentleman took a step back, with the air of one very much surprised and a trifle hurt; and at that Mr Hyde broke out of all bounds and clubbed him to the earth. And next moment, with ape-like fury, he was trampling his victim under foot and hailing down a storm of blows, under which the bones were audibly shattered and the body jumped upon the roadway. At the horror of these sights and sounds, the maid fainted.
---Robert Louis Stevenson, The Strange Case of Dr Jekyll and Mr Hyde

スティーブンソンの怪奇小説が読者の心のなかに植え付ける恐怖のひとつに、動物の人間化(humanization)ならぬ人間の動物化(animalization)の表現がある。

良くも悪くも典型的なヴィクトリア朝の紳士として描かれるジキル博士の表面的な「善良さ」もたしかに怖い。
しかしやはり、ハイド氏に顕著にみられる退行的な傾向には、より本能的な怖さがある。

ハイド氏の性向は、しばしば"atavism"あるいは"reversion"といった言葉で説明される。
言うまでもなく、スティーブンソンの念頭にあったのはダーウィンの進化論である。
ダーウィンの生物進化論が『ジキル博士とハイド氏』の執筆に与えた影響はたびたび指摘される。

『種の起源』が出版されたのは1859年。
『ジキル博士とハイド氏』が刊行されたのは1886年。

ダーウィンの革命的な著作から影響を受けたのは文学者だけではない。
印象派の画家ドガも、ダーウィンから影響を受けたひとりである。

画家がとくに影響を受けたのは、ダーウィンの『人及び動物の表情について』であった。
この著作を読んだドガは、人間と動物の表情には共通点がみられることに興味を覚えた。

そして、今回の一作《カフェ・コンセール レ・ザンバサドゥールにて》。
中央やや右に描かれている赤い服を着た女性。

画家の関心は、通常のように上から光を当てて彼女の美しさを引き立てることではない。
むしろ、下からの光を当てることで、文字通り光の当たっていなかった部分、すなわち彼女の動物的な一面を浮かび上がらせようとしている。

各方面に影響を与えたダーウィンの著作。
ちなみに、ホームズもダーウィンを読んでいた。

'Do you remember what Darwin says about music? He claims that the power of producing and appreciating it existed among the human race long before the power of speech was arrived at. Perhaps that is why we are so subtly influenced by it. There are vague memories in our souls of those misty centuries when the world was in its childhood.'
---Conan Doyle, A Study in Scarlet

[メモ:カンヴァスから見切れるようにして人々を描くドガの手法は、日本の浮世絵にならったもの。この手法により、空間の広さが暗示される。印象派のなかでも、ドガの作品の構図の斬新さは群を抜く。それは多分にジャポニスムからの影響。]

クロード・モネ 「草上の昼食」

2014-09-20 23:54:05 | 番組(美の巨人たち)

2014年9月20日放送 美の巨人たち(テレビ東京)
クロード・モネ 「草上の昼食」

What is it that makes Michelangelo's incomplete statues, sometimes really resembling fragments, such powerful images? The scholars who studied these unfinished works of Michelangelo often pointed out that in the Renaissance-a period, that is, when a fragment was produced by intention-the beauty of these incomplete statues was recognized. Thus Vasari said about the Madonna in the Medici Chapel, "Although unfinished, the perfection of the work is apparent." And Ascanio Condivi, Michelangelo's contemporary who recorded the master's thoughts, wrote that the incomplete condition of an artistic image "does not prevent the perfection and beauty of the work."

不完全な断片の孕む有機的世界観に積極的な価値を認める美意識はとりわけロマン派の時代に顕著な文芸思潮であったが、均整のとれた完全な姿ばかりでなく断片的な対象にも美を認める意識自体は既にルネサンスの時代にみられるものであった。
その代表格こそ、断片的ながら筋骨隆々たる凄まじい迫力の《ベルヴェデーレのトルソ》に衝撃を受けて、身震いを禁じ得なかった希代の彫刻家ミケランジェロに他ならなかった。


'Belvedere Torso'

さて、一見こうした断片の美意識とは無縁の印象派の画家のなかにも、意図的に絵画を断片的な形で遺し、その作品を生涯愛した人物がいた。
モネである。

現在開催されている「オルセー美術館展 印象派の誕生 -描くことの自由-」にも出品されている大作《草上の昼食》は、印象派の運動が本格的に始まる前に描かれた若き日の画家の意欲作であった。
一大スキャンダルを巻き起こしたマネの手になる同名の絵画に触発されて着手されたモネの本作は、先輩画家マネやクールベへのオマージュであったと同時に、1874年に始まったと一般にみなされる印象主義運動のエッセンスを先取りするものでもあった。


Manet, 'The Luncheon on the Grass'

伝統的に聖書や神話上の人物に限定されていた女性の裸婦像を描くにあたって、そのしきたりに従わず市井の女性をモデルとして使用したマネの《草上の昼食》は、表面上は舞台を完全に現代に移しているようにも映るが、その実はルネサンス期周辺の古典的な作品に大きく依拠している。
その意味で、マネは、番組内での言葉を借りれば「過去と現代を一つに融合させて新たな絵画の可能性を追求していた」画家であった。

一方、モネはどちらかというと、あくまで「今という時代を戸外の光の中でとらえようとしていた」画家であった。
それは、画面上のモデルの服飾を徹底的に最新のものに拘ったり、刻一刻と移ろう光の諸相に意識を集中させたりといった画家の態度から窺われるものである。

永久不変の完全な美ではなく、移ろいをみせる光の有り様に積極的な価値を見出す画家の美意識は、あんがい断片の美意識との親和性が高いのかもしれない。

モネが意気込んで描いた《草上の昼食》は、画家の晩年になって、湿気の影響で巨大なカンヴァスの切断を余儀なくされた。
理由は何であれ、意図的にカンヴァスを切断して、のこされた不完全な作品(切断以前にそもそも未完の作だった)を生涯愛した画家の美意識には、断片の美学に通ずるところがないともいいきれない。

それこそ、とりわけ断片的性格の強い詩を数多くのこしたロマン派の詩人キーツが、盛期ルネサンスよりは洗練さにおいて劣る粗野な初期ルネサンスの作品の画集をみて、こう述べたように。
"yet still making up a fine whole-even finer to me than more accomplish’d works-as there was left so much room for Imagination."

フェリックス・ヴァロットン 「ボール」

2014-09-06 23:56:11 | 番組(美の巨人たち)

2014年9月6日放送 美の巨人たち(テレビ東京)
フェリックス・ヴァロットン 「ボール」

"Out of the black cave of Time, terrible and swathed in scarlet, rose the image of his sin."
--- Oscar Wilde, The Picture of Dorian Gray (Ch.18)

「時間の暗黒な洞窟の中から、かれの罪悪の影が真紅に包まれて、すさまじい様相で立ち上がって来るのだった。」 (福田恆存訳[新潮文庫])

ナサニエル・ホーソーンの代表作『緋文字』(The Scarlet Letter)や上に引用したワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』の一節などを読むにつけ、英米文学における罪の意識の象徴としての緋色というものについて考えさせられる。
文学シンボル事典』によれば、この意識の伝統は聖書のイザヤ書における「たとえ、お前たちの罪が緋(scarlet)のようでも雪のように白くなることができる」(新共同訳)という表現に由来するものらしい。

むろん、こうした文学的表現の伝統にはシャーロック・ホームズ物語の第一作目『緋色の研究』(A Study in Scarlet)における有名な一節のひとつ「人生という無色の糸桛(いとかせ)には、殺人というまっ赤な糸(the scarlet thread)がまざって巻きこまれている。それを解きほぐして分離し、端から端まで一インチきざみに明るみへさらけだして見せるのが、僕らの任務なんだ」(延原謙訳[新潮文庫])も含まれることだろう。

さて、今回の一作。
少女の追いかける「赤い」ボールが目を引くヴァロットンの《ボール》である。

この画家については、以前に放送された日曜美術館での特集の際にレビュー記事を書いている。

スイスからフランス・パリへ移ってきた世紀末の鬼才ヴァロットンの〈覗き見〉の視線の先にいるのは、一人の少女と二人の大人。
画面左を影、画面右を陽光の領域に分ける斜めの境界線。

番組内で紹介されていたことによると、この絵は二枚の写真を基にして描かれた。

一枚は手前の少女を含む人々を俯瞰して撮ったもの。
もう一枚は大人の女性を水平なアングルからとらえたもの。

そういわれてみれば、この絵は手前の陽光部分における俯瞰的な視線と奥の影の部分における水平的な視線とが混在しているような気がしてくる。
これを映画の移動撮影になぞらえる見方もある。

なお残る意味ありげな雰囲気。

番組内での解説はこうだ。

当時の画家は結婚して子どもが生まれたばかりだった。
相手の女性は富裕な家柄の出。
青年期にパリに移り住み、ボヘミアンな画家集団のなかに長らく身を置いていたかつての自分の境遇とはまるで異なるものであった。

新婚生活にどこか息苦しさを感じるなかで、画家は自由闊達な精神で作品制作に打ち込んでいた昔の独身生活に思いをはせる。
その当時の追憶が少女の気ままな姿に投影され、現在の家族生活の違和感が奥の陰に潜む大人たちの佇まいを生んだ。

そして少女の走る先には、さながら危険信号がともるかのように「赤い」ボールが転々と。

最後に、画家の〈覗き見〉の視線を追体験する動画をひとつ。


赤いボール。