Those Were The Days of My Life

I will send you to The Path of Nevermore...
2度と戻れない過去への招待状

QUEEN ’81 ②

2005-12-22 13:37:33 | Queen
1981年2月10日に来日したクイーンのメンバーは、翌11日にテアトル東京で行われた映画「フラッシュ・ゴードン」のプレミア試写会で舞台挨拶(フレディは体調不良のため欠席)。
1月25日にリリースされたフラッシュ・ゴードンのサントラ盤のプロモーションがらみだと思われるが...フラッシュ・ゴードンとは何の関係も無さそうな岡崎友紀、太田裕美、薬師丸ひろ子らが花束を持って出てきたのは、ナベプロの仕切りならでは...


2月12日のセットリスト
1. Jailhouse Rock
2. We Will Rock You
3. Let Me Entertain You
4. Play The Game
5. Mustapha
6. Death On Two Legs ~ Killer Queen ~ I'm In Love With My Car
7. Get Down, Make Love
8. Save Me
9. Now I'm Here ~ Dragon Attack ~ Now I'm Here
10. Fat Bottomed Girls
11. Love Of My Life
12. Keep Yourself Alive ~ Drum Solo ~ Guitar Solo
13. Battle Theme ~ Flash's Theme ~ The Hero
14. Crazy Little Thing Called Love
15. Bohemian Rhapsody
16. Tie Your Mother Down
~アンコール~
17. Another One Bites The Dust
18. Sheer Heart Attack
~アンコール~
19. We Will Rock You
20. We Are The Champions
21. God Save The Queen


オープニングが「Jailhouse Rock」だったのも驚いたが、「い~~~ぶらひぃ~~~む!(Mustaphaの最初のフレーズ)」が出てきたときはもっと驚いた

'79年来日公演のセットリスト
とあまり変わらないのだが、ロジャー・ファンとしてはロジャーがステージ前方に出て来てバスドラとタンバリンでコーラス参加した「'39」がリストから消えたのはとても残念だった

「Get Down, Make Love」ではロジャーがドラムシンセサイザーを演奏。

今では当たり前になっている「Love Of My Life」の大合唱も、日本ではこのツアーからだったと記憶している。

ギター・ソロでは、可動式ライトがブライアンすれすれまで迫って、まるで「ギターヒーロー・ブライアン」が「ライト怪獣」と戦っているかのような演出だった。
...てことは、'79年来日公演の記憶として書いたものは記憶違いだったということに...

2日目以降のセットリスト等、③に続く⇒

爆風スランプ再結成ライヴ「恋愛の日」

2005-12-20 13:52:44 | Live 2005-
(このブログ、まずは過去のライヴのことなどを綴ってから、タイトルをちょっと変えて日常の事なども書こうと思っていましたが...予定変更
今後は最近の話も書かせていただきます。そう、忘れないうちに、そして忘れないために...


昨夜、新宿コマ劇場でで爆風スランプ再結成ライヴを観た。
無料招待に当選したのだ
実のところ彼らのアルバムをちゃんと聴いたことは一度も無く、「ランナー」「大きな玉ねぎの下で」「リゾラバ」くらいしか知らなかったのだが、そんな私でも十分楽しめるライヴだった。

開演前、場内には聞き覚えのある懐かしい曲ばかりが流れていた。
最初はただ「懐かしいなぁ」と思っていたのだが、途中、あることに気付いた。
'80年代半ばのCBSソニー&EPICソニーの曲ばかりじゃん!
バービーボーイズ、渡辺美里、レベッカ、TMネットワーク等々...
当時EPICが「BEAT EXPRESS」というコンピレーション盤を出していて、まさにそれを彷彿とさせる選曲だったのだ。
確か爆風スランプの曲も収録されていたはず。
そういえば先日古いものを整理していて、そのサンプルカセットが出てきたのだが...
我が家にはもうカセットテープを再生するハードがないので、それを捨てたばかりだった

最近「ライヴに参戦する」という言い方をよく耳に(目に)するし、私も使っているが、昨夜の私は「参戦」ではなく「観戦」組だった。
かなり後ろの席だったので、場内全体がよく見渡せた。
ステージ上もさることながら、爆風ファンの皆さんが曲に合わせて一斉に同じ動きをしながら盛り上がっている様子を見るのがとても楽しかった。

同じ新宿コマ劇場でも、ミュージカル「We Will Rock You」の時は席が前から2列目と4列目の中央だったので、当然全体を見渡す事は出来なかった。
まぁ、ステージ間近の席の楽しさも格別なのだが、「We Will Rock You」でも一度は後ろから全体を見渡したかったなぁ...
Queen + Paul Rodgersのライヴでも、席は4日間ともアリーナ最前ブロック...1日くらいスタンドから会場全体を見渡すべきだったと後悔
「Radio Ga Ga」や「We Will Rock You」での会場一体となった盛り上がり(動作)を見渡したかったなぁ...

と思ってしまうほど、昨夜の爆風スランプ再結成ライヴはステージと会場が一体となって盛り上がっていた

爆風スランプのことをあまり知らないので、セットリスト及び演奏やライヴの出来に関しては何も書けない
昨夜のライヴはパソコンテレビ「GYAO」で12月30日から放送されるそうなので、ライヴ内容はそちらでご確認を

最近の「復活流行り」は洋楽だけではないようだ。
すかんちも、SHOW-YAも復活するらしい。
中年パワーを侮ってはいけないのだ!

QUEEN ’81 ①

2005-12-19 04:25:04 | Queen
1981年2月、クイーンのライヴに行った。
このときは地方公演はなく、武道館5日間のみの来日公演だった。

当時のメモをもとに5日間を振り返ってみると...

☆2月12日☆
初日のステージは5日間のうち最高!
会場総立ちでノリまくってもう言う事なし!
開演前、1階でゲイリー・ニューマンに遭遇し、握手してもらってからあわててアリーナに降りたことを覚えている。

☆2月13日☆
思うに「昨日の方が良かったな。」
ジョン・ディーコンの頭にオレンジ色のボール?が命中するというアクシデントがあった。
ボールが大きく弾んで、とても痛そうだったのにジョンはポーカーフェイス。
観客は大笑い。私も笑っちゃった。ごめんねジョン

☆2月16日☆
思うに「13日の方が良かったな。」
Love Of My Lifeではフレディは歌うのを途中で止め、ブライアンもギターを弾くのを止めて観客の大合唱...そして「Beautiful!」とフレディ。
「ライヴ・キラーズ」で聴いていた、まさにあの状態に、感激
ブライアンはわりと上手に日本語を喋っていたが、フレディは「コンバンワ」「アリガトウ」「ドウモ」しか知らないのか...と思いきや、突然「テンプラ!」と叫んだりした
アンコールの時ジョンはパジャマのようなものを着て出てきた

☆2月17日☆
思うに「昨日の方が良かったな。」
2度目のアンコールで「We Will Rock You」の前に「手をとりあって」を演った。
フレディはカンニングペーパーというにはあまりに目立つ大きな紙を手に歌ったのに、それでもとちった

☆2月18日☆
ひどい手抜きだった。
まだ観客が入りきっていないのに、お構い無しに6:30ジャストに開演...前4日間は全て30分以上オシたのに。
途中手を抜けるところは全て手を抜き、8時を少し回った頃にはもうアンコール。
でも、最終日という感慨もあり、ラストの「手をとりあって」では涙ボロボロ...


演奏に関しては、セットリストが毎日微妙に替わったので、明日以降1日1公演分をチケット1枚と共にアップしようと思っている。

書きたい事も色々あるのだが、病み上がりなので今夜はここまで...

FLEETWOOD MAC ’80

2005-12-07 18:02:59 | Live 1980-1984
1980年2月3日&5日、日本武道館でフリートウッド・マックのライヴを観た。
この来日公演のことは当時のサークル会報に書いてあった
あらためて読んでみて、自分がいかにスティーヴィーに魅せられていたかを思い出した。
今フリートウッド・マックの曲を聴いてもそれほど「幻想的」だとは思わないのだが、確かにライヴはスティーヴィーの存在によって「幻想的」だった、かも


1977年12月の来日公演から約2年ぶり。
構成は'77年の時とあまり変わらなかったが、アルバム「牙(タスク)」からの曲も加わり、約2時間、幻想の世界を展開してくれた。
ミック・フリートウッドのドラミングはマック・サウンドの要といってもいいほどの存在感。
ジョン・マクヴィーは目立たない存在だが、ミックの唸るようなドラムを少しやわらげ、サウンド全体を落ち着かせる役目を引き受けていた。
リンジー・バッキンガムはヘア・スタイルを変え、やたら攻撃的な弾き方をしていた。
リンジーを見て、ニューアルバムの「牙」というタイトルも納得。
クリスティン・マクヴィーは歌が上手い!
落ち着いた大人の女性といった風情で、幻想的なサウンドの源・キーボードを操っていた。
そしてスティーヴィー・ニックス...白いドレスの上に黒、白、赤などのシフォンを纏ってステージを舞う彼女はまるで幻想の世界から抜け出てきた妖精のよう。
黒を纏って歌った「Dreams」では誘惑的な魔女...
真っ白のシフォンに身を包んだ「Rhiannon」...ライトを浴びた彼女は銀色に輝いて、さながら月の精...
赤いシフォンに赤い薔薇...「Sara」では薔薇の精...
そうかと思うと「Landslide」では黒いベルベットのジャケットに黒い帽子をかぶり、恋する少女のように「私は変わるのが怖い...大人になるのが怖い」と歌う。
女心を歌いあげる大人の女性クリスティンとは対照的に、人間臭さのないスティーヴィーの歌い方。
まぁ、悪く言えば下手なのだが...このまま変わらずに「妖精」のままでいて欲しい。

セットリストは以下の通り(自分でメモってきたものなので、間違いはご容赦)


1. Say You Love Me
2. The Chain
3. Don't Stop
4. Dreams
5. Oh Well
6. Rhiannon
7. Oh Daddy
8. What Makes You Think You're The One
9. Sara
10. Not That Funny
11. Never Going Back Again
12. Landslide
13. Tusk
14. Angel
15. You Make Lovin' Fun
16. I'm So Afraid
17. World Turning
18. Go Your Own Way
 ~ アンコール ~
19. Sisters Of The Moon
 ~ 2度目のアンコール ~
20. Songbird

-公演日程-
2月 3日(日)、4日(月)、5日(火) 日本武道館
2月 8日(金)  京都会館第一ホール
2月 9日(土)  岐阜市民センター
2月11日(月)  北海道厚生年金会館
2月13日(水)  神奈川県民ホール
2月14日(木)  宮城スポーツセンター
2月16日(土)、17日(日) 大阪フェスティバルホール 


3日は皆おとなしく観ていたが、5日は「Go Your Own Way」からアリーナ総立ちで盛り上がった。
'77年より'80年の来日公演のほうがライヴとしての出来は良かったと思うが、ひとつとても気になった事が...
リンジーがスポットライトを浴びてギターソロを弾いているとき、スティーヴィーがステージの反対側の端まで行って観客を煽ることが度々あった。
当然彼女にもライトが当たり、客の視線は二分されてしまう。
'77年来日時も彼女はリンジーとは反対側に動き一人でゆらゆら踊ってはいたが、わざわざ客にアピールするようなことはせず、その時彼女にスポットライトが当たる事もなかった。
これが何を意味するのか...マックのバンドとしての行く末が心配になった。



フリートウッド・マックはその後もメンバーの脱退や再加入を繰り返しながら、現在もバンドとして活動しているようだ。
スティーヴィーは相変わらずソロ活動にも熱心な様子。
ソロでいいからまた来日して欲しいなぁ

WINGS

2005-12-05 23:50:24 | Live 1980-1984
1980年2月2日土曜日、ウィングスのライヴに...行っていない。

1月16日、成田空港到着時に大麻を所持していたため即逮捕され、10日間拘留された後強制送還されてしまったため、コンサートは全てキャンセル。
1975年にもウイングスとしての来日が予定されていたのに、過去の麻薬歴等の問題で入国を拒否され、来日できなかったのに。
それなのに大麻を隠し持ってくるとは...
本当に懲りないお馬鹿さんだったのか、日本を舐めきっていたのか...
愚か過ぎて同情の余地など全くない事件だった。
どれだけのファンが来日公演を待ち望んでいたか、どれだけのファンが泣いたか...
拘置所の前まで行って歌を歌ったファンも大勢いたとか...

この事件はスネークマンショーのネタにされた。
ありえなくも無い(?)情景を思い浮かべて笑わせてもらったなぁ。

ポールはこの逮捕・拘留体験を昨年イギリスの雑誌「Uncut」で赤裸々に語ったそうで。
私は読んでいないので詳細は分からないが、「人生で最も愚かな出来事だった」と言ったらしい。

私は当時ポールに対しての思い入れは特には無かったが、それでもウィングスの来日公演は外せないと思い、友人たちと交代で並んでチケットを入手したのに。
北東スタンド1階A列はメンバーがステージに出入りする様子が丸見えの席ということで、良くない席ながらもとても楽しみにしていたのに...
まったく、もう

ウドーから払い戻しの発表がされた時、私は悩んだ。
この一件でもう2度とポールは来日できないだろうから、チケットは記念にとっておきたい。
でも4500円払い戻してもらって別のライヴに行くほうがいい。
で、「コピーをとっておこう!」という結論に達した。

日本が甘いのか、ポールが偉大だからか、その後サー・ポール・マッカートニーは無事来日を果たした。
私は2002年11月13日の東京ドーム公演に行った。
この時の話は後日チケット画像を添えて書くつもりだが、定価14000円のところを半額の7000円で観ることができたのだ
ウィングス時代の曲も聴けたけど...リンダがいないのは寂しかった。

...私はポールとリンダの「Silly Love Songs」が聴きたかった...

FOREIGNER ’80

2005-12-02 21:00:44 | Live 1980-1984
1980年1月26日、フォリナーのライヴを観に武道館へ行った。
元キング・クリムゾンのイアン・マクドナルドが来る!と期待大だったことは覚えているのだが...今や内容はすっかり忘れ、武道館の天井近くの席で寒さに震えたことしか思い出せない
(そう、武道館の2階てっぺん近くはガラガラに空いていたのだった...)

どうしてこうも忘れてしまうのか...と情けなくなったが、ありがたいことに一緒に行った友人がサークルの会報にライヴ評を書いてくれていたので、それを元に書かせてもらう。

正統派、オーソドックスなコンサート。
きっちり時間通り90分。
ほとんどがアルバム「Foreigner」「Double Vision」からの曲。
メインは「Starrider」とアンコールの「Hot Blooded」「Headknocker」で、特に「Starrider」でのイアン・マクドナルドのフルートソロは、途中キング・クリムゾンの「I Talk To The Wind」のフレーズも入って、「もしかしてこれはキング・クリムゾンのコンサートではないか」と思ったほど幻惑された、とのこと。
(私は何故こんなオイシイことまですっかり忘れてしまうのだろう
友人は「全体的にシンプルで優等生コンサートだったが、もうちょっとレコードと違った視覚的なものが観たかった」と締めくくっている。

この来日後イアン・マクドナルドも脱退してしまったが、その後にリリースされたアルバム「4」は10週連続全米No.1を記録する大ヒット。
ちなみに「フォリナー」というバンド名は結成時のメンバーがイギリス人3人アメリカ人3人という編成だったから、だそうな。
そういえば、大学の英会話の講師(イギリス人)が自分の研究室のドアにフォリナーのチケットを貼り付けていたなぁ(笑)。
その先生は大の音楽好きで、時々ミュージックマガジン等に原稿を書いていたし、歌詞が分からない曲を持っていくとその場で歌詞を聞き取って書いてくれた。

このブログを始めてから、書き留めておく事の重要性を再認識している。
ライヴ評を書いてくれたカズミちゃん、どうもありがとう♪
勝手に使わせてもらったこと、どうかお許しを~


<公演日程>
1月21日 大阪:フェスティバル・ホール
  22日 大阪:フェスティバル・ホール
  23日 名古屋:勤労会館
  25日 東京:武道館
  26日 東京:武道館
  27日 東京:武道館



JOHN BONHAM

2005-12-01 02:13:58 | Music
レッド・ツェッペリンの「イン・スルー・ジ・アウト・ドア」がリリースされてから約1年後の1980年9月25日、ドラマーのジョン・ボーナムが亡くなった。

ツェッペリンの曲を初めて聴いた時の衝撃は今でも鮮明に覚えている。
渋谷陽一氏DJの「ヤングジョッキー」というラジオ番組で、冒頭の「こんばんは。渋谷陽一です。」という挨拶の直後、曲紹介なしにいきなり「Nobody's Fault But Mine」が流れた。
硬く尖った印象的なギターリフに続き、重いけれど弾むようなリズムセクション、そして声というより楽器の音のようなヴォーカル...
翌日すぐに「Presence」のLPを買った。
お皿に針を落としたら、今度は1曲目の「Achilles Last Stand」にやられた。

高校時代、学園祭で演奏するために組んだバンドで「Immigrant Song」を演った。
ヴォーカルの私は最初大反対したのだが、ギタリストがどうしてもやりたいと言って譲らなかった。
おかげで私は例の「アアアーーーーーーーア!」を歌う羽目に...
ちなみにこの時のギタリストはその後プロのミュージシャンになり、現在はヴォーカリストとして活躍している

映画「レッド・ツェッペリン狂熱のライヴ」は何度観にいったことだろう...
アーサー王を彷彿とさせるロバート・プラントに惚れてしまった。
このフィルムを観すぎたせいで、ボンゾ(ジョン・ボーナム)というと真っ先にトラクターを思い浮かべてしまう(苦笑)。

そんなボンゾの死は私にとってもショックだった。
何故なら、彼無しでツェッペリンが成り立つとは思えなかったから。
再来日が実現する前にツェッペリンが終わってしまう...と心配したとおり、ボンゾの死によって「レッド・ツェッペリン」としての活動は停止。
ツェッペリンのライヴを体験した人が本当に羨ましい。
'96年に来日したペイジ・プラントのライヴには行ったが...ツェッペリンではなかった。

私の友人が1979年英国ネブワース・フェスティバルでツェッペリンのライヴを観た時の体験談をブログに書いてくれた。
LED ZEPPELIN @KNEBWORTHH 79 その①
LED ZEPPELIN @KNEBWOTH79 その②
パンフレットとバッジの画像もあり、貴重な体験談はとても面白いので、興味のある方は↑をクリックして是非ご一読を♪

クイーンのロジャー・テイラーは「ジョン・ボーナムは最初にして最後のすごいロック・ドラマーだ。でもいずれロック・ドラマーはボーナムで始まりテイラーで終わると言われるようになりたい。」と言ったそうな。

最期に、お目汚しではあるが、ボンゾの死を知った夜に私が書いた詩を...


「墜落 Zeppelin号」

エンジンが止まった
もう2度と動かない
雲の上には代わりのエンジンもない
手遅れだ
Zeppelin号が堕ちてゆくのが見える

Zeppelinよ
おまえはあまりに大きくなりすぎた
あまりに高く昇りすぎた
たとえ代わりのエンジンが見つかったとしても
おまえを動かすことはできないだろう
Zeppelinの名の重みに耐えられるのは
彼しかいない
John Bonham-Moby Dick!!

Zeppelin号が堕ちてゆくのが見える
断末魔の悲鳴も上げずに
最期の炎も吹かずに
静かに
重々しく...

墜落。

1980年9月26日夜
-Bonzoに捧ぐ-