Those Were The Days of My Life

I will send you to The Path of Nevermore...
2度と戻れない過去への招待状

IN THROUGH THE OUT DOOR

2005-11-30 03:56:43 | Music
クイーンのグッズと一緒に、こんなものが出てきた。

レッド・ツェッペリンのアルバム「イン・スルー・ジ・アウト・ドア」の販促物らしきレターパッド。
このアルバムは予約して買った記憶があるので、もしかすると予約特典だったのかもしれない。
当時「イン・スルー・ジ・アウト・ドア」の評価は悪かったのだが、ビルボード誌のアルバムチャートでは7週連続1位に輝いたらしい。
もうひとつの話題が、アルバムジャケット。
全6種類のアルバムジャケットがあり、買うときにはどのジャケットかが見えないように茶色の紙袋が被せられていた。
コレクターは全種類集めるために無駄な出費を余儀なくされたのではないだろうか?
実は私もモノを集めたり揃えたりするのが好きなほうなのだが、このアルバムは1枚しか買わなかった。

後に私は「コンプリート・スタジオ・レコーディングス」というボックスセットを買った。
1stからCODAまでの全9アルバム+未発表曲4曲が収録されている。
日本盤は確か限定モノで、フォトブックの訳文と歌詞・訳詩が載っているブックレット付きである。

この中に「イン・スルー・ジ・アウト・ドア」のジャケット6種が全て載っている。



なんだか「間違い探し」みたい(笑)。
こういう画像を勝手にブログに載せてもいいものかどうか...?
万一関係者の目にとまってダメ出しがあればすぐに削除しなくては。

アルバムとしての評価は低いようだが、私は「Carouselambra」と「All My Love」という曲が結構好きなのだ。
「All My Love」はロバート・プラントが亡くなった愛息を偲んで作った曲。

フォトブックにはメンバーの若かりし頃の写真が載っている。
昔はこんなに美しかったパーシィも今では...(以下自粛

BICYCLE RACE

2005-11-28 05:05:57 | Queen
1978年11月、クイーンのシングル「バイシクル・レース」が発売された。
この曲のPVは、裸の女性たちが自転車に乗って走っている映像でかなり有名だと思う。
そのとき自転車を貸し出した会社が「全裸の女性が乗った」ことを知って、サドルを全部取り替えろと言ったとか...。

日本でリリースされたシングルのジャケットでは、さすがに何もはいていない写真をそのまま使うわけにはいかなかったのか、自転車に乗った女性はパンツをはいている。
もちろん合成写真。

当時文通していたアメリカ・ニュージャージー在住のTomiに手紙でこのことを伝えたら、「アメリカのはブラも着けてるよん」とシングル盤を送ってきてくれた。



こういうことに関して、日本よりアメリカの方が厳しい事を初めて知った。
後で調べたら、英国のもちゃんとパンツをはいていた。

このジャケット写真を見たロジャーは、きっとこう言ったに違いない...
「パンツ、ヌイデー!」

QUEEN FAN CLUB

2005-11-27 05:39:00 | Queen
1976年の夏頃、クイーンのファンクラブに入会した。
専用のバインダーには会報Vol.4~27('83年11月発行)までが綴じてある。

'85年来日時にもFCでチケットをとってもらったような記憶があるので、Vol.27以降バインダーに入りきらなかった分は紛失したのかもしれない。
英国オフィシャルファンクラブの日本支部という位置づけだったので、会報にはメンバー直筆のお便りが翻訳つきで掲載されている。
ファンクラブの集いにも何度か参加した。
家にビデオなどない時代、大きなスクリーンで映像を観られるのはとても嬉しかった。
フィルム上映中はコンサート並みに黄色い歓声が飛び交っていたように記憶している。
カレンダーやレターセットなどのグッズも色々買ったなぁ。

このファンクラブをいつ退会したのか、と言うかこのファンクラブがいつ頃無くなったのかはもう忘れてしまったが、現在も日本には公式ファンクラブが無いままだ。

昔はメンバーにファンレターを送ると、英国のオフィシャルファンクラブから何かしら送られてくる事が多かった。
メンバーのサイン(印刷)入りグリーティングカードやフォトカードが主だったが、バイオグラフィーが送られてきた事もあった。

そして...それらに必ず同封されていたのは...入会申し込み用紙(笑)。
で、コレ↓が現在のOfficial International Queen Fan Clubの会員証。

ミュージカルWe Will Rock YouやQ+PR来日公演などで、今年は会員特典を満喫させてもらった。
ファンクラブがある限り、会費を払い続ける...つもり

QUEEN ’79

2005-11-26 06:05:03 | Queen
1979年4月、待ちに待ったクイーン来日!
チケットはファンクラブの優先販売で武道館4公演分を手に入れた。
後に追加公演が発表になったのだが、その日は首都圏の交通機関でストライキが予定されていた。

で、私は追加公演のチケットを買わなかったのだが...
何とその日、フレディがステージで転んだそうな。
あぁ、ステージで転んだフレディを見逃してしまった...
行かなかった事をこれほど後悔したライヴは後にも先にもない(苦笑)。

1979年の来日に関しては、ミュージックライフ7月増刊号「伝説のクイーン」にとても詳しく載っている。
それも「日本滞在中のクイーンの行動を完全チェック」と題して、それこそどこへ行って何を食べたとか買ったとか、挙句に起床時間まで載っているのだ(笑)。

ツアー日程
4月13、14、23、24、25日 東京・日本武道館
4月19、20日 大阪・フェスティバルホール
4月21日 金沢・実践倫理記念会館
4月27日 神戸・神戸中央体育館
4月28日 名古屋・国際展示場
4月30日、5月1日 福岡・九電体育館
5月2日 山口県立体育館
5月5、6日 札幌・真駒内アイスアリーナ

13日のセットリスト
1. We Will Rock You
2. Let Me Entertain You
3. Somebody To Love
4. Fat Bottomed Girls
5. Death On Two Legs
6. Killer Queen
7. Bicycle Race
8. I'm In Love With My Car
9. Get Down, Make Love
10. You're My Best Friend
11. Now I'm Here
12. Don't Stop Me Now
13. Spread Your Wings(大阪公演から「手をとりあって」)
14. Dreamer's Ball
15. Love Of My Life
16. '39
17. It's Late
18. Brighton Rock
19. Keep Yourself Alive
20. Bohemian Rhapsody
21. Tie Your Mother Down
~アンコール~
22. Sheer Heart Attack
23. We Will Rock You
24. We Are The Champions
15. God Save The Queen

こうやってあらためてセットリストを見ると、いろいろな事が思い出される。
「Get Down Make Love」でブライアンが可動式ライティングセットと格闘したのはこのツアーの時だった、かな?とか。
オープニングの「WWRY」はファストヴァージョンで、アンコールの「WWRY」ではフレディがスーパーマンの衣装を着たマッチョなおぢさんに肩車されて出てきたなぁ、とか。
「’39」はロジャーが前に出てくる貴重な曲だったのよね、とか。
このツアーではまだ「LOML」の合唱はなかったな、とか。
フレディも「レーロ」じゃなくて「Now I'm Here」のフレーズで遊んでくれたよね、とか。
確認していないので、これらが本当に正しい記憶かどうかはわからないけど

最後に、とても珍しいモノをば...


左下の「ワンピース」!
物販テントに吊り下げられていたのかもしれないが、全く記憶に無い。
どなたか、このワンピースを着た写真なぞお持ちではないだろうか?
見たい!!!(笑)

ROGER TAYLOR ’77

2005-11-25 18:20:29 | Queen
1977年7月、クイーンのロジャー・テイラーがソロシングルをリリースした。
日本でリリースされる予定は未定とのことだったが、ロジャー・ファンとしては何が何でも手に入れたかったので、英国在住のペンフレンドに頼んで送ってもらった。

当時英国南部の町Weymouthに住んでいたCarolynnから「町内のレコード店をまわって探したが見つからず、ロンドンの大きな店に電話して取り置きを頼んだの。近日中にロンドンに行く予定があるのでその時に買って送るからもう少し待っててね。」と返事が来た時には「ロジャーのシングルを置いていないなんて、ウェイマスってそんなに田舎なのかなぁ?」と思ったのだが...
英国で3000枚しかプレスされなかった事を後で知った



当時、英国EMIがリリースしたシングル盤にはジャケットスリーブが無かったのだが、それを知らなかった私は「Carolynnったらジャケット失くしちゃったの?」などと失礼な事を...
マニアの間では今でも「メガレア」扱いの貴重な品だそうで。
Carolynn、本当にありがとう

Carolynnは後に英国陸軍に入隊し、香港に駐屯した。
「宛先はこう書いてね」と書かれていたものを見てとても驚いた。
宛先に「名前」は無く、番号だけだったのだ...。
当たり前のことなのかもしれないが、あの時初めて「軍にとって兵隊さんは数字でしかないのか...」とかなりのショックを受けた。
その後彼女との文通はいつの間にか途絶えてしまったが...元気に暮らしていることを心から願っている。

今ではこの曲もPVもウェブで見つけることができる。
そして我が家にはもうレコードプレーヤーが無いので、これを聴くことはできない。
レコードプレーヤー買おうかな...。

FREDDIE MERCURY

2005-11-24 23:59:00 | Queen
1991年11月24日、フレディ・マーキュリーが亡くなった。
この日、私の青春は終わった。
(既に青春と呼べる年齢はとうに過ぎていたが...
1976年の初めにクイーンに出会って以来約16年、ずっとクイーンと共に過ごしてきたといっても過言ではないほどだった。

(11月25日日経夕刊)

フレディを初めて間近で見たときの事を思い出す。
'79年4月15日、新宿京王プラザホテルでのこと。
その時周りにいたファンは少なかったが、誰も近寄らず声もかけず、皆遠巻きに見ていただけだった。
2、3人のボディガード&関係者に周りを囲まれていたせいもあるが、フレディ自身も「近寄るな!」というオーラを発しているように見えたのだ。
その時の印象を私は自分のサークルの会報に「本物のフレディはなんだかとてもおっかなそうな人だった。」と書いていた。
武道館の入り待ちのときも、他の3人は車の窓越しに手を振ってくれる事が多かったが、フレディは手を振らない事の方が多かった。

ステージの上のフレディはまさに王様だった。
スーパーマンに肩車されて出てきたり、ユニオンジャックを自分の後に広げて出てきてステージ中央で後を向くとユニオンジャックの裏が日の丸になっていたり...
小柄なフレディがステージではとても大きく見えた。

'98年6月、ロンドンにあるフレディが住んでいた家の前に行った。

今はもう落書きは消されているが、このときはまだ壁いっぱいにファンの思いが書かれていた。

フレディがソロとして遺した作品たちは、2000年に「Freddie Mercury Collection」というボックスセットになってファンの手元に届いた。


昨日「オペラ座の夜30周年記念盤」が発売された。
今夜はこれから「オペラ座」のDVDと、フレディのDVDを観ようと思う。
I miss you, Freddie...

JEFF BECK with STANLEY CLARKE

2005-11-23 21:48:26 | Live 1976-1979
1978年11月30日、ジェフ・ベックのライヴで武道館に行った。
前日に観たジェネシス・ライヴのことはよく覚えているのに、このジェフ・ベック・ライヴに関しては何も覚えていない

それにしてもこの席...武道館を知っている人ならわかると思うが、北西スタンド2階S列という席からステージがどの程度見えただろうか?音は?
今はステージ後方にスクリーンがあることが多いので北スタンドは滅多に開放されないようだが、昔は北スタンド1階はある意味「特等席」でもあった。
ステージ、特にドラムセットに手が届きそうな距離で観られるから。
北スタンドに客が入っている時は、プレイヤーが真後ろの客にも手を振っていた。
音的にはNGだろうが、北スタンドの客をうらやましく思う事もあった。
そう、北ならまだしも...北西スタンドの天井近くの席なんて...
ジェフ・ベックは割りとよく聴いていたし、これが初ベックだったのに、何故「B席」なんか買ったんだろう?
ひょっとするとSもAも売り切れて、B席しか買えなかったのかもしれない。
名盤「ギター殺人者の凱旋(!)」「ワイアード」に続いてリリースされたのが'77年の「ライヴ・ワイアー」だったから、ライヴにファンが殺到したのはよく分かる。

「ギター殺人者の凱旋」とは「BLOW BY BLOW」に当時つけられていた邦題。
ちなみに「Cause We've Ended As Lovers」は「哀しみの恋人たち」に...
ジェフ・ベック本人が邦題を知ったら怒るのではないかとよけいな心配をしたものだったが、まさか将来自分が...その邦題をつけたであろう会社に入る事になるとは...


このステッカーはロゴから判断して「ゼア・アンド・バック」リリース('80年)前後のものだと思う。
当時フライヤーなどと一緒に会場近辺で配られていたモノ。
こういうものまでとってあった自分にちょっと驚いている(笑)。

GENESIS ’78

2005-11-22 19:52:12 | Live 1976-1979

1978年11月29日、中野サンプラザでジェネシスのライヴを観た。
これが初来日、しかも会場がサンプラザクラスということに先ず驚いた。
「・・・And Then There Were Three」というアルバムタイトルの通り、メンバーがマイク・ラザフォード、トニー・バンクス、フィル・コリンズの3人になってしまってからの来日だったが、アルバムもシングル「follow you follow me」もかなりヒットして、それまでのプログレバンドのイメージから脱しつつある時期だったと思う。

このライヴのことはよく覚えている。
素晴らしいライヴだった。
ライブ、というより「ショウ」という言葉の方が合うかもしれない。
その上、フィル・コリンズはMCをほとんど全部(英語交じりの)日本語でやってのけたのだ。
もちろんカンペを見ながらだったが、そのエンターテイナー精神に感激した。
チェスター・トンプソンとのツイン・ドラムスも素晴らしかった。
「Eleventh Earl Of Mar」「Burning Rope」「Dance On A Volcano」「Squonk」「I Know What I Like」「The Cinema Show」...記憶にあるだけでもこのラインナップ!
これらを生で聴けたなんて♪

そう、確かに「聴いた」けど...実は...
前の晩、ミニコミ誌編集の追い込みで2時間しか寝られなかった事がたたり、当日ライヴ前半は目を開けていたくても自然にまぶたが閉じてしまうような状態だったのだ
曲はちゃんと聴こえているのに目が...あぁなんてもったいない事を...

つい最近、フィル・コリンズがジェネシス再結成に関して前向きな発言をしたとのこと。
しかもヴォーカルはピーター・ガブリエルで。
もし実現したら是非来日して欲しいなぁ。

12月2日のセットリスト
01. Eleventh Earl of Mar
02. In The Cage
03. Burning Rope
04. Ripples
05. Deep In The Motherlode
06. One For The Vine
07. Squonk
08. Say It's Alright Joe
09. The Lady Lies
10. The Cinema Show~Afterglow
11. Follow You Follow Me
12. Dance On A Volcano~Los Endos
13. I Know What I Like


IAN GILLAN BAND ’78

2005-11-21 00:41:23 | Live 1976-1979
1978年10月17日、渋谷公会堂でイアン・ギラン・バンドのライヴを観た。
私が洋楽にのめりこんだ頃にはディープ・パープルは既に解散していた。
その後ディープ・パープルの黄金期である第2期のアルバムを聴きまくったので、2月にレインボーでリッチーを観たからには、イアン・ギランも外すわけにはいかないという思いでこのライヴに行ったのだが...

ライヴの詳細はもう忘れてしまったが、感想だけは覚えている。
「観なきゃよかった...」である。
たしか「Child In Time」を演ったのだが、太ってたるんだイアン・ギランが歌ったその曲はパープル時代とは別物だったような記憶が...

レインボーでは「金返せ!」、イアン・ギラン・バンドは「観なきゃよかった」...
ディープ・パープルとは相性が悪いのかも...と思ったものの、懲りもせずに去年3月のディープ・パープル来日公演にも行った私(苦笑)。

今年のライヴ8でもウェブ中継でカナダ会場のディープ・パープルを見たが、あまりに音がスカスカなのに驚いた。
その時は「ウェブ中継だから仕方ないのかな?」と思ったのだが、後日TVで10時間放送されたときも同じ音だった...

ディープ・パープルが再解散するのはいつになることやら...。

CHEAP TRICK ’78

2005-11-20 01:53:35 | Live 1976-1979
1978年4月30日、チープ・トリック武道館追加公演に行った。
席はアリーナ、前から2列目で、ベースのトム・ピーターソンとライヴ中何度も目が合って、嬉しくて舞い上がってしまったことをよく覚えている。
かの有名な「チープ・トリックat武道館」というアルバムは、4月27日大阪厚生年金会館と28、30日の武道館を収録したもの。
ってことは、有名な「黄色い声」の中には私の声も。。。

ちょうどこの頃私はロック同好会を作ったばかりで、会報第2号にこのときのライヴ評を書いていた。
差障りがあるのでここには載せられないが、要約すると「サウンドはレコードとあまり変わりなく、スッキリしていて気持ちよい。 ハード・ロックというよりハード・ポップって感じ。」だそうな。
今となっては思い出そうにもトムの笑顔ぐらいしか思い出せない...

セットリストは以下の通り(?と書いてある部分は曲名不明)。
ただしこれは自分でメモってきたものなので、間違いがあってもご容赦を。

1. Hello There
2. Come on, Come on
3. Elo Kiddies
4. Speak Now or Forever Hold Your Peace
5. Big Eyes
6. ?
7. Downed
8. ?
9. Oh Caroline
10. Surrender
11. Auf Wiedersehin
12. ?
13. High Roller
14. Southern Girls
15. I Want You To Want Me
16. California Man
17. Hello There
~アンコール~
18. ?
19. Clock Strikes Ten

'90年代、フジテレビのF1のエンディングにロビン・ザンダーの「In This Country」が使われていた時期があった。
おかげで、一時期しか聴かなかったチープ・トリックの曲より、ロビンの「In This Country」の方が耳に馴染んで、カラオケでも時々歌っている(笑)。

RAINBOW ’78

2005-11-19 00:47:08 | Live 1976-1979
1978年1月27日、札幌中島スポーツセンターでのレインボーのライヴで悲劇が...
開演と同時にステージに殺到した観客が将棋倒しになり、19歳の女子大生が死亡するという事故が起きてしまったのだ。

私が行ったライヴはその事故のちょうど1週間後、2月3日の武道館追加公演だった。
アリーナはブロックごとにロープが張られ、各通路に4~5人の警備員が配置されていたように記憶している。
そして...公演中は絶対に席から立ち上がるなという放送が...
立ち上がるなと言われても、レインボーのライヴを大人しく座って聴くのは苦痛だった。
オープニング「Kill The King」のイントロと同時に思わず立ち上がったら、すぐ警備員に肩を押され座らされた。
それはそれは乱暴な扱いだった。
ライヴ中ずっとアリーナのあちこちでそんな光景が繰り広げられていた。
札幌での事故の犠牲者に黙祷を捧げたことを覚えているが...肝心の演奏に関してはあまり覚えていない。
コージー・パウエルのドラムソロではドラムセットがせり上がってマグネシウムが焚かれたりと、ライティングや演出は派手だったが...ギターを壊すリッチー・ブラックモアを楽しみにしていたのに、彼はギターを壊さなかった。
きっと主催者側から「観客をあおるような行為をしないように」とでも言われたのではないだろうか。
その上、アンコールにも応じなかった。
終演後、会場のライトがつけられるとアリーナではどこからともなく「金返せ!」コールが巻き起こり、多くの客が椅子の上に立ち上がって右手のこぶしを突き上げながら「金返せ!金返せ!」とシュプレヒコール。
周りが皆やっていたので私も参加したが、かなり危険な状況だったと思う。

あの日客に「金返せ!」コールされたことをメンバーは知っているのだろうか...。

ドラムスのコージー・パウエルは1998年に交通事故で亡くなった。

FLEETWOOD MAC ’77

2005-11-17 18:26:49 | Live 1976-1979
1977年12月5日、フリートウッド・マックのライヴに行った。
マックを知ったきっかけはFENではじめて聴いた「リアノン」だったと思う。
スティーヴィー・ニックスの大ファンになった。
'77年といえば、アルバム「噂」がリリースされた年で、「オウン・ウェイ」や「ドリームス」は日本でもヒット。
これ↓は当時ライヴ会場などで配られていたステッカー。懐かしいっ!

元々ブリティッシュ・ブルース・ロック・バンドだったらしいが、リンジー・バッキンガムとスティーヴィー・ニックスが加入してからは、イーグルス等と共に「ウエストコースト・ロック」扱いだったように記憶している。
AOR(アダルト・オリエンテッド・ロック)などというわけのわからないジャンルができたのもこの頃だったと思う。

ライヴでは、ステージ狭しと舞うスティーヴィーをひたすら双眼鏡で見ていた。
シフォンのヒラヒラドレスに身を包んだ彼女はまるで妖精...だが歌声はどちらかというと魔女(苦笑)。
ま、そこが魅力なんだけど。
他のメンバーにライトが当たっている時でも、彼女はステージの端で舞っていた。
このライヴのステージ評を書いて某雑誌に投稿したら、掲載されたのだが...私がスティーヴィーの声を「クリスタル」と表現した部分が「クリアー」に書き換えられていて大ショック!
スティーヴィーの声のどこが「クリアー」だっつーの!と今でも不愉快に思っている(苦笑)。
クリスティン・マクヴィーが歌った「ソングバード」はクリアーと表現できるかも...心に染み入るような美しさに感動した。

マック加入前にリンジーとスティーヴィーがリリースした「バッキンガム・ニックス」というLPを今でも大切に持っているが、我が家にはレコードプレーヤーがないので聴く事ができない。

「クリスタル」のオリジナルが収録されているのに...CD化してくれないかなぁ...。

TOMMY

2005-11-17 00:35:26 | Movie
1976年4月、公開最初の日曜日に映画「TOMMY」を観に行った。
エルトン・ジョンの大ファンだったクラスメイトに誘われ、当時私はまだザ・フーのことはあまり知らなかったが、クラプトンも出演しているというのでそれを目当てに観に行った。

エルトンやクラプトンはともかく、ロジャー・ダルトリーとティナ・ターナーに魅せられた。
今は亡きキース・ムーンの奇演ぶりもあまりにハマりすぎていて怖かった(笑)。
See Me Feel Me ~ Listening To You のラストシーンが特に気に入った。

「TOMMY」はその後何度か名画座のようなところで観ているのだが、確か「ウッドストック」と2本立てで上映されることが多かったように記憶している。
「レッド・ツェッペリン狂熱のライヴ」もそうだった。
1日に何度も観たいのに、間に入る「ウッドストック」は4時間近い上映時間...とても迷惑に感じたものだ(苦笑)。

今は「TOMMY」も「レッド・ツェッペリン狂熱のライヴ」も「ウッドストック」もDVDで持っている。
便利な世の中になったものだ。

来年3月、ブロードウェイミュージカル「TOMMY」が来日する。
観に行くかどうするか悩んで、結局まだチケットは買っていない。
私の中ではTOMMY=ロジャー・ダルトリーなので...。

このチケットは裏に「武蔵野館」というスタンプが押してあるので、ロードショー公開時のものではないと思う。
映画パンフレットは実家に置きっ放しにしていたのだが、リフォーム時に処分されてしまったらしい。
ツェッペリンの方は半券も見あたらない。
あぁ...音楽関係の映画パンフだけでも持ってきておけばよかった...

CARPENTERS ’76

2005-11-14 21:40:23 | Live 1976-1979

1976年3月。
母に連れられて武道館へカーペンターズのコンサートを観に行った。
私にとって初めての洋楽コンサート。
当時カーペンターズは日本でも大人気で、1974年の武道館ライヴが「ライヴインジャパン」という2枚組LPとして翌年日本限定発売されたり、1975年の9月に予定されていたコンサートがカレンの体調不良により翌年(1976年)3月に延期されたこともあり、武道館は満員だったように記憶している。
チケットは母の友人がプレゼントしてくれたのだと母から聞いた。

さすがに30年近くも前のことなのでコンサートの内容についてはあまり覚えていないが、母がこんなことを言ったのを覚えている。
「あの人たち、ステージの上ではあんなににこやかなのに、ステージを降りるとニコリともしないらしいわよ。色々とあるんでしょうねぇ...。」
母が誰からそんな情報を得ていたのかはもう本人も忘れているようだが(苦笑)、そのときカレンの体調は最悪で、リハーサルと本番以外はほとんど横になって休んでいたと後で何かで読んだ記憶がある。

このライヴの前だったか後だったかは忘れてしまったが、私が初めて買った洋楽LPはカーペンターズの「HORIZON(邦題:緑の地平線)」だった。
緑をバックに物憂げな表情で立つリチャードとカレンの写真だけのジャケットで、表にはアルバムタイトルもアーティスト名もロゴも何もない。
収録曲もバラードが多く、特に「SOLITAIRE」という美しい曲が気に入っていた。

この来日がカーペンターズ最後の来日になってしまった。
このときのコンサートパンフレットから、来日メンバーと公演スケジュールをを転載しておく。

★来日メンバー
Karen Carpenter(ヴォーカル、ドラムス)
Richard Carpenter(ヴォーカル、キーボード)
Bob Messenger(サックス、ベース)
Doug Strawn(エレクトリック・クラリネット)
Tony Peluso(エレクトリック・ギター)
Danny Woodhams(エレクトリック・ベース)
Cubby O'brien(ドラムス)

★公演スケジュール
3月15、16日 東京・日本武道館
3月17日    静岡市駿府会館
3月18日    愛知県体育館
3月19日    神戸市立中央体育館
3月20日    京都体育館
3月21日    和歌山県立体育館
3月24、25、26日 大阪フェスティバルホール
           (3日間とも4時と7時の1日2回公演)
3月28日    金沢大乗寺山・実践倫理記念会館
3月29日    岡山市立体育館
3月30日    山口県体育館
3月31日    福岡・九電記念体育館(3時半、6時半の2回公演)
4月 1日    熊本市立体育館
4月 2日    広島県体育館
4月 5日    仙台・宮城県スポーツセンター(3時半、6時半)
4月 7日    札幌・真駒内アイスアリーナ
4月 9日    東京・日本武道館
4月10日    横浜・神奈川県民ホール(3時半、6時半)
4月11日    水戸・笠松運動公園体育館

これほどの殺人的なスケジュールを私は他の来日アーティストでは見たことがない。
体調不良のカレンがこのスケジュールをこなしたとは...すごいプロ意識だと思う。
と言うか、こんなスケジュールで世界中を飛び回っていたとしたら、カレンが心身ともに蝕まれていったのも当然かも...。
なのに武道館A席の値段が2000円...当時LPの値段が2500円位だったので、アルバムよりライヴの方が安かったとは...今では考えられないライヴ価格設定である。
それにしても何故「体育館」での公演が多いのだろう?
当時はまだ大勢収容できるコンサートホールが少なかったのかな?

カレン・カーペンターは1983年2月4日、長期にわたる摂食障害によると思われる心臓発作で32年の生涯を閉じた。
彼女の死によって世界中に「摂食障害」「拒食症」の恐ろしさが伝えられることとなり、摂食障害治療にも一石を投じることとなったのではないだろうか...。