Those Were The Days of My Life

I will send you to The Path of Nevermore...
2度と戻れない過去への招待状

Pray for Schumacher

2013-12-31 09:10:11 | Sports

2013年、まさかこんな締めくくりになるとは。。。

 

元F1ドライバーのミハエル・シューマッハがスキー事故で頭部に重症を負い、

今この時も生死の境を彷徨っています。

セナファンの私はシューマッハが嫌いでした。

レース観戦中にシューマッハを応援したことはほとんどありませんでした。

でも今、心の底から全力でシューマッハを応援しています。

 

マイケル頑張って!


F1 REGENDS

2012-11-28 19:52:58 | Sports

CSフジNEXTで12月2日から、オフシーズン恒例の『F1 REGENDS』が放送されます。

昨年のオフシーズンは別の企画でしたが、今年は1991ー1992シーズンのうち、

厳選した16戦が放送されると思います。

1991年はアイルトン・セナが3度目のワールドチャンピオンを獲得したシーズンなので、

できれば全レース放送して欲しいところですが、

まぁ全16戦のうち厳選した8戦でも御の字です。

当時の総集編は全て保存してありますが、ダイジェストではなくフルで録画保存したいし、

特に12月9日放送のブラジルGPは永久保存版!

 

ウチに、1991ブラジルGPを走るセナのジグソーパズルが飾ってあります。

今は亡き父と一緒に作った思い出のパズル。。。

ほぼ灰色一色の路面をはめ込むのにかなり手こずりましたっけ。。。

 「I felt it was my duty to win here in Brazil. God was with me.」

というアイルトンの言葉も入っています。

 


このレースのゴールシーンでは、アイルトンの無線を通しての絶叫号泣が流れて、

母国GPのプレッシャーの中での勝利がいかに重要であるかが

ひしひしと伝わってきましたっけ。。。

もう一度、アイルトンと一緒に感涙にむせびたいと思っています。

 

先週末の2012最終戦ブラジルGPは見どころ満載でしたね。

ヴェッテル、ワールドチャンピオンおめでとう!

私はアロンソに勝って欲しかったんですけど、仕方ないですね。

チェッカー後、パルクフェルメでヘルメットを脱いだアロンソの、

感情を押し殺すかのように宙を見ていたあの表情が目に焼きつきました。

ましてや母国GPでチームメイトに先を譲らなくてはならなかったマッサの心中は

察して余りあります。

コースオフして、抜け道(?)を通ろうとしたらゲートが閉まっていて、

Uターンして芝を突っ切ってコースに戻っちゃったライコネンには

驚いたというか、さすがライコネンというか。。。(笑)

川井ちゃんに「木曜日にちゃんと下見しておかないから」と突っ込まれていましたが、

レース後の言い訳がまた凄かった(笑)。

こういうタイプのレーサーが他にいなくなったのも時代でしょうか。。。

小林可夢偉がヴェッテルとアロンソをオーバーテイクしたのも興奮しました。

残念ながら9位フィニッシュでしたが。。。

ザウバーでの最終戦にポイント獲得できて良かったですね。

 

でも。。。

何故今私がこれを書いているかというと。。。

 

もし、可夢偉がザウバーにとって本当に必要な選手なら、

ザウバーは可夢偉を放出することはなかったでしょう。

そしてもし可夢偉が他のチームに欲しがられるような選手なら、

もっと早くオファーがあったはずです。

オファーがあったのにそれを断った後にザウバーのシートを失ったなら、

それは不運でも何でもなく、可夢偉サイドの読み誤りでしょう。

 

F1は他のカテゴリーのレースとは比べものにならない程の資金が必要だと聞きます。

平たく言ってしまうとF1運営は「一握りの富裕層の究極の道楽」でしょう。

以前にも書きましたが、元々ヨーロッパ貴族の遊びだったので、

国や人種に対する偏見も根強いのではないかと。

そのうえビジネス利権も計り知れないわけで、

一握りの人たちはその権限を手放そうとはしません。

情熱だけではどうにもならない世界でしょう。

情熱+才能+後ろ盾+資金+運がないと。

また、ビジネスとしての面も大きいので、それ程の才能に恵まれていなくても

潤沢な資金があればシートを得ることができるのも現実です。

世界同時不況の今、スポンサーを獲得するのは大変でしょう。

でも、既に大半の選手が来季のシートを確保しているということは。。。

 

F1レースを続けたい気持ちは痛い程わかります。

25年F1を見続けてきて、去って行ったドライバーをたくさん見てきましたし。

他のスポーツでなら、ファンのカンパでチームが存続したというような例は

複数聞いたことがあります。

 

でもF1でそれをやりますか?

しかも今頃?

 

魑魅魍魎との折衝を上手にこなせるような有能なマネジメント体制を整えてから

出直すという道もあるかもしれませんよ?

 

モナコに住んで、美女を伴ってパーティーに出席し、フェラーリを乗り回し、

プライベートジェットで移動する。

そして、チャリティーに熱心に取り組む。

私がイメージするF1パイロットはこんな感じなのですが、

これも一昔前の話なのでしょうか。。。

 

もし可夢偉が募金(+スポンサー資金)で来季のシートを獲得し、優勝すれば、

間違いなくF1の伝説のひとつになるでしょう。

 

でも、それがF1界に及ぼす影響は殆どないと思います。

F1の世界というのは、これからも「夢の別世界」であり続けることでしょう。

環境やエネルギー問題でエコカー全盛の今、F1の存在意義を見出せるのは

そこしかないんじゃないかと。

 

少なくともF1パイロットと呼ばれる人には、寄付される側ではなく

寄付する側にいて欲しいものです。

 

可夢偉の募金サイトはコチラ → KAMUI SUPPORT

 


プロフェッサーの言い分

2012-02-28 18:33:24 | Sports

 

アラン・プロストがロシアのウェブサイト 『F1News』 のインタビューの中で

映画 『アイルトン・セナ ~音速の彼方へ』 について

「私はそれを見ていないし、見たいとも思わない」 と語ったそうです。

 

ロシア語が解る方はこちら ↓ をどうぞ

http://www.f1news.ru/interview/prost/73322.shtml

(翻訳ソフトでもそれなりに読めました^^;)

 

一部分だけですが、日本語で読める 『ESPN F1』 はこちら ↓

http://ja.espnf1.com/f1/motorsport/story/71396.html

 

『アイルトン・セナ ~音速の彼方へ』 に関しては、以前書いたとおり

私はあまり楽しめませんでした。

セナの才能や功績を称えるというより、F1における政治の部分を強調しすぎていて、

昔感じた怒りが蘇ってきたからです(苦笑)。

プロストが敵役として描かれている、という点に関しては、

まぁ、セナファンから見たらそれはそれで事実なわけで。。。(苦笑)

エンドロールでプロストの名前が出てきたときは

正直 「よくこの映画にOKを出したなぁ」 と驚き、

「ひょっとして罪滅ぼしのつもり? それとも何か思惑があるのか?」 などと

深読みしてしまいましたが。。。

やっぱり納得していなかったんですね(苦笑)。

 

政治的な駆け引きなしで、純粋にスポーツとしてF1レースを楽しめる日が来ることを

いちファンとして、ドライバーのためにも、願っています。

 

 


アイルトン・セナ ~音速の彼方へ

2010-10-11 22:09:30 | Sports

アイルトン・セナ財団公認 生誕50年記念作品
『アイルトン・セナ ~音速の彼方へ』という映画を観てきました。



公開に先駆けて、英BBCで放送中の『Top Gear』という番組でセナ特集が組まれ、
それがとても良い出来だったので、映画にも多大な期待を抱いていたのですが。。。

正直私は、108分の映画より、たった15分間のTopGearセナ特集の方が気に入りました。



どんなスポーツ界にも存在すると思われる『政治・権力・(人種的)偏見』。
当然F1界にも存在します。

カーレースは元々ヨーロッパ貴族の楽しみだったわけで、
そのうえに現在では莫大なお金がからんでいるので、
上記のような問題はどのスポーツ界よりも根深いのかもしれません。

22年来のセナファンとしては、そういう部分を今更蒸し返すより、
セナの『天賦の才能と努力』をもっと取り上げて欲しかったです。

とはいえ、セナの偉業を108分にまとめること自体が無理なんですけどね(苦笑)。



で、この映画を観てセナに興味を持った方におススメしたいのが
『Ayrton Senna The History』なのですが。。。
セナの死後、限定発売されたこの作品、なんと未DVD化のようです。
なんとも残念。。。









アイルトン・セナの素晴らしさについては今更語るまでもありませんが、
前出『Top Gear』セナ特集の最後に、司会のジェレミー・クラークソンが

「To be honest with you, I was never a Senna fan.
 Always thought Gilles Villeneuve was the greatest racing driver of them all.
 But...
 To make this film, I've watched hours and hours and hours of footage.
 And the thing is...
 Villeneuve was spectacular on a number of occasions.
 Senna, he was spectacular every single time he got in a car.」

と言ってくれました。

この言葉に尽きると思います。


AYRTON SENNA 1960 - 1994

2010-05-01 05:24:28 | Sports
1994年5月1日。。。

あの日から16年経ちました。
アイルトン・セナ。。。生きていれば今年50歳。。。

事故現場であるイモラ・サーキット内の運動公園に
アイルトン・セナのブロンズ像が設置されています。

私がそこを訪れたのは2000年の5月30日でした。
既に2000年のサンマリノGPは終わっていたし、
平日の午後ということもあり、
運動公園には人の姿がほとんどありませんでした。

遠くから見えたセナのブロンズ像は、とても寂しそうでしたが、
近づくと、ちゃんと花が供えられていて、
絶えずファンが訪れていることが伝わってきました。





事故現場であるタンブレロ・コーナーを見守るように、
というより、憂うかのようにうなだれている姿が
なんだか悲しく見えて仕方ありませんでした。



1992年頃、フジテレビのF1中継では、各ドライバーごとに
ウィニングランのテーマ曲が決まっていました。

アイルトン・セナがトップチェッカーを受けるときには
T-SQUAREの『FACES』がかかりました。



この曲を聴くと、当時自室の14インチTVでレースを見ながら
夜中に1人で盛り上がっていたことを思い出します。

隣室で寝ていた父には少なからず迷惑をかけていたようで、
セナが勝った翌朝は必ず
「昨夜セナが勝っただろ。」と言われたものでした

。。。セナに会いたい。。。





これ↑は、18金コイン型ペンダントです。
1991年の鈴鹿の直前だったと記憶していますが、
フジテレビの『F1MONOコック』という番組でセナグッズの特集があり、
鈴鹿でセナを応援する人向けのTシャツやブルゾンなどと一緒に
このペンダントと指輪が紹介されました。

ペンダントと同じデザイン+リング部分にはチェッカードフラッグをあしらった、
かなりごついデザインの指輪は、女性の指には似合わないと思ったので、
私はペンダントを購入。
限定数は忘れましたが、私のは#033です。

セナったら、ごついデザインの指輪をとても気に入ったようで、
番組出演時に「セナ・ミュージアム(?)にも展示したい」
とか何とか言っていたような記憶があります。

当初、手元に届くのは年内の予定だったのですが、
大幅に遅れて、手にしたのは翌年のF1開幕直前だったように記憶しています。
なぜ大幅に遅れたのかと言うと。。。



1991年鈴鹿GPで優勝し、ワールドチャンピオン獲得が決定したので
「『'88 '90 '91 WORLD CHAMPION』の文字を入れて欲しい」と
セナからリクエストがあったから、とのことでした。

ファンにはとても嬉しいサプライズでした。


セナ。。。
マイケルがF1に帰ってきたよ。
セナも帰ってきてよ。。。



FORMULA 1 WORLD CHAMPIONSHIP 2007

2007-03-17 18:46:39 | Sports
2007年のF1シーズンが幕を開けました。
日本での開催地も鈴鹿(ホンダの本拠地)から富士スピードウェイ(トヨタの本拠地)へと変わります。
フジテレビのF1中継も気分一新ということなのか?、長年親しまれてきたテーマ曲「TRUTH / T-SQUARE」を変えるそうで。。。
それがなんとQUEENの「Flash's Theme」をブライアン・メイがリミックスした「Flash's Theme 2007 High Octane Mix」という曲。

1999年と2000年にはB'zの松本孝弘作曲「GO FURTHER」という曲がテーマソングとして使われましたが、それ以外はずっと「TRUTH」でした(ヴァージョン違い含む)。
「GO FURTHER」に変えたら視聴者から不評を買ったので、新アレンジの「TRUTH」に再変更した、という経緯を知っている者としては、「Flash's Theme」が果たして定着するかどうか。。。という疑念もあり、クイーンファンでありF1ファンでもある身としては複雑な心境です。

F1って映像ソフトだけじゃなくてCDもたくさん出ていたんですよ。
私が持っているのはそのほんの一部だけです。

写真手前はT-SQUAREの「FACES」CDシングル。
この曲はアイルトン・セナのウィニングランのバックに使われていました。

写真左上は番組で使われた曲とエグゾーストノート少々が収録されているモノ。

写真右上はT=SQUAREとロイヤルフィルハーモニックオーケストラのジョイントで、アイルトン・セナの追悼コンサートで演奏された曲が収録されています。

写真左下はセナの死後リリースされた追悼CD。
「セナ足」のエグゾーストノートはもちろんですが、ほんのわずかとはいえ救急車のサイレンやセナが事故現場からヘリで病院へ運ばれた時のヘリの音までが収録されていて、その後に「A LATCHKEY」(F1GPのエンディングテーマとして使われていた曲)が流れるという、涙無くしては聴けないCDです

写真右下はセナの1991年ブラジルGPでの初の母国勝利記念にリリースされたCD。
エグゾーストノートはもちろん、当日の観客の盛り上がりも収録されています。

エグゾーストノートが延々収録されているようなCDもありましたっけ。。。
マニアは音を聞いただけで「何年のどこのレースの誰のマシンがどのコーナーを走っているところ」という判別ができるらしいです(@@)


で、F1テーマ曲変更記念ということで(笑)今まで陽の目を見ていなかったF1グッズの一部もご紹介します。


言わずと知れたタグ・ホイヤーですが、これはセナの死後最初に発売された
「タグ・ホイヤー6000 アイルトン・セナ追悼モデル」です。
全世界で3000個(各サイズ1000個x3サイズ)しか発売されず、しかもそのほとんどが関係者に配られたため店頭にもお目見えしなかったというレアもので、私の宝物です。



McLaren Honda MP 4/6(LANG 1:18)
アイルトン・セナが1991年に乗っていたマシンの1/18スケールモデルです。
セナが走らせた歴代マシンの中で私はこのMP 4/6がいちばん好きです。



セナが初めてワールドチャンピオンになった1988年に使用していたヘルメットの1/2スケールモデルです。



他にもシルバーストーンサーキットで買ったプレートとか、ドニントンパークで買ったプレートとか、イモラサーキットで買った灰皿?やキーホルダー等が食器棚の片隅でひしめき合っています。
場所さえあればちゃんと飾りたいんですけどね



Michael Schumacher

2006-09-11 18:02:08 | Sports
セナ亡き後のF1を牽引してきたシューマッハが今期限りで引退する事を発表しました。

シューマッハというと私はある写真を思い出します。
1992年版F1TVオフィシャルハンドブックに掲載された、まだデビューしたてのシューマッハの私服写真です。
F1マシンを模ったペンダントをしていました。
それを見た当時私はどうしても同じものが欲しくて、F1ショップに片っ端から問い合わせたのですが、類似品すら見つけることが出来ませんでした。

'99年、英国ドニントンパークサーキットのショップで写真のシルバーペンダントを見つけたときはとても嬉しくて、迷わず購入したのですが...
その後身に着けることもなくしまいこんでいたため、今回お披露目するために取り出して磨きました

私は大のセナファンで、実はシューマッハをあまり好きではありませんでした。
'91年デビュー当時はセナのことを「僕のアイドル」と言っていたシューマッハですが、翌年からシューマッハはセナをバッシングするようになりました。
セナもシューマッハに対して怒ることが多くなり、殴り合いの一歩手前になったこともあったようです。

1994年のイモラサーキット、シューマッハの目の前でセナはコースアウトしていきました。
セナを抜くことなくセナに逝かれてしまったシューマッハは、その後2000年のモンツァでセナの優勝回数41勝に並んだ時に、記者会見で感極まって?号泣しました。
そして遂に今年、無敵と思われたセナのポールポジション獲得回数をイモラで抜いたのでした。
ワールドチャンピオン、優勝、ファステストラップ、ポールポジション、全てにおいて歴代1位になりました。
まさに不世出のドライバーです。

そんなシューマッハでも、セナのモナコでの優勝回数6回を抜くことはできませんでした。
偉大な記録を抜かないでくれてありがとうシューミ


昨夜TVで引退発表を見ていたら、不覚にも涙が溢れてしまいました
セナと共にレースを戦ったドライバーが引退するのはとても寂しいです。
これでセナと共に走っていたドライバーはバリチェロだけになってしまいます。
またひとつの時代が終わってしまうのです。

嫌いだと言いながらも、私は近年シューマッハを応援する事が増えていました。
皇帝の座を脅かすドライバー、アロンソが出てきたからです。
同情ではなく、追われるものの美学とでも云うべき姿をシューマッハに感じたからです。

アロンソ、ライコネン、そしてルーキーのクビサ...
次の時代を担うであろう優秀なドライバーたちの活躍はとても楽しみですが...

I will miss you, Schumi...



2006 FIFA WORLD CUP JAPAN vs BRASIL

2006-07-04 12:31:40 | Sports

中田英寿選手が現役引退を表明しましたね。
ウチのダンナがドルトムントのスタジアムで観た6月22日の対ブラジル戦が事実上の引退試合となってしまいました。

ダンナもヒデと同じく8才からサッカーを始め、高校卒業までずっとサッカー部だったそうです。
ポジションも同じMF。
さすがに大学ではサッカー部には入らなかったそうですが、その後就職してから、とある会社のサッカー部の名誉監督に就任したことがありました。
ま、現役としてはもう使えないけれど、知識だけは豊富だから、という理由だったようですが

試合観戦後、ホテルに戻ったダンナとIMを使ってチャットした時、私が「ヒデが起き上がらなかったの、見た?」と訊ねると、「ずっと見てた。」と返事が。
「気持ちの整理をつけるのに時間がかかったんだろ。引退するつもりかもね。」というダンナの言葉で、私はユーミンの「ノーサイド」という曲を思い出しました。

ダンナの周りの観客は、ヒデに気付かず早々に帰り支度を始め、席を後にする人が多かったそうです。
同行者に「あれ?帰らないんですか?」と言われてもダンナは「ヒデがまだ起きていないだろ!」とその場を動かなかったそうです。
立ち去ったのが観客だけでなく、チームメイトたちまでも...というところにダンナは怒りを覚えたそうです。
「ヒデの気持ちが他のメンバーに伝わっていなかったから勝てなかったんだ。」と。

帰国後、ドイツで撮ってきた写真を見せてもらったら、試合後にピッチに座り込んだところから起き上がるまでのヒデの写真が何枚もありました。

お疲れ様でした。


FORMULA 1 British Grand Prix ’98

2006-06-12 20:03:08 | Sports
この週末はサッカーワールドカップとF-1ブリティッシュグランプリが重なって、英国はかなり盛り上がっていたんじゃないかと想像します。
ワールドカップの放送時間に鑑みて、F-1決勝のスタート時間を少し遅らせたそうで。
さすがフットボール(サッカー)&F-1発祥の地ですね

で、1日遅れではありますが、F-1のチケットをアップします。

1998年7月12日、英国、シルバーストーンサーキット。

<リザルト>
1 M.SCHUMACHER (FERRARI) 1:47'12.450
2 M.HAKKINEN (MCLAREN MERCEDES) 1:47'24.915
3 E.IRVINE (FERRARI) 1:47'31.649
4 A.WURZ (BENETTON PLAYLIFE) 1:47'29.402
5 G.FISICHELLA (BENETTON PLAYLIFE) 1:47'30.546
6 R.SCHUMACHER (JORDAN MUGEN-HONDA) 1:47'54.075

ポールポジションからスタートしたハッキネンが順調に走っていたのですが、スタート時には止んでいた雨がまた降り出し、コースアウトするマシンが出始め、終盤の土砂降りでついにハッキネンもスピンしてしまい、シューマッハにトップを奪われてしまいました。


当時ロンドンに在住していた友人夫妻と一緒に行ったのですが、サッカーはスタジアムで何度も観戦している友人がF-1初観戦の感想をこう言い表しました。
「やっぱりF-1の観客はサッカーの観客とは人種が違う。」
英国には未だに階級意識が根強く残っていて、サッカーは労働者階級の楽しみ、F-1は裕福な人たちの楽しみ、ということを身をもって感じたのでしょう。
で、その友人ったらレースクイーンと一緒に写真を撮ったりして楽しんでました
右はブリティッシュグランプリの公式プログラムです。



この翌年には、同じく英国はダービーシャーにある「ドニントンパークサーキット」に行き、併設の博物館で歴代のF-1マシンを堪能しまくってきました

連れて行ってくれた友人(一緒にF-1観戦した友人)に「セキュリティシステムが作動しているはずだから、触ったりすると警備員が飛んでくるぞ!」と脅かされたのですが、私はセナが'93年にこのサーキットで神がかりのような走りで優勝した時のマシンのステアリングを握ってしまいました
でも警報音が鳴る事も、警備員が飛んでくる事もありませんでした
他に来館者は見当たらず、貸し切り状態の中、マシンに乗り込んでみたい欲求を抑えるのが大変でした


2000年5月にはイタリアのイモラサーキットへ行って、セナの事故現場で黙祷を捧げてきました

サーキットのショップでお土産を物色していたら、店員のお姉さんが「どこから来たの?」と英語で話しかけてきて、「え?日本からわざわざ?!ちょっと待ってて!」と言って奥から持ってきてくれたのがコレ↓。

2000年のサンマリノグランプリ(イモラ)のオフィシャルプログラムです。
既にグランプリは終わっていたので、余った物とはいえ、「これ、あげるわ♪」とタダでプレゼントしてくれました
まだ買い物前だったので、プログラムをいただいちゃったからには...とあれこれ買い込む羽目に...
イタリア美女は営業もお上手(笑)。


「F-1ターミネーター」とも「紅い皇帝」とも呼ばれ、セナ亡き後のF-1を牽引してきたシューマッハですが...
盛者必衰の理は当然F-1界にもあてはまるわけで...
スペインから彗星のごとく現れた「青い稲妻」アロンソに皇帝の座を譲らなければならない時が来るのも時間の問題でしょう。

ドラマが多ければ多いほど、見ている側としては面白いのですが...
どうかもう2度と死亡事故が起きませんように、と祈らずにはいられません



2006FIFAワールドカップ開幕記念

2006-06-09 19:34:00 | Sports
2006FIFAワールドカップがいよいよ始まりますね。
開幕記念ということで、サッカーのチケットをアップします。

ウチのダンナは小学3年から高校までずっとサッカーをやっていたそうで、当然今もサッカーファンです。
子供の頃「ダイヤモンドサッカー」という番組を見て、イングランドのマンチェスター・ユナイテッドというチームのファンになったとのこと。
そのマンチェスター・ユナイテッドが1999年にトヨタカップで来日しました。

1999年11月30日、東京・国立競技場
マンチェスター・ユナイテッド vs パルメイラス

正規手段でチケット確保を試みるも全滅し、「行かなくてもいいや」と負け惜しみを言うダンナが気の毒だったので、私が某オークションで定価の約3倍で落札しました。
それだけ払ってでも、ダンナにマンチェスター・ユナイテッドの晴れ姿を見せてあげたかったのです。
試合は無事マンUが勝利し、クイーンの「We Are The Champions」が国立競技場に高らかに鳴り響き、マンUファンのダンナも、クイーンファンの私も、とても嬉しく誇らしい気分を味わうことができました



2002FIFAワールドカップでは、3試合を観戦しました。
2002年6月5日、茨城・鹿島サッカースタジアム
ドイツ vs アイルランド

3試合見た中では、この試合がいちばん面白かったです。
試合終了間際にアイルランドのロビー・キーンが同点ゴールを決め、試合は引き分けだったのですが...
まるでアイルランドが勝ったかのようなサポーターの盛り上がりは凄かったです。
引き分けにもかかわらずドイツは負けた気分を味わった事でしょう(苦笑)。
ちなみに我々はアイルランドを応援しました。
自宅から車を飛ばして鹿島へ向かう途中、成田を過ぎたあたりでネズミ捕りにひっかかってしまったのですが、そこで少し時間を取られたおかげで潮来のインターを降りる際、偶然アイルランドチームが乗った緑色のバスの真後ろにつき、そのままスタジアム付近までずっとアイルランドチームの後ろ(間にパトカー1台)を走る事になったのでした
スタジアムに着いてからも、とっても陽気なアイルランドサポーターのおかげで入場前の列に並んでいる時からお祭り気分を満喫できました


2002年6月12日、大阪・長居スタジアム
ナイジェリア vs イングランド

とても暑い日で、イングランドはバテていましたね。
試合開始前のウォーミングアップ時、オーウェンがまるで金魚のフンのごとくベッカムの後をついてまわっていたのが印象的でした。
当時私はベッカムよりもオーウェンを応援していたのですが、彼は前半だけで引っ込んでしまいました
ベッカムは、トヨタカップの時はまだ前年の失敗(1998W杯、対アルゼンチン戦での退場)を引き摺っていたのか、それほど目立っていた記憶はないのですが、2002W杯でのベッカムはピッチのどこにいるのかすぐに分かるほどのオーラを放っていました。
1998W杯開催時に英国にいたダンナと私は、向こうでさんざん「スチューピッド・ベッカム」に対する罵声を聞かされてしまったせいか、ベッカムに対してはあまり期待しなくなっていたのですが、2002W杯では彼をすっかり見直しました
と言ってもこの試合はつまらなかったです。 0-0の引き分けでした。


2002年6月15日、新潟スタジアム(ビッグスワン)
デンマーク vs イングランド

決勝トーナメント1回戦。 ベッカムのソフトモヒカンが雨で台無しになったあの試合です(笑)。
イングランドは前半で3点のリードを奪うという危なげない試合運びを見せてくれました。
後半になってもデンマークはシュートを決めることができず、イングランドサポーターたちももう大丈夫だと思ったらしく、後半30分あたりから芋虫のように列を作って客席の通路を練り歩いたりと、まだ試合が終わっていないというのにお祭り騒ぎでした(苦笑)。
12年ぶりのベスト8進出決定だったので、サポーターの盛り上がりは無理もないこと。
オーウェンのシュートも決まったし、スタジアムも綺麗だったし、行った甲斐がありました


さて、いよいよ2006FIFAワールドカップです。
まずは対オーストラリア戦に何が何でも勝ってもらわないと!
ウチのダンナは22日の日本対ブラジル戦を観戦するため、再来週ドイツに向かいます
私は猫たちとお留守番
テレビの前で日本を応援します。
ガンバレ、ニッポン



AYRTON SENNA FOREVER ’94

2006-05-18 02:58:35 | Sports
1994年8月6日、東京ベイNKホール。

ロジャー・テイラーのソロ来日公演のことをあまり覚えていないのは、1994年5月にアイルトン・セナが事故死したからかもしれません。
1988年10月から、私の中では セナ>ロジャー だったので...。

セナがいなくなってもF1グランプリは続くわけで、TV放送を毎回見てはいたものの、見れば見るほど喪失感に襲われていました。

このコンサートの事はよく覚えています。
私の席からは、舞台中央の台の上に掛けられたブラジル国旗と、その上に置かれたヘルメットがとてもよく見えて、まるでお葬式に参列しているような気分で、涙をこらえるのに必死でした。
会場にエグゾーストノートが響き渡り、日本ニューフィルハーモニー管弦楽団の演奏が始まると同時にその台は舞台の下へと消えてゆきました。
セナと親交のあった面々がそれぞれの思いを語り、日本ニューフィルハーモニー管弦楽団とT―SQUAREの演奏とともにスクリーンではセナの生涯を振り返るVTRが流され、初めて見る映像も多かったので、涙で見えないのではあまりにもったいないと思ったので...。

最後の最後、日本のファンに向けたセナからのメッセージが流された時にはさすがに涙をこらえきれず、その後はもうボロボロでした...


蛇足ですが...
セナが亡くなって数日後、モナコ・グランプリの直前に、私は不思議な夢を見ました。
モナコのポール・ポジションに、真っ黒いマシンに乗ったセナがいました。
夢の中で私は「そうか、モナコだもんね...走りたいよね...」と、セナがもういないことを分かっていながら、でもそこにいるのはセナだと分かっていたのです。
明け方に見た夢なので、起きてからも頭から離れず、なんとなく縁起が悪い気がして私は友人のcazちゃんに電話をして、この夢の話をしました。

その日の夜、衝撃のニュースが...
モナコグランプリの練習走行中、ザウバーのカール・ベンドリンガーがタイヤバリアに激突して、重症を負ったとのこと。
当時のザウバーのマシンカラーは黒でした。

翌日cazちゃんから電話がかかってきました。
彼女も相当驚いたようでした。

カール・ベンドリンガーは頭部に強いダメージを受け、一時は復帰どころか生命さえ危ぶまれるほどの重症だったようですが、幸い回復し復帰することができました。
F1引退後はツーリングカーレース等で活躍していたようです。


F1グランプリでもう誰も事故死しないように、今もセナが見守ってくれている事でしょう。