Those Were The Days of My Life

I will send you to The Path of Nevermore...
2度と戻れない過去への招待状

ISAC & KONDI

2010-05-23 00:05:30 | Music

昨年の今日5月23日、ISACこと坂西伊作さんがこの世を去りました。
享年51歳。

80年代半ばから90年代にかけて、EPICソニーのビデオディレクターとして活躍し、
フォロワーたちにも多大な影響を与え、尊敬され続けている天才、
邦楽映像界の先駆者です。
また、洋楽ではDEAD OR ALIVEやCYNDI LAUPERのライヴ作品なども手がけました。

伊作さんが手がけた作品の一例をご紹介します。

『eZ(イーズィー)』
この↑音楽番組の総監督が伊作さんでした。

『Peachどんなことをしてほしいのぼくに』

『SUPER FORK SONG~ピアノが愛した女~』

明晩、24日の02:00~03:10に『MUSIC ON! TV』にて
『misato born III Flower bed from eZ the Movie』が放送されます。


素晴らしい作品が多すぎて、どれかひとつを選ぶのはとても難しいのですが。。。


COME ON LET'S DANCE/TMネットワーク

私がEPICに入ったばかりの頃に初めて見た伊作さんの作品↑です。
衝撃を受けました。
ちなみにこの作品には、後のMASSIVE ATTACKの前身ユニットにあたる
THE WILD BUNCHのメンバーが出演しています。
たまたま来日中だった彼らと伊作さんが偶然六本木で出会って親しくなり、TM NETWORKのアルバム『GORILLA』のレコーディングにもラップで参加してもらったそうです。
とても伊作さんらしいエピソードだと思います。


仕事にはとても厳しい伊作さんでしたが、私にはとても優しかった。。。
でも、仕事以外のことでお世話をかけすぎてしまい、ある時、
「優しいだけの伊作さんじゃないんだぞ!」と叱られたことがありました。
それはそれは厳しく、私は泣き出してしまったほどでした。

私は伊作さんの手が好きでした。
編集室でジョグシャトルコントローラーを操る手。。。
何度やってもピッタリ同じところで止められる神業。。。
ライヴシューティングの時、据え置きカメラのレンズに添えられた手。。。
JULIA FORDHAMの『Porcelain』という曲を聴いた時、
真っ先に思い浮かべたのは伊作さんの手でした。



EPICビデオ班時代、そんな伊作さんのアシスタントとしていつも忙しく動き回っていた
KONDIこと近藤宣幸さんが、今年4月29日にくも膜下出血で突然逝ってしまいました。
享年45歳。。。あまりにも突然すぎます。。。若すぎます。。。


KONDIと私はEPICに入ったのがほぼ同時期で、EPICオールアルバイターズ仲間でした。
数年後KONDIはEPICビデオ班から洋楽セクションへ移り、
宣伝そしてディレクターとして数多くのアーティストを担当しました。
90年代のUKロックブームの功労者のひとりとして一部ファンたちの間では超有名です。

担当したアーティストは
NED'S ATOMIC DUSTBIN
MANIC STREET PREACHERS
SUEDE
PRIMAL SCREAM
そしてOASISなどなど。。。

現在も続いているTHE CLUB ROCKSというクラブイベントの創始者でもあり、
自らDJもやってのけるというアグレッシブなディレクターでした。

その後別会社に移り、中島美嘉他多数のアーティストを手がけました。

KONDIの置き土産はこちら↓です。
techesko - emi tawata's official brand

KONDIとは数年前mixiで再会し、以後メールや電話を交わしていました。
伊作さんと再会できたのもKONDIのおかげなので、彼には深く感謝しています。

KONDIが手がけた作品も多すぎて、どれを選ぼうか迷ったのですが。。。

Divine Design / 松岡英明


EPICビデオ班時代のKONDIの初監督作品↑だそうです。
このビデオクリップが出来上がったばかりの時、松BOW(松岡英明)が
会社の私の隣の席に座って、
「ねぇねぇ、Divine Designのビデオ見てくれた?」と話しかけてきました。
「砂漠のヤツでしょ?見た見た!雰囲気があって素敵なのが出来たね~♪」と言うと
「ホント!? ヨカッター!」ととても嬉しそうでした。
当時私はそれがKONDIの初監督作品だとは知りませんでしたが、
後にKONDIのmixi日記でそれを知り、この話をしたらKONDIもとても懐かしんでいました。
人懐っこい松BOWはよく私の隣の席に座って、他愛ないおしゃべりをしたものでしたが
自分の作品のことをこんなふうに聞いてきたのはこの時だけ。。。
今になって思えば、まだ駆け出しだったKONDIが作ったってことで、
どう評価されるか少し不安だったのかな?(苦笑)
確かKONDIは松BOWの他の曲のビデオクリップに出演もしています。


KONDIを一言で表すとしたら『アグレッシブ』。
憎めない強引さを持ち、常にポジティブで、皆に愛されていました。
そして、ご家族をとても愛していました。
若くて美人の奥様と自慢のご子息を残して、突然逝ってしまうなんて。。。

今はまだ悲しみより、怒りに似た感情がこみ上げてきます。
神様。。。あんまりです。。。



私の中では伊作さんとKONDIは切っても切り離せない2人でした。
今頃向こうで2人で飲んだくれているんじゃないかな。。。

私は飲めないけど、そっちに行ったら仲間に入れてくださいね。


Ronnie James Dio 1942 - 2010

2010-05-18 19:52:24 | Music

レインボーやブラックサバスのヴォーカリストとして活躍したロニー・ジェイムス・ディオが
2010年5月16日午前7時45分(現地時間)、胃癌のため亡くなったそうです。
享年67歳。


私が初めて行ったハードロックのコンサートが1978年2月3日のレインボー武道館公演でした。
武道館のアリーナ席も初体験でした。

>RAINBOW '78

32年も前のことなので、記憶があやふやな部分が多いのですが、
オープニング『Over The Rainbow』に続いて『Kill The King』のイントロが鳴った時のことは
とてもよく覚えています。
札幌での死亡事故の後だったので、アリーナの警備がガチガチに固められていたため、
『Over The Rainbow』が流れても観客は皆立ち上がらずに我慢していたのです。
でも『Kill The King』のイントロと共に皆弾かれたように立ち上がりました。

YouTubeで1978年1月11日名古屋公演の音源を見つけたので、ここに貼らせていただきます。



虹を越えて、安らかにお眠りください。。。

Long Live Rock'n'Roll!


Ⅹ 1992

2010-05-03 02:00:25 | Music
5月2日はX-JAPANのHIDEの十三回忌でもあったんですね。

さっきまで、CSのTBSチャンネルで放送されていた
『X JAPAN WORLD TOUR Live in TOKYO~攻撃続行中~ ~無敵な夜~』
を見ていました。

たまたまTV画面上の番組表をチェックしていて見つけ、チャンネルを合わせたら、
ちょうどYOSHIKIのドラムソロが始まったところでした。
ドラムセットごと宙を舞うYOSHIKI。。。
YOSHIKIのドラムソロと言えば、最後にはYOSHIKIがドラムセットごと
倒れてしまうことで有名だったので、思わず
「気をつけて~!落ちないでね~!」
などと心配してしまいました(^^;)
あの細い体のどこにあれほどのパワーが潜んでいるのか。。。




一度だけ仕事でⅩの東京ドーム公演に行ったことがあります。
1992年1月の『東京ドーム3DAYS〜破滅に向かって〜』でした。

会場入りする前に、先ず外の広場に集まっていたファンたちに驚きました。
髪を染め、メイクして、ゴスロリ・ファッションに身を包んだ女の子たち。
その数のなんと多いことか。。。
数人で集まって、あちこちで円陣を組んでいました。
何が始まるのかと興味津々で見ていたら。。。
「おめーら行くぞオリャー!」という掛け声に続いて
それぞれが好きなメンバーの名前を絶叫し始めました。
体育会系ゴスロリ(笑)を見たのは初めてで、その情熱に感動しました。

会場に入ると、物販ブースの辺りは怒号や泣き声のカオス状態@@;
欲しかったグッズが売り切れてしまい、辺り構わず大泣きする女の子たち。。。
「あら大変、メイクが落ちちゃうわよ~」なんて思うのはオバサンの証拠で、
彼女たちはただ自分の感情に素直に突き動かされているだけ。。。
あの情熱を心底羨ましく思った私でした。

あくまでも仕事のお手伝いで行っただけなので、
ライヴは仕事の合間に時々覗く程度にしか見られなかったのですが、
有名なシーンを見逃すまい、と思い、
YOSHIKIのドラムソロと、Xジャンプ(?)はしっかり見ました。

私は、熱心なファンたちがライヴで揃った動きをするのを見るのが大好きです。
会場全体が同じタイミングで同じ手の形を作ってジャンプする様子は圧巻でした。

そういえばロンドンでザ・イエロー・モンキーのライヴを見た時
ファンクラブの皆さんと同じタイミングで飛び跳ねることができず、
「同じタイミングで跳ねないと足を踏まれるんだ。。。」と
思い知ったこともありました(笑)。


今夜見た映像に映っていたファンたちは、割と普通の服装の人が多かったので、
時の流れを痛感しました。
アーティストと共にファンも年齢を重ねて、
もうあの頃のような衣装に身を包むこともなくなったのかな、って。
でも服装は普通でも、情熱が冷めたわけではない、と。

ファンたちの情熱がX-JAPANを支えているように思えました。



hideの十三回忌法要には3万5千人のファンや関係者が参列したそうです。

33歳という若さで、志半ばで散ってしまったhideさんに 黙祷を捧げます。

Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ 2007

2010-05-02 05:02:49 | Live 2005-

今日は忌野清志郎の一周忌ということで
いくつかの追悼イベントが開催されるようですね。

私はこの記事で追悼させていただきます。
清志郎の歌を生で聴いた、最後のライヴです。

2001年から毎年開催されているこのライヴの趣旨は
http://www.dreampower-jp.com/
コチラ↑をご覧下さい。



2007年12月8日(土) 日本武道館。


☆セットリスト☆ ●参加アーティスト

♪ オープニングメドレー I Want You ~ Dig A Pony ~ I've Got A Feeling
   ●吉井和哉、奥田民生、斉藤和義

♪ Don't Let Me Down
   ●忌野清志郎

♪ She Said She Said
♪ Nowhere Man
   ●くるり

♪ What You Got
♪ (Just Like)Starting Over
   ●BONNIE PINK

♪ Love
♪ Real Love
   ●THE SUNDAY DRIVERS(渡辺健二+箭内道彦)

♪ Bring It On Home To Me
   ●クラウス・フォアマン

♪ Instant Karma
♪ Across The Universe
   ●LOVE PSYCHEDELICO

 朗読「イマジン」
   ●樹木希林

♪ Grow Old With Me
♪ Give Peace A Chance
   ●Chara

♪ Jealous Guy(日本語バージョン)
♪ Baby It's You
   ●斉藤和義

♪ Slippin' And Sliden'
   ●奥田民生

♪ And Your Bird Can Thing
♪ In My Life
   ●奥田民生 with 木村カエラ

♪ Hey Bulldog
♪ I'm Losing You
♪ Help!
   ●吉井和哉

♪ Mother(日本語バージョン)
♪ A Hard Day's Night
♪ Imagine(日本語バージョン)
   ●忌野清志郎 with 仲井戸麗市

エンディング
♪ Happy Xmas(War Is Over)
♪ Power To The People ~ Give Peace A Chance
♪ Imagine
   ●オールキャスト

トリビュート・バンド:
十川知司(キーボード)
和田春彦(バンド・マスター、キーボード)
土屋潔(ギター)
名越由貴夫(ギター)
押葉真吾(ベース)
古田たかし(ドラム)



喉頭癌の治療のために2006年7月から活動を休止していた清志郎が
完全復活を宣言するべく出演したこのライヴ。

清志郎は、病気療養中にオノ・ヨーコさんから手紙をもらったことを
嬉しそうに披露してくれました。

「復活しちゃったから、またハードデイズが始まろうとしている」と言って
『A Hard Day's Night』を歌い。。。

そしてジョン・レノンと清志郎といえば、『イマジン』。


この『イマジン』が、私が聴いた清志郎の生歌の最後となってしまいました。

この後、入場時に配られた『ONOCHORD』というペンライトを使って
出演者全員と客席で「I Love You」のメッセージを点滅させ、エンディングへ。



最後の最後にオノ・ヨーコ登場。
世界平和を念じて全員で『Imagine』を合唱。

たとえジョン・レノンを知らない人でも、
お目当てのアーティストだけを観に来たつもりだった人も。。。
ジョンとヨーコ、そして参加アーティストたちと同じ気持ちを共有できた
意義のある、素晴らしいライヴでした。


ありがとう、ジョン。
ありがとう、ヨーコ。

そして、ありがとう、清志郎。

愛しています。


AYRTON SENNA 1960 - 1994

2010-05-01 05:24:28 | Sports
1994年5月1日。。。

あの日から16年経ちました。
アイルトン・セナ。。。生きていれば今年50歳。。。

事故現場であるイモラ・サーキット内の運動公園に
アイルトン・セナのブロンズ像が設置されています。

私がそこを訪れたのは2000年の5月30日でした。
既に2000年のサンマリノGPは終わっていたし、
平日の午後ということもあり、
運動公園には人の姿がほとんどありませんでした。

遠くから見えたセナのブロンズ像は、とても寂しそうでしたが、
近づくと、ちゃんと花が供えられていて、
絶えずファンが訪れていることが伝わってきました。





事故現場であるタンブレロ・コーナーを見守るように、
というより、憂うかのようにうなだれている姿が
なんだか悲しく見えて仕方ありませんでした。



1992年頃、フジテレビのF1中継では、各ドライバーごとに
ウィニングランのテーマ曲が決まっていました。

アイルトン・セナがトップチェッカーを受けるときには
T-SQUAREの『FACES』がかかりました。



この曲を聴くと、当時自室の14インチTVでレースを見ながら
夜中に1人で盛り上がっていたことを思い出します。

隣室で寝ていた父には少なからず迷惑をかけていたようで、
セナが勝った翌朝は必ず
「昨夜セナが勝っただろ。」と言われたものでした

。。。セナに会いたい。。。





これ↑は、18金コイン型ペンダントです。
1991年の鈴鹿の直前だったと記憶していますが、
フジテレビの『F1MONOコック』という番組でセナグッズの特集があり、
鈴鹿でセナを応援する人向けのTシャツやブルゾンなどと一緒に
このペンダントと指輪が紹介されました。

ペンダントと同じデザイン+リング部分にはチェッカードフラッグをあしらった、
かなりごついデザインの指輪は、女性の指には似合わないと思ったので、
私はペンダントを購入。
限定数は忘れましたが、私のは#033です。

セナったら、ごついデザインの指輪をとても気に入ったようで、
番組出演時に「セナ・ミュージアム(?)にも展示したい」
とか何とか言っていたような記憶があります。

当初、手元に届くのは年内の予定だったのですが、
大幅に遅れて、手にしたのは翌年のF1開幕直前だったように記憶しています。
なぜ大幅に遅れたのかと言うと。。。



1991年鈴鹿GPで優勝し、ワールドチャンピオン獲得が決定したので
「『'88 '90 '91 WORLD CHAMPION』の文字を入れて欲しい」と
セナからリクエストがあったから、とのことでした。

ファンにはとても嬉しいサプライズでした。


セナ。。。
マイケルがF1に帰ってきたよ。
セナも帰ってきてよ。。。



更新は 忘れた頃に やってみる (^^;)

2010-05-01 05:06:05 | Weblog

なんと2年近くも放置してしまいました

「更新しようかな?」と思ったことも何度かありましたが、
いざ記事を書こうとしても、写真撮影やスキャニング、
そして画像を縮小してアップして。。。と
かなり面倒くさいので、
ついつい億劫になり、結局今まで更新せずにきてしまいました。

放置中にご訪問くださった方々、どうもありがとうございます

放置中も2桁~多い時には3桁のアクセスが絶えることなく、
中にはお1人で何ページもご覧になってくださっている方もいて、
「こんなブログでも、何らかのお役に立っているのかも」と思って
申し訳ないやら、恥ずかしいやら。。。

多分今後もコンスタントな更新はできないと思いますが、
まだ少しネタは残っていますので、
気が向いたときに更新させていただきます。

よろしければ、気が向いたときにでもまた覗いてみてください