Those Were The Days of My Life

I will send you to The Path of Nevermore...
2度と戻れない過去への招待状

JEFF BECK with STANLEY CLARKE

2005-11-23 21:48:26 | Live 1976-1979
1978年11月30日、ジェフ・ベックのライヴで武道館に行った。
前日に観たジェネシス・ライヴのことはよく覚えているのに、このジェフ・ベック・ライヴに関しては何も覚えていない

それにしてもこの席...武道館を知っている人ならわかると思うが、北西スタンド2階S列という席からステージがどの程度見えただろうか?音は?
今はステージ後方にスクリーンがあることが多いので北スタンドは滅多に開放されないようだが、昔は北スタンド1階はある意味「特等席」でもあった。
ステージ、特にドラムセットに手が届きそうな距離で観られるから。
北スタンドに客が入っている時は、プレイヤーが真後ろの客にも手を振っていた。
音的にはNGだろうが、北スタンドの客をうらやましく思う事もあった。
そう、北ならまだしも...北西スタンドの天井近くの席なんて...
ジェフ・ベックは割りとよく聴いていたし、これが初ベックだったのに、何故「B席」なんか買ったんだろう?
ひょっとするとSもAも売り切れて、B席しか買えなかったのかもしれない。
名盤「ギター殺人者の凱旋(!)」「ワイアード」に続いてリリースされたのが'77年の「ライヴ・ワイアー」だったから、ライヴにファンが殺到したのはよく分かる。

「ギター殺人者の凱旋」とは「BLOW BY BLOW」に当時つけられていた邦題。
ちなみに「Cause We've Ended As Lovers」は「哀しみの恋人たち」に...
ジェフ・ベック本人が邦題を知ったら怒るのではないかとよけいな心配をしたものだったが、まさか将来自分が...その邦題をつけたであろう会社に入る事になるとは...


このステッカーはロゴから判断して「ゼア・アンド・バック」リリース('80年)前後のものだと思う。
当時フライヤーなどと一緒に会場近辺で配られていたモノ。
こういうものまでとってあった自分にちょっと驚いている(笑)。

GENESIS ’78

2005-11-22 19:52:12 | Live 1976-1979

1978年11月29日、中野サンプラザでジェネシスのライヴを観た。
これが初来日、しかも会場がサンプラザクラスということに先ず驚いた。
「・・・And Then There Were Three」というアルバムタイトルの通り、メンバーがマイク・ラザフォード、トニー・バンクス、フィル・コリンズの3人になってしまってからの来日だったが、アルバムもシングル「follow you follow me」もかなりヒットして、それまでのプログレバンドのイメージから脱しつつある時期だったと思う。

このライヴのことはよく覚えている。
素晴らしいライヴだった。
ライブ、というより「ショウ」という言葉の方が合うかもしれない。
その上、フィル・コリンズはMCをほとんど全部(英語交じりの)日本語でやってのけたのだ。
もちろんカンペを見ながらだったが、そのエンターテイナー精神に感激した。
チェスター・トンプソンとのツイン・ドラムスも素晴らしかった。
「Eleventh Earl Of Mar」「Burning Rope」「Dance On A Volcano」「Squonk」「I Know What I Like」「The Cinema Show」...記憶にあるだけでもこのラインナップ!
これらを生で聴けたなんて♪

そう、確かに「聴いた」けど...実は...
前の晩、ミニコミ誌編集の追い込みで2時間しか寝られなかった事がたたり、当日ライヴ前半は目を開けていたくても自然にまぶたが閉じてしまうような状態だったのだ
曲はちゃんと聴こえているのに目が...あぁなんてもったいない事を...

つい最近、フィル・コリンズがジェネシス再結成に関して前向きな発言をしたとのこと。
しかもヴォーカルはピーター・ガブリエルで。
もし実現したら是非来日して欲しいなぁ。

12月2日のセットリスト
01. Eleventh Earl of Mar
02. In The Cage
03. Burning Rope
04. Ripples
05. Deep In The Motherlode
06. One For The Vine
07. Squonk
08. Say It's Alright Joe
09. The Lady Lies
10. The Cinema Show~Afterglow
11. Follow You Follow Me
12. Dance On A Volcano~Los Endos
13. I Know What I Like


IAN GILLAN BAND ’78

2005-11-21 00:41:23 | Live 1976-1979
1978年10月17日、渋谷公会堂でイアン・ギラン・バンドのライヴを観た。
私が洋楽にのめりこんだ頃にはディープ・パープルは既に解散していた。
その後ディープ・パープルの黄金期である第2期のアルバムを聴きまくったので、2月にレインボーでリッチーを観たからには、イアン・ギランも外すわけにはいかないという思いでこのライヴに行ったのだが...

ライヴの詳細はもう忘れてしまったが、感想だけは覚えている。
「観なきゃよかった...」である。
たしか「Child In Time」を演ったのだが、太ってたるんだイアン・ギランが歌ったその曲はパープル時代とは別物だったような記憶が...

レインボーでは「金返せ!」、イアン・ギラン・バンドは「観なきゃよかった」...
ディープ・パープルとは相性が悪いのかも...と思ったものの、懲りもせずに去年3月のディープ・パープル来日公演にも行った私(苦笑)。

今年のライヴ8でもウェブ中継でカナダ会場のディープ・パープルを見たが、あまりに音がスカスカなのに驚いた。
その時は「ウェブ中継だから仕方ないのかな?」と思ったのだが、後日TVで10時間放送されたときも同じ音だった...

ディープ・パープルが再解散するのはいつになることやら...。

CHEAP TRICK ’78

2005-11-20 01:53:35 | Live 1976-1979
1978年4月30日、チープ・トリック武道館追加公演に行った。
席はアリーナ、前から2列目で、ベースのトム・ピーターソンとライヴ中何度も目が合って、嬉しくて舞い上がってしまったことをよく覚えている。
かの有名な「チープ・トリックat武道館」というアルバムは、4月27日大阪厚生年金会館と28、30日の武道館を収録したもの。
ってことは、有名な「黄色い声」の中には私の声も。。。

ちょうどこの頃私はロック同好会を作ったばかりで、会報第2号にこのときのライヴ評を書いていた。
差障りがあるのでここには載せられないが、要約すると「サウンドはレコードとあまり変わりなく、スッキリしていて気持ちよい。 ハード・ロックというよりハード・ポップって感じ。」だそうな。
今となっては思い出そうにもトムの笑顔ぐらいしか思い出せない...

セットリストは以下の通り(?と書いてある部分は曲名不明)。
ただしこれは自分でメモってきたものなので、間違いがあってもご容赦を。

1. Hello There
2. Come on, Come on
3. Elo Kiddies
4. Speak Now or Forever Hold Your Peace
5. Big Eyes
6. ?
7. Downed
8. ?
9. Oh Caroline
10. Surrender
11. Auf Wiedersehin
12. ?
13. High Roller
14. Southern Girls
15. I Want You To Want Me
16. California Man
17. Hello There
~アンコール~
18. ?
19. Clock Strikes Ten

'90年代、フジテレビのF1のエンディングにロビン・ザンダーの「In This Country」が使われていた時期があった。
おかげで、一時期しか聴かなかったチープ・トリックの曲より、ロビンの「In This Country」の方が耳に馴染んで、カラオケでも時々歌っている(笑)。

RAINBOW ’78

2005-11-19 00:47:08 | Live 1976-1979
1978年1月27日、札幌中島スポーツセンターでのレインボーのライヴで悲劇が...
開演と同時にステージに殺到した観客が将棋倒しになり、19歳の女子大生が死亡するという事故が起きてしまったのだ。

私が行ったライヴはその事故のちょうど1週間後、2月3日の武道館追加公演だった。
アリーナはブロックごとにロープが張られ、各通路に4~5人の警備員が配置されていたように記憶している。
そして...公演中は絶対に席から立ち上がるなという放送が...
立ち上がるなと言われても、レインボーのライヴを大人しく座って聴くのは苦痛だった。
オープニング「Kill The King」のイントロと同時に思わず立ち上がったら、すぐ警備員に肩を押され座らされた。
それはそれは乱暴な扱いだった。
ライヴ中ずっとアリーナのあちこちでそんな光景が繰り広げられていた。
札幌での事故の犠牲者に黙祷を捧げたことを覚えているが...肝心の演奏に関してはあまり覚えていない。
コージー・パウエルのドラムソロではドラムセットがせり上がってマグネシウムが焚かれたりと、ライティングや演出は派手だったが...ギターを壊すリッチー・ブラックモアを楽しみにしていたのに、彼はギターを壊さなかった。
きっと主催者側から「観客をあおるような行為をしないように」とでも言われたのではないだろうか。
その上、アンコールにも応じなかった。
終演後、会場のライトがつけられるとアリーナではどこからともなく「金返せ!」コールが巻き起こり、多くの客が椅子の上に立ち上がって右手のこぶしを突き上げながら「金返せ!金返せ!」とシュプレヒコール。
周りが皆やっていたので私も参加したが、かなり危険な状況だったと思う。

あの日客に「金返せ!」コールされたことをメンバーは知っているのだろうか...。

ドラムスのコージー・パウエルは1998年に交通事故で亡くなった。

FLEETWOOD MAC ’77

2005-11-17 18:26:49 | Live 1976-1979
1977年12月5日、フリートウッド・マックのライヴに行った。
マックを知ったきっかけはFENではじめて聴いた「リアノン」だったと思う。
スティーヴィー・ニックスの大ファンになった。
'77年といえば、アルバム「噂」がリリースされた年で、「オウン・ウェイ」や「ドリームス」は日本でもヒット。
これ↓は当時ライヴ会場などで配られていたステッカー。懐かしいっ!

元々ブリティッシュ・ブルース・ロック・バンドだったらしいが、リンジー・バッキンガムとスティーヴィー・ニックスが加入してからは、イーグルス等と共に「ウエストコースト・ロック」扱いだったように記憶している。
AOR(アダルト・オリエンテッド・ロック)などというわけのわからないジャンルができたのもこの頃だったと思う。

ライヴでは、ステージ狭しと舞うスティーヴィーをひたすら双眼鏡で見ていた。
シフォンのヒラヒラドレスに身を包んだ彼女はまるで妖精...だが歌声はどちらかというと魔女(苦笑)。
ま、そこが魅力なんだけど。
他のメンバーにライトが当たっている時でも、彼女はステージの端で舞っていた。
このライヴのステージ評を書いて某雑誌に投稿したら、掲載されたのだが...私がスティーヴィーの声を「クリスタル」と表現した部分が「クリアー」に書き換えられていて大ショック!
スティーヴィーの声のどこが「クリアー」だっつーの!と今でも不愉快に思っている(苦笑)。
クリスティン・マクヴィーが歌った「ソングバード」はクリアーと表現できるかも...心に染み入るような美しさに感動した。

マック加入前にリンジーとスティーヴィーがリリースした「バッキンガム・ニックス」というLPを今でも大切に持っているが、我が家にはレコードプレーヤーがないので聴く事ができない。

「クリスタル」のオリジナルが収録されているのに...CD化してくれないかなぁ...。

CARPENTERS ’76

2005-11-14 21:40:23 | Live 1976-1979

1976年3月。
母に連れられて武道館へカーペンターズのコンサートを観に行った。
私にとって初めての洋楽コンサート。
当時カーペンターズは日本でも大人気で、1974年の武道館ライヴが「ライヴインジャパン」という2枚組LPとして翌年日本限定発売されたり、1975年の9月に予定されていたコンサートがカレンの体調不良により翌年(1976年)3月に延期されたこともあり、武道館は満員だったように記憶している。
チケットは母の友人がプレゼントしてくれたのだと母から聞いた。

さすがに30年近くも前のことなのでコンサートの内容についてはあまり覚えていないが、母がこんなことを言ったのを覚えている。
「あの人たち、ステージの上ではあんなににこやかなのに、ステージを降りるとニコリともしないらしいわよ。色々とあるんでしょうねぇ...。」
母が誰からそんな情報を得ていたのかはもう本人も忘れているようだが(苦笑)、そのときカレンの体調は最悪で、リハーサルと本番以外はほとんど横になって休んでいたと後で何かで読んだ記憶がある。

このライヴの前だったか後だったかは忘れてしまったが、私が初めて買った洋楽LPはカーペンターズの「HORIZON(邦題:緑の地平線)」だった。
緑をバックに物憂げな表情で立つリチャードとカレンの写真だけのジャケットで、表にはアルバムタイトルもアーティスト名もロゴも何もない。
収録曲もバラードが多く、特に「SOLITAIRE」という美しい曲が気に入っていた。

この来日がカーペンターズ最後の来日になってしまった。
このときのコンサートパンフレットから、来日メンバーと公演スケジュールをを転載しておく。

★来日メンバー
Karen Carpenter(ヴォーカル、ドラムス)
Richard Carpenter(ヴォーカル、キーボード)
Bob Messenger(サックス、ベース)
Doug Strawn(エレクトリック・クラリネット)
Tony Peluso(エレクトリック・ギター)
Danny Woodhams(エレクトリック・ベース)
Cubby O'brien(ドラムス)

★公演スケジュール
3月15、16日 東京・日本武道館
3月17日    静岡市駿府会館
3月18日    愛知県体育館
3月19日    神戸市立中央体育館
3月20日    京都体育館
3月21日    和歌山県立体育館
3月24、25、26日 大阪フェスティバルホール
           (3日間とも4時と7時の1日2回公演)
3月28日    金沢大乗寺山・実践倫理記念会館
3月29日    岡山市立体育館
3月30日    山口県体育館
3月31日    福岡・九電記念体育館(3時半、6時半の2回公演)
4月 1日    熊本市立体育館
4月 2日    広島県体育館
4月 5日    仙台・宮城県スポーツセンター(3時半、6時半)
4月 7日    札幌・真駒内アイスアリーナ
4月 9日    東京・日本武道館
4月10日    横浜・神奈川県民ホール(3時半、6時半)
4月11日    水戸・笠松運動公園体育館

これほどの殺人的なスケジュールを私は他の来日アーティストでは見たことがない。
体調不良のカレンがこのスケジュールをこなしたとは...すごいプロ意識だと思う。
と言うか、こんなスケジュールで世界中を飛び回っていたとしたら、カレンが心身ともに蝕まれていったのも当然かも...。
なのに武道館A席の値段が2000円...当時LPの値段が2500円位だったので、アルバムよりライヴの方が安かったとは...今では考えられないライヴ価格設定である。
それにしても何故「体育館」での公演が多いのだろう?
当時はまだ大勢収容できるコンサートホールが少なかったのかな?

カレン・カーペンターは1983年2月4日、長期にわたる摂食障害によると思われる心臓発作で32年の生涯を閉じた。
彼女の死によって世界中に「摂食障害」「拒食症」の恐ろしさが伝えられることとなり、摂食障害治療にも一石を投じることとなったのではないだろうか...。