Those Were The Days of My Life

I will send you to The Path of Nevermore...
2度と戻れない過去への招待状

JANIS

2006-03-31 23:51:33 | Movie
1990年3月、「JANIS」というドキュメンタリー映画が日本で初公開されたので観に行きました。
この半券には何も記載されていないし、正確には覚えていませんが、多分シネセゾンかシネマライズかパルコ劇場あたりで期間限定上映だったと思います。
製作は1974年で、1967年~1970年のインタビュー映像とライヴ映像(スタジオ、TV出演等含む)で構成されています。
このドキュメンタリーはその後も何度か上映され、WOWOWでも放送されたのですが、未DVD化のようです。
もったいない。
私はWOWOWで放送されたものを録画してあります

収録曲は以下のラインナップ!

Ball & Chain (サンフランシスコ1967年 スタジオライヴ)
Ball & Chain (モントレー・ポップ・フェスティバル 1967年)
Tell Mama (カナダ、カルガリー 1970年)
Kozmic Blues (カナダ、トロント 1970年)
Cry Baby (ロンドン 1969年)
Try
Move Over (TVスタジオでのライヴ)
Comin' Home
Summertime (レコーディング風景)
Summertime (ドイツ、フランクフルト 1969年)
The Good Days (ウッドストック・フェスティバル 1969年)
I Can't Turn You Loose
Me
Maybe
Ball&Chain
Piece Of My Heart
Me And Bobby McGee

「Summertime」のレコーディング中、演奏のことでちょっと揉めて、歌無しでやってみようかという話になった時、ジャニスはこう言いました。

「歌なしでやっても意味ないわ。
例えばクリームでブルースが歌っている時にリズム・ギターを聞くかしら。
前面に出てくるボーカルを聞くのよ。
「心のかけら」なら歌を聞くわ。
演奏は失敗しない限り問題じゃないわ。」

こう言った後彼女は「私は邪魔みたい」とスタジオを出て行こうとして、「行くなよ」と止められ、振り返っておどけてみせます。

一体他の誰がこんな事を言えるでしょう?
圧倒的な存在感の歌を歌えるジャニスだからこその発言だと。

ジャニス・ジョプリンの映像はDVD「WOODSTOCK」や「FESTIVAL EXPRESS」でも見る事ができますが、この「JANIS」では歌だけでなく彼女の内面まで垣間見ることができます。
恐らくは映画「ROSE」に描かれたよりもっと自由奔放で愛に飢えた、(内面的に)孤独な生活を送っていたであろう事、そしてその飢えをさらけ出すかのようにシャウトするジャニス...27歳の若さで死んだ彼女の「生き急ぎ様」の一端に触れることのできる貴重なドキュメンタリーです。

ジャニスの歌は何時聴いても本当に圧倒されますね~。
もし、亡くなったアーティストを誰か1人だけ蘇らせてライヴを見せてもらえるなら、私は迷うことなくジャニスを希望します。



坂本龍一 PLAYING THE PIANO ’88

2006-03-29 20:03:57 | Live 1985-1989
1988年12月22日、芝浦/寺田倉庫。
当時付き合っていた彼氏が連れて行ってくれたライヴで、私の守備範囲外ではありますが、とても贅沢な気分を味わえました。
ちなみに「PLAYING THE PIANO/ソロピアノライヴ」はこれが最初で、これ以降毎年12月に開催されているようですが、この当時は「シークレットライヴ」扱いで、チケット代も当時としてはかなり高めの1万円でした。

1988年といえば、「教授」こと坂本龍一が映画「ラストエンペラー」で米アカデミー賞のオリジナル作曲賞を受賞した年です。

会場に入るとそこにはテーブルとイスがランダムに置かれ、各テーブルの上ではキャンドルの灯りが揺れていてとても綺麗でした。
ステージがあるわけではなく、客席と同じ高さに1台のグランドピアノが置かれていて、観客はシャンパンとチーズを受け取り、テーブルに着いて歓談などしながら教授の登場を待ちました。
チケットの整理番号順の入場だったと思いますが、我々の整理番号は一桁台だったので、ラッキーにもピアノのすぐ横のテーブルに着く事ができたのです。
ピアノまでの距離は2mもなく、世界のサカモトがピアノを弾く手元をも至近距離で眺める事ができました。
守備範囲外とはいえ、YMOはよく聴いていたし、「Merry Christmas Mr. Lawrence」と「The Last Emperor」位は知っていました。が、その程度の私にはもったいないロケーションというかシチュエーションというか...ピアノの音色がシャンパンと共に体に染み込んでくるような感覚にとらわれました。
(飲めないくせにシャンパン飲んで、酔いがまわっていたせいかもしれませんが...)

教授は陶酔した表情で、時には目を閉じてピアノを弾いていました。
神経質そうな人だなぁ...などと思っていたら、喋る時はとてもリラックスした表情だったので、そのギャップにも驚きました。

もう、世界のサカモトの生ピアノ演奏を至近距離で聴けたということだけで感激しましたね。
当然、誘ってくれた彼氏の株も急上昇(笑)。

この翌年にリリースされた「Gruppo Musicale」というベスト盤をよく聴きましたが...その後は殆ど聴いていません

PSE法、とりあえず緩和されてよかったですね、教授



INAZUMA SUPER SESSION ’87

2006-03-23 23:47:17 | Live 1985-1989

1987年5月10日&11日、インクスティック芝浦ファクトリー。

Jack Bruce(ex CREAM)
Anton Fier(THE GOLDEN PALOMINOS)
Kenji Suzuki

鈴木賢司、と書くとご存じない方も多いかもしれませんが...SIMPLY REDのギタリストKenji"Jammer"Suzukiがまだ22歳でソロでやっていた頃のセッション・ライヴです。
ギター、ベース、ドラムスの3人編成とくればCREAMやるっきゃない、と(笑)。
お仕事抜きで両日行きました。

2日目(11日)のライヴを収録した同名アルバムの収録曲は以下の通りです。

1. Generation Breakdown
2. White Room
3. Out Into The Field
4. Working Harder
5. A.P.K.
6. Sittin' On The Top Of The World
7. Sunshine Of Your Love
8. Crossroads
9. Spoonful

 

 

何といっても元クリームのジャック・ブルース本人が「White Room」や「Sunshine Of Your Love」を歌ってくれたので、クリームをリアルでは知らない私など「ホンモノだー!すごーい!」と単純に喜んでしまいました
鈴木賢司はクラプトンとはかなり違った忙しい弾き方をするギタリストなので、リフの部分はともかくソロになるとかなり頑張っちゃってました...うるさいほどに(笑)。

5月14日に44歳の誕生日を迎えるジャック・ブルースのためにアンコールの冒頭で観客も一緒に「Happy Birthday」を歌ったりと、会場全体がとても良い盛り上がり方をしたライヴで、ジャックも上機嫌でした。

「Crossroads」は鈴木賢司のギターだけでなく、ジャックのヴォーカルにもちょっと違和感を覚えましたが、クラプトンを一度も観ていない私がとやかく言うことはできません

個人的には「Spoonful」が特に良かった!
意識せずとも体が自然に横揺れしちゃったほどでした。
ジャックのベースと鈴木賢司のギターの掛け合いも、火花が散っているのが見えるんじゃないかと思うほどのバトル状態!

音的にも小さなハコならではの良さを堪能できた、「行ってヨカッタ!」ライヴでした



NEW ARTIST SHOWCASE ’86

2006-03-20 17:47:00 | Live 1985-1989
1986年にEPICソニーが「ニューアーティストショーケース」と銘打って、日本でまだあまり知られていなかった新人バンドのライヴを各2,000円という低価格で提供したことがありました。
東京は新宿厚生年金会館で、プリファブ・スプラウト、ドラム・シアター、ユーログライダーズ、フェイス・トゥ・フェイス、ティル・テューズデイという5組がそれぞれ単独ライヴをやったのですが...仕事でちょっと関わったため毎回厚年に足を運びはしたものの、雑用に追われて?ライヴ自体をちゃんと観なかったせいもあり、正直あまりよく覚えていません

かろうじてプリファブ・スプラウトだけは覚えています。
メローでメロディアスでロマンチックな心地良いライヴでした。
当時はたしか「SWOON」「STEVE McQUEEN」の2枚のアルバムしか出ていなかったと記憶していますが、その後リリースされた「JORDAN:THE COMEBACK」というアルバムが気に入ってヘヴィーローテーションしましたっけ...。

皆さん今どうしているのでしょうか...?
プリファブはその後も活躍しているようですが、他のアーティストのその後は存じ上げません...

あの人は今?といえば、思い出すのがエイス・ワンダー。
後に「リーサル・ウェポン2」にも出演したブロンド美女パッツィ・ケンジットがいたバンドです。
オアシスのリアムと結婚・離婚した女性、といえばご存知の方も多いかと。
確かこの頃('86~'87)だったと思いますが、エイス・ワンダーがプロモーション来日して、夜のヒットスタジオに出演しましたっけ...。
会社にも顔を出して、私が化粧室で手を洗っていたとき偶然パッツィ嬢が個室から出てきて私の隣に立ったときのこと...
同じ位の位置に立っていたにもかかわらず、鏡に映る2つの顔には明確な遠近感があった(つまり、顔の大きさが違う!)のをよく覚えています
先日久しぶりに観た「ROCK AID ARMENIA」のメイキングLDに元エイス・ワンダーのジェフ・ビーチャムがリズム・ギターで参加した様子が映っていて懐かしかったです。
でも「ROCK AID ARMENIA」ももう16年以上前のこと...

パッツィ・ケンジットと表記したものが、あがってきた印刷物を見たら「パンツィ・ケンジット」になっていた、なんてこともありました(笑)。
や、仕事ですから笑い事じゃ済まなかったんですけどね。
きっと写植のオジサンがパッツィとのイケナイ事を想像して字を間違えたに違いない、と(謎)。

あぁまた話がそれてしまった...



ナルニア国物語

2006-03-20 13:57:49 | Movie
映画「ナルニア国物語-第一章-ライオンと魔女」を観ました。
ネタバレにならない程度に感想を...とも思ったのですが、あちこちでレヴューがアップされているので、私はこの物語にまつわる思い出話をば...。

私が「ナルニア国物語」に初めて出会ったのは小学校1年の頃、英語教室の先生の自宅の本棚でした。
クラス開始時間前に教室(先生の自宅)に着いた子供たちは、クラスが始まるまで別室で本を読みながら待つように言われていたのです。
本棚には色々な児童図書がありましたが、その中でも特にこの「ライオンと魔女」、そしてもう一冊「魔術師のおい」というタイトルに心惹かれて手にとったことをよく覚えています。
多分「魔女」とか「魔法使い」といったものに興味があったのではないか、と(笑)。
当時このナルニア国シリーズの中で読んだのは上記の2冊だけだったと記憶していますが、本読みたさに早めに教室に行ったものでした。

ナルニア国シリーズ全7巻を読んだのは社会人になってからでした。

クイーン・ファンならご存知だと思いますが、ブライアン・メイが好きな作家としてこのCSルイスを挙げていたので...読もう読もうと思いつつも後回しになっていたのでした
高校時代に「指輪物語」を読み、その後リチャード・アダムスの「ウォーターシップダウンのうさぎたち」やピアズ・アンソニーの「魔法の国ザンス」シリーズを愛読していた私にとってこの岩波少年文庫は正直読みづらく、子供向けに書かれた本は小学生の頃にちゃんと全部読んでおくべきだったと痛感しました。
もちろん内容は英国ファンタジーの香りプンプンのとても面白いものなのですが、いかんせんひらがなが多すぎて...

クイーン・ファンの私が最初に読んだ「メンバーの愛読書」はヘッセの「ガラス玉演戯」でした。
ブライアン・メイが愛読書として挙げていたからです。
小学校だったか学習塾だったかでヘッセの小作品を授業で読んだことはありましたが...中学生がいきなり「ガラス玉演戯」を読んだのは無謀でした(苦笑)。
理解できないながらもその中に見える厳しさと優しさに強く惹かれ、出版されているものを片っ端から読み漁り、「荒野の狼」を読む頃にはヘッセを「心の師」と仰ぐまでになりました。
ヘッセの小説の中には私には難解なものもあります。
ロンドンの英語学校に留学中、ユーゴから留学中の大学生マルコとヘッセの話で意気投合したのですが、彼も「ガラス玉演戯」や「シッダールタ」は難しいと言っていました。
私が「5ページ読み進んで、わからなくなって2ページ位戻って読み直す、を繰り返した」と話すと、「どこの国の人でも同じなんだねー(笑)僕もまさにそうやって読んだよ」と言われて「よかった!私だけじゃなかったんだ!」とヘンな安心感を抱いてしまったこともありました(笑)。
今でも私がいちばん好きな小説家・詩人はヘッセで、愛読書はヘッセの「荒野の狼」です。
ヘッセに出会えたことでもブライアンに感謝しています。

ロジャーの愛読書「路上byジャック・ケルアック」も読みましたが、これはあまりピンときませんでした。
他にも、誰のオススメだったかは忘れましたが「彼方byJKユイマンス」やら「うたかたの日々byボリス・ヴィアン」「魔術師byジョン・ファウルズ」「猫のゆりかごbyカート・ヴォネガット」等々、たとえ本来の自分の趣味とは違うものでもとりあえず読んでみました。
一時期はアレイスター・クロウリーに興味を持って国書刊行会発行の「世界魔法大全」などというモノまで買ってしまいました...が、これは読まずに古本屋行き(爆)。
これらは皆、聴いていた音楽の影響です。
そういえば「指輪物語」も、ツェッペリンの「Stairway To Heaven」がらみで読み始めて嵌っちゃって、アニメ映画も観たし、北欧のキーボード奏者BO HANSSONのアルバム「LORD OF THE RINGS」を探しに新宿レコードまで行ったりしましたっけ...。
音楽を音楽として受け取るだけでなく、こうして世界が広がっていったことは、自分にとってとてもプラスになっていたと思います。

ナルニアから話がかなりそれてしまいましたが...
映画はさすがディズニー、(良くも悪くも)毒気が全くと言っていいほどありませんでした。
映画を観る時、自分も参加している気分になるものと、全く傍観してしまうものがありますが、私は登場人物の教授が子供の話を聞いているのと同じ気分でこの映画を楽しみました。
この物語自体がそういう設定で書かれたであろうことは別として...受け取り手が子供なら自分が主人公になった気分で楽しめるのかな、と。
やはりこういうお話はちゃんと子供の頃に接しておいた方がいいと思うので、お子様にはオススメです。



不具合?

2006-03-14 22:13:41 | Weblog
ここのところインターネット接続が不安定で、途切れたり、画像が読み込めなかったりする現象が頻繁で、おかしいなぁ...と思っていたら...
プロバイダーからお知らせが来ました。
なんでもウチのマンションで不具合が生じている、と。

金曜日にインターネットサービスを停止して改修調査するとのことなので、無事直ったらこのblogも更新したいと思います。

ついでにここでもうひとつのblogをご紹介♪
 Caramel Cottage 便り
我が家の庭の花やら何やらを写真で紹介しています。
よかったら覗いてみてください



U2来日公演延期

2006-03-09 16:25:29 | Live 2005-
4月4日に横浜日産スタジアムで予定されていたU2来日公演の延期がU2のオフィシャルサイトでアナウンスされました。

この公演、アリーナはオールスタンディングで10,000円、1階スタンドは15,000円、2階スタンドは10,000円というアバウトな分け方。
ステージに近かろうが遠かろうが同じ値段。
しかも正規に買う場合、席を自分で選ぶ事はほぼ不可能。
体力も根性もない私は1階スタンドを買いました。
この席はステージのほぼ正面、つまりステージから最も遠いわけで、ステージ上のメンバーは豆粒程度にしか見えないでしょう。
それでも1階後列で頭上に2階スタンドがかぶっているはずなので、雨が降ってもいくらかは凌げるかな、なんて思っていたのですが...
また延期ですか...。

平日の横浜?!日産スタジアム?!アリーナオールスタンディング?!
しかも1階席は昨年のQ+PRより高い15,000円...
あまりの悪条件に、最初はチケット買うのをためらいました(苦笑)。

「延期」だとすると、変わるのは日時だけの可能性大ですよね...
いっそのこと「延期」じゃなくて、一旦ツアー終了ってことにして仕切り直してほしいなぁ...



THE WHO’S TOMMY ’06

2006-03-06 19:50:19 | Live 2005-
2006年3月5日、東京厚生年金会館、マチネ。

THE WHOのロック・オペラ「TOMMY」のブロードウェイミュージカル版を観ました。
私は昔からミュージカルや演劇が苦手だったのですが、昨年「WE WILL ROCK YOU」を観てからは抵抗感もやや薄らいだので、ま、観てみるか、と。
実はダンナがとても観たがって、数日前に珍しく自分でチケット購入してきてくれたのでした。



ダンナの話によるとS席は1階のはるか後ろしか残っていなかったとのことだったので、客入りがいいのかと思いきや...2階はガラガラでした(爆)。
天から見下ろす気分で鑑賞(笑)。

舞台は2階建てになっていて、2階部分でバンドが演奏。
ステージ前方両サイドに字幕あり。

以下、ミュージカル嫌いの上にケン・ラッセル及び映画「TOMMY」大好きな私の感想ですので、あくまでも参考程度に読んでください。


ケン・ラッセル監督映画版「TOMMY」では、冒頭にウォーカー大佐と夫人のトレッキング・シーンがあり、そこで結ばれた2人が第二次世界大戦で引き裂かれ、終戦の日にTOMMYが生まれます。
出産前にウォーカー夫人の元にはウォーカー大佐の戦死が知らされていたのですが、実はウォーカー大佐は生きていたのです。
そのことを知らずに別の男と生活していたウォーカー夫人とTOMMYの元へ、ウォーカー大佐が帰還したのですが、大佐はそこで自分の妻が別の男と睦んでいるのを目撃...
で、映画では男とウォーカー夫人がTOMMYの実の父親である大佐を殺してしまい、そのシーンをTOMMYが目撃し、男と夫人から「お前は何も見ていない!聴いていない!誰にも話してはいけない!何も見えない!聴こえない!話せない!」とプレッシャーをかけられて、心を閉ざしてしまった、という設定になっています。
会ったこともなかった実の父親と初めて会った日に目の前で、しかも母親が実の父を殺すシーンを目撃した、という設定の方がドラマチックです。
TOMMYの閉ざされた心の奥深くにそのことが投影されていて、現実から隔離されたTOMMYは心の中で常に父の姿を追い求めていたわけで、それがラストシーンの「Listening To You」につながっています。

一方、ミュージカルでは大佐と夫人が男を殺し、裁判で正当防衛が認められて無事釈放される、という設定です。
殺人を犯した両親を目撃し、プレッシャーをかけられたため心を閉ざして3重苦になったTOMMYが、ピンボールの才能を見出され、3重苦から開放され、大勢のファンを持つが、TOMMYに憧れるファンに対して苛立ちを感じたTOMMYが「君たちは僕の事を何もわかっていない。元々目も見えて耳も聞こえて話す事が出来る君たちが僕のようになりたいなんておかしい。僕が君たちのようになれただけなんだ。」と言ってしまい、ファンたちから見放されて、そのままエンディングの「Listening To You」...
これじゃ、観客が「Listening To You」で立ち上がらないのも、一緒に歌わないのも、手拍子をしないのも仕方ないのでは?

映画とミュージカルを比べても仕方ないし、細かな部分をあげたらきりがないし、面倒くさいのでこれ以上は書きませんが、映画版「TOMMY」が好きな人には物足りないミュージカルでしょう。
プロジェクターを使った映像投影やライティングはきれいでしたが、ストーリーもセットもキャストも地味すぎます。


などと書いておきながら...実は私結構楽しんでました
演奏にザ・フーを求めてはいけないことは百も承知の上で、なんといっても生演奏だし、主役はTOMMYを演じながらもギターを持つとピート・タウンゼントのフリ真似をして楽しませてくれたし。
足を曲げる例のピート・ジャンプをしても、ギターを壊す真似をしても、客席から拍手や口笛のひとつも起こらないのでちょっと気の毒でした。
かと言って、「最初の扇動者」になる勇気はないので私も放置しちゃいましたが
ラストも、字幕にカタカナで「リスニング・トゥ・ユー」の歌詞が表示されるのですが、誰も立たず歌わず...
前半終了時に拍手があったものの、それ以外は最初から最後まで客席がシーンと静まり返ったままだったので、これじゃぁこのミュージカル、途中で打ち切りになっちゃうのでは?などと要らぬ心配をしていたら...
最後の最後、曲が終わってから最前列の人たちが急に立ち上がってキャーキャー騒ぎ出したので驚きました。
どうやらキャストのファンの方々らしいです。
この公演では、最前列を「ピンボールシート」と名づけて、4,000円で当日抽選販売しているそうです。
彼女たちのおかげで?公演は拍手喝さいの中幕を閉じました。
もしかして「終わるまで待って拍手喝さいする」のがミュージカル鑑賞の作法なのでしょうか?


このミュージカルやキャストの事を少しでも知るために、とパンフレット(いちばん上の写真)を買いましたが、まだ読んでいません
ザ・フーのファンより、ミュージカルのファンが観に行くモノなのかも。



MAIAMI SOUND MACHINE ’86

2006-03-04 01:41:37 | Live 1985-1989
1986年4月2日、日本青年館。

大ヒット曲「CONGA」を引提げて、東京音楽祭に参加するため+ジャパン・ツアーで来日したマイアミ・サウンド・マシーン。
東京音楽祭では見事グランプリを獲得したのですが...

実はこのチケット、訳ありです。

当時私はレコード会社に勤めていました。
当日、社内通達がありました。
「今夜は万障繰り合わせて青年館に行って、マイアミ・サウンド・マシーンのライヴを観ましょう」と。
関係者受付でチケットを受け取って、着席して観るように、と。

そう...チケットの売れゆきがものすごく悪かったのでした(爆)。
このチケットだって12列目ですよ?
って、こんなこと書いちゃっていいのだろうか...

でも、ライヴはラテン満載ダンサブルでとても良かったと記憶しています。
普段、関係者パスで立見するときはなるべく大人しくしていたので、このときは最初「手拍子とか、してもいいのかなぁ?」と迷いました(苦笑)。
客の少なさにもかかわらず、濃いライヴをちゃんとやってくれて、「CONGA」では観客総立ちだったと記憶しています。

この翌年の来日公演は大成功でしたし、グロリア・エステファンのソロも大成功したのですが、1990年に不幸な事故が彼女を襲いました。
脊柱骨折で一時は「再起不能ではないか」と心配されましたが奇跡の回復を遂げ、アトランタ・オリンピックの閉会式で「Reach」を感動的に歌い上げたのは記憶に新しいところです。
って、それももう10年も前の話ですけど...
最近の活動を知らないのです。すみません。


コンピュータ発券になる前の懐かしいチケットはコレが最後です。
このあとしばらく、手元にチケットが残っていない(≒自腹を切っていない)期間があります。
が、チケットが残っていなくても記憶には残っているライヴもありますので(笑)、思い出しながら書いていこうと思っています。



QUEEN ’85 ②

2006-03-03 18:31:22 | Queen
1985年5月11日、国立代々木競技場第一体育館。

この日のライヴは「WE ARE THE CHAMPIONS/ FINAL LIVE IN JAPAN」というタイトルでDVD発売されています。
また、当時NHK-FMで渋谷陽一氏がこの日のライヴをほぼノーカットで流してくれたので、エアチェック(死語?)した人も多かったのではないでしょうか。

このツアーでのセットリストは全日程ほぼ同じだったようです。
「Teo Torriatte」がセットリストから外されてしまったのが、今となってはなんとも寂しい限りです...

この日のライヴでは、忘れられない出来事がありました。
フレディが「Love Of My Life」での観客の大合唱を「Absolutely perfect!」と褒めてくれたのです。
もちろん今までも「Beautiful!」などと言ってくれてはいましたが、このときは本当に感心した様子で「完璧だ!」と言ってくれたのです。
これは本当に嬉しかったし、フレディもブライアンもご満悦の様子でした。
この様子はDVDにも収録されています。
あの日、あの場にいて、皆と一緒に「Love Of My Life」を歌って、フレディに「Absolutely perfect!」と褒めてもらった...このことは私がクイーン・ファンとして持っている思い出の中で最も大切なものです。
2度目のアンコール...ユニオンジャックと日の丸が背中合わせになっているものを背中に広げて登場したフレディ...
私がステージ上のフレディを見たのはこれが最後になってしまいました...

私が観たクイーンのライヴの中でいちばん良かったのは'81年の初日だと思います。
'85年の来日公演では、他のメンバーと比べてフレディの頑張りが目立ちました。
ロジャー・ファンの私ですが、'85年来日公演に関してはフレディの事ばかりが記憶に残っています。
当時「クイーン解散説」がまことしやかに流れていて、本人たちも表向きは否定していましたが、どうやらこの来日公演の後に解散又は活動停止を予定していたらしいです。
しかしながらこの2ヵ月後にライヴ・エイドで大成功をおさめた彼らは気を取り直して(?)、翌'86年にはアルバム「A KIND OF MAGIC」をリリースし、大規模なヨーロッパツアー(マジック・ツアー)を成功させました。
マジック・ツアーは「LIVE MAGIC」というアルバムとしてリリースされましたが、「クイーン」としてはそれが本当に最後のツアーになってしまいました。

この来日公演から20年後の昨年、「クイーン+ポール・ロジャース」として来日公演が行われました。
私は埼玉&横浜の計4公演に行きましたが、フレディがいた頃の「クイーン」のライヴとは明らかに違っていました。
私は昨年のライヴを「クイーンの曲とポール・ロジャースの曲を一度に両方楽しめる美味しいライヴ」だと思いました。
後日あらためて書きますが、素晴らしいライヴでした。

でも...
私はフレディがいた頃の「クイーン」の、華やかで緊張感のあるライヴがとても好きでした。
フレディのライヴパフォーマンスは、まさしく「A KIND OF MAGIC(ある種の魔法)」でした。


ところで...チケットがコンピューター発券に変わったのはこの頃だったんですね~。



QUEEN ’85 ①

2006-03-02 06:36:43 | Queen
1985年5月。
「クイーン」としては最後の来日になってしまったこのツアー。
公演日程は以下の通りです。

5月8日(水)  東京・日本武道館
5月9日(木)  東京・日本武道館
5月11日(土) 東京・国立代々木競技場第一体育館
5月13日(月) 名古屋・愛知県体育館
5月15日(水) 大阪・大阪城ホール

'79年来日時に「今後クイーンの東京公演は全部行く!」と心に誓ったものの、社会人になると平日は自由がきかなくなるわけで...
それでもなんとか初日と東京公演最終日に行きました。



1985年5月8日、日本武道館。

<セットリスト>
1. Machines(intro)
2. Tear It Up
3. Tie Your Mother Down
4. Under Pressure
5. Somebody To Love
6. Killer Queen
7. Seven Seas Of Rhye
8. Keep Yourself Alive
9. Liar
10. Vocal Improvisation
11. It's A Hard Life
12. Dragon Attack
13. Now I'm Here
14. Is This The World We Criated?
15. Love Of My Life
16. Brighton Rock~Guitar Solo
17. Another One Bites The Dust
18. Hammer To Fall
19. Crazy Little Thing Called Love
20. Bohemian Rhapsody
21. Radio Ga Ga
~アンコール~
22. I Want To Break Free
23. Jailhouse Rock
~2度目のアンコール~
24. We Will Rock You
25. We Are The Champions
26. God Save The Queen


初期のライヴを観ていない私は「Seven Seas Of Rhye」のイントロが鳴り出したとたんに「キャー!」と叫びながら友人と抱き合って喜んでしまいました。
'79、'81、'82 の来日公演では演奏しなかった初期の曲「Seven Seas Of Rhye」「Liar」を聴くことができて本当に嬉しかったです。
反面、「しばらく封印されていた初期の曲を何故今回演奏したんだろう?」という一抹の不安が心をよぎったことも覚えています...。
有名な「レーロ♪」の掛け合いも、「Love Of My Life」の大合唱も、初「Radio Ga Ga」も、会場一体となって盛り上がりました。
アンコールの「I Want To Break Free」では、フレディがお約束の女装で登場してくれました。
2度目のアンコールの前、会場は「We Will We Will Rock You!」のコールで溢れ、そのコールに合わせるようにして演奏が始まったのも嬉しかったです。

この日はライヴ終了後、フレディ以外のメンバー3人で「夜のヒットスタジオ」にゲスト出演し、当日のライヴ映像が少しだけ流されました。


②に続く...