Those Were The Days of My Life

I will send you to The Path of Nevermore...
2度と戻れない過去への招待状

JOHN BONHAM

2005-12-01 02:13:58 | Music
レッド・ツェッペリンの「イン・スルー・ジ・アウト・ドア」がリリースされてから約1年後の1980年9月25日、ドラマーのジョン・ボーナムが亡くなった。

ツェッペリンの曲を初めて聴いた時の衝撃は今でも鮮明に覚えている。
渋谷陽一氏DJの「ヤングジョッキー」というラジオ番組で、冒頭の「こんばんは。渋谷陽一です。」という挨拶の直後、曲紹介なしにいきなり「Nobody's Fault But Mine」が流れた。
硬く尖った印象的なギターリフに続き、重いけれど弾むようなリズムセクション、そして声というより楽器の音のようなヴォーカル...
翌日すぐに「Presence」のLPを買った。
お皿に針を落としたら、今度は1曲目の「Achilles Last Stand」にやられた。

高校時代、学園祭で演奏するために組んだバンドで「Immigrant Song」を演った。
ヴォーカルの私は最初大反対したのだが、ギタリストがどうしてもやりたいと言って譲らなかった。
おかげで私は例の「アアアーーーーーーーア!」を歌う羽目に...
ちなみにこの時のギタリストはその後プロのミュージシャンになり、現在はヴォーカリストとして活躍している

映画「レッド・ツェッペリン狂熱のライヴ」は何度観にいったことだろう...
アーサー王を彷彿とさせるロバート・プラントに惚れてしまった。
このフィルムを観すぎたせいで、ボンゾ(ジョン・ボーナム)というと真っ先にトラクターを思い浮かべてしまう(苦笑)。

そんなボンゾの死は私にとってもショックだった。
何故なら、彼無しでツェッペリンが成り立つとは思えなかったから。
再来日が実現する前にツェッペリンが終わってしまう...と心配したとおり、ボンゾの死によって「レッド・ツェッペリン」としての活動は停止。
ツェッペリンのライヴを体験した人が本当に羨ましい。
'96年に来日したペイジ・プラントのライヴには行ったが...ツェッペリンではなかった。

私の友人が1979年英国ネブワース・フェスティバルでツェッペリンのライヴを観た時の体験談をブログに書いてくれた。
LED ZEPPELIN @KNEBWORTHH 79 その①
LED ZEPPELIN @KNEBWOTH79 その②
パンフレットとバッジの画像もあり、貴重な体験談はとても面白いので、興味のある方は↑をクリックして是非ご一読を♪

クイーンのロジャー・テイラーは「ジョン・ボーナムは最初にして最後のすごいロック・ドラマーだ。でもいずれロック・ドラマーはボーナムで始まりテイラーで終わると言われるようになりたい。」と言ったそうな。

最期に、お目汚しではあるが、ボンゾの死を知った夜に私が書いた詩を...


「墜落 Zeppelin号」

エンジンが止まった
もう2度と動かない
雲の上には代わりのエンジンもない
手遅れだ
Zeppelin号が堕ちてゆくのが見える

Zeppelinよ
おまえはあまりに大きくなりすぎた
あまりに高く昇りすぎた
たとえ代わりのエンジンが見つかったとしても
おまえを動かすことはできないだろう
Zeppelinの名の重みに耐えられるのは
彼しかいない
John Bonham-Moby Dick!!

Zeppelin号が堕ちてゆくのが見える
断末魔の悲鳴も上げずに
最期の炎も吹かずに
静かに
重々しく...

墜落。

1980年9月26日夜
-Bonzoに捧ぐ-