Those Were The Days of My Life

I will send you to The Path of Nevermore...
2度と戻れない過去への招待状

坂本龍一 PLAYING THE PIANO ’88

2006-03-29 20:03:57 | Live 1985-1989
1988年12月22日、芝浦/寺田倉庫。
当時付き合っていた彼氏が連れて行ってくれたライヴで、私の守備範囲外ではありますが、とても贅沢な気分を味わえました。
ちなみに「PLAYING THE PIANO/ソロピアノライヴ」はこれが最初で、これ以降毎年12月に開催されているようですが、この当時は「シークレットライヴ」扱いで、チケット代も当時としてはかなり高めの1万円でした。

1988年といえば、「教授」こと坂本龍一が映画「ラストエンペラー」で米アカデミー賞のオリジナル作曲賞を受賞した年です。

会場に入るとそこにはテーブルとイスがランダムに置かれ、各テーブルの上ではキャンドルの灯りが揺れていてとても綺麗でした。
ステージがあるわけではなく、客席と同じ高さに1台のグランドピアノが置かれていて、観客はシャンパンとチーズを受け取り、テーブルに着いて歓談などしながら教授の登場を待ちました。
チケットの整理番号順の入場だったと思いますが、我々の整理番号は一桁台だったので、ラッキーにもピアノのすぐ横のテーブルに着く事ができたのです。
ピアノまでの距離は2mもなく、世界のサカモトがピアノを弾く手元をも至近距離で眺める事ができました。
守備範囲外とはいえ、YMOはよく聴いていたし、「Merry Christmas Mr. Lawrence」と「The Last Emperor」位は知っていました。が、その程度の私にはもったいないロケーションというかシチュエーションというか...ピアノの音色がシャンパンと共に体に染み込んでくるような感覚にとらわれました。
(飲めないくせにシャンパン飲んで、酔いがまわっていたせいかもしれませんが...)

教授は陶酔した表情で、時には目を閉じてピアノを弾いていました。
神経質そうな人だなぁ...などと思っていたら、喋る時はとてもリラックスした表情だったので、そのギャップにも驚きました。

もう、世界のサカモトの生ピアノ演奏を至近距離で聴けたということだけで感激しましたね。
当然、誘ってくれた彼氏の株も急上昇(笑)。

この翌年にリリースされた「Gruppo Musicale」というベスト盤をよく聴きましたが...その後は殆ど聴いていません

PSE法、とりあえず緩和されてよかったですね、教授



INAZUMA SUPER SESSION ’87

2006-03-23 23:47:17 | Live 1985-1989

1987年5月10日&11日、インクスティック芝浦ファクトリー。

Jack Bruce(ex CREAM)
Anton Fier(THE GOLDEN PALOMINOS)
Kenji Suzuki

鈴木賢司、と書くとご存じない方も多いかもしれませんが...SIMPLY REDのギタリストKenji"Jammer"Suzukiがまだ22歳でソロでやっていた頃のセッション・ライヴです。
ギター、ベース、ドラムスの3人編成とくればCREAMやるっきゃない、と(笑)。
お仕事抜きで両日行きました。

2日目(11日)のライヴを収録した同名アルバムの収録曲は以下の通りです。

1. Generation Breakdown
2. White Room
3. Out Into The Field
4. Working Harder
5. A.P.K.
6. Sittin' On The Top Of The World
7. Sunshine Of Your Love
8. Crossroads
9. Spoonful

 

 

何といっても元クリームのジャック・ブルース本人が「White Room」や「Sunshine Of Your Love」を歌ってくれたので、クリームをリアルでは知らない私など「ホンモノだー!すごーい!」と単純に喜んでしまいました
鈴木賢司はクラプトンとはかなり違った忙しい弾き方をするギタリストなので、リフの部分はともかくソロになるとかなり頑張っちゃってました...うるさいほどに(笑)。

5月14日に44歳の誕生日を迎えるジャック・ブルースのためにアンコールの冒頭で観客も一緒に「Happy Birthday」を歌ったりと、会場全体がとても良い盛り上がり方をしたライヴで、ジャックも上機嫌でした。

「Crossroads」は鈴木賢司のギターだけでなく、ジャックのヴォーカルにもちょっと違和感を覚えましたが、クラプトンを一度も観ていない私がとやかく言うことはできません

個人的には「Spoonful」が特に良かった!
意識せずとも体が自然に横揺れしちゃったほどでした。
ジャックのベースと鈴木賢司のギターの掛け合いも、火花が散っているのが見えるんじゃないかと思うほどのバトル状態!

音的にも小さなハコならではの良さを堪能できた、「行ってヨカッタ!」ライヴでした



NEW ARTIST SHOWCASE ’86

2006-03-20 17:47:00 | Live 1985-1989
1986年にEPICソニーが「ニューアーティストショーケース」と銘打って、日本でまだあまり知られていなかった新人バンドのライヴを各2,000円という低価格で提供したことがありました。
東京は新宿厚生年金会館で、プリファブ・スプラウト、ドラム・シアター、ユーログライダーズ、フェイス・トゥ・フェイス、ティル・テューズデイという5組がそれぞれ単独ライヴをやったのですが...仕事でちょっと関わったため毎回厚年に足を運びはしたものの、雑用に追われて?ライヴ自体をちゃんと観なかったせいもあり、正直あまりよく覚えていません

かろうじてプリファブ・スプラウトだけは覚えています。
メローでメロディアスでロマンチックな心地良いライヴでした。
当時はたしか「SWOON」「STEVE McQUEEN」の2枚のアルバムしか出ていなかったと記憶していますが、その後リリースされた「JORDAN:THE COMEBACK」というアルバムが気に入ってヘヴィーローテーションしましたっけ...。

皆さん今どうしているのでしょうか...?
プリファブはその後も活躍しているようですが、他のアーティストのその後は存じ上げません...

あの人は今?といえば、思い出すのがエイス・ワンダー。
後に「リーサル・ウェポン2」にも出演したブロンド美女パッツィ・ケンジットがいたバンドです。
オアシスのリアムと結婚・離婚した女性、といえばご存知の方も多いかと。
確かこの頃('86~'87)だったと思いますが、エイス・ワンダーがプロモーション来日して、夜のヒットスタジオに出演しましたっけ...。
会社にも顔を出して、私が化粧室で手を洗っていたとき偶然パッツィ嬢が個室から出てきて私の隣に立ったときのこと...
同じ位の位置に立っていたにもかかわらず、鏡に映る2つの顔には明確な遠近感があった(つまり、顔の大きさが違う!)のをよく覚えています
先日久しぶりに観た「ROCK AID ARMENIA」のメイキングLDに元エイス・ワンダーのジェフ・ビーチャムがリズム・ギターで参加した様子が映っていて懐かしかったです。
でも「ROCK AID ARMENIA」ももう16年以上前のこと...

パッツィ・ケンジットと表記したものが、あがってきた印刷物を見たら「パンツィ・ケンジット」になっていた、なんてこともありました(笑)。
や、仕事ですから笑い事じゃ済まなかったんですけどね。
きっと写植のオジサンがパッツィとのイケナイ事を想像して字を間違えたに違いない、と(謎)。

あぁまた話がそれてしまった...



MAIAMI SOUND MACHINE ’86

2006-03-04 01:41:37 | Live 1985-1989
1986年4月2日、日本青年館。

大ヒット曲「CONGA」を引提げて、東京音楽祭に参加するため+ジャパン・ツアーで来日したマイアミ・サウンド・マシーン。
東京音楽祭では見事グランプリを獲得したのですが...

実はこのチケット、訳ありです。

当時私はレコード会社に勤めていました。
当日、社内通達がありました。
「今夜は万障繰り合わせて青年館に行って、マイアミ・サウンド・マシーンのライヴを観ましょう」と。
関係者受付でチケットを受け取って、着席して観るように、と。

そう...チケットの売れゆきがものすごく悪かったのでした(爆)。
このチケットだって12列目ですよ?
って、こんなこと書いちゃっていいのだろうか...

でも、ライヴはラテン満載ダンサブルでとても良かったと記憶しています。
普段、関係者パスで立見するときはなるべく大人しくしていたので、このときは最初「手拍子とか、してもいいのかなぁ?」と迷いました(苦笑)。
客の少なさにもかかわらず、濃いライヴをちゃんとやってくれて、「CONGA」では観客総立ちだったと記憶しています。

この翌年の来日公演は大成功でしたし、グロリア・エステファンのソロも大成功したのですが、1990年に不幸な事故が彼女を襲いました。
脊柱骨折で一時は「再起不能ではないか」と心配されましたが奇跡の回復を遂げ、アトランタ・オリンピックの閉会式で「Reach」を感動的に歌い上げたのは記憶に新しいところです。
って、それももう10年も前の話ですけど...
最近の活動を知らないのです。すみません。


コンピュータ発券になる前の懐かしいチケットはコレが最後です。
このあとしばらく、手元にチケットが残っていない(≒自腹を切っていない)期間があります。
が、チケットが残っていなくても記憶には残っているライヴもありますので(笑)、思い出しながら書いていこうと思っています。