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Those Were The Days of My Life

I will send you to The Path of Nevermore...
2度と戻れない過去への招待状

QUEEN ’81 ①

2005-12-19 04:25:04 | Queen
1981年2月、クイーンのライヴに行った。
このときは地方公演はなく、武道館5日間のみの来日公演だった。

当時のメモをもとに5日間を振り返ってみると...

☆2月12日☆
初日のステージは5日間のうち最高!
会場総立ちでノリまくってもう言う事なし!
開演前、1階でゲイリー・ニューマンに遭遇し、握手してもらってからあわててアリーナに降りたことを覚えている。

☆2月13日☆
思うに「昨日の方が良かったな。」
ジョン・ディーコンの頭にオレンジ色のボール?が命中するというアクシデントがあった。
ボールが大きく弾んで、とても痛そうだったのにジョンはポーカーフェイス。
観客は大笑い。私も笑っちゃった。ごめんねジョン

☆2月16日☆
思うに「13日の方が良かったな。」
Love Of My Lifeではフレディは歌うのを途中で止め、ブライアンもギターを弾くのを止めて観客の大合唱...そして「Beautiful!」とフレディ。
「ライヴ・キラーズ」で聴いていた、まさにあの状態に、感激
ブライアンはわりと上手に日本語を喋っていたが、フレディは「コンバンワ」「アリガトウ」「ドウモ」しか知らないのか...と思いきや、突然「テンプラ!」と叫んだりした
アンコールの時ジョンはパジャマのようなものを着て出てきた

☆2月17日☆
思うに「昨日の方が良かったな。」
2度目のアンコールで「We Will Rock You」の前に「手をとりあって」を演った。
フレディはカンニングペーパーというにはあまりに目立つ大きな紙を手に歌ったのに、それでもとちった

☆2月18日☆
ひどい手抜きだった。
まだ観客が入りきっていないのに、お構い無しに6:30ジャストに開演...前4日間は全て30分以上オシたのに。
途中手を抜けるところは全て手を抜き、8時を少し回った頃にはもうアンコール。
でも、最終日という感慨もあり、ラストの「手をとりあって」では涙ボロボロ...


演奏に関しては、セットリストが毎日微妙に替わったので、明日以降1日1公演分をチケット1枚と共にアップしようと思っている。

書きたい事も色々あるのだが、病み上がりなので今夜はここまで...

BICYCLE RACE

2005-11-28 05:05:57 | Queen
1978年11月、クイーンのシングル「バイシクル・レース」が発売された。
この曲のPVは、裸の女性たちが自転車に乗って走っている映像でかなり有名だと思う。
そのとき自転車を貸し出した会社が「全裸の女性が乗った」ことを知って、サドルを全部取り替えろと言ったとか...。

日本でリリースされたシングルのジャケットでは、さすがに何もはいていない写真をそのまま使うわけにはいかなかったのか、自転車に乗った女性はパンツをはいている。
もちろん合成写真。

当時文通していたアメリカ・ニュージャージー在住のTomiに手紙でこのことを伝えたら、「アメリカのはブラも着けてるよん」とシングル盤を送ってきてくれた。



こういうことに関して、日本よりアメリカの方が厳しい事を初めて知った。
後で調べたら、英国のもちゃんとパンツをはいていた。

このジャケット写真を見たロジャーは、きっとこう言ったに違いない...
「パンツ、ヌイデー!」

QUEEN FAN CLUB

2005-11-27 05:39:00 | Queen
1976年の夏頃、クイーンのファンクラブに入会した。
専用のバインダーには会報Vol.4~27('83年11月発行)までが綴じてある。

'85年来日時にもFCでチケットをとってもらったような記憶があるので、Vol.27以降バインダーに入りきらなかった分は紛失したのかもしれない。
英国オフィシャルファンクラブの日本支部という位置づけだったので、会報にはメンバー直筆のお便りが翻訳つきで掲載されている。
ファンクラブの集いにも何度か参加した。
家にビデオなどない時代、大きなスクリーンで映像を観られるのはとても嬉しかった。
フィルム上映中はコンサート並みに黄色い歓声が飛び交っていたように記憶している。
カレンダーやレターセットなどのグッズも色々買ったなぁ。

このファンクラブをいつ退会したのか、と言うかこのファンクラブがいつ頃無くなったのかはもう忘れてしまったが、現在も日本には公式ファンクラブが無いままだ。

昔はメンバーにファンレターを送ると、英国のオフィシャルファンクラブから何かしら送られてくる事が多かった。
メンバーのサイン(印刷)入りグリーティングカードやフォトカードが主だったが、バイオグラフィーが送られてきた事もあった。

そして...それらに必ず同封されていたのは...入会申し込み用紙(笑)。
で、コレ↓が現在のOfficial International Queen Fan Clubの会員証。

ミュージカルWe Will Rock YouやQ+PR来日公演などで、今年は会員特典を満喫させてもらった。
ファンクラブがある限り、会費を払い続ける...つもり

QUEEN ’79

2005-11-26 06:05:03 | Queen
1979年4月、待ちに待ったクイーン来日!
チケットはファンクラブの優先販売で武道館4公演分を手に入れた。
後に追加公演が発表になったのだが、その日は首都圏の交通機関でストライキが予定されていた。

で、私は追加公演のチケットを買わなかったのだが...
何とその日、フレディがステージで転んだそうな。
あぁ、ステージで転んだフレディを見逃してしまった...
行かなかった事をこれほど後悔したライヴは後にも先にもない(苦笑)。

1979年の来日に関しては、ミュージックライフ7月増刊号「伝説のクイーン」にとても詳しく載っている。
それも「日本滞在中のクイーンの行動を完全チェック」と題して、それこそどこへ行って何を食べたとか買ったとか、挙句に起床時間まで載っているのだ(笑)。

ツアー日程
4月13、14、23、24、25日 東京・日本武道館
4月19、20日 大阪・フェスティバルホール
4月21日 金沢・実践倫理記念会館
4月27日 神戸・神戸中央体育館
4月28日 名古屋・国際展示場
4月30日、5月1日 福岡・九電体育館
5月2日 山口県立体育館
5月5、6日 札幌・真駒内アイスアリーナ

13日のセットリスト
1. We Will Rock You
2. Let Me Entertain You
3. Somebody To Love
4. Fat Bottomed Girls
5. Death On Two Legs
6. Killer Queen
7. Bicycle Race
8. I'm In Love With My Car
9. Get Down, Make Love
10. You're My Best Friend
11. Now I'm Here
12. Don't Stop Me Now
13. Spread Your Wings(大阪公演から「手をとりあって」)
14. Dreamer's Ball
15. Love Of My Life
16. '39
17. It's Late
18. Brighton Rock
19. Keep Yourself Alive
20. Bohemian Rhapsody
21. Tie Your Mother Down
~アンコール~
22. Sheer Heart Attack
23. We Will Rock You
24. We Are The Champions
15. God Save The Queen

こうやってあらためてセットリストを見ると、いろいろな事が思い出される。
「Get Down Make Love」でブライアンが可動式ライティングセットと格闘したのはこのツアーの時だった、かな?とか。
オープニングの「WWRY」はファストヴァージョンで、アンコールの「WWRY」ではフレディがスーパーマンの衣装を着たマッチョなおぢさんに肩車されて出てきたなぁ、とか。
「’39」はロジャーが前に出てくる貴重な曲だったのよね、とか。
このツアーではまだ「LOML」の合唱はなかったな、とか。
フレディも「レーロ」じゃなくて「Now I'm Here」のフレーズで遊んでくれたよね、とか。
確認していないので、これらが本当に正しい記憶かどうかはわからないけど

最後に、とても珍しいモノをば...


左下の「ワンピース」!
物販テントに吊り下げられていたのかもしれないが、全く記憶に無い。
どなたか、このワンピースを着た写真なぞお持ちではないだろうか?
見たい!!!(笑)

ROGER TAYLOR ’77

2005-11-25 18:20:29 | Queen
1977年7月、クイーンのロジャー・テイラーがソロシングルをリリースした。
日本でリリースされる予定は未定とのことだったが、ロジャー・ファンとしては何が何でも手に入れたかったので、英国在住のペンフレンドに頼んで送ってもらった。

当時英国南部の町Weymouthに住んでいたCarolynnから「町内のレコード店をまわって探したが見つからず、ロンドンの大きな店に電話して取り置きを頼んだの。近日中にロンドンに行く予定があるのでその時に買って送るからもう少し待っててね。」と返事が来た時には「ロジャーのシングルを置いていないなんて、ウェイマスってそんなに田舎なのかなぁ?」と思ったのだが...
英国で3000枚しかプレスされなかった事を後で知った



当時、英国EMIがリリースしたシングル盤にはジャケットスリーブが無かったのだが、それを知らなかった私は「Carolynnったらジャケット失くしちゃったの?」などと失礼な事を...
マニアの間では今でも「メガレア」扱いの貴重な品だそうで。
Carolynn、本当にありがとう

Carolynnは後に英国陸軍に入隊し、香港に駐屯した。
「宛先はこう書いてね」と書かれていたものを見てとても驚いた。
宛先に「名前」は無く、番号だけだったのだ...。
当たり前のことなのかもしれないが、あの時初めて「軍にとって兵隊さんは数字でしかないのか...」とかなりのショックを受けた。
その後彼女との文通はいつの間にか途絶えてしまったが...元気に暮らしていることを心から願っている。

今ではこの曲もPVもウェブで見つけることができる。
そして我が家にはもうレコードプレーヤーが無いので、これを聴くことはできない。
レコードプレーヤー買おうかな...。

FREDDIE MERCURY

2005-11-24 23:59:00 | Queen
1991年11月24日、フレディ・マーキュリーが亡くなった。
この日、私の青春は終わった。
(既に青春と呼べる年齢はとうに過ぎていたが...
1976年の初めにクイーンに出会って以来約16年、ずっとクイーンと共に過ごしてきたといっても過言ではないほどだった。

(11月25日日経夕刊)

フレディを初めて間近で見たときの事を思い出す。
'79年4月15日、新宿京王プラザホテルでのこと。
その時周りにいたファンは少なかったが、誰も近寄らず声もかけず、皆遠巻きに見ていただけだった。
2、3人のボディガード&関係者に周りを囲まれていたせいもあるが、フレディ自身も「近寄るな!」というオーラを発しているように見えたのだ。
その時の印象を私は自分のサークルの会報に「本物のフレディはなんだかとてもおっかなそうな人だった。」と書いていた。
武道館の入り待ちのときも、他の3人は車の窓越しに手を振ってくれる事が多かったが、フレディは手を振らない事の方が多かった。

ステージの上のフレディはまさに王様だった。
スーパーマンに肩車されて出てきたり、ユニオンジャックを自分の後に広げて出てきてステージ中央で後を向くとユニオンジャックの裏が日の丸になっていたり...
小柄なフレディがステージではとても大きく見えた。

'98年6月、ロンドンにあるフレディが住んでいた家の前に行った。

今はもう落書きは消されているが、このときはまだ壁いっぱいにファンの思いが書かれていた。

フレディがソロとして遺した作品たちは、2000年に「Freddie Mercury Collection」というボックスセットになってファンの手元に届いた。


昨日「オペラ座の夜30周年記念盤」が発売された。
今夜はこれから「オペラ座」のDVDと、フレディのDVDを観ようと思う。
I miss you, Freddie...