旅のウンチク

旅行会社の人間が描く、旅するうえでの役に立つ知識や役に立たない知識など。

タイ、ラオス 路線バスの旅 第7日

2014年10月19日 | 旅の風景
9月27日

 昨夜遅くまで飲みすぎて完全に寝過ごした私。もともとの予定では早めの朝食、そのままチェンマイへ向かってチェンマイには昼頃着くつもりだったのですが起きたら10時を過ぎていました。シャワーを浴びて荷造りし、同宿の日本人の旅人に挨拶をして早足でバスターミナルへ。買う事ができたのは13時過ぎのバスでした。二日酔いか、食欲もあまりないのでバスのチケットを買った後はアイスティーを飲みながらバスの時刻を待ちます。

 タイの人たちはビニール袋の達人ぞろい。このアイスティーもビニール袋に一旦密閉、そこにストローをポンと刺して、少しオシャレな紙袋に入れた物。少々傾けた位では一滴もこぼれてこない優れもの。


 相変わらず食欲はわかないのですが、バス移動の間にお腹が空きそうな予感もします。甘いものが食べたいと思ったのでバスターミナルの売店で菓子パンを買ってバックパックに詰めました。

 バスの発車時刻まで少し時間があるので、私が帰国する日に誕生日を迎えるチェンマイの友人に渡すバースデイカードを作ります。タイにはバースデーカードの習慣は無いのか、現地の人に尋ねてようやく探し当てたのは汎用のカード。これに色々なメッセージや絵を書き込んだり、折り紙で飾ったりしてバースデーカードを作りました。

 ようやくバスの出発時刻が近づいてバスに乗り込みます。20代の頃利用したノンエアコンのローカルバスとは違ってエアコンバスは快調にチェンマイを目指します。そういえば、ラオスで乗ったバスもそうでしたが、昔のようにエアコンが冷蔵庫並みに効いていたりすることはなく、車内で何かを上にはおる必要もありませんでした。

 3時間半をかけて夕方チェンマイに到着。バスターミナルから市内へ向かう手段を探します。最初は乗合のソンテウでと思ったのですが、なぜか一人だけ乗せて出発しようとするので却下。トゥクトゥクでゲストハウスへ向かう事にします。

 過去のスーパーカブで旅するタイ北部にご参加いただいたお客様が同じ時期にチェンマイに来ているので現地で会う事になっていました。私の到着が予定より大幅に遅れたのでゲストハウスには後でもう一度来るというメッセージが残されていました。とりあえずシャワーを浴び、ゲストハウスの女将さんに、今後企画を考えているツアーに協力してもらうようお願いをしたり軽い打ち合わせをしたりしているうちにお客様が合流。夕食を食べながら軽くビールを飲んで歓談する事しばし。

 チェンマイではサタデーマーケットというのも始まったという話をゲストハウスの女将から聞いて、行ってみる事にしました。丁度お土産も買いたいと思っていた所だったので、ここで探すことにしました。

 サタデーマーケットはサンデーマーケットより少し小規模ですが、それでも多くの人が訪れていて人の流れに乗るのが一苦労。足元もあまりよく見えない状況です。私はここでドライフルーツを何点か買いました。

 ドライフルーツを売っていた若者たちは来年4月に日本に来る航空券を手配済みとの事で、しばらく日本の話。どこに泊まった方が良いかとか、空港から東京へ行く行き方、4月の日本の様子などについて話をしました。ビザ【査証】が要らなくなった事からタイでは、”日本に行ったことがある”とか、”妹が日本に行った”などという話を多く耳にするようになりました。皆一様に物価の高さに驚いているようではありましたが。

 サタデーマーケットの喧騒を抜け出した後、少し飲んでから帰ろうという話になり、今年の3月に立ち寄ったアイリッシュパブに行ってみると店は改装されてガラス張りのオシャレな外観。きっとエアコンが効いて快適なのかもしれませんが、東南アジアでは自分にとってはそぐわない感じです。ふと通りの反対側を見ると自分の好みのバーがありました。そちらへ入ろうと歩いていくと、入り口に陣取った先客達が"どこから来たの?中国?韓国?台湾?"と声をかけてきました。

 今回の旅でこれも痛感したのですが、"Japanese?"と聞かれる事はほとんどなくなりました。いや、今回の旅に関しては一度もありませんでした。日本人の若者たちよ。もっと海外を旅しようではないですか。

 "パプアニューギニア"と私が答えた事から彼らは"パプアニューギニアってどこだ?””インドネシアの一部だろう(違います)”などと話し込んでいます。そのうち1人が”時々、人間を食べるか”と。

 我々は彼らの隣のテーブルに席を占めました。誤解のまま放置しても面白いと思ったのですがそれではパプアニューギニアの人に失礼があるかもしれないので隣のテーブルへ行って"ホントは日本人だ”と言うと、一人が立ち上がっていきなりシャツをめくりあげました。彼の左胸にはカタカナで彼の名前が刺青されていました。

 どうやら日本に来たことがあるらしく、日本の事はべた褒めです。”日本人は皆礼儀正しくて素晴らしい”というのを聞いて、”それは私の事を見ればわかるでしょう?”と言うと、”イヤ、日本人はこうじゃない。こいつはおかしい。絶対日本人じゃない”と私の事も絶賛してくれました。

 彼らは不思議な人員構成で、どうやらこの店で知り合って一緒に飲んでいた様子。タイ人、フランス人、そして日本大好きのアルゼンチン人、私たち日本人3人。皆すっかり酔っぱらって陽気になって、何でもない会話がとっても楽しい。若い頃に旅していた時、同じドミトリールームに泊まっている色々な国の人と飲みに行ったときを思い出させる出来事で妙に懐かしく、そして楽しい。

 そのうち、バーの奥で一人で飲んでいたアメリカ人女性も加わりました。”どこから来ましたか?”との私の問いに”アメリカ合衆国”と答えたのに対して、”それじゃあ、みんなの嫌われ者だ”と返したのをきっかけに、また変なテンションで盛り上がります。”これからはどこから来たって答えたらいい?カナダ?ニュージーランド?””カナダが良い””いや、パプアニューギニアが一番だ”と本当に意味のない会話がやたら楽しいのは飲みすぎたという事でしょうか。


 いつの間にか日付も変わり、お店も店じまいを始めたのでこの多国籍軍は三々五々解散。既に向かいの部屋で眠っている宿の女将さんを起こさないように忍び足で自分の部屋へ入って眠りについたのでありました。


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