ここで旅のレポートから少し離れて、ファイサイからパクベンへ向かう船でのエピソードを一つ紹介しましょう。
旅のレポートでも触れたように、ファイサイで薦められた宿泊の予約を私は断ったわけですが、これにはいくつかの理由があります。これを皆さんに説明するのは少し複雑すぎるので”予算オーバーなんですよね”と話していました。実際に予算オーバーだったのですが、これは旅の費用としての金銭的な予算ではなくてこの旅のコンセプトからの予算オーバーという意味。
この旅では皆さんの快適な滞在を確保する気は全然ありません。むしろ、限られた設備の中で滞在する体験こそこの旅や”スーパーカブで旅するタイ北部”が目指しているところなので、宿泊のクオリティを徒に上げて私が楽をするわけにはいかないのです。
もう一つのコンセプト。お客様にいつも快適で安心できる旅を提供”しない”旅。なぜなら、旅というのは本質的に不明確な毎日と、それに対する不安感、そんな中で感覚が研ぎ澄まされて色々な事を鋭く感じ取ることができる事だと思うからです。ガイドとしての私はもちろんある程度の”ヨミ”を持っていますし、そのヨミが今まで戦時下の国を含めた様々な状況下で通用してきたという意味で信用していただいて大丈夫ですが、何か確定した考えや正確な情報に基づいて行動していると思われるとそれはだいぶ違うのです。いや、旅のレポートでも少し触れたようにむしろ、行動計画を確定させることは無いからこそどうとでも対応できるというわけです。
さて、パクベンの宿の話。
”さっぱり判りませんね”をガイドに毎日連発されるお客さんはたまったものではありませんね。おまけに今回の参加者は皆さんそれぞれに私とは過去に1週間一緒に旅した経験があるわけですから何とか助けてくれようともしてくださいます。
ファイサイで予約を薦められて断っているのを見たお客さんの一人から”大丈夫なんですか?”と。”僕なら今の話、乗っちゃうかもしれません。”と少し心配していただいています。
私は実際、何の情報も確信も無いわけですから
”さあ、どうですかねぇ”
”昨年はあんな親切な案内ありませんでしたけど、いっぱい宿は空いてましたよ。”
”でもなぁ。前回乗った船はガラガラだったし、今回はいっぱいですからどうですかねぇ。ヤバいから今回はアナウンスがあったのかなぁ。サッパリわかりませんねぇ。”
”今まで行った国で、宿見つけられなくてどうにもならなくなった事は無いですから何とかなるんじゃないですかねぇ。でもなあ、今回、今までの幸運もついに尽きて、見つけられないって事もあり得ますねぇ。そしたら皆で野宿ですね。アハハハ。”
と至って呑気で適当な発言を連発。本心なので仕方ありません。この旅では、ガイドと話せば話すほど不安がどんどん増大するのです。なぜなら”不安”は旅のコンセプトの一つ。
さすが心配りの行き届いたガイドです。
心配になったお客さん、持参のガイドブックをチェックします。パクベンのページにけっこう沢山の宿が掲載されている事を見て、
”まあ、宿はたくさんあるみたいですね。これなら何とでもなりますね。”
と一安心。ガイドブックで具体的な宿探しを始めたりせずに情報全体の量を大くくりに捉えて判断材料にするあたりは上級者です。
”そうでしょう?昨年寄ったとき、いっぱい宿があるなと思ったんですよ。宿とレストランしかない町というか、スローボートの中継地点としての機能が大きいんじゃないかなぁ、奥の方まで歩いて行ったらお寺とか、小さなバザールも出ていましたけどね”
”昨年、ラオスで客引きが居た唯一の場所なんで、ここは安心。船着き場で客引きに聞けばどうとでもなるでしょう。”
そんな会話をしていたら、お客さんから
”パクベンで客引きにひどい宿に連れて行かれたって記事が載ってますよ”
との注意が...。
このガイドブック、私も20代の頃、初めての一人旅の時には大変お世話になりました。このガイドブックが無かったら多分今の自分は無いといえるほどの大きな存在。2度目以降の旅では使いませんでしたが、それは2度目の渡航先、パキスタンについてはその頃まだ発売されていなかったから。
このブログをくまなく読んでいる方は知っての通り、私は実は昔、ゲストハウスの客引きをした経験があります。ゲストハウスの客引きは歓楽街の客引きとはちょっと違って、そのゲストハウスの従業員や家族がやっているのがほとんどです。主要な交通の到着時刻に合わせてターミナルへ出向いて行ってお客さんに自分の宿を紹介するのが役目。宿泊客を1人連れて行ったら幾らもらえるみたいなコミッション制ではありません。
”パクベンでは客引きに注意”という記事、2つの注意点が書かれています。まず、1点はパクベン以遠の船のチケットを買わないかと勧められた挙句、法外な値段を吹っ掛けられたという話。これはあるのかもしれません。一つの情報として重要かもしれません。ただ、法外な値段を吹っ掛けられたらたいていの人は気がつくと思うのでやっぱり不要な情報かも。
ところが、”ひどい宿に連れていかれた”というのは上記の理由から”起こらない”話なのです。客引きに紹介された宿が自分の基準から”ひどい”事はもちろんあります。その場合、別の宿に移ればいいだけの事。監禁されたりするわけではないですから。大切なのは他から隔絶されたような宿へは行かない事。だから今回もトラックに乗る際に”歩いてタウンまで来れるのか?”と確認していたわけです。
客引き本人は船の到着が済んだら宿に帰ってきますから、言っていた条件と違ったらそこで文句を言えばいいのです。部屋を見てイヤだと思ったら、”悪いけどここには泊まらない”と言えばいいのです。それはそれで、完全にまかり通る世界で、私も年中やっています。
だから、”客引きにひどい宿に連れていかれた”というのは失礼ながら情報というより愚痴。行ってみたら自分の思ったイメージの宿と違ったけれど、そのことを言い出せず、結局我慢して泊まって、その愚痴を投稿しているという図式ではないでしょうか。この情報をそのまま掲載した、ガイドブックについても、”ああ、もはや旅人が旅人のために編集していた時代とは違ってしまったんだなぁ””旅なんかした事ない人たちが編集する本になっちゃったのかも”と正直少しガッカリさせられましたし、客引き経験者としては濡れ衣を着せられた事に対する怒りも感じ....まあ、それは無いです。
スーパーカブで旅するタイ北部でも、タイ&ラオス路線バスの旅でも、一緒に旅した人たちはご存知の通り私は客引き大好きです。全然乗るつもりのないソンテウやトゥクトゥクに声を掛けられてもゴキゲンに返事だけする事がほとんどです。服装や装備から旅行者と見られず客引きが寄って来てくれない事が多いので、自ら客引きに”話を聞かせて”と話しかける事も多いですしそれが旅の重要な情報源でもあり、客引きとの駆引き自体が旅の楽しみでもあったりします。
客引きに騙されないよう敬遠して、いったいどうやって自由に旅を続ける事ができるのでしょうか。インターネットやガイドブックで細かい各論の情報を集めて、”おススメ”の宿やレストランで失敗の無い”塗り絵”のような旅が楽しいのでしょうか。そんな事より、少しくらい失敗しても自分なりの絵を真っ白い紙に書いた方が楽しいと思いませんか。
旅のレポートでも触れたように、ファイサイで薦められた宿泊の予約を私は断ったわけですが、これにはいくつかの理由があります。これを皆さんに説明するのは少し複雑すぎるので”予算オーバーなんですよね”と話していました。実際に予算オーバーだったのですが、これは旅の費用としての金銭的な予算ではなくてこの旅のコンセプトからの予算オーバーという意味。
この旅では皆さんの快適な滞在を確保する気は全然ありません。むしろ、限られた設備の中で滞在する体験こそこの旅や”スーパーカブで旅するタイ北部”が目指しているところなので、宿泊のクオリティを徒に上げて私が楽をするわけにはいかないのです。
もう一つのコンセプト。お客様にいつも快適で安心できる旅を提供”しない”旅。なぜなら、旅というのは本質的に不明確な毎日と、それに対する不安感、そんな中で感覚が研ぎ澄まされて色々な事を鋭く感じ取ることができる事だと思うからです。ガイドとしての私はもちろんある程度の”ヨミ”を持っていますし、そのヨミが今まで戦時下の国を含めた様々な状況下で通用してきたという意味で信用していただいて大丈夫ですが、何か確定した考えや正確な情報に基づいて行動していると思われるとそれはだいぶ違うのです。いや、旅のレポートでも少し触れたようにむしろ、行動計画を確定させることは無いからこそどうとでも対応できるというわけです。
さて、パクベンの宿の話。
”さっぱり判りませんね”をガイドに毎日連発されるお客さんはたまったものではありませんね。おまけに今回の参加者は皆さんそれぞれに私とは過去に1週間一緒に旅した経験があるわけですから何とか助けてくれようともしてくださいます。
ファイサイで予約を薦められて断っているのを見たお客さんの一人から”大丈夫なんですか?”と。”僕なら今の話、乗っちゃうかもしれません。”と少し心配していただいています。
私は実際、何の情報も確信も無いわけですから
”さあ、どうですかねぇ”
”昨年はあんな親切な案内ありませんでしたけど、いっぱい宿は空いてましたよ。”
”でもなぁ。前回乗った船はガラガラだったし、今回はいっぱいですからどうですかねぇ。ヤバいから今回はアナウンスがあったのかなぁ。サッパリわかりませんねぇ。”
”今まで行った国で、宿見つけられなくてどうにもならなくなった事は無いですから何とかなるんじゃないですかねぇ。でもなあ、今回、今までの幸運もついに尽きて、見つけられないって事もあり得ますねぇ。そしたら皆で野宿ですね。アハハハ。”
と至って呑気で適当な発言を連発。本心なので仕方ありません。この旅では、ガイドと話せば話すほど不安がどんどん増大するのです。なぜなら”不安”は旅のコンセプトの一つ。
さすが心配りの行き届いたガイドです。
心配になったお客さん、持参のガイドブックをチェックします。パクベンのページにけっこう沢山の宿が掲載されている事を見て、
”まあ、宿はたくさんあるみたいですね。これなら何とでもなりますね。”
と一安心。ガイドブックで具体的な宿探しを始めたりせずに情報全体の量を大くくりに捉えて判断材料にするあたりは上級者です。
”そうでしょう?昨年寄ったとき、いっぱい宿があるなと思ったんですよ。宿とレストランしかない町というか、スローボートの中継地点としての機能が大きいんじゃないかなぁ、奥の方まで歩いて行ったらお寺とか、小さなバザールも出ていましたけどね”
”昨年、ラオスで客引きが居た唯一の場所なんで、ここは安心。船着き場で客引きに聞けばどうとでもなるでしょう。”
そんな会話をしていたら、お客さんから
”パクベンで客引きにひどい宿に連れて行かれたって記事が載ってますよ”
との注意が...。
このガイドブック、私も20代の頃、初めての一人旅の時には大変お世話になりました。このガイドブックが無かったら多分今の自分は無いといえるほどの大きな存在。2度目以降の旅では使いませんでしたが、それは2度目の渡航先、パキスタンについてはその頃まだ発売されていなかったから。
このブログをくまなく読んでいる方は知っての通り、私は実は昔、ゲストハウスの客引きをした経験があります。ゲストハウスの客引きは歓楽街の客引きとはちょっと違って、そのゲストハウスの従業員や家族がやっているのがほとんどです。主要な交通の到着時刻に合わせてターミナルへ出向いて行ってお客さんに自分の宿を紹介するのが役目。宿泊客を1人連れて行ったら幾らもらえるみたいなコミッション制ではありません。
”パクベンでは客引きに注意”という記事、2つの注意点が書かれています。まず、1点はパクベン以遠の船のチケットを買わないかと勧められた挙句、法外な値段を吹っ掛けられたという話。これはあるのかもしれません。一つの情報として重要かもしれません。ただ、法外な値段を吹っ掛けられたらたいていの人は気がつくと思うのでやっぱり不要な情報かも。
ところが、”ひどい宿に連れていかれた”というのは上記の理由から”起こらない”話なのです。客引きに紹介された宿が自分の基準から”ひどい”事はもちろんあります。その場合、別の宿に移ればいいだけの事。監禁されたりするわけではないですから。大切なのは他から隔絶されたような宿へは行かない事。だから今回もトラックに乗る際に”歩いてタウンまで来れるのか?”と確認していたわけです。
客引き本人は船の到着が済んだら宿に帰ってきますから、言っていた条件と違ったらそこで文句を言えばいいのです。部屋を見てイヤだと思ったら、”悪いけどここには泊まらない”と言えばいいのです。それはそれで、完全にまかり通る世界で、私も年中やっています。
だから、”客引きにひどい宿に連れていかれた”というのは失礼ながら情報というより愚痴。行ってみたら自分の思ったイメージの宿と違ったけれど、そのことを言い出せず、結局我慢して泊まって、その愚痴を投稿しているという図式ではないでしょうか。この情報をそのまま掲載した、ガイドブックについても、”ああ、もはや旅人が旅人のために編集していた時代とは違ってしまったんだなぁ””旅なんかした事ない人たちが編集する本になっちゃったのかも”と正直少しガッカリさせられましたし、客引き経験者としては濡れ衣を着せられた事に対する怒りも感じ....まあ、それは無いです。
スーパーカブで旅するタイ北部でも、タイ&ラオス路線バスの旅でも、一緒に旅した人たちはご存知の通り私は客引き大好きです。全然乗るつもりのないソンテウやトゥクトゥクに声を掛けられてもゴキゲンに返事だけする事がほとんどです。服装や装備から旅行者と見られず客引きが寄って来てくれない事が多いので、自ら客引きに”話を聞かせて”と話しかける事も多いですしそれが旅の重要な情報源でもあり、客引きとの駆引き自体が旅の楽しみでもあったりします。
客引きに騙されないよう敬遠して、いったいどうやって自由に旅を続ける事ができるのでしょうか。インターネットやガイドブックで細かい各論の情報を集めて、”おススメ”の宿やレストランで失敗の無い”塗り絵”のような旅が楽しいのでしょうか。そんな事より、少しくらい失敗しても自分なりの絵を真っ白い紙に書いた方が楽しいと思いませんか。
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