海辺の町から

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血の繋がりがこんなところにも

2023-09-12 09:06:38 | 日記

  カアーッと照りつける太陽 頑張ろう!


  孫からのお土産 照れくさそうに渡してくれました 今度ユックリ話を聞かせてね


  県南で栽培されているドラゴンフルーツ嫁からです


Fさんが逝ってバタバタと過ぎた数日 生前依頼されていた手続きをしていた。
取り敢えず教職員年金と国民年金を止めるための電話を掛けた。

身内がいない旨を最初に伝え教職員年金は此方の身分を伝える事で了承されたが
国民年金停止を市の係に伝えたところ身内からで無いとの一点張りで埒が明かない。
然もなくば年金振込金融機関に直接停止の申し入れをして欲しいという。
何故と言う思いだった。

身内から金融機関に死亡の連絡が入って初めて年金が停止されるという。
今回は身内がいないと言うことを最初に告げている 私が年金振込先を知らなければ
其の儘振り込みされるという。
分った時点で振り込まれた金額の返還手続きを私にして貰うという。
全く馬鹿げた話だと思う。

年金停止をしなければ不正受給となるだろうし 停止依頼の報告をしているのに
金融機関に連絡して欲しいと市の担当者は宣う。
分かりましたと電話を切ったものの納得がいかない。
市の担当者の方が金融機関を調べるべきだと思うのだが 国民年金の停止は済んでいない。

山は人間形成の場

2023-09-08 11:14:57 | 日記

  台風から離れた四国はこんなにも晴れている 被害がなければと思いつつ


  幼なじみの住む街も台風の通り道になっている 穏やかであれと願います


ブログ訪問しながらYouTubeで音楽を聴いている。
たまたまあの大キレットのYouTubeが目にとまって釘付けになりながら
45分ほどの私には長い時間のYouTubeだったけれど一気観していた。

半世紀程前烏帽子岳から縦走しテント泊5泊6日の最大の難所南岳から北穂への大キレット。
当時は知らないが故若さ故愉しくて仕方が無かった。
そのYouTubeを観ながら当時の記憶が甦り懐かしさと共に緊張感が湧いてきた。

最終鞍部から見上げる岩の壁に圧倒されながらルートを追っていた。
夏山に取り憑かれた人達の列がなされるほど賑わいがあり
遠くで聞こえる「ラクッ!」に気を引き締めながら
あの狭い岩場で行き交う人と情報交換しながら気持ちを奮い立たせていた。

北穂から殺生ヒュッテのテント場までの最終日
肩に食い込んでいたザックも日を追う毎に軽くなり
軽くなったザックと共に北穂の壁を慎重によじっていた。

今年も又夏山の事故が報じられていた 気象条件が山行には大きく左右するが
地図上に台風が発生したら山は危険と教えられた。
ラジオから流れる天気予報を聴きながら天気図の作成を日課にしていた。
半世紀を経た今も尚懐かしく思い出され人間形成の場でもあったように感じている。

修学旅行先は広島

2023-09-05 14:39:06 | 日記

  玉すだれが其処此処に咲き出した


  子供ピーマン 野菜の少なくなってきた今重宝している


早いものであの小さかった孫が明日から修学旅行に出掛けるという。 
台風が気がかりだったけれど予定通りに行けそうだ 広島から九州へ。

原爆資料館も見学先になっているらしいけれど何を思うのだろうか。
原爆について事前に学んでいるだろうが実際訪ねてみて広島原爆資料館はどの様に映るのか。

今ウクライナに於いて核をチラつかせているロシア
今朝のニュースでジョイク国防省が北朝鮮の金正恩と会談したとか
プーチン大統領との会談も予定されているという。
北朝鮮の武器か兵士が目的なのか ロシアの手を汚さない核使用の依頼か。

ブログで知り合った広島の裕さんは被爆2世である 長年被爆地広島を調べられ
原爆の遺構や被爆樹木等の一つ一つに心を寄せられブログで発信されている。
足で稼いだ積み重ねの歴史が其処にはあり 膨大な資料の数々がブログに纏められている。

知らなかった広島を少しだけ知ったこと 被爆地広島の人達の思いが知れたこと
知らなくて通り過ぎても変わりは無かったかも知れないけれど 知って良かった。

78年前の出来事 被爆地から何かを感じとれる子であって欲しいと思っている。

8月31日そして9月は2日に

2023-09-02 08:27:35 | 日記

  連日モヤッとした中にいる


  伸び放題の草と格闘した昨日 それでもまだまだである


8月31日
初盆の灯籠流し 近頃はお焚き上げになっていた。
海辺の町の浜辺で和尚様にお経を申して貰い お焚き上げ後海に流していたけれど
環境も考慮して今は陸上で処分 灯籠流しも年毎に変化してきている。

お寺でお焚き上げを行なうとのことで雨の中出掛けた。
今年は我が家一軒のみという 宗派によって灯籠を灯さない所もあるけれど
簡略化され行なう家も少なくなってきた。

線状降水帯の予報が出ている最中 小止みを窺ってお寺で雨の中のお焚き上げ
取り敢えず一区切り着いたと 沢山の供物をお参りして下さった方達にお分けして
やっと役目を終えた事に安堵している。

9月1日
昨日の午後からPCの動きが遅くなった。画像の取り込みが多いからなのかと
偶々マカフィーの契約が切れるとのメールに更新手続きを行なったからか等と
一向にブログに到達できず諦めていた。
1日のお昼前繋がっていた goo blog の方に問題があったようだがあの時間は何だったのか 
PCにいかに依存した生活なのか思い知った。

ブログを見る気力も失せて伸び放題になっていた菜園の草むしりをしていた。
秋野菜の高騰が予想されていたので少しだけでも植えようと空き地を確保した。

9月2日
固定電話番号を病院に知らせている。
余命幾ばくも無いFさん臓器提供できる臓器がないほど病んでいるらしい。
面会は相変わらず出来ないが命あるときの面会の了承を得た。
肉親との面会が叶わないだけにせめても見送ってあげたいと
余命宣告された日は過ぎた 電話を受けるのが辛い。