大雨警報が発令中です。
ピノというなのスイカです 種が少なく小さい人間の欲求の果て? 幼なじみから。
何時止むとも知れぬ空を眺める毎日
連日の大雨警報に土砂災害警戒レベル3 ぬかるんだ菜園に
キュウリのピーマンの花は咲いても蝶や虫はやって来ず
道とも川とも言えぬ急傾斜地の道路は土色した雨水が流れ
イノシシの悪さは石垣を崩し土砂諸共石ころを転がして。
ニュースでは雨が降らないと嘆いていた農夫にこの雨を分けてあげたいけれど
そうも行かず皮肉なものである。
海水温の上昇が魚を北へと追いやって 釣れていた魚が必ずしも
釣れるととは言えない現象が起きている。
オマケに梅雨前線や台風付近で線状降水帯が発生し易いときている。
豪雨と違って同じ場所を次々と通過して被害を残し 台風シーズンはやって来る。
地球規模での温暖化が海水温の上昇を招き水蒸気の量を増し雨を降らしている。
梅雨が明けると暑い夏が待ち構えている。
化石燃料の使用量を減らすことが求められているがさて暑い夏どう乗り切ったら良いのだろうか。
警報が出て40分ほどの停電になった。
ひと昔前の「梅雨」とはかけ離れて局所豪雨、、、線状降水帯では被害額続出です
イノシシの被害から、濁流、、
昔に還りたい☔
おはようございます!
確かに人間の欲求の果て感を
ひしひしと伝わってくるピノスイカですね!!
昨日は札幌市南区の森で熊に遭遇し、幸い向こうが逃げてくれたので慌てて下山しました(泣)
何かおかしいと気付いた時は時遅し。
豊かな生活の裏返しは地球に負荷をかけていたのでしょうね。
その結果が今自然災害というしっぺ返しに遭っているのかと思います。
人間て貪欲ですね種があっての次世代への繋がりだと思うのですが。
熊に出遭われたのですか~
ブログ拝見しますに山奥にまで行かれているようですので
大丈夫かしらと思っておりました。
ご無事で何よりでした~。
と、圧倒的多数の貧しい庶民に分かれる
と感じています。1970年頃のイメージ。
でも、あの頃は父親の労働賃金で家族は
養えたし、高価な耐久消費財を買って、
ずーっと使えた(真面目に頑丈に作って
ありました)し、そもそも気候がまとも
(何に対して?と問われるかもですが)
だった。
水枕、氷柱、扇風機に加えて、麻の
衣服。これくらいしか対処方法が
思い浮かびません。既に我々は現代の
便利な暮らしに慣れきってしまい、
昔には戻れない。私も今夏は相当に
警戒しております。
どこも賑わいを見せておりました。
働いていたときが華なのかと思いながら
回転するお寿司を食べる位の可愛い生活です。
国民の金融資産が2000兆円を大きく超えて
バブル崩壊後急速に二極化が進んだように思います。
大ペケさんよりまだ上の世代 我が家も一家8人それなりに父のお給料で食べていけました。
今でしたら一家8人を養うには金銭的余裕が無ければ生活出来ないように思います。
物価の上昇に賃金が追い付いていないのが実情でしょうか。
1960年前後育った白河市でも夏の気温が35度位あった気がします。
でも現在の35度と昔の35度の違いは何だったのかと考えたとき
密閉された今と違って木造の日本家屋の涼しさ 開け放たれていました。
スイカキュウリに茄子の漬物と言った具合におやつに野菜を食べて勿論扇風機はありません 涼は団扇いたって原始的で長閑でした。
夜には前開放の窓から蛍が家に中にやって来て家族が大きな蚊帳の中で寝ていましたから 楽しかったです。
地球に負荷を掛ける生活をしていなかったように思います。
夏の暑さと冷房によるヒートアイランド現象 悩ましい夏です。
最高・最低気温を調べてみたら、
7・8月共に最高気温は33~34℃
あたりで、30℃超えは連続10日も
なく、一旦30℃を割っている様です。
そして驚いたのが最低気温。
連日、20℃付近なのです。7月上旬は
最高気温が30℃に届かない日も多い。
8月もお盆を越えたら30℃に届かず、
秋の気配というヤツみたいですね。
もしかすると、朝夕に気温が下がら
ないから加算的に昼間も具合悪く
成る程に暑いのかな、と。
梅雨明けが今から恐ろしい…昨年は
夏の疲れからか、網膜剥離を発症
してますしねぇ。
記憶は曖昧ですね~
大ペケさんが分析して下さいました様に
朝夕気温が下がらない分...そう言うものなのですか~
確かにお盆を過ぎると秋風が立っていたような。
なんせ60年も前の話です。
夏の疲れから網膜剥離を発症されたのでしたか~
腰痛かと思っておりましたが
強い光を浴びやすい夏ですから身構えてしまいますね。
どうぞお疲れの出ませんようご自愛下さいませ。