DonkeyMの部屋

Donkeyはロバ。格好良くなく、足も遅い。「のろま」とか「馬鹿」といった意味。日々の感動、怒り、愚痴等を記事にしたい。

値段交渉

2018-07-01 10:23:58 | 雑感

 車や大型家電や家具等を値の張るものを買うときに、値引きを求めて値段交渉するのは普通だが、私が物を買うとき、値段交渉をするようになったのは、私が小学校3年生頃からだった。母親が自転車に乗ることができずに、買い物に行けなかったという事情や、耳鼻科に一人で自電車に乗って通院していたついでに買い物をするようになってから、買い物をするときに、値段を下げてもらう交渉をスタートさせている。少しでも良いものが欲しいし、ポケットに入っている金は少ない。所持金のぎりぎりのところで買い物をするわけで、あとちょっと安くなったら変えるのにという思いから、1200円くらいの商品を、「これ、欲しいんだけど、1000円にならない?」と店員に持ち掛け、それが成功してから、買い物をするときには、値段交渉をして少し安くしてもらうというようになった。

 なんでもかんでも値切るというわけではない。流石に本屋で値切ることはしなかったし、普通のスーパーマーケットで値切るということもしなかった。多くは、衣料品、シャツや洋服といったものが主体だった。ただ、こういう値段交渉を通じて、人との交渉の仕方を子供ながらに学習していたのだろう。また、値切るということは、他の店でいくらで売られているものかといった知識も必要になって来るので、自然と商品の値段にも関心を持つようにもなっていった。欲しいものがなくても、新聞チラシ広告に良く目を通したり、色々な店に入っては値段を見て歩くようになったり、大雑把ながらも物の値段を把握しようとするようになったのも、比較的早い時期からだったと思う。

 大人になって少し高額の商品も買うようになると、値段交渉をして少し安くしてもらった。そのうち、いちいち面倒くさいと思うようになり、商品と値段を見て、これ幾らだったら買うけど、売ってくれる?と、一発勝負で話を付けるようになった。だから、もう少し粘って交渉すれば安くなるだろうが、私の買った値段が本当にぎりぎりの値段だったか、それは分からない。もしかしたら、もっと安い値段で買えたかもしれないと思うことはある。もっともっととしつこく、ネチネチと値段を下げていく人がいるけど、それは、私の美学に反するので、そういうことはしない。

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部活の思い出から・・・

2018-07-01 06:21:56 | 雑感

 昔々の話だ。私が中学校に入った頃、中学校へ入ったら、運動部に入って毎日部活に取り組む、それが当たり前の世界だった。私は最初、バスケット部に入った。授業が終わるのが待ち遠しく、授業が終わると、グラウンドへ出て行った。バスケットでグラウンド?と思われるかもしれないが、当時は、体育館なるものはなく、ほとんどの競技はグラウンドで行われていた。その中で、卓球部だけが授業後の教室を片付け、卓球台を据え付け、そこで練習していた。当時は、そんなことが影響したのだろうか?私の中では、卓球は根暗のスポーツというイメージを抱いていた。

 私の入ったバスケット部は、3年生がメンバーが揃っていて、それなりの練習をしていた。私は、みんなについていけるようにと一生懸命取り組んでいた。ところが、夏の試合が終わり、3年生が引退してしまうと、それを引き継ぐべき2年生がいなかった。秋になると、もうグラウンドに出て行っても、部員は集まらずに、一人で、バスケットコートでボールを持ってただただ呆然としながら、他の運動部の練習をうらやましく思いながら、不完全燃焼のまま、数か月が過ぎていった。顧問の先生にも話したと思うのだが、顧問の先生は、女子バスケット部に力を入れるようになっていて、相談などにはならなかった。顧問の先生は、熱心に女子部員を指導し、みるみる強くなり、県大会に出場するまでになったのだが、男子バスケット部は結局消滅してしまった。

 私は、悩み抜いた挙句に、人数が少なくても、続けられるスポーツと考え、テニス部に入った。まあ、このテニス部も、3年生が辞めてしまうと、残りはわずか、結局二人だけが残った。ただ、テニスの場合は、二人いさえすれば、練習ができる。どんな練習?顧問の先生は、ラケットを握ったことがないような、ただ、名前だけの顧問で、技術的な指導などというものは全く期待できなかった。幸い、私は当時毎週耳鼻科に通っていたので、本屋でテニスの本を購入し、本を読みながら、ラケットの振り方やルール等を覚えた。練習の甲斐があって、町の大会では優勝できたが、郡の大会では全く試合にならずに、敢え無く敗退したものだった。まあ、当時は、学校のことについて親が口をはさむことはなく、生徒も、スポーツでチャンスを掴んで将来につなげようなどと考えることはなかったので、それで済んでいたのだろう。

 今は、様々な情報が入ってきて、また、スポーツでチャンスを掴み、人生のステップを駆け上がろうとする生徒も、また、それに大きな期待を抱く親も増えた。当然のように、顧問の先生への期待、要求もどんどん膨らんでいったのだろう。試合の結果が先生への評価にもつながるようになり、顧問の先生の負担は、増えていったのだろうと思う。全身全霊を掛けて部活の指導に取り組み、成果を上げると、それがニュースにも上るようになった。成果が得られないようでは、先生自体の評価も落ちてしまう。それに打ち込んでいる先生は別として、あまり望んでいなくて、顧問に抜擢された先生にとっては、単なる重圧があるのみだろう。そこで、過重労働という問題が発生してきたのだろうと思う。

 始めたからには強くなって優勝したいと思うのは当然の話、何の不思議もない。部活時間を増やしてくれという要求も出てくるのは分かるし、他の部活動がやっているのに、休みの日を作るなどと言い出したら、一生懸命やろうとする生徒や親の反発を招きかねない。顧問の先生は追い詰められていたんだと思う。

 ところで、スポーツでチャンスを掴みたいと思うニーズに応える必要が、学校にはあるのだろうか?確かに、スポーツの楽しさを教える必要はあるだろうし、どんなスポーツに向いているのか?スポーツの才能があるかないか?など、入り口は学校かも知れないが、それ以後のことは、他に任せるというのも考えてみる必要があるのではないだろうか?

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