どんぴ帳

チョモランマな内容

はくりんちゅ332

2008-11-13 23:43:59 | 剥離人
 一段目のジャングルジムの様な足場をクリアすると、後の作業は早かった。

 屋外タンクのハルと堂本は、二段目の足場で壁を剥離すると、一気に三段目のステージに上がり、天上を剥離して作業を終了した。
 須藤と正木は、屋内のタンクを一基片付け、二基目のタンクに入り、屋外タンクとほぼ同時に作業を終了した。

 全ての撤収準備を完了したその夜、我々はホテルの近くの居酒屋で打ち上げをしていた。
「ハイっ!乾ぱぁあああああい!!」
 ハルがニコニコとしながらジョッキを掲げ、みんなのジョッキに自分のジョッキを、物凄い勢いでぶつけだす。
「ドギンっ!」
 鈍いガラスの音が響き、店員が顔をしかめる。
「うはははは、ハルさん、店長らしき人が、めちゃめちゃ悲しそうな顔で、僕らを見ていますよ」
 私は誰のジョッキも割れなかったことを確認し、ホッとしながらハルに言った。
「っちゃあ、木田さん、こういうお店のジョッキはね、必ず割れることになっているんだから!」
 ハルの表情には、一切の悪気が無い。どうやら半分本気でそう思っている様だ。
「そう!形あるものはいつかは壊れる!」
 ニヤニヤとした正木が悪乗りする。
「それって、お店の人が怒って、最終的に出入禁止になりません?」
 私は、ハルがいくつかのキャバクラで出入禁止になっていることを思い出していた。
「ああ、Y市界隈の居酒屋は、何軒か出入禁止になったね」
「うはははは、やっぱり?」
「うん、もう乾杯するたびにジョッキをブチ割ってたからね」
 ハルはニコニコとしながら美味しそうにビールを飲み、枝豆をつまむ。
「あははは、ハルちゃん、それはお店の人が可哀想でしょ。あのジョッキもね、大きいのは結構高いからね」
 さっきとは正反対のことを、正木が言う。
「うひゃひゃひゃ、まあ俺も最近はやらなくなったけどね。割ろうと思ったら、もっと凄い勢いでぶつけないと割れないしね」
 ハルは少しだけ弁明をする。我々が注文した串揚げの盛り合わせを持って来た店長らしき人物が、ハルの言葉を聞いて、ややホッとしたような表情を浮かべる。

 一時間後、なぜか私の横には正木が座り、ハルの周りに堂本と須藤が座っていた。
「でね、木田さん、俺はさぁ、やっぱりね、現場にいる人間同士はね、協力し合わなきゃいけないと思うんだよね」
 またしても正木の顔が近い。正木は日常生活でも、元々人との距離感が近いのだが、アルコールを摂取すると、さらに顔面の間合いが近づいて来るのだ。
「…いや、そうだと思いますよ、本当にね。今回は正木さんのおかげで本当に助かりましたよ」
 正木にはかなりマイペースな部分があるが、私は本気でそう思っていた。
「いや、いやぁ!あのねぇ、木田さん!木田さんにねぇ、そう言ってもらえると、本当にこのY県まで来た甲斐があるんだよね、俺としては…」
 正木の顔が私に対して斜めになり、どんどん近づいて来る。知らない人が見れば、完全にこれからキスする様な体勢だ。
「本当にね、日々勉強だね、現場はね」
「あ、ええ…、そうですね、僕もそう思いますよ…」
 私は正木の顔面からゆっくりと距離を取り、適当に同意をして見せた。
「自分では頑張ってるつもりなんだけどね、まだハルちゃんには及んでいないね。いや、もしかしたら正男ちゃん(須藤)やヨッシーにも及ばないかもしれないね」
「いやぁ、そうでも…」
 正木のあまりの謙虚さに、私は完全に戸惑っていた。
「うひゃひゃひゃ、今日の『ハルちゃんスペシャル』は最高だぞぉ!」
 座卓の反対側では、ハルと須藤と堂本が、ワイワイと変なアルコール飲料を作成している。どうやら、今回も気が付けば私は正木の担当になってしまっているようだ。
「正木さんは、ああいう変わったお酒は飲まないの?」
 私は、酎ハイに、串揚げとトマト、枝豆とゲソ天が入った、ハルの前のグラスを指差してみた。
「あ、あれはね、酒の味がぼやけるからね、やらないね」
 私のハルチームへの合流プランは、脆くも崩れ去る。だが、私の視線に気付いたのか、堂本がちらりと私と正木を見る。
「木田さん、呑んでないじゃん!」
 ハルが、堂本の視線に気付き、私に話を向けてくる。
「オっシぃいいい、ナイスヨッシー!」
 私は心の中で叫んだ。すると堂本が、小声でハルに囁き始めた。
「あの、木田さんと正木さんは、大事な話をしているみたいですよ」
「・・・」
 一瞬でも堂本に期待した私は、自分の判断の甘さを呪った。
「でね、日々是勉強!俺はね、この気持ちを持って俺はね、現場にいつも臨んでいるんだよね、木田さん。だからね…」

 遠く離れた北のY県で、私の苦行のような夜は更けて行くのだった。