どんぴ帳

チョモランマな内容

はくりんちゅ326

2008-11-06 23:44:30 | 剥離人
 Y県S市での工事を一旦終了させ、久しぶりにM県M郡K町の工場に出勤すると、一つ大きな変化が起きていた。

「おーっす、木田ちゃん!」
 空だった隣の建物の扉を開けると、中から事務員の松野弘子がお気楽な声を出している。
「おーっすじゃねぇよ、お茶でも淹れろよ、弘ぞー!」
「何だとぉー!?ハルさんはコーヒー?」
「うん、コーヒー」
 キョロキョロしながら私の後ろから入って来たハルに、弘子が笑顔で声を掛ける。
「渡常務は?」
「私もコーヒーをお願いします」
 フリーテーブルの椅子に座っていた渡が、タバコを手にしながら、弘子に答える。
「木田ちゃんは無しね」
「いつもの様にお茶だ!」
 渡はニヤニヤと笑いながら、私とハルに応接コーナーに入る様に、タバコを持った手で示した。
「まずはS市の現場、お疲れさん。で、エライ目に会ったなぁ」
「そうですよ、有り得ませんよ、あんな現場」
 私は愚痴をこぼし、ハルはウンザリとした顔で頷いた。
「次は二週間後、ショボいタンクを三基やっつけるだけですよ」
「わははは、まあ、今更キャンセルも出来んやろ、やるしかないわな。まあ、面倒やろけど、よろしく頼むわ」
 渡は笑いながら、新しいタバコに火を点ける。
「ところで、どうでっか?この事務所は」
 私とハルは、改めて事務所を見回す。
「ま、イイ感じじゃないですか」
 出張前は空だった事務所は、今やすっかりきちんとした事務所になっていた。
「お前がしっかりと下準備をしてくれたからやけどな」
 渡は笑顔で私を持ち上げる。
「しかし、N市の事務所からこんな場所に移転しちゃって、本当に大丈夫なんですか?」
 私の問いに、何故か渡が苦笑いをした。
「実はな、N市の事務所やけど、引き続きあるんや」
「は?」
「あのビルの二階から五階に、規模を縮小して引越しや」
「はぁあああ?どこにそんな金があるんですか?ウチの会社の規模で?」
「まあ、柴木君や、社長もN市の事務所を無くす事に大反対でな、結果はそう言う事になったんや」
「…何だかなぁ」
 私は軽くウンザリとした。たかが十数人の規模の会社で、なぜ事務所を二つも持たなければならないのか、私には理解出来なかった。

「はい、コーヒー!」
 お盆を手にした弘子がやって来て、渡とハルの前にコーヒーカップを置く。
「おい、俺のお茶は!?」
「もう、要るの?しょうがないなぁ」
 弘子はそう言うと、私の前に大きな湯飲みを置いた。
「ご苦労、奴隷ちゃん」
「何だとー!もう淹れてやらないからな!」
 弘子の棄て台詞に、渡が笑う。
「ま、事務所の問題はそういう事で、本題はこれからや」
「はい、防音ボックスの件ですか?」
 私は渡の思考を先読みした。
「そうや、着工はいつになりそうなんや?」
「今の時点では十一月の予定ですけど」
「十一月か…、やっぱりお前が居った方がええんやろ」
「それはもちろんですよ」
 工場内でのウォータージェット作業の騒音が、近隣に多大な迷惑を掛けてしまう事から、R社では大型の防音ボックスを、工場内に建築する事にしていた。
「実はな、次の現場と重なりそうなんや」
 関係無さそうな顔をして聴いていたハルが、じっと我々の顔を見る。
「何ですか?次の現場って」
「コンクリートや」
「ゲッ…」
 私とハルは、二人で同時に椅子の背もたれに仰け反った。
「あの、もしかして出張前に見積書を出した物件ですか?」
「もちろん、そうや」
 渡は当然!という顔で私を見る。出張工事の準備で忙しい中、私はとある二件の下水処理場のコンクリートはつり(削り取ること)工事の見積を、渡に手渡していた。
「えっと、そのぉ、もちろん小さい方ですよね…」
 見積書の内、一件は350m2、もう一件は1,500m2の大きさの物件だ。
「大きい方や」
「!?」
「えぇえええええ!?」
 ハルは無言で目を見開き、私は本気で大声を出した。
「だ、だって、出張に行く前に、絶対に小さい物件にして下さいって言ったじゃないですか!」
「そやけどお前、どうせやるなら大きい物件やろ!」
 渡は、
「男ならやったれや!」
 という顔で、タバコの煙をプハァーっと吐き出した。

「マジかよ、このおっさん…」
 私は心の中で、激しく渡を罵倒していた。