羊蹄学園大学社会学部講義集

北の大地に突如としてできた架空の大学。
かつてないテーマで綴る社会学とは?

喜茂具理佐の沖縄論第16回~創価学会の沖縄席捲(5)~

2005-10-03 09:37:53 | 沖縄論第3章
(5、人の顔は見えないⅠ)
こんにちは。

まずはいつもどおりの諸連絡から。
今回が初めてという人は、最初のオリエンテーションを読んでから、この講義に臨んでください。

それから、聴講生は一人でも多いほうがいいということで、毎回たくさんここをクリックして、このブログの存在を高めてやってください、とお願いしています。
「やはり」というか、「意外」というか、とにかくここの位置がビミョーですので、重ねてお願い申し上げます。

でははじめます。

この時間では、前回の最後で言ったように、今日の沖縄の創価学会・公明党には、草創期にあるような“個のきらめき”があるのか?ここに焦点を当てていきます。

それをどこで推し量るか。
それには彼らが最近で最もクローズアップされたのはいつなのかを見ればいいのですが…それはやはり、一九九八年の県知事選挙と言えるでしょう。

この県知事選挙の詳細については後の章でも触れるのですが、とにかく当初は圧勝の予測すらあった、革新陣営の推す現職の大田昌秀が、自民党の推す新人の稲嶺恵一の当選を許し幕を閉じます。

公明党は従来から県知事選挙のたびに、革新陣営の推す候補を単独支持し、支持母体とされる創価学会が独自の支援行動を展開してきました。
それは革新陣営とは直接の距離を置いたスタンスではあったものの、運動の広がりを作ったことは事実で、保守陣営に勝利するための力の源泉のひとつとなってきました。
ところが、この選挙では公明党は「大田支持」を表明せず、かわりに「大田支持を基軸に一部党内事情に配慮し、その部分については自主判断にゆだねる」という曖昧なものに変容しました。
これは当然、革新陣営に対する公明党・創価学会の支援体制が後退したことを意味しました。
現に、選挙期間中に地元選出の国会議員による大田知事への応援演説はあったものの、一方で稲嶺の選対本部には「公明党」の応援を思わせる紙が張られていたのです。

そして結果、大田は稲嶺に三万票以上の差をつけられ、落選します。
大田側に元来の支持者・支持団体の足並みの乱れがあったのは事実です。
しかし全国区の知名度を誇る大田が、前回選挙より票を上積みしたのにも関わらず落選したのは、不可解と言えば不可解です。
ちなみに、公明党の県内の基礎表は約六万と言われています。
私の友人はこの結果を見て「創価学会による沖縄クーデター」と評しました。

不可解ではありましたが、しかしこの創価学会・公明党の動きは突然のものではありませんでした。
たとえばこの知事選の直前にあった沖縄市長選挙で、それまで革新陣営の現職を推すと思われていた公明党は保守陣営の候補を推すなど、この県知事選挙につながるような兆候はあったのですから。
かてて加えて、中央では公明党と自民党による連立政権が発足していました。
そう…中央と地方との整合性をつけるために、沖縄でも自民党の推す候補の支援にまわるのはある意味、自然なことだったのです。
公明党にしてみれば。

ですが、知事選挙に限って言えば「基軸」と言って、旗幟を鮮明にしない行動はわかりにくいのも確かでしょう。
この組織に座する人々は不可解と感じないのでしょうか。

…という個人的疑問を次の時間は私なりに考えてみようと思います。

では乞うご期待。



最新の画像もっと見る