街歩きアラカルト2019年度第8回
歴史の道佐紀古墳群と平城京散策
記録者:藤川秀男
日 時:2020年3月21日(土)
集合場所:近鉄京都駅 Am8:40
コース:JR京都駅=JR奈良駅=近鉄新大宮駅―ウワナベ古墳―コナベ古墳―磐之媛陵―平城天皇陵―
展示館(昼食)―第2次大極殿基壇―南門復元―第1次大極殿―佐紀神社―山上八幡神社―
日葉酢媛命陵―成務天皇陵―称徳天皇陵―近鉄大和西大寺駅=京都駅
歩行距離7.8km、150分。
参加者:伊藤、小沢和、佐藤孝、志賀、下道、三好、山本、大槻、大西、小沢充、川野、関口、田中、
鳥居、山田、藤川 女性7名、男性9名(計16名)
歩こう会に参加して
近鉄京都駅で情報画面を見て、「京都―向島間で運転取りやめ」を知った。券売機にも貼紙があり出札停止であった。集合時刻の8:40には8人が集まっていたが、協議の結果JRで奈良まで行き新大宮まではそこで考えることにした。コンコースでOさんに会い9人で快速奈良行きに乗車しJR奈良駅到着。
改札を出て西口バス停から乗車、新大宮駅停で下車し200mほど歩いて近鉄新大宮駅に着いた。駅前には既に7人が着いていた。挨拶とコンビニの説明をして出発。
駅前通りを北へ菰川信号でR24号線に出てさらに北へ。信号のすぐ北に日本最古の図書館「芸亭(うんてい)」跡の看板がある。しばらくすると前方左手に小山が見えてきた。佐紀盾列(さきたてなみ)古墳群の東端にある全長255mのウワナベ古墳である。幅50mの濠の南側の道を西へ歩く。古墳の整備が出来ていず、所どころの濠沿いがくずれている。
少し行くと大きな門があり警備員が立っている。航空自衛隊奈良幹部候補生学校である。すぐ西にはコナベ古墳があり、濠の水は何故か濁っていた。基地のフェンス越しに練習機が何機か見えている。人家の路地に入り進むと、万葉歌碑がある。半分程度は読めるがあとは? 調べると中臣女郎(中臣家令嬢)が大伴家持に贈った歌で、「女郎花 佐紀沢に生うる花かつみ 嘗(かつ)ても知らぬ恋もするかも」。
この道を行くと右側に磐之媛陵という古墳がある。一名ヒシャゲ古墳とも言うらしい。南側は水上池という大きな溜池で、冬場にここを訪れる野鳥の表示板があった。池の端から村の中の道を行く。やや太い幹線道を左折するとローソンがあり、ここで弁当を調達する。理髪店の横の路地を入って平城天皇陵に着く。ここでも宮内庁管理の陵墓の形は同じである。
10分足らずで平城宮遺構展示館に着いたが、コロナの関係で建物には入れず、ここのベンチで昼食を摂る。昼食後、4/4の玄武寮での総会の中止について事務局から提案があり、了承される。第2次大極殿は基壇のみ再現されていて、上に立つと東方向に若草山と大仏殿の屋根が望めた。天気は良いが西風がかなり強く吹いている。
午後の予定を若干縮めて朱雀門はパスする。大極殿院南門は現在建築中で、中の様子がアクリル板越しに見られる櫓が建てられていた。北へ移動して第1次大極殿の正面で集合写真を撮る。
大極殿横でトイレ休憩。信号を渡り、佐紀町の田舎道を左に大極殿を見ながら歩く。しばらく池の横を歩き村の氏神佐紀神社に到着。池には数匹の亀が泳いでいる。更に細い路地を抜けて山上八幡神社に着いた。ここで休憩。拝殿の天井に大きな絵馬がたくさん掛けてあり、多くの燈篭が並んでいた。あと3基の古墳を巡る。神社の真後ろに日葉酢媛命陵、成務天皇陵・称徳天皇陵を見て、見学の予定は終了。
あとは近鉄大和西大寺駅まで歩き解散した。尚、コロナのこともあり、恒例の打ち上げは中止となった。
歴史の道佐紀古墳群と平城京散策
記録者:藤川秀男
日 時:2020年3月21日(土)
集合場所:近鉄京都駅 Am8:40
コース:JR京都駅=JR奈良駅=近鉄新大宮駅―ウワナベ古墳―コナベ古墳―磐之媛陵―平城天皇陵―
展示館(昼食)―第2次大極殿基壇―南門復元―第1次大極殿―佐紀神社―山上八幡神社―
日葉酢媛命陵―成務天皇陵―称徳天皇陵―近鉄大和西大寺駅=京都駅
歩行距離7.8km、150分。
参加者:伊藤、小沢和、佐藤孝、志賀、下道、三好、山本、大槻、大西、小沢充、川野、関口、田中、
鳥居、山田、藤川 女性7名、男性9名(計16名)
歩こう会に参加して
近鉄京都駅で情報画面を見て、「京都―向島間で運転取りやめ」を知った。券売機にも貼紙があり出札停止であった。集合時刻の8:40には8人が集まっていたが、協議の結果JRで奈良まで行き新大宮まではそこで考えることにした。コンコースでOさんに会い9人で快速奈良行きに乗車しJR奈良駅到着。
改札を出て西口バス停から乗車、新大宮駅停で下車し200mほど歩いて近鉄新大宮駅に着いた。駅前には既に7人が着いていた。挨拶とコンビニの説明をして出発。
駅前通りを北へ菰川信号でR24号線に出てさらに北へ。信号のすぐ北に日本最古の図書館「芸亭(うんてい)」跡の看板がある。しばらくすると前方左手に小山が見えてきた。佐紀盾列(さきたてなみ)古墳群の東端にある全長255mのウワナベ古墳である。幅50mの濠の南側の道を西へ歩く。古墳の整備が出来ていず、所どころの濠沿いがくずれている。
少し行くと大きな門があり警備員が立っている。航空自衛隊奈良幹部候補生学校である。すぐ西にはコナベ古墳があり、濠の水は何故か濁っていた。基地のフェンス越しに練習機が何機か見えている。人家の路地に入り進むと、万葉歌碑がある。半分程度は読めるがあとは? 調べると中臣女郎(中臣家令嬢)が大伴家持に贈った歌で、「女郎花 佐紀沢に生うる花かつみ 嘗(かつ)ても知らぬ恋もするかも」。
この道を行くと右側に磐之媛陵という古墳がある。一名ヒシャゲ古墳とも言うらしい。南側は水上池という大きな溜池で、冬場にここを訪れる野鳥の表示板があった。池の端から村の中の道を行く。やや太い幹線道を左折するとローソンがあり、ここで弁当を調達する。理髪店の横の路地を入って平城天皇陵に着く。ここでも宮内庁管理の陵墓の形は同じである。
10分足らずで平城宮遺構展示館に着いたが、コロナの関係で建物には入れず、ここのベンチで昼食を摂る。昼食後、4/4の玄武寮での総会の中止について事務局から提案があり、了承される。第2次大極殿は基壇のみ再現されていて、上に立つと東方向に若草山と大仏殿の屋根が望めた。天気は良いが西風がかなり強く吹いている。
午後の予定を若干縮めて朱雀門はパスする。大極殿院南門は現在建築中で、中の様子がアクリル板越しに見られる櫓が建てられていた。北へ移動して第1次大極殿の正面で集合写真を撮る。
大極殿横でトイレ休憩。信号を渡り、佐紀町の田舎道を左に大極殿を見ながら歩く。しばらく池の横を歩き村の氏神佐紀神社に到着。池には数匹の亀が泳いでいる。更に細い路地を抜けて山上八幡神社に着いた。ここで休憩。拝殿の天井に大きな絵馬がたくさん掛けてあり、多くの燈篭が並んでいた。あと3基の古墳を巡る。神社の真後ろに日葉酢媛命陵、成務天皇陵・称徳天皇陵を見て、見学の予定は終了。
あとは近鉄大和西大寺駅まで歩き解散した。尚、コロナのこともあり、恒例の打ち上げは中止となった。