街歩きアラカルト2017年第9回(2018.3.24)
親鸞ゆかりの日野と醍醐寺・小野コース
記録者:藤川秀男
日 時:2018年3月24日(土)
集合場所:地下鉄石田駅 Am10:00
コース:地下鉄石田駅―法界寺―日野誕生院―平重衡墓―一言寺―昼食(外環状線付近レストラン)―善願寺―醍醐寺(仁王門・三宝院唐門)―醍醐天皇後山科陵―隋心院(境内榧の木)―小野小町ゆかりの榧の木2か所―地下鉄小野駅(解散)
参加者:石田、伊藤昭、伊藤茂、小澤夫妻、奥村夫妻、佐藤孝、志賀、下道、三好、山本
井上二、宇野、大槻、大西、川野、桑名、佐藤好、杉本、関口、中井、広瀬、古川、藤川
女性10名、男性15名(計25名)
歩こう会に参加して
朝は雲一つない晴天で放射冷却でこの時期としては結構寒い。地下鉄石田駅の地下改札口に集合したのは23名。2名は地上出口で待っていた。石田の狭い歩道を歩き出すと、気温も少しは上がってきた様子。旧奈良街道の信号を越し少し行くと、南山城学園の広大な障害者支援施設の前を通る。病院を過ぎ道標のある交叉点を右折すると、間もなく日野家の菩提寺である真言宗法界寺である。みんなで境内に入り、国宝の建物などを見て回る。受付から呼び出しを受け、予約していた人か確認されるが、誕生院へ行く途中少し寄っただけと言い訳けする。外に出て3分で誕生院である。
所々に早咲きの桜が咲いている。若い僧侶がいろいろ説明してくれた。本堂はもともと平安貴族の住居形式で建てられたもの。柱は法隆寺と同じエンタシス形式。境内には親鸞6歳の姿を写した銅像や、9歳の得度式に詠んだという和歌の「明日ありと思う心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」の石碑が建てられている。誕生院裏手には、親鸞ゆかりの人々が眠る「日野御廟」がある。
日野の住宅街を北へ進むと、公営住宅横の公園に平清盛の5男の平重衡墓がある。更に北へ行き醍醐中学校横交叉点を右折し坂を上ると一言寺である。境内山門内にはやまももの巨木がある。
お参りを済ませ、下りの石段で集合写真を撮る。
遠くに深草から小栗栖にかけての山が見え、広範囲に太陽光パネルが設置されていた。ここから昼食のために外環状線沿線のレストランへ寄る。サイゼリヤとかつやに分かれて入る。
午後は元の旧奈良街道に戻り北上。善願寺は「はらおび地蔵」で知られている。境内の榧の巨木には「榧の木不動尊」が彫られているらしいが、外からは見えない。更に北へ行き、醍醐小学校手前の醍醐道(女人堂への)を右折する。まもなく醍醐寺の黒門が見えてくる。ここから醍醐寺の境内に入る。道は駐車場の出入りのために車が多い。駐車場のトイレを使う。桜は若干早いが早咲きの桜も数本あり、まずまずの花見となった。三宝院の唐門は国宝で、解体修理が終わって大きな紋が金色に輝いていた。仁王門から北方向の道を歩く。ここまでくると観光客の姿が消え、静かな道を歩く。住宅街を抜けて醍醐天皇後山科陵へ向かう。宮内庁管轄の陵墓は何処のものでも同じ形をしている。更に醍醐の住宅街を辿るが、このあたりの住宅は大きな自然石の石垣が多い。
随心院の駐車場口から入る。随心院中興の祖仁海僧正供養塔があり、その後ろに榧の大木がある。(3本の内の1本) 小野小町の文塚・清滝権現堂を経て随心院正面に出る。たくさんの石に和歌が彫られて並べられている。有料の梅園の梅が最盛期で、外からでも充分眺められる。
外に出れば旧奈良街道で、車の多い狭い道を北へ行く。遠くからでも大きな榧の木が目立っている。小野葛篭尻町の榧である。(2本目) 更に細い路地を抜けた川沿いのマンションの前に、根元に異様な根が張っている榧が見付かる。(3本目) これで今日見て歩いたポイントは終了。すぐそこの駐車場に集まり解散。道を渡り地下鉄小野駅から分かれて乗車した。
親鸞ゆかりの日野と醍醐寺・小野コース
記録者:藤川秀男
日 時:2018年3月24日(土)
集合場所:地下鉄石田駅 Am10:00
コース:地下鉄石田駅―法界寺―日野誕生院―平重衡墓―一言寺―昼食(外環状線付近レストラン)―善願寺―醍醐寺(仁王門・三宝院唐門)―醍醐天皇後山科陵―隋心院(境内榧の木)―小野小町ゆかりの榧の木2か所―地下鉄小野駅(解散)
参加者:石田、伊藤昭、伊藤茂、小澤夫妻、奥村夫妻、佐藤孝、志賀、下道、三好、山本
井上二、宇野、大槻、大西、川野、桑名、佐藤好、杉本、関口、中井、広瀬、古川、藤川
女性10名、男性15名(計25名)
歩こう会に参加して
朝は雲一つない晴天で放射冷却でこの時期としては結構寒い。地下鉄石田駅の地下改札口に集合したのは23名。2名は地上出口で待っていた。石田の狭い歩道を歩き出すと、気温も少しは上がってきた様子。旧奈良街道の信号を越し少し行くと、南山城学園の広大な障害者支援施設の前を通る。病院を過ぎ道標のある交叉点を右折すると、間もなく日野家の菩提寺である真言宗法界寺である。みんなで境内に入り、国宝の建物などを見て回る。受付から呼び出しを受け、予約していた人か確認されるが、誕生院へ行く途中少し寄っただけと言い訳けする。外に出て3分で誕生院である。
所々に早咲きの桜が咲いている。若い僧侶がいろいろ説明してくれた。本堂はもともと平安貴族の住居形式で建てられたもの。柱は法隆寺と同じエンタシス形式。境内には親鸞6歳の姿を写した銅像や、9歳の得度式に詠んだという和歌の「明日ありと思う心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」の石碑が建てられている。誕生院裏手には、親鸞ゆかりの人々が眠る「日野御廟」がある。
日野の住宅街を北へ進むと、公営住宅横の公園に平清盛の5男の平重衡墓がある。更に北へ行き醍醐中学校横交叉点を右折し坂を上ると一言寺である。境内山門内にはやまももの巨木がある。
お参りを済ませ、下りの石段で集合写真を撮る。
遠くに深草から小栗栖にかけての山が見え、広範囲に太陽光パネルが設置されていた。ここから昼食のために外環状線沿線のレストランへ寄る。サイゼリヤとかつやに分かれて入る。
午後は元の旧奈良街道に戻り北上。善願寺は「はらおび地蔵」で知られている。境内の榧の巨木には「榧の木不動尊」が彫られているらしいが、外からは見えない。更に北へ行き、醍醐小学校手前の醍醐道(女人堂への)を右折する。まもなく醍醐寺の黒門が見えてくる。ここから醍醐寺の境内に入る。道は駐車場の出入りのために車が多い。駐車場のトイレを使う。桜は若干早いが早咲きの桜も数本あり、まずまずの花見となった。三宝院の唐門は国宝で、解体修理が終わって大きな紋が金色に輝いていた。仁王門から北方向の道を歩く。ここまでくると観光客の姿が消え、静かな道を歩く。住宅街を抜けて醍醐天皇後山科陵へ向かう。宮内庁管轄の陵墓は何処のものでも同じ形をしている。更に醍醐の住宅街を辿るが、このあたりの住宅は大きな自然石の石垣が多い。
随心院の駐車場口から入る。随心院中興の祖仁海僧正供養塔があり、その後ろに榧の大木がある。(3本の内の1本) 小野小町の文塚・清滝権現堂を経て随心院正面に出る。たくさんの石に和歌が彫られて並べられている。有料の梅園の梅が最盛期で、外からでも充分眺められる。
外に出れば旧奈良街道で、車の多い狭い道を北へ行く。遠くからでも大きな榧の木が目立っている。小野葛篭尻町の榧である。(2本目) 更に細い路地を抜けた川沿いのマンションの前に、根元に異様な根が張っている榧が見付かる。(3本目) これで今日見て歩いたポイントは終了。すぐそこの駐車場に集まり解散。道を渡り地下鉄小野駅から分かれて乗車した。