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初歩の文書分析と論理学モドキ(メモ)

大和暦前後 CODA:関孝和の暦学そして弧背術❸年代記的整理

2019-02-13 18:34:34 | サイエンス囲炉裏端談義
 最終的には土御門神道の門人となり土御門泰福とタッグを組む事により渋川春海は改暦に成功した。このようなルートは関孝和には取ることが困難である事である、との論点は認めても良い。しかし1670年代の第一次改暦奏上も1680年代の再度の奏上も渋川春海は幕臣としての立場で幕閣経由で行ったのではないか、このような立場での関与は幕臣である関孝和にも可能であったであったのではないか?このような疑問が生じるかも知れません。
 この疑問に答える為の準備として、すこしまわり道になりますが幾つかの年代記的整理をします。

 ①関孝和<公的生涯>
  1642?誕生
  1665?甲府宰相家出仕番方小十人組
  1684 勘定吟味方(検地監査)?在任
  1695 御賄頭在任
  1702 御勘定吟味役在任
  1705 西丸出仕御納戸組頭
  1708 死亡
   -数学基礎学力研究会 和算入門:http://www.mirun.sctv.jp/~suugaku/等より-

 ②関孝和<学的生涯>
  1674 発微算法
  1680~1685最盛期:暦関係のみピックアップ
     授時発明
     授時立成
     立成文法
  1685以降新規活動ほぼ停止

   -数学史研究通巻56号 関孝和と天文暦学(広瀬秀雄)より抜粋
  
 ③徳川将軍家在位
  家光 1623~1651
  家綱 1651~1680
  綱吉 1680~1709
  家宣 1709~1712

 ④甲府宰相家
  1651 綱重立藩:甲府15万石
  1678 綱豊継承
  1704 綱豊将軍家継嗣:甲府藩絶藩、家士は旗本・御家人へと再編成

 ⑤改暦
  1673 改暦一次上表(春海版授時暦)
  1675 春海版授時暦:日食予想失敗
  1683 改暦二次上表(大和暦)
  1684.3大統暦採用決定
  1684.10大和暦逆転採用(貞享暦に名称変更)
  1685 貞享暦施行

  
  
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